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らばーず・いん・きゃんぱす

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らばーず・いん・きゃんぱす

リアクション


●ワルツは上手く踊れない

「なんや、けったいなもんでてきはったわぁ」
 伊達 黒実(だて・くろざね)はころころと笑った。言葉には京都の訛りがある。目の下の泣きぼくろもあいまって京美人という雰囲気だ。本当は笑い事ではないのかもしれないが、黒実は心からこの状況を楽しんでいた。
 発端は午後のティータイム、オープンカフェにてが紅蓮 焔丸(ぐれんの・ほむらまる)とお茶を楽しんでいたとき、突如、テーブルの上のクリームブリュレをかっさらわれてしまったのだ。下手人は褐色のアメーバみたいな存在だった。
 その後、軽く情報を集めたことにより、黒実は事件の概要を把握した。
「どうやら、あのけったいなもんとそのお仲間が、キャンパス内にようけ出てるみたいどす」
「……茶も飲めぬとは厄介な場所であるな」
 鎧武者の焔丸は、腕を組んだまま重々しく言葉を発した。鎧内部からの声はくぐもっているが、本当に厄介に思っているというよりは、退治すべき標的を見つけて昂ぶっているように聞こえる。
「困っとる人放ってのうのうと見学なんてしてられまへんし、見学ついでに怪ゴムはん退治しときましょ」
 黒実が提案すると、
「良かろう。義を見てせざるは勇なきなり、と言う」
 再びくぐもった声で焔丸は応じた。
 かくて二人は人の少ないグラウンドまで移動してきた。ここなら、少々戦闘になったところで問題はなさそうだ。よく晴れてはいるものの、冬の風がひゅるひゅると吹いており肌寒い。
「茶色の怪ゴムはんの呼び出しかたはようわからんままどすが、もっと迷惑な桃色の怪ゴムはんなら簡単にきてくれはるみたいやし、ひとつやってみましょ」
 黒実はくすくすと、なんとも言えない表情で微笑する。
「その方法とは?」
「わてが焔はんと仲良う話したりくっつけばええらしいどす。アツいカップルを許しはらん怪ゴムはんらしうて」
「……なんだ、それは」
「なんでもそういう状態を『りあじゅう』とか言うらしいですわ。それが桃ゴムはんは気に入らんいうことどす」
 などと言いつつしたたりそうな色気を発して黒実がにじり寄ってきたので、焔丸は手を立てて拒否の姿勢を示した。
「断る。我は呼び出す手伝いはせぬぞ」
 断固とした口調だ。
「いややて? つれないどすなぁ」
 とはいえ焔丸の拒絶は予想の範囲内だったので、黒実はさして傷ついた様子もなく、
「せやったら誰か、お相手を探さんと……」
 と首を巡らせた。

 フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)は学内でビラを配布していた。少しずつ移動して各所で配っている。
 行方不明になった彼女の兄について、その情報を求める主旨のビラであった。アーデルハイト・ワルプルギスに叱られる可能性はあったが、それでも、人が集まるこの場所でのビラ配布は有意義と思っての行動だった。
「お願い。どんなことでもいいので、わかったらビラに書いてある連絡先に電話かメールを」
 人が途切れたところでフレデリカは手を止めた。ルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)が戻ってきていた。
「ルイ姉、何か判った?」
「ええ、断片的ですが」
 キャンパス内で発生しているらしき騒動について、ルイーザは情報を集めてきたのだ。ゴム事件の概要である。
「……といった具合で、ゴムの化け物はキャンパス内の至るところに出没しているようです」
 そこにちょうど通りかかった姿があった。
「そのビラ、いただけます?」
 小山内 南(おさない・みなみ)である。フレデリカとは旧知の仲だ。南はビラを一読して気の毒そうに言った。
「今日もお兄さんのこと探してらっしゃるんですね……何か判ったら必ずお知らせしますから」
「お願いね。それはそうとして、ゴム怪物のことって聞いてる?」
 耳慣れぬ言葉に南は小首を傾げた。
「ゴム怪物……白い風呂敷みたいなものなら見ましたが……」
「多分それだと思うよ。魔法生物かな?」
 フレデリカが言うも、ルイーザは異を唱えた。
「イルミンスールでならともかく、ここは大学。大学のエリートが危険な実験をするとも思えませんが……」
 断片的な情報でも、交換すれば有用になる。互いの情報を交換して南は別れた。やがてルイーザも、
「手遅れにならないうちに何とかしなければなりませんね」
 と、再度情報を求めてその場を離れる。残されたフレデリカもビラ束を手に移動するのである。今度はグラウンドにでも行ってみよう。

 このような次第があって、現在、黒実とフレデリカは偶然グラウンドで顔を合わせていた。
「そこのべっぴんはん、わてと囮をしまへん?」
 べっぴんはん、と呼ばれるのは悪い気はしなかったが、その相手もすごい美貌だったのでフレデリカは目を丸くしてしまった。
「囮? それはそうとしてこのビラの男性に心当たりはありませんか?」
 情報のすり合わせの結果、フレデリカは黒実と『りあじゅう』することを了承したのである。
「お兄さんのこと、可哀想やなぁ。帰ったら知り合いにも当たってみましょ。……ほな悪いけど、わての腰に手を当ててもらえまへん?」
「う、うん……」
 ここまでは比較的スムーズにいったものの、いざとなるとフレデリカの体は硬直してしまった。
(「演技なんだけど……フィリップ君を裏切るような気がしちゃうよ……」)
 その心の枷が、フレデリカを縛っているのだろう。黒実が促しても満足に応えられない。黒実にとってはまるで、人形を抱いているようなものだった。
「せやったら……なにか気の利いた甘い言葉を囁いてみん?」
「は、ハニードーナツ」
「その返し方、なんやか妙な既視感がありますわ。はは」
 あまりに初心(うぶ)な彼女の反応に、黒実はむしろ楽しくなってきた。横で見ている焔丸は退屈そうだが、しばらくはこのまま、フレデリカとのぎこちないごっこ遊びを楽しむとしよう。
「ご、ごめん。私、演技とか苦手で……」
 声を詰まらせるフレデリカを、安心させるように黒実は告げた。
「ええて、ええて。それだけフレデリカはんが清いいうことや。気楽にな。ほな少し踊ろか」
 青空の下、フレデリカと黒実はどうにも堅いワルツを踊るのだった。
「ただの見学もえらい楽しくなってきはったわ〜」
 言いながら黒実は、不満げに控えている焔丸に「わてだけ楽しんでてごめんなぁ」とウインクするのだった。