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仇討ちの仕方、教えます。(後編)

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仇討ちの仕方、教えます。(後編)

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第十幕


 二日後、染之助一座は再び巡業の旅に出ることとなった。
「太夫! 実に、実に名残惜しい!!」
 染之助の手を握り、しくしく泣いているのは耀助だ。
「あの夜のお食事が最後になろうとは……ああっ、あれもこれもやりたいことがたくさんあったのに!!」
 染之助はやんわりとその手を握り返した。
「またいずれ帰ってきますよ。その時にはぜひ」
「本当か!?」
「ええ」
 にっこり微笑む染之助に、耀助の鼻息は荒い。
「よーしっ、それを糧にオレは逞しく生きていくぞ!!」
「耀助、いつまで座長さんの手、握ってんのよ。渡す物あるでしょ?」
「え? あ、そかそか」
 リーズに袖を引っ張られ、耀助は包みを取り出すと、染之助一座の新しい座員に手渡した。
「新しい手形。二人分。マホロバに戻ることはないにしても、シャンバラの他の土地に行くなら、必要だからな」
「ありがとうございます。ですが、どうやって……?」
「ん? 蛇の道は蛇。細かいことはいいからいいから」
「はあ……」
 その通行手形――要は身分証の代わりである――に書かれた名前を、彼女は口にした。
「千秋……」
「悪い。面倒だったんで、役名にしといた。左源太の方も」
「六郎ですか」
 左源太――十内――も千夏も、五体満足でぴんぴんしていた。
 あの時、ぬりかべ お父さんに潰された十内は、ルシェイメアによって素早く取り換えられた「スペアボディ」だった。腕以外は潰れてしまったため、傍にいた千夏にも偽物とは分からなかった。
 一方の千夏は、すぐさま医者に運ばれたが死亡――そう、健吾には伝えられた。義弟は、泣き崩れたという。遺体を持ち帰ることは難しいため、火葬にされた。ちょうど今頃、代わりのコピー人形――ルカルカ・ルーから提供された――が燃やされているだろう。
「それにしても、彼らはなぜ、そんな真似をしたのでしょう?」
 プラチナムが首を傾げる。千夏には、予め【プロフィラクセス】がかけられていた。そのおかげで致命傷から回復できたのだが、運んだプラチナムもやリーズも、医者も大層驚いた。
 千夏は、自分を誘拐した男の言葉を思い出した。
『……お前はその想い人とどうなりたい。……助けたいだけか? それとも……未だ添い遂げる想いはあるのか? ……もしその想いがあり……すべてを捨てる覚悟があるなら俺とハツネがお前を十内と逃げられる様に護ってやろう』
 だがそれを、ここにいる人間に話すわけにはいかない。
「まったく、酷い話ですよ」
 染之助は苦笑している。「座長のあたしにも話さないで、こんな大層な仕掛けをするんですから!」
 染之助は幕が下りてすぐ、耀助に詰め寄った。しどろもどろになる耀助に代わって天樹 十六凪が説明してくれたものの、予定と全く違った展開になったため、それは不十分だった。
 ちなみに最初に場を混乱させたマネキたちは、さっさと逃げ出している。
 初めこそ怒っていたものの、話を聞いた染之助は仕方ないですねと嘆息し、二人が逃げることに手を貸してくれた。ほとぼりが冷めるまで町を離れ、いずれどこかの土地へ渡ることになるだろう。――ひょっとしたら、このまま旅一座に残るかもしれないが。
 仇討ちに関しては、厳密には千夏が手を下したわけではないが、奉行所も認めてくれた。
「染之助一座に下足番として入り込んでいた立花十内を契約者が見つけ出し、舞台に引きずり出した。千夏が十内を討とうとしたその瞬間に事故が起き、立花十内は死亡。千夏もまた、自身を攫った者たちにより手傷を負い、死亡。なお、千夏を攫ったのは十内の手の者であったが、これは捕縛に至らなかった」
 久利生藩へはこのように報告がなされ、健吾と卓兵衛は近くマホロバへと戻る。健吾が家督を継ぎ、嫁を取ることになるだろう。厳しい家ではあったが、潰れることまで千夏は望んでいなかったので、それだけはホッとした。
 メビウスや葛葉が喋ったことは、誘拐犯を焙り出すためという苦しい言い訳が何とか通じた。野木坂家への非難も確かにあったが、遠い葦原島での話なので、久利生藩までは届かないだろう。
 と、心配する健吾を匡壱が慰めてやった。グダグダ言って、居残られては面倒だからだ。
 ほぼ丸く収まったが、そうでない者もいる。
 オリュンポス一座だ。
 火薬を規定より多く使ったとして――大砲を撃ったのは、恭也だが――彼らは、今後町での演劇活動を一切禁じられた。更に壊した小屋の修理代全てが、ドクター・ハデスに請求された。収益から出そうとしたが、その分は、本来染之助一座が芝居を掛ける予定だった小屋の主・伝兵衛へ支払われてしまった。
 道理で機嫌よく契約解除に応じてくれたわけだ、と染之助は思った。「私も観に行くからね」とまで言ってくれたのだ。
「うちは、出さなくていいんでしょうかね?」
と心配する染之助に、コルセア・レキシントンは「出したいの?」と訊いた。
「いえ、出来れば……」
「じゃあ、いいわよ。あっちの人も、それでいいと言っているし」
 コルセアとミネルヴァ・プロセルピナが手を回し、全ての責任がハデスにかかるようにしたのだった。収益は最初から折半だったし、小屋が壊れるのも計画の内だったから、彼の借金は想定内――というより、予定通りと言える。
 ハデスはミネルヴァに泣きついたというが、彼女が気持ちよく貸してくれたかどうかは謎である。
「あの二人、どうなるのかなあ?」
 旅立つ一座を見送りながら、東雲 秋日子は、セルマ・アリスにぽつりと尋ねた。彼女らはルシェイメアから十内を受け取り、奈落に飛び込むと事が落ち着くまでずっと潜んでいたのだった。
 千夏が十内を慕うほど、十内は千夏に想いを寄せていない。そう、十内は言っていた。
「俺も恋愛のことはよく分からないけど」
と、セルマは既婚者にあるまじき発言をした。「十内さんは千夏さんを嫌ってはいない。むしろ大事に思っている。幸せでいて欲しいなんて、何ていうかこう」
「つましい?」
 中国古典 『老子道徳経』が思いついた単語を上げた。
「まあ、ちょっと違う気もするけど、そんな感じかな。とにかく、十内さんは千夏さんのことが好きだと思う」
「そっか。なら、二人でいれば、大丈夫だね」
「うん……でも、問題はこれからだよ。十内さんは、いつか本当に罪を償わなきゃいけない」
 彼の罪が何であるか、自分自身でそれを気づいたとき。
「千夏さんが、それを支えてあげられればいいんだけど……」
 そういえば、とセレンフィリティ・シャーレットは思い出したように尋ねた。
「結局、あんたがこの件に噛んだ理由は何だったわけ?」
「それは無論」
 天樹 十六凪は温和な笑みを崩さず、答えた。
「正義のためですよ」