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<part3 魔物の洞窟>


 浜辺から奥に入り込み、うっそうとした森を進んで、山を中腹辺りまで登ったところに洞窟があった。
 外観は小さな洞穴なので見逃してしまいそうになるが、中に入ると地中深くまで続いている。
 急ごしらえの水着では寒いほど気温が低く、なめらかな岩肌からは冷たい水滴が滴り落ちていた。陽はまったく射しておらず、真っ暗なので、秘伝を捜す一行はたいまつをともして進む。
 禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)は歩きながらしきりに憤慨する。
「無人島、難破、持ち物のほとんどが消失。これだけのお膳立てがありながら、一般大衆はなぜあえて服を着るのか! 全裸でよいではないか! いや、むしろ全裸でなければならない! 無人島で裸体を隠すなど、大自然に対する冒涜である!」
 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)はじっとりした視線を禁書写本 河馬吸虎に向ける。
「その演説、まだ続けるの? 島に着いてからずっとなんだけど。ていうか血の涙流してまで言うこと?」
「ふふふ、この涙は皆が即席水着を着ていることに対する涙ではない! 水着を剥ぎ取りたいのを我慢しすぎて、俺様の心が血を吐いているのだ!」
 禁書写本 河馬吸虎はぎりぎりと歯を食い縛った。
「ホントにあんたは純粋な危険人物よね」
 リカインは呆れ果てる。
 シルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)は大股で進みながら急かす。
「二人とも、お喋りしてる暇があったらもっと急いで!」
「フィス姉さん、やる気満々ね」
 リカインはパートナーの意気込みに微笑した。ここに来たのも、シルフィスティに是非にと言われたのが理由である。リカイン自身は特にお宝に興味はない。
 一行は少し開けた空間に出た。
 円形の広間になっており、壁際にずらりと動物の石像が並んでいる。イルカ、鯨、カジキ、軍艦鳥。海賊の遺跡だけあって、海の生き物が多い。
 入ってきた方向の反対側に、重厚な扉があった。高さは五メートル、横は三メートルほど。
 扉には大きな女海賊の石像が一体化している。整った顔立ちだが、目つきは恐ろしく鋭く、表情は酷薄そうだ。
「うーん、これがネレイスの石像かなあ? 普通の石像にしか見えないけど……」
 湯島 茜(ゆしま・あかね)は石像に歩み寄った。森で採取した葉っぱをツルで綴り合わせ、水着代わりにしている。
 茜は石像を拳骨で叩いてみた。
「もしもーし、入ってますかー?」
『このたわけが!』
 突然、エコーのかかった声が広間に響き渡った。
 動物の石像の上に順に炎がともる。ネレイスの石像の目に赤い光が輝き、顔の筋肉が生きているかのように動き始める。
『ようもわらわをかわやの扉扱いしてくれたな。わらわの元となった海賊女神ネレイスなら、そんな無礼者は海溝に叩き込むところじゃ』
 茜は石像から数歩下がって尋ねる。
「お姉さんが宝を守ってるの? この先には魔術の秘伝が?」
『いかにも。わらわをうならせるくらいの強力な魔法か、わらわが知らぬ特別な魔法をぶつけてみよ。さすれば秘伝を受け継ぐにふさわしい魔術師と認めて扉を開けてやろう。これまで、できる者はおらんかったがのう』
 石像の唇が大きくつり上がった。
「じゃあ、まずはフィスが」
 シルフィスティが前に進み出た。
 目を閉じて小さく息を吸い、心を整える。それから目を開け、両手を掲げた。矢継ぎ早に火術、氷術、光術、闇術を石像に放つ。天井が様々な色の光に照らされた。
『その魔法は何度も見たことがあるのう。もっと面白い魔法はないのか』
「ではこれで!」
 シルフィスティは石を肉にを石像にかけた。しかし、なにも起きない。
『今のは石化解除魔法か。残念ながら、わらわは生まれたときから石でのう』
 石像はおかしそうに笑った。
「その固く閉じた心を俺様が開いてみせるぜ! ついでに胸元も開いてくれるのを希望!」
 禁書写本 河馬吸虎がオープンユアハート▽を石像に使った。
『ふむ、それも見たことはあるのう』
 石像が顔をしかめる。
「次はあたしが挑戦するわ!」
 茜はビーストオーラガントレットを装着した拳を握り締めた。
 ドルイドのスキルである荒ぶる力で攻撃力を上げ、石像を直接ぶん殴る。骨の髄までじいんと衝撃が走った。石像には傷一つつかない。
『ふむふむ、お主らの魔術はその程度か? ちと、わらわが本物の魔術というものを見せてやろうぞ』
 石像が凄絶な笑みを浮かべて両腕を掲げた。
 今までと一変した雰囲気に、リカインは寒気がして叫ぶ。
「みんな、こっちに隠れて!」
 リカインの差し出したブルーラインシールドの陰に仲間たちが跳び込んだ。
 石像の手の平から豆粒大の光が生まれ、ふんわりと飛んでくる。それが盾の外側に接した瞬間、凄まじい爆発が起こった。目を焼く閃光と、鼓膜を突き破る轟音。
 リカインたちは吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

「先客がいるようですね」
 洞窟を進んでいた東 朱鷺(あずま・とき)は、前方から聞こえた爆音に顔を引き締めた。
 パートナーの九鬼 嘉隆(くき・よしたか)がせせら笑う。
「焦ることないって。もし先にお宝取られてたら、ぶんどるだけなんだからよ。奪ってこその海賊じゃん?」
「相手が悪人なら、ね。同じ難破船に乗っていた人たちなら、暴力に訴えるわけにはいきません」
「あのう、宝は魔術の秘伝だそうですし、順番に読めばいいんじゃないでしょうか〜?」
 神代 明日香(かみしろ・あすか)は、大柄な朱鷺たちの歩く速度に一生懸命走ってついていく。
 彼女は魔法のメイド服を身に着けていた。フリフリの多いその服は、体の小さな明日香によく似合っており、洞窟の中でもあまり寒くない。
 三人が広間に出ると、焦げくさい臭いが鼻を突いた。リカインたちが地面に倒れてうめいている。
 明日香は息を呑んだ。
「これは……、なにがあったんでしょう……」
「分かりませんが、注意していかないといけませんね」
 朱鷺は扉と一体化したネレイスの石像をじっと見据えた。あの石像の腕を上げたポーズは魔法を発動するときの仕草に似ている。
 石像の頬が愉快げに痙攣した。
『くくくっ、また挑戦者か。今日は豊作じゃのう。こんな辺境の孤島に、どうして大勢が押しかけたのか。まあいい、早うかかってこんか』
「俺様がやってやろうじゃん」
 嘉隆はサンダーブラストを使った。虚空から稲妻が呼び出され、石像目がけて降り注ぐ。
 雷の苦手なシルフィスティが大慌てで広間から逃げ出した。
『よいぞよいぞ、もっとこい!』
 石像の高笑いが響く。
「崑崙の呪眼よ……。その呪力により朱鷺を高めよ」
 朱鷺が静かに唱えると、彼女の瞳に呪印が浮かび上がった。魔力が上昇する。
「まずは小手調べです」
 彼女は闇術で闇黒を生じさせ、石像に放った。
 続いてサンダーブラスト。嘉隆が呼び出したのよりも大量の稲妻が石像に突き刺さる。ファイアストームで炎の嵐を巻き起こし、石像を包み込む。最後に凍てつく炎で火炎と氷を石像に叩き込んだ。
「どう……でしょうか?」
 朱鷺は固唾を呑んで待つ。炎の雲が晴れて姿を見せた石像は、やはり少しのダメージも喰らっていなかった。
『お主、なかなかの使い手じゃな。だが、わらわの元となった海賊女神には及ばぬのう』
「女神と人を比べるのが間違ってるじゃん。もうこんなのぶっ壊して先に進もうじゃん」
 嘉隆は指をポキポキと鳴らした。
『やってみても構わぬが、無駄な努力とだけ教えておこう。並の物理攻撃でわらわは砕けぬし、魔法攻撃はすべて吸収するゆえのう。正攻法以外は無意味じゃ』
「えっと〜、私も挑戦させください〜」
 明日香が手を挙げた。
『ああ、見せてみろ。お主はどんな魔法を持っておるのじゃ?』
 石像は興味深そうに眉を持ち上げる。
 明日香が使おうと思っていた魔法は、さーちあんどですとろいと空飛ぶ魔法↑↑だった。攻撃魔法は朱鷺があれだけやっても駄目だったのだから、認められる可能性は低いだろう。
 残るは、空飛ぶ魔法↑↑。洞窟の内部では危険すぎるけれど、精一杯うまく飛んでみせるしかない。
「じゃあ、行きます」
 明日香は両の拳を握り締め、腰を低くして構えた。失敗したら恥ずかしいので魔法の名前は先に言わないでおく。地面を蹴り、宙に跳び上がる。
 力みすぎて急発進した。狭い通路の方に突っ込み、壁に激突。もう一方の壁にぶつかって反射。また跳ね返ってを繰り返し、ピンボールの玉のようにジグザグに進んでいく。
 通路の突き当たりに叩きつけられ、ようやく止まった。
 明日香は地面に倒れてうめく。体中が壁面で削られ傷だらけで、しかも全身打撲だった。体を引きずるようにして石像の前に戻り、うずくまる。
「これが……私の魔法です……」
 終わった。そう思った。完全に失敗だ。
『それは、なんという魔法なのじゃ!?』
「え……?」
 石像の驚愕した声に、明日香は面食らって見上げた。
『そんな奇っ怪な魔法、見たことも聞いたこともない! いったいなんの魔法じゃ! 早う教えんか!』
 空飛ぶ魔法です、と答えるのはあまりに恥ずかしかった。
「え、えっと、ピンボールの術です……」
『ピンボールの術とな! 初めて見たぞ! わらわの魔術目録に入れておこう! さあ、通れ!』
 石像と一体化した壁が、大きな音と共に回転を始めた。
 側面を向けて停止し、人の通り抜けられる隙間ができる。石像の気が変わらないうちにと、広間にいた者たちは急いで隙間を通過した。
 その先にあったのは、海の神を思わせる姿の巨大な神像だった。明日香は目を見張って像を振り仰ぐ。
「これが……、秘伝?」
「イコン……のようですね。海賊女神も今の契約者たちと同じようにイコンに乗って、他の海賊たちと戦っていたのでしょうか……」
 朱鷺は神像の頑強な足にそっと手の平で触れ、遠い戦いに思いを馳せた。