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黒薔薇の森の奥で

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第一章 墓所への出発

「この森の奥に、あいつがいるってわけだ」
 陰鬱な森の入り口に、不吉な北風が吹く。それでも深い霧は、一向にはれる気配もなかった。長い黒髪をなびかせて、北条 御影(ほうじょう・みかげ)はぽつりと呟いた。
「陰気な所アルね。こんな所に人捜しに行くなんて、物好きアルねぇ」
「いやはや全く。男の吸血鬼しかおらぬとは……」
 それぞれの思惑でもって不服を呟くマルクス・ブルータス(まるくす・ぶるーたす)豊臣 秀吉(とよとみ・ひでよし)を、じろりと御影が一睨みする。
「だったら置いてくぞ。別に、こっちが頼んでるわけじゃないんだ」
 そもそもが、この動物園もどきな状態を御影は歓迎しているではない。
「何を言う。主君に従うは臣下の勤め! 御影殿の行かれる場所ならば、喩え火の中水の中ですじゃ!」
 しきりに秀吉は憤慨するが、その尻尾が微かに震えているのは事実だ。女好きの彼としては、どうにもこの森の空気はあわないらしい。
「第一、我なしでは不安でしょーがないアルよ。変熊吸血鬼だろうが化け物だろうが、我さえいれば大丈夫! アル〜」
「なにを根拠に……」
 御影はため息混じりに呟いたが、聞いたところでろくな返事が来ないことは経験上よくよく知っている。
 二人にこれ以上かまうのは止め、とりあえず森の奥へと向かうことにした。
「御影殿、いよいよご出立ですか! では、こちらの道へ……」
「いや、こっちだ」
 早速道案内にたとうとした秀吉が、あっさり御影に却下され、ずるりとコケる。
「なんか気配でもするアルか?」
「……ただの勘だ」
 素っ気なく返しつつも、幼い頃から戦場で育った御影には、それなりの自信もあった。ぞくりと背筋が震えるような気配。危険だと感じる方向が、こんな時には正解なのだ。
 目を閉じ、光学迷彩、そして殺気看破を発動させる。無駄な戦闘をするつもりはなかった。この森は吸血鬼たちのものだ。自分たちが無粋な外部なのだという自覚はある。……ただし。
「なにか金になりそうなものはないアルかな〜」
 きょろきょろとあたりを見回し、ちょろちょろしているマルクスに、そのあたりの意識は多分皆無であったろうが。ついでに、「御影殿! 油断めさるな!」と言いつつ、ぴったりと御影の傍らにくっついている秀吉を見やり、つくづくと御影は、自分のパートナー運のなさを思うのであった。
 森の木々が、来訪者の気配にざわめく。それは歓迎なのか威嚇なのか、そのどちらともつかなかった。
(ロスト・イエニチェリか……)
 それは御影にも、あまり耳なじみのない言葉だった。
「とにかく、さっさと終わらせようぜ」
 そう言い放つと、気配を殺し、御影は二人の供とともに白い霧の中へと消えていった。
 
 薔薇の学舎に通う生徒たちに、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)からの命令が下ったのは、昨日のことだ。
 この森の奥、吸血鬼たちの聖地に眠ると言われる、ウゲンという人物を捜し出し、連れてくること。
 命令としては至極単純かつ、明快だ。ただし、そのウゲンが、「ロスト・イエニチェリ」と呼ばれる人間であるということが、多くの薔薇学生たちの興味をそそった。
 しかも、だ。
 先日、シュヴァルツ・フリーゲが黒薔薇の森の近くで目撃され、カミロの姿も目撃されたと薔薇学に連絡があったのだ。
 ……かつて、ジェイダスの寵愛を受けながらも、彼を裏切った男。
 彼もまた、ウゲンを目指しているのだろうか。しかし、何故。
 それぞれに疑問を抱えつつ、この暗い森を、生徒たちは進んでいた。
 ここにもその、一人。

「……霧が深いな」
 瑞江 響(みずえ・ひびき)は、足を止め、周囲を見回した。一度だけ、この森に蔓延る危険な触手生物とは戦ったものの、今のところ吸血鬼の手合いには出会っていない。
「道は、こちらでいいのか?」
 振り返り、アイザック・スコット(あいざっく・すこっと)へと尋ねる。
 吸血鬼である彼は、この森の道案内を自らかってでていた。
「あ、ああ……」
 頷いたものの、アイザックの赤い瞳は、どこか戸惑いの色を浮かべている。なんだか、様子がおかしい。それについては、響は先ほどからずっとそう感じていた。
 やはり、同族である吸血鬼と戦うかもしれないというのは、複雑なのだろう。それは響にも理解はできる。とはいえ、それが足手まといになるとは欠片も思わなかった。現に先ほども、襲い来る触手から、身を挺して守ってくれたのはアイザックだ。
「それならいい。行こう」
 再び、響の足が動きだす。しかしそれを、不意にアイザックが引き留めた。
「……なぁ」
「なんだ?」
「もしも俺様が、嘘をついていたら、どうする?」
「…………」
 思っても見ない言葉だった。響は一瞬、黒い目を見開き、それから……ふっと口の端に笑みを浮かべる。それだけの仕草が、アイザックの胸をかきみだすほどに妖艶だった。
「まさか」
 たった三文字。だが、絶対的な信頼に裏打ちされた言葉。
 しかし、それはかえって、今のアイザックには辛く胸に刺さった。
 道を知っているというのは、嘘だ。この森の奥へと誘ったのは、ただ、響と誰にも邪魔されずに二人きりになりたかったからだった。そんな自分を、微かに恥じる心はある。けれども。
「響。……好きだ」
 もう何度目の告白だろう。だがそれを、いつになく真摯に、アイザックは口にした。響の濡れたように黒い瞳を、まっすぐに見つめて。
「わかってる」
 響はそう受け流す。いや、そうしようとした。しかし、アイザックの端正な表情が、苦しげに歪むのを目にし、息をのむ。
 アイザックの手が、響の両肩を掴んだ。
「俺様は、お前のただの相棒では終わりたくない! いや、終われない」
 そんな、おとなしく優しい感情だけではない、と。アイザックの赤い瞳がそう訴える。
「アイザック……?」
 今度は、響のほうが戸惑う番だった。まさかそんな風に、強く求められるとは思ってもみなかったのだ。
 けれども。どう答えるべきなのか、響は迷った。勿論、彼を厭うてはいない。だからといって、この炎のような彼の感情に、そのまま焼かれる覚悟はまだ、ない。
 沈黙を拒絶と受け取ったのだろう。アイザックが目を伏せる。だがそのとき、ふと、響は彼の腕に残る傷に気づいた。先ほどの戦いの最中に、負ったものだろう。
「アイザック、傷が」
「ああ……」
 ヒールを使えば良いものを、しかしその指摘に、アイザックは心底どうでもよさそうな態度だ。
「響が無事なら、俺様はそれで良い」
 きっぱりと言い切られ、刹那、響の心臓が跳ねた。
 その言葉は、本気なのだろう。それほどまでに、ひたすらに。
「…………」
 戸惑いながら、響きはアイザックの腕をとると、傷口にそっと口づけた。治癒のひとつにもならないとわかっていても、せめてものそれが、彼への響なりの、誠意だった。
「響……」
「……行こう」
 それきり、響は離れてしまう。けれどもその心は、確かにアイザックへと伝わったようだった。
 切なく甘い傷とともに。