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五月のバカはただのバカ

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五月のバカはただのバカ

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                              ☆


「……なにあれ? 兄さん、ちょっと兄さん?」
 本物の佐々木 弥十郎が買い物の途中で立ち寄ったトイレから出てくると、自分に良く似た顔の生き物がやたらとチャラい格好をして、同じ薔薇の学舎で見たことがあるクリストファー・モーガンと実の兄である佐々木 八雲が道行く人をナンパ中だった。

 そこで、明らかに自分の偽者であるチャラ男は放っといて、それと一緒になっている八雲に精神感応で話しかけている弥十郎なのだ。
「ねえ兄さん、何してるのさ? それ僕の偽者だよね? 気付いてるよね!?」

「……ふむふむ、断られそうな時にはそういう言い回しか……参考になるなぁ」


 へんじがない ただのナンパもののようだ。


「ちょっと兄さーん!?」
 必死に呼びかける弥十郎だが、八雲はフェイク・クリストファーとフェイク弥十郎からナンパの極意を学ぶべく観察中で、取り合ってくれない。

 そこでふと視線をフェイク二人に移すと、フェイク弥十郎とフェイク・クリストファーがクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)をナンパ中だった。
「やあクリスティー、ご機嫌麗しゅう。今日も綺麗だね」
 と、歯の浮くような台詞を述べながらさりげなくクリスティーの腰に手を回すフェイク・クリストファー。
「え、えええ? ど、どどどどうしたの?」
 とある事情により、契約時に精神が入れ替わってしまっているクリストファーとクリスティー。つまり今クリスティーに迫っているフェイク・クリストファーの顔は、今のクリスティーにとっては元々の自分の顔だということになる。

 何とも奇妙な話ではあるが、精神が入れ替わった挙句に自分の顔に迫られるのだから、混乱もしようというものだ。
 そこに、本物のクリストファーが飛んできた。

「見つけたぞ、俺の偽者!!」
 どうやら街中を全力で走ってきたのだろう、肩で息をしている。
 それだけではなく、いつもきちんと整えている服装も髪型もかなり乱れていた。
 クリスティーは驚く。
「え、お、同じ顔が二つ? しかもどうしたの、その格好っ!?」
 その問いに対し、本物のクリストファーは怒声を上げた。
「どうもこうもあるかっ!!
 その偽者が街中で俺の顔で勝手に飲み食いしたツケに追い回されるわ、
 変なナンパに起こった女に勘違いして殴られるわ、
 うっかりナンパ成功させて彼女を取られたと思った男に襲われるわ、
 大体、俺の顔で女をナンパたぁ、どういう了見だ!!」
 またややこしい話ではあるが、今のクリストファーの精神は元々のクリスティーのものであり、その恋愛対象はあくまで男性。そんな今のクリストファーにとって女性に声をかけるというのは、同性愛的に忌避すべき行為なのだ。

 それを見ていた八雲も、やれやれと思い腰を上げた。
「やれやれ――楽しかったんだが、そろそろお開きか」
 と、フェイク弥十郎を殴って元の似顔絵ペーパーに戻した。
 つまるところ、弥十郎が偽者であることも、元に戻す方法も知っていながら本当に楽しんでいただけの八雲だったのだ。

 それを見たクリストファーとクリスティーも攻撃を開始する。
「何だ、殴れば消せるのかよっ!!」
「そ、その顔で変なことしないでっ!!」
 だが、こちらは最初から襲撃に警戒していたフェイク・クリストファー。普通紙の軽さを活かしてふわりと飛び上がった。

「はーっはっは、捕まらないよーっ!!」
 と、まだまだナンパ人生を謳歌するべく、逃げ出すフェイクとそれを追う二人だった。


 それを見送った弥十郎は、さすが八雲に抗議した。
「まったく……僕の偽者だって分かってたでしょ? 半袖なんか普段は着ないんだし」
 だが八雲は全く悪びれる様子もなく、笑って手帳を見せた。
「まあまあ怒るなよ、なかなか参考になったぞ、ホレ」
「え? ……『君の唇はプリンのように柔らかそうだね』……ちょっといいな、今度彼女に使ってみるか」
 まるで緊迫感のない二人だった。


                              ☆


「ああ……今日のリカも素敵だね。食べてしまいたいくらいだよ」

 と、甘くささやくアストライト・グロリアフルの声にリカイン・フェルマータの背筋が凍った。
 普段と違いすぎる態度のアストライトと、とりあえず共に行動するリカインだが、物陰でリカインを口説きに入ったアストライトに対し、リカインは素早く結論を出した。

「――あんた、偽者ね」
 と。

「――え?」
 そのアストライト――リカインの読みどおり、フェイクなわけだが――が戸惑っている間に、リカインはフェイク・アストライトを軽くつき飛ばし、距離を置いた。
「リカ――」
 と、フェイク・アストライトが声をかけようとした時。


「気持ち悪いのよっ!!!」


 リカインの疾風突きがフェイク・アストライトの股間に命中した!!!
「ぎゃあああぁぁぁーーーっ!!!」
 まさに断末魔、という悲鳴を上げてフェイク・アストライトは一枚の似顔絵に戻った。
 そして、そこに駆けつけて自分と同じ顔をした男が股間を潰されて消滅した様を見てしまったのが、本物のアストライトである。

「……なあ、おい」
 と、本物のアストライトは似顔絵を拾いながらリカインに声をかけた。
「――何よ」
 何事もなかったかのように答えるリカイン。
「一発殴れば戻る――って知ってたわけじゃないよな?
 ……一瞬でもコイツが偽者じゃなくて、精神的に変調を来たした俺本人かもしれないという可能性は……考えなかったのか?」


「考えなかったわよ。偽者とか確証あったわけじゃないけど、あんたがあんなこと言うわけないし。
 精神的な変調をだったら、まず殴って治さないと」


 ソコ殴らなくてもいいだろ、とアストライトは深いため息をついて、他のペーパーの回収に回るのだった。


                              ☆


「うう〜〜〜ん」


 久世 沙幸はまだ悩んでいた。

「あらまあ……呆れましたわね、沙幸さんったら」
「本当に……万が一外れたときのお仕置きが怖いのかしら」
 それを見た二人の藍玉 美海はくすくすと笑い、沙幸の元を離れて街を歩いていく。

「あ、ねーさま……どこ行くの?」
 沙幸もそれに気付き、二人に声をかける。二人は答えた。
「だって、沙幸さんったら悩んでばっかりで退屈なんですもの」
「そうですわ。だからわたくし達、街の方々に遊んでもらおうと思って」
 不安げな表情を見せる沙幸を、二人の美海は笑い、道行く人々にナンパを開始した。

「ちょ、ちょっと待ってねーさまぁ……当てるよ、今当てるから……!?」

「?」
「?」


 二人の美海を見比べて驚きの表情を浮かべる沙幸。
 フェイク美海は本人が見ても見分けがつかないほどそっくりだ。沙幸が外見だけで何かに気付けるとは思えないのだが、と美海が思った時。


「わかった、こっちが偽者だーーーっ!!!」


 沙幸は一方の美海に向かって走り寄り、その頬に平手を打った。
「――あっ!!」
 軽く声を上げて、頬を打たれた方のフェイク美海は似顔絵に戻ってしまった。
 それを見ていた本物の美海は、少し驚いたような表情を顔をして、沙幸に近づいた。

「ふふふ……あんなに悩んでいたのに、良く決断できましたわね?」
 沙幸は振り返り、フェイク美海がナンパしようとしていた相手を示した。
「だって……あの子、可愛いけど男の子だもんっ! ねーさまが男の子をナンパなんてするわけないでしょ?」
 誇らしげに胸を張る沙幸の頭をさわさわと撫でて、満足そうな笑みを浮かべる美海。

 だが。

「それにしても沙幸さん……気付くのに時間がかかり過ぎでしてよ?
 わたくしの偽者が一瞬でわからないなんて……もう一度わたくしをその身体に覚えこませる必要がありそうですわね」
 そのまま、戸惑う沙幸を物陰へと引きずって行く美海。
「え、あれ? ねーさま? 私ちゃんと偽者を見破ったよ?
 どうして物陰に連れて行くの? これってお仕置き?」
 一応偽者は見破ったのに、と無言の抗議をする沙幸に、美海は言った。


「いいえ――ご褒美ですわよ」
 と。


                              ☆


「こらテメェこのヤロォォォッ!!!」
 テディ・アルタヴィスタは皆川 陽に迫るテディ・アルタヴィスタのフェイクに向かって叫んだ。

「え? ――テディが二人?」
 陽は再び戸惑った。
 ある意味で理想的なパートナーだった今日のテディ、それは偽者だったことにようやく気付いた陽。
「そんな……ボク、こっちの……テディの方が……」
 だが、その言葉は本物のテディの怒号で遮られた。


「陽から離れろォォォッ!!!」


 まあ、ここのところ陽にはかなり冷たくあしらわれていたテディのこと、自分と同じ顔をした偽者がまんまと陽を口説き落としているのを見て、面白いわけもない。
 カメリアからのメールで大まかな事情を知っていたテディは、手に持った英雄の剣でフェイクに斬りかかった。
 たしかに、一発殴る程度の衝撃でもフェイクは元に戻るが、最初から全力でオーバーキルしても悪いわけではない。
 というか、むしろぶった切りたい。
 何しろ、若干物騒ではあるが本人にはその相手が偽者であることは分かりきっているのだから。

 しかし。

「――少し離れていて下さい、我が君主」
 フェイクのテディはその一撃を両手に構えた双槍――『断罪するアルギオラ』、と、『罪愛でるアルギオラ』――で受け止めてしまった。
「何だとっ!?」
 まさか自分の一撃がフェイクごときに受け止められるとは思っていなかったのだろう、本物のテディが戸惑った隙に、フェイク・テディの膝がテディの腹部にめり込んだ。
「――げふっ!」
 その一撃は重い。とてもではないが偽者とは思えない。

「――そうか……上質紙フェイク、って奴か」
 テディは、忠誠を誓った主、陽をこのパラミタで守るために日々、怠らず修行をしていた。
 その結果、薔薇の学舎でもトップクラス実力を身に付けており、1対1ならばそうそう負けることはないという自信もあった。

 まさか、その力がそのまま自分に跳ね返ってくるとは、思いもしなかったが。

「だとしたら、こいつの実力は僕と全く同じってことか……っ!?
 なら陽、手伝ってよ!! 陽が手伝ってくれたらコイツなんてすぐ始末できる!!」
 だが、それに対してフェイク・テディもまた叫んだ。
「いいえ。ここは危険です、我が君主。どうかもっと離れていて下さい、貴方を守るのは、この我なのです――!!」
 そう言うと、フェイク・テディは両手に持った槍で本物のテディを弾き飛ばした。
 本物のテディが持っているのは『英雄の剣』と『女王のソードブレイカー』。
 いずれも近距離で威力を発揮できる武器であり、特にソードブレイカーは槍に対して使う武装ではない。
 頭に血が登ったテディは、武装の選択を間違えていたのだ。

 そして、そんな二人のテディを目の当たりにした陽は、フェイク・テディの指示に従って少し距離を取る。

「――そんな、陽!!」
 ここでも本物のテディは取るべき選択を間違えたことになる。コントラクターとは言えど、陽は全く戦闘向きではない。
 仮に本物のテディを助ける気があったとしても、直接戦闘になど関われるわけがなかったのだ。
 ついでに言えば、今の彼にテディを助ける気は全くない。

「……偽者でも……いいよ。そのテディはボクが欲しいものをくれる……本物だって偽者だって……誰だって、自分を理解してくれる人がいいに決まってるじゃない……」

 ぼそりと、呟いた陽の言葉にテディは大きなショックを受けた。
 つまり、それは本物のテディに対するはっきりとした拒絶。
「そんな……そんなに僕のことが嫌なの……?」
 その隙をフェイク・テディが見逃すはずもない。
 両手に持った槍の威力は凄まじく、瞬く間に本物のテディを跪かせた。

「――っぐあああ!!!」

 本物のテディの耳に、陽の震える声がさらに響く。


「……じゃあ……テディは僕のどこが好きなの……? 好き好きって言うだけで、本当は僕のことなんて全然考えてないくせに……。
 分かってるよ……、テディは――テディこそ誰でも良かったんだよね? 契約してくれれば誰でも……良かったんでしょ……」


 そのまま、陽は二人のテディを後にして走り去ってしまった。
「……陽……」
 絶望感に打ちひしがれるテディ。

 そして、そのテディに止めを刺そうとするフェイク・テディにぶつかったのが――本物から逃げているフェイク・クリストファーだ。
「――!?」
「――今だ!!」
 本物のテディはその隙を突いてフェイク・テディに体当りをする。
「やっと追いついたぞ、この!!」
 後ろから走ってきた本物のクリストファーとクリスティーがフェイク・クリストファーを殴り、元の似顔絵に戻した。

 そしてテディはフェイク・テディに馬乗りになって、逆手に持った女王の剣を迷わずに突き立てる!!

「――はぁっ……はぁっ……」
 どうにか自分のフェイクを元に戻したテディ。だがその疲労は激しく、陽を追うことはできない。
「おい……大丈夫か?」
 クリストファーは仰向けに倒れてしまったテディに声をかけるが、テディはただ手を振った。
「大丈夫だ……一人に……してくれ……」

「……行こう……」
 クリスティーがクリストファーの服の裾を引っ張って、二人はその場を後にする。

 一人残ったテディは、地べたに転がったまま抜けるような青空を見つめた。
「……陽……違うんだ……フェイクの言っていたことは嘘じゃないんだよ……僕は、陽だから……陽を守りたいから……」
 だが、その言葉は誰よりも大事な人にだけは届かない。
 自分が悪かったのだろうか。
 自分の態度が誤解を与えていたということは、ようやくテディにも分かった。
 分かった――気がする。

 だが、それでどうすればいいのかは分からない。

「陽……僕は陽を守りたいんだ……陽を守るのは……僕じゃなきゃ嫌なんだよ……」

 言葉は届かない、時間は戻らない。
 身体は動かない、心は奮わない。
 視界がぼやける、全てが濁っていく。

 ただ、テディは泣いた。
 どうすればいいか分からない子供のように。
 青空に、泣いた。