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人形師と、人形の見た夢。

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人形師と、人形の見た夢。
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第六章 一方では非常になごんでおりまして。


「リンぷー! 助けてぇな!!」
 ドタバタと足音を響かせ、そして声を張り上げ、日下部 社(くさかべ・やしろ)が工房に駆け込んできた。その手には、社が持っていても似合わない、可愛らしいウサギのぬいぐるみが握られていた。耳が半分ほど千切れ、腹から綿も見えている。
「急患や、死んでまう!! 急いでオペをぉぉ!」
「俺が言っても信憑性はないけど一応言うね? 『人形は無生物です、死にません』」
「そんな殺生な!! 血も涙もないんかあぁぁぁ……! って、どないしたん? 浮かない顔してるで?」
 社はそうやって騒ぎ立てていたが、不意にリンスの表情に気付いて問いかけた。問われたリンスは目を丸くして、「浮かない顔?」自分の頬に手をやった。
「なに? 悩みでもあるん? 困ってるなら相談くらいせぇや?」
「……日下部、お前今俺が置かれてる状況なんて知らないよね?」
「へ? ……あー、なんや立て込んでるな。それがどないしたん?」
 だよね、と言って首を傾げるリンスにこっちまで首を傾げる。と、脇腹にタックルを喰らってよろめく。
「んぎっ!? 寺美ィ〜……何すんじゃ!」
「はぅ〜、社がどんどん先に行っちゃうからですよぉ! ちょっとはボクのことも気を使ってくださいっ!」
「ああ! せやった、ぬいぐるみが急患のあまりちーを置き去りにっ! ちー、ちー、どこやー!!」
 望月 寺美(もちづき・てらみ)の言葉に、社はぐるんぐるんとその場で回転して日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)を捜す。その社の背で、白い靴下と赤い靴を履いた足がぶらぶらと揺れていた。ピンクのスカートもひらひらと舞っている。
「ねえ日下部。お前の背中に居るのは、なに?」
 どう見てもツッコミ待ちだったので、リンスが指摘してやると、
「ん? ……おお! おんぶしとったんやな、さすが俺や♪」
「やー兄ぃ、はやいはやーい!」
 嬉しそうに二人が笑った。はぁ、とリンスがため息を吐いて、作業机に肘をつく。社が千尋を背から降ろし、
「なんや取り込み中みたいやねんけど……もしかして俺らがギャーギャー騒いだら、うっさい?」
「あ、日下部でも空気読めるんだね」
「アホ! 空気は吸うもんやろ!」
「言うと思った。減点」
「ぐあっ」
 軽口を言い合いながら、社の手から千尋のぬいぐるみを取った。そしてするすると針を布にくぐらせ、飛び出した綿を詰め直し、千切れた耳もくっつけて、わかりにくいようにそこにリボンを飾ってあげて。
「はい、千尋ちゃん。うさぎさんは治ったよ」
「ちーちゃんのお人形さん、もうイタイイタイじゃない?」
「痛そうに、見える?」
「……ううん! 元気そう! リンぷーちゃん、ありがとぉー♪」
 その場でぬいぐるみを手に、くるくると回転する千尋を三人はなごやかに見つめ、そして唐突に寺美がリンスに向き直った。そして、
「リンスさん、なかなかやりますねぇ……!」
「はい? 何が?」
「社に対するツッコミだけではなく、作業の早さ! 顧客に対する気配り! これはいい職人の香りですよ〜、はう〜☆」
 フレンドリィに、高評価。
 なに、これ。そう言いたげなリンスの視線に、社は胸を張った。
「俺が作った動く人形や!」
「はぅ!? 社、なんですかそのデマは〜!! 寺美はれっきとしたゆる族ですからね!
 あ、リンスさん。申し遅れました、いつも迷惑をかけているであろう、日下部社のパートナーの望月寺美ですぅ〜☆ よろしくねぇ☆」
 ゆるい見た目とゆるい体型のわりに、洗練された一礼で、寺美が挨拶する。つられてリンスが、「どうも、リンス・レイスです。人形師やってます」と、寺美とは正反対にぎこちなく挨拶した。
 よろしく、と出された寺見の手をリンスが握り返した瞬間、「ところでぇ、リンスさん!」ブンブンと大きく振られた。意外にも強い寺美の力に負けて、リンスの薄い肩が上下にがくがくと跳ねる。
「ボク、リンスさんとは似た空気を感じるですぅ〜! そのゆるいオーラ、愛のあるピリ辛な一言! 奥底に眠るツッコミ気質……! ボクたち仲良くなれそうですぅ〜☆」
「明らかお前の方が迷惑かけとるやん……リンぷー、迷惑やったらそう言ってぇな?」
 寺美はリンスを気に入ったらしく、テンション急上昇中である。社が気遣って、一応そう言っておくが、リンスは「大丈夫」と一言返しただけだった。
 そして、その隣で。
 珍しく放っておかれた千尋が、ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)と一緒に陳列棚の人形と喋っていた。
「にげちゃった子はどうして出て行っちゃったんでしょうね?」
「ヴァナちゃんだったら、どーゆーとき逃げちゃう?」
「ボクはですねぇ……プールとか海とかにつれていかれて、『およげー!』っていわれたら、にげちゃいます。
 ちーちゃんは、どうですか?」
「ちーちゃんはね、帽子が飛んで行っちゃったら逃げちゃう」
 室内なのにかぶっている帽子をきゅっと押さえ、千尋が笑う。
「うーん、だいじだいじなんですね」
「だいじだよー」
「そういえば、リンスおねえちゃんがつくったおにんぎょうさんはおしゃべりするんですよね」
「魂ふきこむんだって! すごいね! まほうつかいだよね!」
「おしゃべりさせちゃいましょうかー」
「ちーちゃんお人形さんとおしゃべりしたいな!」
 陳列棚に、一歩近づく。愛嬌とふてぶてしさが同居している白ネコのぬいぐるみの前で、ヴァーナーは緋桜ケイからもらったマフラーを巻いた白クマのぬいぐるみをふいふいと振った。
「ボク、クーちゃんです。うしろの子はヴァーナーです。いっしょにあそぶです♪」
 しかし、反応はない。
「ちーちゃんだよー」
 千尋も治してもらったばっかりのうさぎのぬいぐるみを手に話しかけてみるが、やはり反応はなかった。
「おかしいねえ?」
「ねー?」
 二人が首を傾げていると、
「リンスくんは、お人形を作った時に魂を込めてしまっていた場合、丁寧にお空へ還すそうですよ」
 飲み物を淹れていた火村 加夜(ひむら・かや)が教えてくれた。
 二人にココアの入ったグラスを渡し、微笑む。
「だから、ここにいるお人形たちに話を聞くのは難しいでしょうね」
「そっかぁ〜……」
 ヴァーナーがしょんぼりとうなだれる。クーちゃんに「ざんねんだね〜」と話しかけて。
 千尋も、加夜を見上げ、
「お喋り、だめなの?」
 純粋な質問。
「ええ、たぶん。もし喋る人形が欲しいのでしたら、正式にそうお願いしてみたらどうでしょう?」
「うん! じゃあちーちゃん、今度お喋りするお人形作ってもらうー♪ やー兄とラミちゃんのお人形さんがいいな♪」
 その千尋の言葉を聞いたらしく、「何ィっ! 千尋、俺の人形が欲しいんか! 今すぐ俺丸ごとあげちゃうでー♪」とハイテンションな返答をする。
 そんな社や寺美から解放されたらしいリンスが息を吐くのを、加夜は見た。近くに寄って行って、コーヒーを作業机の上に置いた。
「お疲れ様、ですか?」
「日下部の相手は楽しいんだけどね、全力だからちょっとだけ」
「リンスくんはいつも消費電力抑えめですからね」
「地球に優しい低燃費エコ青年なんだよ」
 言ってからコーヒーを飲む。苦かったらしく、砂糖を少し足して、また一口。
「……ところでリンスくん、お人形を作る時何を考えていました?」
「何って?」
「いえ、作っていた時の想いを感じとって、お人形が実行に移そうとしたのかもしれないな、って。
 だってリンスくんは命を吹き込んでくれた大切な人ですから、その人に迷惑をかけることなんてしないと思うんです」
「俺が作っていた時の想い、ね……『あの子は七年間、楽しく生きられたのかな』」
「え?」
 リンスが呟くのと同時に、加夜は立ち上がった。呟きに目を丸くしつつも、足は工房のドアへ向かっている。
「ううん、なんでも。火村捜しに行くつもり?」
「はい。私じゃ頼りないかもしれませんけど、大切なお友達のためです。頑張ってみますね。小舟に乗ったつもりで待っていてください」
 そう言って、加夜は微笑んで出て行く。
 陳列棚のところでは、未だに社、寺美、千尋、ヴァーナーが「人形さーん」と呼びかけていた。
 微笑ましく、そして少し騒がしく思いながら、リンスはコーヒーを飲み干して、止まっていた作業を再開するのだった。


*...***...*


「ねえ、リンスくんは人形をここに連れ戻してきたら、どうするつもりなの?」
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)の問いに、呼吸二つ分リンスは間を開けた。
「人形に戻ってもらうつもりだけど」
 そしてその答えを聞いて、「えぇっ!?」作業机に両手をバァンと叩きつけるようにして、詩穂が全身で驚きを体現する。
「ちょっと待って! 自我を抜いちゃうの?」
「そうなるかもね」
「でももう人格があるんだよ?」
「相手は人形だからね」
「『我思う、ゆえに我あり』ってデカルトさんが言っていたよ!」
「…………」
 言い返してこなくなったリンスに、詩穂はさらにまくしたてた。
「知ってる? 『画竜点晴を欠く』って。むかーしむかし、絵の大好きなお坊さんがいました。彼は竜の絵を描きましたが、瞳だけは描かなかったので『最後まで描かないのは何故?』と人々が尋ねました。お坊さんは答えました。『もし、瞳を入れたらこの竜は天に向かって飛んでいく』。誰も信じなかったので目をいれて完成させてみせると、どうでしょう! お坊さんの言葉の通り、竜は天に向かって飛んでいったそうです」
 すらすらと長い話を滞ることなく言える、その記憶力や知識に対し、リンスが素直に「へぇ……」と感嘆符。少し気分を良くした詩穂は、
「そのお話しじゃないけど、リンスくんも1つ1つの作品に『想い』を込めて作っているんだよね? 『この人形を受け取った人の笑顔』とか、瀬蓮ちゃんみたいに『大切なお人形にまた逢えた喜び』とか……。
 そういうものが大好きだから、だから人形師を続けている。そうでしょ?
 その『想い』がそのまま現れたんじゃないかな、って。それって、自我でしょう? なんだか難しいけど……」
「確かにそうなら自我だ。だけどあの子は、そういうのとはちょっと違うんだよ」
「ええ? どういうこと?」
「俺の、作るものに命を込めてしまう習性は、騎沙良の指摘通りなのかもしれない。でも、あの子は――」
 言いかけたところで、「おす、リンス居るか?」ドアのところから元気で大きな声がした。詩穂とリンスが同時に振り返る。そこには、蒼空学園の制服を少し着崩してラフっぽい恰好にした瀬島 壮太(せじま・そうた)が立っていた。
 詩穂は「じゃ、詩穂もリンスくんの助手になれるように人形捜索頑張ってくるから☆ 詳しくは後で聞かせてよね!」と言い残して去っていく。入れ替わりに、壮太が工房に入ってきた。
「なんていうか、相変わらず不良っぽい見た目だね、瀬島」
「うっせぇほっとけ」
「そのくせ声をかけてから人の家に入る礼儀正しいヤツ」
「だぁらうっせぇって。……で?」
 ずんずんと大股でリンスの座る作業机まで歩いて来て、近くにあった椅子を引いて座るや否や、壮太は問い掛ける。
「困ってんだろ」
「情報網広いね、しかもわざわざ遠くから」
「ダチが困ってんだ、助けに来んのは当然だろーが。何寝ぼけたこと言ってんだバーカ」
 リンスの頭を小突きながら壮太は言って、
「今どうなってんだ?」
 率直に質問を開始した。
「各地から高原の友達や俺の知人友人が人形を捜しまわってくれてる。モチーフの子のこと聞いたりね」
「それだ」
「なに」
「モチーフの人間。そいつ生きてんのか?」
「ねえ瀬島、ピアスの数減らした?」
「外してるだけだ。話逸らしてんじゃねえよ」
「……なんでさー、お前ってそう鋭いの?」
 言うべきじゃないかなって思って、最初隠していた俺馬鹿みたい。そうリンスは言いながら息を吐いた。壮太は壮太で「マジか」と短く呟き、
「あーじゃあ、人形を作った理由って」
「察しの通りだと思うよ? きちんとした最期のお別れのため」
「って待て。だったら納品できねえと困るだろがっ!?」
「だから。困ってるじゃん、俺」
「だーもぉっ! おめーはいちいちユルいんだよ! もうちっと危機感とか持て、危機感!」
 叫んで椅子を蹴倒しながら工房を出て行く。「瀬島ー?」と、やや後方からリンスの声が聞こえた。
「オレ捜しに行くから!」
 大声で応えて、走る。遠くなった声が、「ありがとー」と呑気に礼を言っていた。
 だからのんびりと礼言ってねえで、少しは焦れ!
 言い返しかけて、ああでもあれがアイツなんだった、と何かを言うことを諦め、走った。


*...***...*


 青空市場にて。
「こうして兄さまとお買い物するのは久しぶりですわね」
 買い物バッグに、鮮度が良く美味しそうなトマトをいくつも入れた、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)に笑いかけた。
「そうだな……私が学校帰りに買い物して帰るから」
「たまには、わたくしも一緒にお買い物に行きたいです。だって、ただ兄さまを待っているのは、少し寂しいんですよ?」
「わかった。次から考慮するよ」
 エイボンの、さらさらとした銀色の髪を梳くように撫でて、リンスの工房へと涼介は歩く。
「トマトをどうするのです? 兄さま、普段でしたら食べやすいようにとサンドウィッチあたりになさいますよね?」
「それでもよかったんだけどな。トマトは時期的にも旬だし、リゾットなんかどうかと思って」
「トマトリゾットですか……いいですね、とても美味しそう」
「それにな、トマトにはクエン酸が含まれているんだ。クエン酸の効果は疲労回復。人形を捜して街中を駆けずりまわったみんなを労うには、丁度いいだろ?」
「食べやすいからバテ気味の方でも頂けそうですね」
「ああ、それも考えてある。消化もいいから、胃が弱い人でも食べられるだろうし」
「心当たりが?」
「リンスくん」
「リンス様は胃が悪いのですか?」
「というか……彼、あまり食事しないんだよ。忙しいって言って、ろくにものを食べようとしない」
 イルミンスールで魔法を学んでいた時期。
 みんなが昼食だなんだと休憩をとりに行く時間に、黙々と本を読んだり教員に質問しに行ったりしていた。真面目すぎる、と思うのと同時に、好感を抱いて。その頃から仲良くなったのだ。
 なので、もうイルミンスールに彼が来なくなった今でも、涼介自身がリンスの工房に出向いては他愛のない話をしたり、差し入れしに行ったりしている。今日もそのつもりで行ったら、
「立て込んでいましたし、ねぇ」
 仕事関係で困っていると言うから、何か協力できないかと。
「結局、私は料理を作るしかできないんだけどな」
「兄さまの料理はとても美味しいです。愛情たっぷりですもの。何よりの労いですわ」
 ふふ、とエイボンが優しく笑った。
「それにしても……そういったお話が個人的に好きなわたくしとしては、先に相談していただきたかったですわ。外の世界に興味を持ったのでしたら、わたくしたちがどこへでも案内しましたのに」
 ぷぅ、と頬を膨らませてエイボンが言って。
 工房が見えてきた。相変わらず出入りが激しい。
「ただいま! 少し遅いけど、昼食を作るからよかったら食べて行ってくれ!」
 涼介は大きな声を出し、リンスとその協力者たちに声をかけた。