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黒ひげ危機脱出!

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5.夕焼けと金柑(頭)


 ゆっくりと日も傾きはじめ、甲羅の上も次第にオレンジ色へと染められていく。
「村正とは、まぁ運の悪いやつでな……」
 徳川 家康(とくがわ・いえやす)は、自分の連れに講釈をたれる。
「刀の名匠として名高く、わしのような貴人に献上する刀を多く打ったため無銘のものが多かった」
 家康は遠い過去に思いをはせるように目を閉じて何度も頷く。
「無銘の刀が多かったため、村正の刀をもっていると吹聴する輩が後を絶たなかったわけだな」
 柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)が憤りを込めた口調でつぶやく。
「あの頃は犬も歩けば名刀に当たるといった時代だ。後生の好事家どもが適当な伝説をでっち上げたせいですっかり妖刀扱いになってしまった」
「しかし、妖刀村正……案外この世の悪を正すための刀なのでは?」
 真田 幸村(さなだ・ゆきむら)が混ぜっ返す。
「なんじゃ貴様、まるで徳川が巨悪のような言い方をするではないか」
「ふ、少しは自覚があったようですね」
 家康も幸村もともに英霊だ。過去の因縁によって未だにいがみ合っている。一度死んでも、恨みというものは消えないらしい。
「なんだおまえ、六文銭六文銭と……銭形平次か!」
「拙者の方がずっと早生まれだし、銭を投げたりしない!!」
「わしの金槌でおまえの六文銭曲げてやるわ」
 家康は日曜大工セットから三つ葉葵のマーク入の金槌を取り出し、幸村に突きつける。
「我らが旗印を侮辱するとは、ゆるせん!」
「こっちは三つ葉葵紋だ! かかってこい」
 二人の伝説的な人物がにらみ合う。
 方や徳川 家康、その手には金槌。
 方や真田 幸村、武器を持っていなかったので懐から開拓者の小さなメダルを取り出す。
 両雄一歩も引く気配もなく、今まさに時代を超えた決戦の火ぶたが――
「こらこら」
 氷藍が電光石火の速さでふたりの頭を軽くはたく。
「あわわわ、金槌金槌」
「あわわわわわ、メダルメダル」
 家康と幸村はそれぞれ取り落とした品を慌てて拾い上げる。
「なんにしろ、村正を見つけ出しておっさんを助け出してやらないとな」
「そ、そうでありましたな、氷藍殿」
 幸村は拾い上げた開拓者のメダルを懐に収める。。
「っふ、命拾いしたのぅ」
 家康も、拾い上げた金槌を大事大事に日曜大工セットの中にしまい込む。
「全く――歳食ってる割に気が若いな」
 氷藍はいつもながら英霊の人格のあり方を不思議に思う。氷藍のパートナーである家康、幸村は本来の性別のままだが、中には性別が変わってしまうこともあるという。
「そういえば、俺の誕生日っていつだったっけ?」
 首をかしげた氷藍の目に鋭い光が差し、彼は思わず顔をしかめた。飛行ガメの甲羅に突き立てられた無数の刀剣に夕日が反射し、それがまともに目に入ったのだ。
(……ここが戦場だったら命取りだな)
 常在戦場、武芸を志すものにとっては当たり前の心得だ。さらにその上の境地は、まだまだ遠い。
 目をすがめた氷藍が視線を真っ赤な夕日から外すと、赤い髪の女が腕組みをして夕日を眺めている後ろ姿が見えた。長身のほっそりとした立ち姿に、不思議な貫禄がただよう。
「なぜだろうな、燃えるような夕日を見ると不思議な気持ちになってくるな」
 赤髪の女、織田 信長(おだ・のぶなが)は、夕日を反射して橙色に輝くいくつもの刀剣の眺めてつぶやく。彼女は、かの信長公の英霊だ。女性として、このパラミタの地に復活した。
「夕日っていうのは、眺めていると故郷のこととか、懐かしいものを思い出すからね」
 桜葉 忍(さくらば・しのぶ)はパートナーである信長の隣に立って夕日を眺める。
「信長は持っている刀の中でどの刀が気に入っているんだ?」
「そうじゃな……私は童子切安綱や鬼丸国綱に大般若長光などの名刀を持っている。が、やはり気に入っているのは長谷部や左文字と光忠じゃな!」
 信長はお気に入りのオモチャを自慢する子供のように目を輝かせる。
「ふ〜ん、そうか信長はその刀がお気に入りなんだな」
 忍は幼子を見守る父親のような優しげな笑みを浮かべて信長の横顔を見守る。
「む……」
 信長はわざと不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。夕焼けが、赤くなった彼女の顔を隠してくれたようだ。
「殿……もしや信長公ではありませんか」
 少しほほをふくらませた信長に、家康が話しかける。
「いかにも私は信長であるが。おまえは誰ぞ」
「わたしです。家康です」
「ああ、見違えたぞ。すっかり引き締まっているではないか」
 見た目の変わり様を口にするなら、身体が引き締まったどころではなく性別が変わってしまった信長の方がより変化が大きい。
「は」
 家康は反論もせず低頭するばかりだ。家康の背後では、幸村が苦虫をかんだような顔をして立っている。口を開かないのは、一度しゃべり出せば抑えが効かなくなるであろうことを自覚しているからなのか。
「さて、信長。黒ひげを助けるために村正を探しに行こうか」
「そうじゃな」
「どうもお互い乗り遅れたようですが、うまく見つかるといいな」
 氷藍が忍に目礼しながら話しかける。幸村からはじわりじわりと殺気が立ち上っている。信長と幸村の間の禍根は、家康とのそれを上回る。その場にいる全員が、それに気づきながらも、まるでそんなものがないように振る舞っている。
「おー、やってますなー」
 空気を読まずにひびきがやってきた。左手にはまたもタタミイワシを持っている。
「こうして仰ぐと母なる海の匂い。風流ですな?」
 空気を読まないながらも、その場の誰もが幸村の殺気に気づかぬふりをしているらしいと悟ったひびきはふにゃりと笑う。
「これがホントの……これがホントの」
 何かうまいことをいって場を和ませようとしたひびきは、言葉を濁して笑う。
 ひびきは先ほどの信長とは違った意味でほほを赤らめ、左手のタタミイワシを団扇のようにして顔を仰いだ。
 磯の香りと、柑橘系の香りが広がる。
「なにやらよい香りが……」
 その香りに、殺気立っていた幸村の気分も少しだけ穏やかになったようだ。
「空京デパートでオーガニックシャンプーの試供品もらったんだー。キンカンの香り。めずらしいよね」
「確かにいい香りだが……ひびき、といったか? ずいぶん余裕だな」
 氷藍の言葉に。ひびきは首をかしげる。
「村正のことだ。のんきに話していていいのか」
 氷藍の言葉を聞いて、ひびきは小さく「あっ」とつぶやいた。本当に忘れかけていたらしい。
「やれやれ……俺はむざむざゆずってやる気はないぞ」
「うん」
 ひびきは氷藍に満面の笑みを浮かべて頷いてみせる。
「俺だって負け……」
 忍は、ふとパートナーの様子がおかしいことに気づく。
「と、殿……? まさか」
 家康は、酩酊したかのように上半身を揺らす信長を見て、あわてて沈みかけの真っ赤な夕日に目をやる。
 毒々しいほどに真っ赤な夕日によって照らされる飛行ガメの甲羅の上はまるで燃え上がっているかのようだ。
 そして、今このとき。六月
 そして、ひびきの髪から漂うキンカンの香り。
「あ、あ、あ、わわ……人間五十年〜」
 信長はゆらゆらと身体を揺らしながら夢うつつにうわごとをいう。
「キンカン……金柑頭めぇ〜……っ!」
 信長はそのまま派他里を忍の腕の中に倒れ込んだ。
 奇しくも燃え上がっているように見える甲羅の上、金柑の香りただよう六月の出来事であった。
「殿……殿ー!!!!!!!!!!!!」
 家康の悲痛な叫びが空に吸い込まれ、消えていった――。