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リアクション
序章
"TAUBCHEN,DAS ENTFLATTERT IST"
「どどどどうしよううう」
霧羽 沙霧(きりゅう・さぎり)は青ざめた顔で廊下を歩いていた。
つい先刻、パートナーの館下 鈴蘭(たてした・すずらん)からメールを受け取ったのだ。
曰く、
『ごめんね、ちょっと誘拐されちゃった』
文末には、てへ♪という感じのヒヨコの絵文字が可愛らしく踊っている。
そして、
『詳しくわからないけど、事情があるみたい。まだ騒ぎにしないでね。また連絡します』
……以上だった。
誰に誘拐されたのか、どこにいるのか、何か要求はあるのか……肝心の「誘拐」に関する情報が何もない。
これでは、沙霧でなくとも困惑する。
「ええと、ええと……誰かに相談した方が……ああっ、でも、大騒ぎしないでって書いてあるし……で、でも、やっぱりこのままって訳には……」
メール受信画面を開いたままの携帯を胸の前で握りしめて、沙霧はどんどん廊下を直進した。
そのまま星の彼方まで歩き続けそうな勢いで階段ホールを通り過ぎて、さらに廊下を進み、足を止める。
掃除用具入れに突き当たったのだ。
「うう、どうしよう……」
行くあてがあって歩いている訳ではない。
電池の切れたロボット掃除機みたいに力なく、沙霧はため息をついた。
「……やっぱり、誰かに話した方がいい、よね」
真剣な顔で用具入れに語りかけていた沙霧が、背後から忍び寄る気配に気づくはずもない。
「狭霧君久しぶりー! 何してるのっ?」
どーん!
「うひゃぁっ」
いきなり背中に飛びつかれて、沙霧がすっ頓狂な声を上げる。
飛びついたミルト・グリューブルム(みると・ぐりゅーぶるむ)の方が面食らって、金色の大きな瞳をぱちくりさせて狭霧を覗き込んだ。
「ど、どうしたの、狭霧君」
「……っ、び、びっくりしたよ、ミルトくん……」
バクバクいう心臓を抑えるように胸に手を当てて、狭霧が振り返る。
「もうー、動揺しすぎ!」
ミルトはそう言って笑うと、狭霧を見上げて可愛らしく胸を張った。
「どう?」
「……え?」
狭霧はきょとんとする。
ミルトは不満そうに顔をしかめると,更に胸を張った。
「……ああ、制服!」
ようやく言わんとすることを理解して、狭霧は微笑んだ。
「それがアカデミーの制服? ミルト君によく似合ってるね」
「えへへ〜」
欲しかった反応を貰えて,ミルトが満足そうに笑った。
「可愛いでしょー、見せびらかしたくて来ちゃった! 鈴蘭ちゃんにも見せたいな。……鈴蘭ちゃんは?」
はっ、と狭霧の顔色が変わった。
狭霧はおろおろとすがりつくように、ミルトの手に携帯を押しつける。
「み、ミルトくん……たいへん、これ、大変なんだよぉ」
ミルトはさっぱり訳がわからないという顔で首を傾げている。
……説明しなきゃ。
狭霧も頭ではそう思っているのだが、咄嗟に言葉が出て来ない。
必死で絞り出した言葉が、
「……ど、どどどっどどどどうしよう、ミルトくんんんん」
……説明になっていない。
狭霧は思わず頭を抱えた。
説明もできないのか、僕は……。
情けない……なんて無様なんだ……っ!
「うわぁぁぁぁ」
彼の中で何かが限界値を超えたらしい。
悲痛な叫び声を上げると、いきなりその場でごろごろ転がり始める。
「さ、狭霧君……」
……あー、始まっちゃった。
狭霧の苦悩のマンガ的表現を前に、ミルトは小さくため息をつく。
何かすごく大変らしい、ということだけはわかったが、これではしばらく説明は聞けそうにない。
……困っちゃったなぁ。
なんとかなだめようと手を伸ばして、自分が握っているものに気がついた。
狭霧の携帯。
画面にはメールが表示されたままだ。
「……なんだろ、鈴蘭ちゃんからのメール?」
「わかんねーよ!」
山葉 聡(やまは・さとし)が喚いた。
「誘拐されました、宴会の準備をお願いします……って、変だろ! 変だよな? 変だって言ってくれ」
教室を出るなりもの凄い勢いで詰め寄られて、辻永 翔(つじなが・しょう)は仕方なく言った。
「変だな」
「だよな……」
聡が虚ろに言って、肩を落とす。
「返信は……訳がわからん、説明しろ……でいいか」
サクラとどっこいどっこいの返信だ。
立ち止まってメールを打ち始める聡を翔は呆れたように見て,それから傍らの桐生 理知(きりゅう・りち)に、視線を移す。
無言で救いを求められた理知は、ちょっと苦笑して翔の肩を慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「少し調べてみたけど〜」
廊下の向こうから北月 智緒(きげつ・ちお)が掛けて来て言った。
「やっぱり、表立った騒ぎにはまだなってないみたいだよ〜」
それから、その場の妙な空気に気がついたのか、首を傾げる。
「どうかした?」
「いやいや、気にすんな。それで?」
翔が苦笑しながら先を即したが、智緒は困ったような顔をする。
「それで、って言っても……それ以上,情報がないの。女の子が行方不明になってるらしいって、噂はいくつも出てるんだけど」
「翔くんの言ってたやつね」
確かに、翔もネットで見つけた噂を、理知や聡に話している。
だが、あくまで出所の解らない噂話として、だ。
「誘拐だから、通報をためらってるとか、当局が情報を抑えてるとか……」
「脅迫状がアレだからなぁ……まともに取り合ってない可能性もあるぞ」
「……ところで」
送信を終えたらしい聡が、変な顔をして廊下の突き当たりを見ている。
「何やってるんだ、あれは」
ごろごろごろ。
「……あれは……狭霧くん?」
その背後から。
「どーーん!」
「わあっ」
聡がすっ頓狂な声を上げて仰け反った。
「えへへー、聡の背後を獲った! 今日の僕はちょっとスゴいかも!」
もちろん、ミルトである。
「あーのーなー」
頭を抱えて呻いた聡は,ミルトが手にしている携帯と、見覚えのある封筒に気がついた。
「おい、それ……」
白い封筒に、深紅の封蝋。封は既に破ってあるようだ。
「これ? 狭霧くん宛のお花見の招待状だよ。けど……あの調子で、まだ見せられないんだよね」
ミルトはちょっとため息をつく。
「今日はいつもより長いなぁ……大丈夫かな、狭霧くん」
翔がはっと顔を上げた。
「……ああ、鈴蘭も、花の名前か!」
何のこと? という顔のミルトに、理知がサクラ・アーヴィング(さくら・あーう゛ぃんぐ)誘拐事件の顛末を説明した。
「サクラまで攫われちゃうなんて、聡のばかばか!」
ポカポカするように手を振り回すミルトを片手で押さえて,聡が考え込む。
「こりゃ、調査しない訳にはいかないみたいだな」
「えっ?」
ミルトがぴたりと手を止めて、不思議そうに聡を見上げた。
「何言ってるの聡。お花見の手伝いをするんでしょ?」
「なに?」
ミルトはにっこり笑って、小さな拳をきゅっと握りしめた。
「よーし、僕も張り切っていくよ! お花見を盛り上げて、サクラにいいとこ見せなきゃねっ」
「……なあ、翔。一応確認したいんだが」
なんとか立ち直った狭霧を引っ張って去っていくミルトを見送って、聡がつぶやいた。
「俺が、変なのか」
ひと呼吸置いて,翔が答える。
「……変だな」
理知は吹き出した。
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