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絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

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絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

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7.絵本図書館の午後


 宣伝の効果もあってか、絵本図書館ミルムを訪れる人は途切れなかった。それでも午後遅くになってくれば、館内の作業に携わる学生たちが、それぞれの仕事に慣れたこともあって、少しずつ落ち着いてきた。
 それに連れ、手伝いの学生たちにも余裕が生まれてくる。
 交代で取っている休憩時間に、真人はトーマに絵本を読むことを勧めた。トーマは本と聞いて顔をしかめたが、
「別に勉強するわけではないのですよ。絵本を読んで何かを感じてくれればそれで良いんですから」
 と真人に言われると、空いている椅子に腰掛けて読み始めた。本なんて面白くもなんともない、なんて書いてあった顔は、読み進めるうちにどんどん本の世界へと入ってゆく。
「えーと、ポポガが興味持ってたのは……これだったっけ?」
 仕事がひと段落した処で、リアは本の整理中にポポガ・バビ(ぽぽが・ばび)が気にしていた絵本を探して持ってきた。題名は『年老いたトラ』。その表紙では雄々しいトラが大地を踏みしめて立っている。
「リア、その本、読んで」
「いいよ。どれどれ……」
 まだ言葉が得意ではないポポガの為に、リアはその絵本を読んでやった。
 それは、虎と小鹿の物語――。
 ある処に、乱暴ものの虎が住んでいました。
 トラはとても強くて、そんな自分をほこりに思っていましたから、他の弱い動物をいたわる気持ちなんてもっていませんでした。
 ある時虎は、人間に撃たれて重い怪我を負ってしまいます。ひとりぼっちの虎を薬草で看病してくれたのは、1匹の小鹿でした。
 でも実は……その小鹿の親は、以前トラが食べてしまっていたのです。小鹿もそれを知っているのに、虎がどれだけ追い払っても小鹿はいつも薬草を持って、また来たよ、とやってくるのでした。
 そんなある日。鹿の角に目をつけた人間がやってきました。知らん顔をしようとした虎でしたが、人間を見つけた小鹿の声を耳にして、じっとしていられずに飛び起きます。そして、自分の最後の力を振り絞って人間を追い払い、小鹿を護って息絶えるのでした……。

 ――そんなお話。
「……虎、最後、頑張った」
 ポポガの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ポポガも、皆守れる、なりたい」
「うん……そうだね」
 答えるリアの目も赤い。だが、
「あれ、泣いてるんですか? リアさん可愛いですね」
「な、泣いてなんかいない! ゴミが入っただけだ!」
 珠輝の茶化しに、慌ててその感傷を振り切った。


 窓越しに差し込む午後の陽が、ミルムの灯りと暖を担っている。
 イルミンスール制服の上をワンピース風にしたものにローブをつけた九弓は、出窓に腰掛け、目を閉じていた。
 多くの本が集められた図書館内には、特有の匂いをもった空気が満ちている。九弓はその中に本の含有する『夢』の浮遊も感じていた。
 見た限り、危険そうな絵本はないようだったけれど……、と本のリストを思い起こしていた九弓は、子供の手が膝に触れたのに気づいて目を開けた。本に飽きたのか、子供が出窓によじ登ろうとやってきて、その手が九弓に当たったのだ。
「こっちに面白い絵本がありますわよ」
 九弓の邪魔をさせてはいけないと、マネット・エェル( ・ )が急いでやってくる。出窓から別のものに興味を持たせて引き離そうというのだが……。
「妖精さんだ!」
 子供はぱっと身を翻すと、マネットに向かって突進してきた。自分の手の平ほどの大きさしかないマネットを捕まえようと、両手を広げて飛びかかってくる。
「違いますわ」
 白いドレスをひらりと揺らして、マネットはその手を避けた。
「わたくしのことより、もっと楽しいお話が……っ……」
 再度飛び退いたマネットは、小さく溜息をついた。
「耳に入ってないようね」
 マネットの危機とみて、九鳥・メモワール(ことり・めもわぁる)がその傍らに警護に立つ。マネットよりやや大きい九鳥は、夜色のゴチック調スカートスーツという対照的な服装だ。
「あっ、また妖精さん!」
 子供が嬉しそうに叫ぶ。
「絵本図書館という場では、この反応も致し方ないわね。説明して分かるとも思えないし、少しここから離しましょう」
 身体は小さくとも、マネットと九鳥なら子供をまくのは難しくない。妨げにならないように子供を離してから、九弓の元に戻ってきた。
 九弓はまた目を閉じ、図書館の気配に心を澄ませていた。
 手から手へ、育てられてきた夢、こめられた希望……本の中に少しずつ力は蓄積されているけれど、今はまだ眠りの中にある……。
 そんな感覚と共に、九弓も浅いまどろみにたゆたうのだった。


 入れ替わり立ち替わり訪れる来館者。その多くは絵本を楽しみに来てくれる人々だったが、そうでない者もまた館内を彷徨いていた。
 書架に並ぶ絵本は宝の価値。読み物として……そして売買される商品としても。
 周囲から人影がいなくなるのを見計らい、少年は目を付けておいた絵本を手に取った。そして上着の下にそっと忍ばせ……。
「あらあら、こんな所でおいたはダメよ、ボクちゃん」
 その途端、突然響いたフリーダ・フォーゲルクロウ(ふりーだ・ふぉーげるくろう)の大声に少年は飛び上がった。声のした方向に探る目を走らせたが、アーマーリング型なのを利用して隙間に隠れているフリーダの姿は、少年には捉えられなかった。
 そこに瀬島 壮太(せじま・そうた)が飛び込んできた。少年は一層背を丸め、壮太から顔を背けて扉へと向かう。
 壮太は書架へと呼びかけた。
「姐さん、どいつだ?」
「紺色の上着を着た背の高いボクちゃんよ」
「っ!」
 脱兎のように駆け出した少年を壮太は追った。
「そいつを逃がすな。本泥棒だ!」
 壮太の大声に追い立てられ、少年は人の多い玄関ではなく図書館の奥、立ち入り禁止のロープをくぐって逃げてゆく。来館者が入れないようにしてあるそちら側の突き当たりには外に出られる裏口があった。
 少年が体当たりのように扉を開け、外光が差し込んだ。その時。
「うわあっ」
「かかったな」
 足下をねばねばした物体に絡め取られ、少年はひっくり返った。懐に抱えていた絵本が落ちそうになるのを壮太は空中でキャッチする。
「絵本は無事だぜ」
 騒ぎに気づいて駆けつけてきたサリチェに壮太は絵本を渡した。
「ありがとう」
 ミルムにあるのはどれもサリチェの大切な本。失われずに済んだ絵本をサリチェが両腕で抱えるのに、礼は要らないぜ、と壮太は笑う。
「代わりに、後で一緒に飯でも食ってくれればな」

 絵本に囲まれたこの場所でも、巡回をしないとその静穏を保つことが出来ないのは情けない……。そんなことを思いながら、宮坂 尤(みやさか・ゆう)は利用者の邪魔にならぬよう、隠れ身を併用して館内を巡回していた。
 問題のある行動を取る人には、一度目は笑顔の軽い注意。
「絵本は粗雑に扱わないで下さいね。皆さんが利用される本ですから、ね」
 それで改めてくれれば良し、そうでなければもう一度。今度は背後からひそやかに近づいて。
 ゴヅッッ!
 自前のパラミタ大事典の角で、脳天一撃。
「うーん、口で言って解らないコには、体で覚えてもらうしかないんでしょうねぇ」
 困ったような笑顔で、だが断固としてお引き取り願う。
「ああ……」
 尤は後に残った絵本の落書きを物悲しい気持ちで見つめた。不埒者を追い出しても、傷められた本は元には戻らない。そこに、プレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)七瀬 歩(ななせ・あゆむ)がやってきて、尤の持つ本に……そこに引かれたペンの跡に顔を曇らせた。
「こういうの、なかなか無くならないんですよね。ゴツンとやって終わるなら、まだ良いのですが……何やら訳ありそうな子もいますし」
 尤は閲覧コーナーの隅にいる少女を目で示した。テーブルに開いた絵本の頁を睨み付け、ぴくりとも動かない。
「さっき本を破ろうとしたので注意したのですけれど、それ以来あの様子で……」
 気に掛かるけれど巡回もしなければならないしという尤に、それなら任せて、と歩は言った。
「あたし、あの子と話してみる。悪いことする人って、何かに困ってるんじゃないかな? お話を聞かせてもらえたら、解決できることがあるかも知れないもん」
「うん、悪さをするのも理由があるからだよねぇ。そこをちょっと解いて理解しあえば、お友達になれるかも♪」
 プレナも歩の考えに共感し、尤の心に引っかかっている少女の元へと赴いた。
「こんにちはっ」
 プレナの挨拶に少女は身を強ばらせて顔を上げた。頑なな態度は気にしないようにして、歩は少女の見ている絵本を覗き込んだ。きつねのお母さんと、子ぎつねの兄弟があたたかな食卓を囲んでいる絵に、その日あった楽しいことをお母さんに報告する話が書かれている。
「……あ、この本あたしが昔持ってた絵本に似てます。好きだったけど、ページ破いちゃったんですよね」
「プレナはそのお話、読んだコトない……どんなお話なのですか?」
 そうプレナは尋ねたけれど、少女はぷいと横を向いた。歩は構わず、にこにこと話し続ける。
「あたしが読んだのは、きつねの兄弟が大冒険をするお話で、家に帰ってそれをお母さんに報告すると、お母さんはよく頑張ったねって驚いて、おいしいごはんを作ってくれる、そんな絵本でした。これもそういうお話なんですか?」
「少し違う……。冒険は小さなもので、お母さんは全部知ってるのに、凄いねって言って兄弟の話を聞くの」
「どっちも素敵なお話ですねぇ」
 口を開いてくれた少女にプレナがほっとすると。
「……キライ」
 少女はぽつりと言った。それからもっと強い調子で、
「こんな話大嫌い! 嘘ばっかり!」
 と言い放った。
「どうして嘘ばっかりですかぁ?」
「お母さんはこんなんじゃないの。凄いねなんて言ってくれないの。私の周りにいる人はみんないつだって忙しくて、誰も私の話なんて聞いてくれないの!」
 暖かい団らんの絵に惹かれながらも、そうでない自分を思い知らされるのは辛く。絵本に惹かれれば惹かれるほど、たまらなくなる……。
 プレナは少女の訴えを心の中で反芻し、そして言った。
「プレナはあなたのお話、聞きたいですよぉ。いろいろなことお喋りしたいです♪」
「あたしも、あなたとお友達になれたら嬉しいです。あ、向こうに素敵な絵本があるの知ってます? いそがしいカワセミのお母さんのお話。一緒に読んでみませんか」
 歩は少女の手を取った。
 忙しくて子供に構ってあげられないけれど、本当はとても優しいカワセミのお母さんの話。あのお話を読んだらきっと心がぽかぽか暖かくなる。
 心が必要としているものを持っている絵本があって。それを一緒に読んでくれる人がいたら。きっともう……寂しくなんてないんだから。