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カナンなんかじゃない

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第2章


 国境付近までネルガル軍が迫っていることを受けて、南カナンの領主シャムスは南カナンに残された僅かな戦力を召集していた。
 今は、その屋敷で作戦会議中である。

 ところで――。

「あのさぁ、集まってることろ悪いんだけど」
 と、フィオナ・ベアトリーチェは領主シャムスを演じようというエシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)に告げた。
「え?」
 どこから用意したのか、漆黒の兜と甲冑を着込んだエシクは聞き返した。
「だからね、この映画では『イナンナ』と『ネルガル』以外の役は基本的に役者の名前なのね。だから、あなたはシャムスじゃなくて『南カナンの領主シャムスを名乗るエシク・ジョーザ・ボルチェ』ってことになるわけ。ややこしいわね」
 と、もはや何の役に立っているのか分からない台本を見ながら、フィオナは繰り返した。
「……つまり、私は南カナン領主役にはなれない、ということですか?」
「ううん。役柄は自由だから、南カナン領主の役は確保できるわ。他に立候補者もいないしね」
 エシクはというと、配役を支持したパートナーローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)を振り返った。ちなみに、ローザマリアは領主の幼馴染で神官の役どころである。
 ローザマリアは、エシクをなだめるように語った。
「まあいいじゃない。ほら、占いでも『細かい事を気にすると死相が出る』って出てるわよ」
 と、手元の占い水晶を覗きこむローザマリア。エシクは不承不承、という感じに演技に入った。

「……分かりました」
 すぅ、と大きく深呼吸したエシク・シャムス。この際名前などは些細な問題と言うべきだろう。

 フィオナが去った後の大広間を見渡すと、そこには領主の執事である沢渡 真言(さわたり・まこと)と、南カナン王国騎士団長の沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)、そして女神イナンナのユーリエンテ・レヴィ(ゆーりえんて・れう゛ぃ)がいる。
 そこで、領主であるエシク・シャムスは皆に向かってガタガタと震え出した。
「ネ、ネルガルが攻めて来るよぅ。か、兜を脱がされたらどうしよぅ、顔見られるの恥ずかしいよう」
 と、突然兜を抑えて恥ずかしがるエシク・シャムス。
 そう、彼女がいつも兜をかぶっている理由は単に『もの凄い恥ずかしがり屋さんだから』だったのだ!!

 何という斬新なシャムス像!!

「……えーと……」
 役柄としては領主の執事役の真言は戸惑った。それはまあ、普通はこんな領主役が来るとは思わないだろうから、それも当然と言える。
 ローザマリアに目を向けると、大きく頷いて話を進めた。
「そうなの、この領主シャムスはとても恥ずかしがり屋。これを克服するために、私達はこれからこの屋敷の地下に行かなければいけないの」
 その言葉に、真言は驚いた。
「え、国境付近までネルガル軍が迫っているこの局面ですか? このお屋敷の地下には、何があるのです!?」
 だが、その言葉に首を振って返すローザマリア。
「今は詳しくは言えないわ。
 ……でも、この占いの水晶によるとこの地下でシャムスを鍛え直すことで、ネルガル軍を打倒する何かが手に入ると出ているの。
 そこで、私達がいない間の国軍と義勇軍の指揮をお願いしようと思って」

「そ……そうなんですか? ま、まあ、確かに戦場で敵軍を食いとめようと思ってはいましたから……」
 未だにガタガタブルブルと震えるエシク・シャムスを見た真人は答える。
 この人見知りがそうそう簡単に直るとは思えないのだが。
 それはそれとして、隆寛はそんな真言の袖をちょっと引いた。
「時にマスター。私は騎士団の一人、ということだったのではないですか? どうして団長役になっているのでしょう?」
 そこに、またフィオナがひょっこり顔を出した。

「ああ、他に騎士の役をやりたい人いなかったのよね、団長どころか正式な王国騎士役はかなり少ないから、モブ役の騎士団をうまく統制してねっ」

「……だ、そうですよ」
 顔を見合わせる真言と隆寛。
「……ふむ。そういうことならば致し方ありませんね。騎士役というならば昔を思い出して名前も戻しましょうか」
「え?」
 聞き返した真に向かって、隆寛は丁寧に左膝をついて腰のサーベルの柄を差し出した。
「どうか、この場ではルーカンとお呼び下さい、マスター」
 ルーカンとは英霊である隆寛の本来の名前だ。

 真言は、ふと隆寛の過去に思いを馳せた。
 彼は、生前の昔もこうして誰か貴人に騎士としての礼を尽くしていたのだろうか。

「……マスター?」
 返事を忘れていた真言に、隆寛が呼びかける。
「あ、失礼……しました。でも、礼を尽くすならば領主様がお先でしょう、ルーカン卿?」
 そう言って、差し出された剣の柄を隆寛――ルーカンに返す真言。
 返された剣の先に口付けをして、彼は立ち上がった。
「領主様は、今とても忙しそうなので」

 見ると、領主であるエシク・シャムスはイナンナ役のユーリエンテに絡まれている。

「ねぇねぇ、どうして兜かぶってるのー? 重くないのー?」
 漆黒の兜を指先でつつくユーリエンテ。
 ちなみに、封印されている女神イナンナは、自らの姿をかたどった石像を動かして辛うじて残された力を発揮できる、という状態である。
 したがって、この場に封印されたはずのイナンナがいること事態はおかしくない。
 おかしくないのだが、今のユーリエンテが着込んでいる服装は明らかに魔法少女コスチューム。

「え? だってユーリ魔女だけど魔法少女だもん。でもなんかマコトがイナンナって子の役? をしてって言うからー。
 だからユーリは――あ、違った。イナンナは魔法少女イナンナなんだよ! 悪いネルガルにはお仕置きしちゃうんだから☆ ってやるの!!」

 本当にやりたい放題ですね皆さん。

「ずっと兜かぶってると暑いでしょ? えいっ!!」
 そうこうしている内に、魔法少女イナンナは相変わらず恥ずかしがってまごまごしているエシク・シャムスの兜を外してしまった。
「あっ!! いけませんよユーリ!!」
 真言が止める間もなく、兜を持って走り回る魔法少女イナンナ。
 だが、見ると漆黒の兜を奪われたエシク・シャムスはその下に更にカーニバル用の派手な仮面を着けている。当然だが、素顔は見られない。
「――え?」
 真言とルーカンが戸惑いを見せた次の瞬間、エシク・シャムスは既にどこからか取りだした漆黒の兜を装着していた。

 これぞ南カナン領主、エシク・シャムスの特技『瞬間装着』である。


 確かに、これは色々と鍛えるべき部分があると、執事と騎士は揃ってため息をつくのだった。


                              ☆


 領主の屋敷を歩くフィオナは、廊下をつかつかと軽やかに歩いていく女性とすれ違った。
 シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ)だ。
 普段はブラウンのコートやスーツなど落ち着いた服装が定番である彼女だが、今日は違っていた。
 ゴールドのブラキャミのトップに、それとセットの可愛らしいホットパンツ。ロングウェーブの髪をツインテールにまとめたその格好は、まるっきり十二星華の『セイニィ・アルギエバ』だ。

 強いて言えば、自由に出来るのは服装だけなので髪の色が銀のままである、ということと、顔そのものはシャーロットのものだというところか。

 フィオナは後ろを振り返って、役柄を確認した。
「えーっと、今のは……十二星華・獅子座のセイニィ・アルギエバ役……は無理だから十二星華・獅子座のシャーロット、ということね。
 ……カナンに十二星華っていたっけ?」


 いません。


 だが、当のシャーロット・セイニィはそんなことはお構いなしである。
 せっかく自由に配役できるのだから、愛するセイニィ役を演じてみようというわけだった。
「ふふふ……私、いや、あたしはいっつも近くでセイニィを見てるんだから、役になりきるくらい楽勝よっ!!」
 とまあ、口調まで変えてのノリノリっぷりだった。

 そして今の彼女はとある事情により女神イナンナの護衛をしなければいけないのだが、そこは気まぐれなシャーロット・セイニィのこと、戦闘シーンが始まるのはまだ先、とばかりに屋敷の探検中だったのである。
「とはいえ……そろそろ戻ろうかしらね。……そういえば、まだイナンナ役の人に会ってないなぁ……」

 まさか『魔法少女イナンナ』だとは思うまい。

「ま、いいか。それにイナンナの護衛の前に、この国の調査任務もあるんだから」
 そう、シャーロット・セイニィは実のところ、女神イナンナの護衛をするためではなく、カナン王国の内情を探るために他国から送られたスパイなのだ。
 その国はカナン王国と敵対しているわけではないが、戦時中の国の動きは掴んでおかなければならないし、ネルガルとイナンナ、どちらの味方をするのかも判断しなければいけない。
「……まあ、ネルガル側にも主張はあるんだろうけどね。
 ……まあでも、やっぱ一生懸命国を守ろうとしてるイナンナ側にどうしても傾いちゃう、かな」
 まあ、別に情が移ったわけじゃないんだけどね、と独り言をこぼして歩くシャーロット・セイニィ。


 情に厚く、素直じゃないのも本物のセイニィっぽかった。


                              ☆