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リアクション
・海京の朝
「おはようございます!」
東の空が明るくなり始めた頃、高峯 秋(たかみね・しゅう)はアルバイト先の新聞販売店へやってきた。
日課である、朝の新聞配達をするためだ。
新聞の束を自転車の前籠とリアキャリアに積み上げると、担当区域へ向けて出発した。
海京クーデター、そしてあの古代都市での戦いから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。街は落ち着きを取り戻し、普段の日常へと還りつつあった。
朝の潮風を肌に感じながら、海岸沿いを自転車で駆け抜けていく。
(ちょっと前まで、世界が滅ぶかもしれないって状態だったのが嘘みたい)
担当区域にあるマンションの前で自転車を降り、海を見渡した。サロゲート・エイコーンを駆り、幾度も戦いの舞台となった水平線上を。
入学当初はまったく予想していなかった、数々の出来事を思い出す。
秋は元々、超能力科の特待生……厳密には給費奨学金を学費に充てている奨学生であるが、それは超能力科――当時の強化人間管理課の実験プログラムの被験者となる見返りとしての扱いだった。
もっとも、その事実を完全に把握したのはクーデター後のことだ。とはいえ、普段の生活の中でも思い当たる節があったので、それを知った時もそれほど驚きはしなかった。
(もしエルと出会ってなかったら、まったく違ってたんだろうなぁ……)
海京にやってきてからの日々を振り返りながら、再び自転車のペダルを漕ぎ始めた。これが終わってからは、牛乳配りも控えている。あまりのんびりとしてはいられない。
(そういえば、こんな風にアルバイトをしてるときだったなぁ――エルと会ったのは)
あれはまだ入学して間もない頃だっただろうか。
東地区の公園に差し掛かった時、朝陽の下で空を見上げている一人の少女らしき姿が目に留まった。
ぼーっと佇んでいるその子の横顔がどこか悲しげで、思わず話し掛けてしまったのだ。
(あの時はエルのこと、女の子だと思ってたっけ。後になって男だと知った時は、すっごくびっくりしちゃったんだよね)
あの容姿や仕草では、間違えたって無理はない。
話している中で彼がもうパラミタ化手術を受けていたことを知り、この出会いがきっかけで二人はパートナー契約を結ぶことになったのである。
契約者となってからは、パイロット科でのイコンの操縦訓練も行うようになり、七月にはコリマ校長やホワイトスノー博士を乗せたタンカーの護衛部隊として初めて出撃する事にもなった。
(あれから一年か……)
思えば、あれが始まりだった。その後、海洋生物研究会――出撃時はダークウィスパー部隊の一員となり、パイロットとしての腕を磨いてきた。
「伝説の傭兵集団」と謳われる旧F.R.A.G.メンバーの生き残りであったグエナ・ダールトンやエヴァン・ロッテンマイヤーといった強敵との邂逅。イコンの覚醒。ウクライナでの現F.R.A.G.との共同戦線。レイヴンの第二期テストパイロットとなったこと。
それらを通して、自分はどう変わったのだろうか。
そして、
(今はどうなのかな、哀しくない? 楽しいかな?)
パートナーへと想いを馳せる。
初めて会った時、彼の目に映っていた景色は、どう変わってきたのだろうか。
自分は一緒にいれて嬉しいし楽しいと思える。エルノがよく、空が綺麗って感動しているが、秋と出会う前も、そして今もあまり外を出歩くことはないという。
(戦いも終わったことだし、エルと一緒にもっといろんな所に行ってみたいな。この海京から見える空だけじゃなくて、もっと……)
世界は広い。
この地球だけではなく、見上げれば浮遊大陸パラミタの姿がある。
(エルだけじゃなくて、ジャックとかねーちゃんも一緒に、みんなで行けたらいいんだけどなぁ)
今は夏休みだ。時間を上手く作れば、それも可能だろう。
生徒の中にはまだ追試に苦しめられている者もいるが、そこは奨学生。秋は全てパスしている。
(バイトが終わったら、エルに行ってみたいところとか、聞いてみようかな)
新聞を配り終えると、今度は牛乳屋まで走ってそちらの自転車に乗り換える。
ふと空を見上げれば、朝陽が昇り、海京の街を照りつけていた。
(こんなに早く起きたのは久しぶりかも)
エルノ・リンドホルム(えるの・りんどほるむ)は、のんびりと散歩に出掛けていた。
朝の海岸で潮風を受けながら、空を見上げる。
(朝の風って気持ちいいね。アキ君は、いつも感じてるのかな?)
今日も今頃、アルバイトに精を出していることだろう。休みなら、まだ寝ている時間だ。
(まだ時間はあると思うけど、帰り道にある公園で待ってみようかな)
海岸から住宅地の中にある公園へと歩みを進めた。
(アキ君と初めて会ったのも、ここだったよね)
それは、ちょうどこんな風に早く目が覚めた日のことだ。
海京に来たばかりの頃は、それまでの生活とほとんど変わらず、強化人間向けの実験に付き合う日々を送っていた。
学院の授業もそれを考慮して組まれていたが、実験や授業以外では特にすることがなく、空いた時間にはただただ空や景色を眺めてばかりだった。
ただ、そこにあるというだけで何も感じなかった。それどころか薄暗くさえあったものだ。
そこに、一人の少年の声が聞こえてきた。驚いて振り向いた先にいたのが秋だ。
彼と出会ったことで、それまで彩のなかった世界が違って見えるようになった。
(なんだか不思議な気分。あの頃は何とも思わなかった空が今、眺めているだけでとても楽しいなんて)
今、この空を、世界を綺麗だと感じられるのは秋のおかげだろう。
きっと、彼と出会わなければイコンに乗ることもなかったはずだ。
(アキ君はどうだろう……? ボクといて楽しいなら、とっても嬉しいな)
初出撃から一年。
秋もまた、自分と出会ったことで変わったのだろうか。
(アキ君、まだかなー)
公園のベンチに腰を下ろし、アルバイト帰りの彼を待つ。朝の光が強くなっていくにつれ、少しずつ人の姿も視界に映るようになっていった。
「アキくーん!」
そんな折、配達を終えて帰路についていた秋の姿を見つける。
「エル、珍しいね、この時間に外に出てるなんて」
「今日は早く目が覚めたから、ちょっと散歩しててね。久しぶりに、ここに来てみたんだよ」
エルノは秋に微笑みかけた。
「さ、行こう。アキ君」
「うん。
……あ、そうだ。エル、この夏休みの間に、どっか行きたい場所ってある?」
少し考え、答える。
「そうだね、今行きたいのは――」