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ツァンダを歩く

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ツァンダを歩く

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 ヒロユキと理知たちが日本の食べ物を紹介している時間に、この店舗の外で待機している人物が一人いる。紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は自分の手のひらを見つめながら何度目かが分からないセリフを呟く。
「俺が、ルシアに手を出す不貞な輩を殲滅しなければならない」
 お店の中でにぎわっているその声を聴きながら、唯斗は決意を塗り固めていた。彼がこのように影ながらルシアを見守っているのは、ルシアの魅力を十分に理解しているからだ。彼の言葉を借りるのなら、ルシアは文句なしに可愛いということになる。
 そのルシアがテレビのリポーターを務めるのである。テレビというだけでも注目されるのに、その容姿も相まって、彼女を無視する男性はいないだろう。しかしそれを許していいのだろうか。
 唯斗は首を横に振る。例えどのような相手であっても、この紫月 唯斗がいる限り、指一本触れさせることは断じて許さない。そして聞けばもう一人のリポーターは仁科 耀助だという。三度の飯よりナンパが好きな耀助とルシアが出会ったら、どうなるかは火を見るよりも明らかである。
 もしそのようになったとしたら、唯斗は明倫館の先輩として、不出来な後輩を教育しなければならない。
 決意を滾らせて、燃えるまなざしと共に唯斗は拳を握りしめる。
「そういうわけでスタッフのみなさんに、俺は全力で協力します。どうぞよろしく」
 ルシアを守るのなら、唯斗もスタッフとして動いた方が効率的だ。スタッフたちも、人手が増えることには越したことはない。顔を上げた唯斗に、スタッフ一同は深くうなずいたのだった。





 先ほどまではまばらだった一足も、しばらく気にかけないうちにずいぶん多くなっていた。にぎやかな声が飛び出るようにそこかしこで聞こえている。宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)ヴェロニカ・バルトリ(べろにか・ばるとり)はその街並みを静かに見守っていた。
「奇妙なものだな」
「何が?」
 ヴェロニカの落ち着いたまなざしを祥子は浴びる。ヴェロニカは紅茶を一口啜ると、ほっと息を吐いた。
「この時代のシャンバラは私にとって馴染みのないものだ。だがこう自分で目をしていると、何とも言えない気持ちになってくる」
「そうね」
 それだけの相槌に、ヴェロニカは何も言うでもなく、自分のカップにそっと口をつけた。オープンカフェのこの場所では、通りが隅々まで見渡せる。祥子は一つの集団が異彩を放っているのに気づく。
「あら? なんだか面白そうな集団が見えてきたわ」
 その言葉をきっかけにカフェの間を風が流れる。その風は好き勝手走り回り、新しい空気を持ってくる。一つ落ち着いた後に、皆はその風の中心にいる人物を見ていた。
「初めまして。今日はどうしてここにいるのですか?」
 耀助は祥子に柔和な笑みを作りながら話しかける。祥子は耀助の姿に驚いたそぶりも見せずに、持っていたカップを受け皿に置いた。カチャリという音がして、空気がやや硬くなる。
「初めましてね……。耀助がどうしてここにいるのか話すほうが先じゃないのかしら?」
「俺を知っているのですか? それはとてもうれしいですね。実はですね……」
「ふむ。なるほど……。テレビの取材ね」
「できれば協力してほしいのですが、いかかでしょうか?」
「無碍に断るのも失礼ですね」
 そう言いながら祥子はヴェロニカの顔色をうかがう。ヴェロニカは背後に並んでいるカメラに目を投じた。しかしそれは一瞬のことで、彼女は至って気にせず、紅茶を楽しみ続ける。
「しょうがないわね。答えられることなら答えてあげる」
「ありがとうございます。早速ですけれど今日はどうしてここに?」
「そうね……私は彼女に付き合って散策している最中なの」
 ちらりと、ヴェロニカに視線を配ると、目を閉じていた彼女はゆっくりとまぶたを開き、茶色の視線を露わにした。
「ヴェロニカだ。やや世間離れなことを言ってしまうかもしれないが気にしないでくれ」
「耀助と言います。ヴェロニカさんはこの町で何か目的があるのですか?」
「明確なことは決まっていないが、強いて言うのなら。今のこの町の雰囲気を知りたかったからだ」
「そうなのですか? ここに来るのは初めてなのですか?」
「昔、そういっても気の遠くなるような昔にこの町で暮らしていた。その時が嘘みたいに劇的な変化を遂げている。けれどやはり帰ってきたという実感が強い」
「その当時は一人で暮らしていたのですか?」
「いや。結婚をしていたよ。政略結婚ではあったが、愛はあった。傍目から見たらどうだったかは知らんが、よき夫婦だと自負していたさ」
 結婚、さらに政略という言葉が付いたことに、耀助は言葉に窮する。それをさらりと言ってのけるヴェロニカの高貴な雰囲気は、愛が土台にある歴史の重みを感じるには十分だった。
「であるからして、私は人妻だ。私にだけの言葉を囁くのはお断りしておこう」
「いやー。別にそう言うつもりで話しかけたわけではないのですけどね」 
「あら? 私の勘違いだったかしら?」
 祥子は不敵な笑みを向けると耀助は額に手を当てて笑う。
「これでも今は百合園女学院で教育実習中なの。先生を誘うなんてイケナイわよ。まぁ三回目があるのなら考えてあげるわ」
「本当ですか。それでは三回目を楽しみにしていてください。時間なので、俺は次のリポートに向かいます。今回は本当にありがとうございました」
 耀助は頭を下げる。ヴェロニカも型通りのお辞儀をして、それに答えていた。
 その瞬間、耀助の後ろを通り過ぎるぬいぐるみが姿を見せる。ぬいぐるみと言っても、この人ごみの中で頭一つ抜きんでた大きさを持っていた。猫を思わせる耳をピコピコと揺らして、歩いている。
 しかしそれだけではなく、そのぬいぐるみに並ぶように一人の少女がスキップをしていた。耀助の興味を引かせるのにはこれ以上ないものだろう。
「今度はぬいぐるみが登場しました。あのぬいぐるみを連れている少女は言った何者なのでしょうか。ズバリ声をかけてみたいと思います!!」
 耀助が走っていたその先には、一つのぬいぐるみと、一人の少女がいる。
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)はツァンダの空気を吸うと、こっちの方が自分に合っているとしみじみ実感していた。
「わざわざツァンダにまで来なくても、ヴァイシャリーで買い物をしてもいいじゃないアルね?」
 隣を歩くチムチム・リー(ちむちむ・りー)はその耳としっぽを揺らしながらそう尋ねた。レキは半ばあきれるように手を空に向けると、短く息を漏らす。
「だってヴァイシャリーは貴族が多いからか、その需要からして上品な物が多いんだよ。でもボクはカジュアルなものが好きなの。それに今日は【街ブラ番組】があるじゃない」
「そう言われてみると、納得アルネ。レキちゃん。チムチムたちをようやく見つけてくれたようアル」
 レキが振り向くと、耀助が追いついてきたらしい。
「こんにちは。テレビカメラがいっぱいあるけれど、もしかしてテレビの取材なの?」
「御嬢さんの正解です。今日はどうしてツァンダにいるのですか?」
「ボクはツァンダに服を買いに来たんだ。ツァンダにはボク好みのものがあるからね」
 空色のパーカーに短パン、そして赤いスニーカーはレキの性格と趣向を如実に語っている。そしてチムチムが隣に立っているからか、より弾んだ印象を強めていた。
「こっちはゆる族のチムチム。よろしくね」
「チムチムというアル」
「ゆる族ですか。この晴れた日に着ぐるみで熱くないですか?」
「へっちゃらアル」
 大丈夫だと言わんばかりに両手でガッツポーズをする。ゆる族をアピールするチャンスだというチムチムの思いはまだ誰にも語っていない。そしてこの意外性のある登場と、なじみやすい見た目の可愛さなら視聴率が上がること間違いないだろう。というのがチムチムの思惑である。
「それではレキさんは洋服を買いに行くつもりだったということでいいですか?」
「うん。この先にアウトレットモールがあるからそこでボクに合いそうなものを探すつもり。よかったら一緒に行こうよ」
「本当ですか? そちらから申し出てくれるのはとてもうれしいです。それでは早速まいりましょう」
 頭上に拳を振り上げて揚々と耀助は笑う。耀助にレキたちも続いて、ツァンダの街を歩きだした。彼は様々な女性と会話することができて、彼の機嫌はうなぎのぼりのようだ。
 しかし歩き出した耀助たちはすぐに立ち止まることになる。耀助の進む道を阻むように、さらなる女性が立っていた。その雰囲気はこれまでとは明らかに異質である。いつ爆発してもおかしくないような怒気を全身から立ち上らせている。
 耀助もそれを感じ取っていたが、彼はそれよりも、女性に話しかけることが優先順位に上がっていた。その女性と話していればその怒気の原因もわかり、そしてそれを自分が取り除いてあげようと考えていたのである。
「どうしたのですか? もしかしてこの俺のことを待っているのですか?」
「そうだね。リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)と申します。今日のあなたの行動を垣間見させてもらったわ」
 コツコツとリカインは足音を鳴らす。それほど大きくはない音なのに、広く響いているのは、彼女の怒気がなせるものなのだろうか? 耀助はどのような言葉を投げかけようか考えていた。
 しかし耀助の眼前にまで、迫ると彼女はいきなり耀助を締め上げた。あまりにも自然な流れだったので、誰もが彼女を止めることができなかった。
「元々蒼学生だったころの名残でツァンダに来てみれば、この男は女性を見れば見境なしに話しかけて、まったくもって不愉快だわ」
「ちょっ、ちょっとやめて……スタッフ!! スタッ……」
 細身の女性とは思えないような怪力で、耀助を締め上げ、ギリギリと釣り上げる。足をばたつかせながらスタッフに助けを求める。けれどもスタッフはそのアクシデントを楽しむように撮影に興じている。カンペ替わりのフリップには我慢と書かれていた。
「そんなのってあり? リカインさんも、ちょっと落ち着いてください。これは取材ですから。取材です」
「いいえ。さっきからあなたの鼻の下が伸びっぱなしです。警告しなければいけません。いきなり実力行使に出る奴もいるのがパラミタなのですからね」
「いや。それ意味が分からないですよ。誰かー!!」
「おい。バカ女。怒る気持ちも分からんではないが、そこまでにしておけ」
 その声を聴いて、リカインは耀助の締め上げをほどく。地面に倒れこむ耀助をしり目にリカインは彼女の邪魔をした一人の男性を睨みつけていた。
アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)くん。ここにいるのは女性の敵よ。敵なのだから倒すべきなの」
「だからお前はどうしてそこまで短気なのかなー?」
 アストライトと呼ばれた男性は肩をすくめながら溜息を吐く。けれどリカインの怒気を理解してないというのは嘘ではない。
 実際彼も耀助にたいして味方ではない。リカインがどれほど頭を噴火させていようが、耀助と周囲のスタッフが最終的には止めるであろうことは予想できる。そう思って彼女が耀助を締め上げた時は、見て見ぬふりをしようと思っていた。
 しかしアストライトの頬に冷や汗が伝う。嫌な記憶が彼の脳裏から引きずり出され、過去の似た状況を思い出させる。アストライトは以前、自身に化けた偽物が、リカインを口説いていた場面を目撃していたのだ。彼の冷汗は偽物のアストライトにリカインがどのような態度を実践したかに起因している。
 リカインはその偽物の股間に力のごとく拳を叩きこんだのだ。今でもその光景はアストライトの精神を不安定にさせていた。
 その過去を思い出した彼は、同じ悲劇が二度と繰り返さないように、リカインを留めに来たのだった。
「なぁに? もしかして昔にされたことを思い出したのかしら?」
「あれは……ちげーよ!! 断じて俺じゃねーよ」
 このバカ女と悪態をつきながら、アストライトはそっぽを向く。
「とにかくそんなに暴力をふるうな。だけどこのナンパ野郎もナンパ野郎だ。地球と違ってこっちじゃ男として再起不能にされかねないんだからな。ってあれ?」
 見れば耀助たちの姿は二人の目の前から消えていた。リカインの威圧に蹴落とされて逃げだしたのか。それともアストライトに気を取られている間にそそくさと逃げ出したのか。それは耀助にしか分からないだろう。
「ほらみなさい。あんたに邪魔されてあんな遠くに行っちゃったじゃないの」
「やれやれ」
 地団太を踏み、リカインは小さくなった耀助を追いかける。あの調子なら自分が出る間でもなかったのではないか。そう一つ呟きながらアストライトは遠くへと消えていく彼女の背中を見送るのだった。