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【十一 薄明のラストマッチ】

 バラーハウスにも、いよいよ営業時間終了の頃合が迫りつつある。
 しかしこの夜、最後の指名となったホストはバラーハウス側にではなく、地下闘技場にレスラー登録されているフィリップ・ベレッタ(ふぃりっぷ・べれった)であった。
 フィリップを指名したのは、白石 忍(しろいし・しのぶ)である。
 当初、ホストクラブの何たるかをあまり分かっていなかった忍は、取り敢えず雰囲気を楽しもうという余裕すらあったのだが、いざこうしてフィリップを指名してみると、もう全身が緊張でがちがちに固まってしまい、ホスト遊びに興じるという発想そのものが、消し飛んでしまっている様子だった。
 一方のフィリップは慌ててタキシードに着替えてきた為か、着こなしが幾分乱れている上、つい今の今までマイトを相手に廻してのシングルマッチを戦っていた余韻で、まだ僅かに頬が上気し、汗が額から伝い落ちるという有様であった。
「あ、あの……勝手に指名して、御免なさい……その、もしかして、闘技場の方でも、大丈夫でした?」
 やや引っ込み思案気味な言葉を口にする忍に対し、フィリップは幾分はにかんだ笑みを浮かべ、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いえ、そんなことは全然……実はマイトさんってひととシングルで戦ってたんですが、スタイルが全然違うっていうか、戦法が全く読めないひとだったので、正直、こちらに呼んでくれて助かりました」
 オープニングマッチで魔法少女ろざりぃぬに完敗したマイトは、とにかく一戦でも挽回しようと必死になっていたらしく、フィリップを全力で叩きのめそうと向かってきていた為、フィリップは及び腰で試合に臨んでいたらしい。
 そんなややこしい状況からバラーハウス側へと舞台を移させてくれたのだから、フィリップにしてみれば、忍の指名は迷惑どころか、寧ろ有り難い救いの手だった。
「そ、そうだったんですか……それなら、良かった……あ、あの、もし良かったら、私のヒールで、癒して差し上げましょうか?」
「ありがとうございます……じゃあ、遠慮なく」
 本当に疲れていたのか、フィリップは苦笑気味に頭を掻きながらも忍からの施術を受け、乱れていた呼吸が少しずつ収まっていった。
 フィリップへの癒しを終えてから、しかし忍は妙に沈んだ面持ちで僅かに顔を伏せた。フィリップが不思議そうに覗き込んでくると、忍は随分と自信の無さそうな声で曰く。
「……フィリップさんなら、ホストとして指名ノルマは十分こなせていそうだな、と思うんです。もしかして、私、余計なことをしてしまったでしょうか……?」
 これに対し、フィリップはやや意外そうな表情を見せつつ、逆に忍が驚くような台詞を放ってみせた。
「そんなことはありませんよ。僕が指名受けたの、忍さんが最初ですから。まぁ正直、ホストには絶対向いてないなって気もしてましたしね」
 忍は、酷く狼狽した。
 自分が最初にフィリップを指名したということに関しては、何となく嬉しいような気恥ずかしいような、或いは誇りにすら思っても良いような気もしないでもなかったのだが、その一方で、フィリップが実は、女性を苦手にしている部分がある事実を知り、余計なことをしてしまったのではという後悔めいた念が湧き起こってきていた。
 実際、フィリップは女性の相手をするのが得意であるとは、とてもいい難い。それは、彼が三人の姉達から玩具のように扱われてきた過去と、それが原因で女性に対してはややトラウマ気味な感情を抱いているという事実を鑑みれば、すぐに想像がつきそうな話ではある。
 忍がフィリップの生い立ちについて、そこまで詳しいかどうかはまた別次元の話だが、少なくとも今夜に限っていえば、忍の指名を受けたことによって解放が確定したフィリップが、忍に感謝の念を抱いているのは間違い無さそうな話であった。
「あの……もし、闘技場に戻られるなら、私、見に行きます。見てられない気もしますけど……」
「あ、闘技場にはもう戻りませんよ。ここでノルマを達成出来たから、解放が確定しましたしね。忍さんのお陰で」
 フィリップが最後に添えたひとことに、忍は顔から火が出る程の勢いで頬を上気させた。
 嬉しいのは間違い無いが、しかし対応に困ってしまうのも事実である。顔を真っ赤にさせながら、忍は必死に考えた。そうして考えた末に思いついたのが、ショコラティエのチョコであった。
「そうだ……これ、良かったら、どうぞ」
 テーブル上に置いたチョコレートに、フィリップは一瞬、両の瞼を瞬かせた。
 料理や飲み物を勧めるのはホストの役割の筈だが、この場では立場が逆転してしまっている。フィリップは、思わず苦笑気味に頭を掻いた。
「いやぁ……何か、折角ホストとして呼んでくれたのに、僕、ちゃんとホストやってませんね」
「あっ……い、良いんです、そんな……!」
 もとより、忍にはフィリップにホストとしての接客など望んでいない。
 ただこうして、ふたりだけの時間を過ごすことが出来ているというその事実に、もうすっかり満足してしまっていた。

     * * *

 バラーハウスでは、最後の甘いひとときが女性達の心をとろけさせているが、地下闘技場に於いても、いよいよ最後の試合を迎えようとしていた。
 対戦カードは魔法少女ろざりぃぬがシン・クーリッジ(しん・くーりっじ)をパートナーに迎えて、上月 鬼丸(こうづき・おにまる)ゲイル・フォード(げいる・ふぉーど)のペアと戦うタッグマッチである。
 オープニングマッチで勝利を収めているろざりぃぬことジェライザ・ローズは、既に闘技場から解放される権利を得ている。しかしそれでも尚、最終試合に態々顔を出してきたのは、プロレスに対する並々ならぬ愛情を胸の奥で燃え上がらせているからに他ならない。
 今回はタッグマッチということで、相棒のシンと共にローライダーを駆って入場ゲートから現れると、そのままリングサイドまでエンジン音を高らかに吹かし上げながら、花道をゆっくりと進む。
 まるでどこかのアメリカン・バッド・アスのようなふてぶてしさを見せるシンと、タンデムシートに立ち上がり、満面の笑顔を振り撒きながら手を振るろざりぃぬだが、場内から返ってくるのは歓声とブーイングが半々という、実に微妙な反応であった。
 この地下闘技場を訪れている観客は、プロレスの醍醐味を十分に心得ている通が多いようで、ろざりぃぬとシンがヒールであることを知った上での反応であるらしい。
 ろざりぃぬの、笑顔の絶えない愛すべきヒールというギミックが歓声を呼び、シンの火を模したハーフマスクと腰エプロン、そして燕尾服を纏ったケインチックな墓掘り人スタイルがブーイングを誘っている。
 リングインすると、リングアナウンサーから即座にマイクを奪い、四方に向かって手を振るろざりぃぬ。
「やっほ〜! ろざりぃぬだよぉ! 今回はタッグマッチだからねっ、相方を紹介するよ〜!」
 いってから、シンにマイクを手渡したろざりぃぬだが、受け取った方のシンはといえば、台詞を完全にド忘れしたのか、ろざりぃぬから毎度毎度耳打ちして貰いながら、棒読みの台詞を適当な調子でマイクに乗せるという有様であった。
 ろざりぃぬとシンの魔女っ子ヒート&炎の墓掘り人ペアには、冬月 学人(ふゆつき・がくと)がセコンドについている。試合中はろざりぃぬとてシンの台詞のフォローなどしてやれないから、学人がカンペを持って待機してやっていた。
 続いて、ゲイルと鬼丸の入場である。
 ゲイルは葦原の下忍ではあったが、元々が商人の出身である為、客を喜ばせるという技術や心構えは、本人が望むと望まざるとを問わず、意外に豊富であるといって良い。
 タッグパートナーの鬼丸がゲイルと組むということで、酷く狼狽し、パフォーマンスどころではない為、入場そのものは極普通に済ませたふたりだが、試合に臨むに際しては、ゲイルはプロレスらしいプロレスの展開を心がけようとしているらしい。
「鬼丸はぁん。お気張りやっしゃ〜」
 リングサイドから、セコンドについている伊達 黒実(だて・くろざね)が呑気な笑顔で鬼丸に声援を送る。セコンドといっても特段何かをする訳でもなく、単に鬼丸のパートナーだからということで、エプロン下に特等席を取ったようなものであった。
「え、いや、あの、その、ゲイル殿と共闘出来るのは大変光栄なのですが、えと、いや、あの、その、出来ればこういう場所は、ちょっと、えぇっと、あの、帰りたい帰りたいえぇっとえとえと、黒実殿、たたたた助けてくださ……」
 最早自分でも何をいっているのかよく分からない鬼丸だが、半ばべそをかいているに近い訴えは、歓声に掻き消されてしまい、黒実の耳に届いているのかどうかも疑わしい。
 仮に届いていたとしても、黒実の場合、
「お気張りやす〜」
 のひとことで、聞いていなかったことにされてしまうのがオチであったろう。
「鬼丸はん。根性鍛えるには、ええ機会どすえ。ここでゲイルはんに、きっちり教えてもらったら宜しいですがな〜」
「そ、そんなぁ」
 今にも逃げ出してしまいそうな勢いの鬼丸であったが、試合開始を告げるゴングは、無情にも打ち鳴らされてしまった。
 先発はシンとゲイル。
 いきなり、シンが握手と見せかけてサミングを仕掛けるなど、小賢しいヒールテクニック全開でブーイングを浴びると、ゲイルもゲイルで、然程ダメージを受けていないにも関わらず、物凄く大袈裟に痛がって、自ら窮地に陥るよう展開を誘導していった。
 コーナーで待機する鬼丸は悲鳴に近い声を上げていたが、反対側のコーナーでは、タッチロープを握ったままのろざりぃぬが、内心で低く唸る。
(あの御仁……出来る!)
 どうやら、ろざりぃぬが望んだ試合展開が、見られそうであった。

 試合は面白いように噛み合い、観客席の盛り上がりはこの日一番のヒートアップぶりを見せた。
 ルチャスタイルのろざりぃぬには、忍者特有の身のこなしを見せるゲイルが上手く対応し、派手な空中戦と素早いグラウンドの攻防が場内を大いに沸かせる。
 緒戦のマイト戦では見せる機会すら無かった、マジカル☆かにばさみからマジカル☆ダイアル916(要は相手をロープにもたれさせ、走り込んでの619)なども華麗に決まり、反応の仕方を分かっているゲイルも派手に崩れ落ちて場外に転げ落ちた。
 場外では追いかけてきたシンがチョークスラムを狙うも、助けに駆けつけてきた鬼丸のカットで、ゲイルがシンの腕を巻き込んで一本背負いに投げ飛ばし、大急ぎでリング内に戻ってくる。
 その後も、ゲイルはリング内でろざりぃぬのルチャと渡り合っていたが、場外では、シンが鬼丸を追い回すという、幾分コミックレスリング的な要素も見せていた。
「ひゃあ〜!」
 逃げる鬼丸、追う墓掘り人。
 その光景を黒実は、コーナーを支える鉄柱の脇で、微笑ましく眺めていた。勿論、鬼丸当人にしてみれば、とても微笑ましい光景でも何でもなかったのだが。
 途中、シンが追いかける際の台詞を獰猛に叫ぼうとしたのだが、矢張りここでも台詞をド忘れしてしまっていた為、併走していた学人がカンペを掲げるという滑稽なシーンが現出していた。
 勿論、鬼丸もただ逃げ回っていただけではない。
 ゲイルが度々場外に落ちてくると、すぐさまフォローに入り、ろざりぃぬやシン相手に場外バックドロップや場外燕返しなど、結構えげつない攻撃を仕掛けてくる。
 とりあえず逃げ回るけど、追い詰められたら手酷いしっぺ返しを食らわせる、というのが鬼丸のスタイルであった。これは決してギミックでも何でもないのだが、ろざりぃぬとシンはしっかり利用し、派手にやられてリング内に逃げ戻るという演出を忘れない。
「えぇわえぇわ、ええどすわぁ。鬼丸はん、気張ってはるやないのぉ〜」
 黒実が全く他人事のように、リングサイドで悦に入った笑みを湛えている。
 実際、鬼丸も試合が進むにつれて吹っ切れてきたのか、次第に積極的な攻防を見せるようになっていた。ところが、その積極性が裏目に出たのが、試合終盤である。
 ゲイルとタッチを交わし、試合権を握ってリングインしたのは良かったが、シンの墓掘りドライバーで脳天をマットに叩きつけられた直後、タッチして入れ替わってきたろざりぃぬがコーナー最上段から飛びつき、鬼丸の首に無理矢理肩車の形で飛び乗ると、そのままウラカン・ラナで固めてしまい、3カウントを奪ってしまったのである。
 呆気ないといえば、実に呆気ない幕切れではあったが、流れるような連携での勝利であった為、観客の反応はすこぶる良い。
「あららぁ、負けてしもうたのねぇ……まぁちょっとは根性ついたみたいやし、今日のところはお開きっちゅうことにしときましょかぁ」
 黒実は満足そうに頷いたものの、シンの墓掘りドライバーが相当に効いたのか、鬼丸はストレッチャーで運ばれていってしまった。
 そして、試合後。
 心配になったろざりぃぬがゲイルと鬼丸の控え室を訪ね、愛用の医療用鞄を取り出して、軽い手当てを施してやった。
「いやぁ、ごめんごめん。プロレス慣れしてないひとに、あのツームストンはちょっときつかったようだね」
 墓掘り人ドライバー、即ちツームストンドライバーは両膝で相手の頭部を固定する為、首の角度を変えて受身を取るという方法を知らなければ、脳天からまともにダメージを受けてしまう。
 生憎、鬼丸は受身の取り方を知らなかった為、シンの全体重を浴びた一撃を食らってしまい、頚椎にダメージを残してしまっていた。
 同行してきていた学人がヒールを施術し、後遺症が残らないよう対策は施したものの、しばらくは首が痛くてどうしようもないだろう。
「しばらく、安静にした方が良いね。明日にはもう動けるだろうけど」
「うぅ……もうちょっと、勉強しときます……」
 ろざりぃぬから医師・九条先生へと早変わりしたジェライザ・ローズの手によって首ギプスを固定して貰いながら、鬼丸は泣きそうな顔でこの場の全員に詫びた。
「葦原に戻ったら、首の強化をしておいた方が宜しいですな」
 ゲイルの進言には、何もプロレスだけの為に強くした方が良いというだけの意味ではなく、庭番たる者、急所を作ってはならないという戒めの意味も込められている。
 鬼丸は、プロレスでありながら、戦いの厳しさを身を持って知ることとなった。