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【第四圏・プルートーの咆哮】

 バイブレーションの音にアレクは電話をとった。
「Hello.
 Who am I speaking to?」
『日本語で話せ』
「あ?」
『あ? じゃねーよ俺の番号、ジゼルに聞いただろ! 登録しろよ!』
「ああ、陣か。何?」
『ったく電話くらい愛想よくしろっての』
 言いながらもそちらも全く愛想の良く無い声の陣と話しながら、アレクはモニターを切り替えていく。
 コーヒーカップを傾けながら肘をついている陣が店の角に座っていた。
「見つけた」
『お前何してんだよ。つーかバレバレなんだよ店員と一般客の見てくれがっ!』
「うん。そうだな。
 俺も何となく分かってた。あー駄目だなぁって。制服なんてさ、似合ってんのキアラしかいねぇなって。
 只でさえ男だらけなのに、更に軍人だからな。女向けのデザートの店と組み合わせたら完全に火傷するだろうなって思ってたら、思ってた以上に面白い見た目になった。今は反省している」
『気づいてんならソコでやめろ!
 ったく無駄にイライラさせやがって。
 こちとらティエンが店の雰囲気がおかしいからきてくれって呼ばれてわざわざ見に来たんだからな!
 ――つーか、ダチと飯食い行くって出掛けたユピリアまで何でいるんだ?
 普段俺の事追っかけまわしてる癖に』
「……ぷ……」
『お前……今笑ったろ』
「笑って無い。で、何だよ。用事あるんだろ。
 ああ分かった。
 お前のユピリアちゃんもガードしようか」
『兎に角ティエンが楽しんで無事帰れるようにだけ約束しろ!
 俺は手出ししねえ!

 ……あー、ついでにユピリアもな』
 言い切って強制的に切られた会話に、アレクは肩を震わせながら命令を追加し、保護対象を増やした。

***

「どうしたよジゼルちゃん?」
 膝に乗せたンガイの猫髭が触る程近くにきていたジゼルに、東條 カガチ(とうじょう・かがち)は彼女の顔を覗き込んだ。
 何時もと違い前髪から綺麗に整えているから、切れ長な金色の瞳がしっかりと見えてジゼルは耐えきれず視線を反らす。
「なんかカガチ、今日は雰囲気違うね」
 べらんめぇのおっさんだと思われているカガチだが、目つきは鋭いものの元々端正な顔立ちの青年だった。きちんとすればきちんとするのだ。
 それに見つめられて頬を染めたのは、年頃の女の子として至極正しい反応だった。
 それから滅多に着ないスーツに身を包んだカガチ姿は、兄にどことなく似ているとジゼルには思えた。
「……前から思ってたけど、カガチってアレクに似てるよね。だからいつもの距離でつい――。
 日本の人とヨーロッパの人だから大分違うはずなんだけどな。でも髪も目も同じ色だし……雰囲気が似てるの。そう思うの、私だけかもしれないけど……。
 あのね! お兄ちゃん無愛想に見えるけど、普段は違うんだよ。本当は優しいし、皆に誤解されてるだけで――」
 膝の上の猫の背中を撫でていた小さな手は、何時の間にかスーツの袖を掴んでいる。
「カガチは分かってくれるよね?」
 宝石のように輝く瞳で甘える様に見上げてくる彼女は、少女なのか女なのか判からない危うい美しさを持っていた。そして先ほどから鼻孔を掠めるこの甘い香りはまさかセイレーンの蠱惑の香りではないだろうか。
 これでは全くその気が無くてもその気にさせられてしまう。
「(なーんて……。んージゼルちゃんは可愛いと思うけどそんな気はねえな)
 カガチはジゼルの頭に手を置くとそのままくるっと回して、その視線をトーヴァが座るテーブルに向けさせた。
「あの人。そのお兄ちゃんの友達じゃないの?」
「あ。ホントだ。
 挨拶してくるね!」
 ンガイを抱いたまま席を離れたジゼルに手を振って一息ついたところで、カガチの頭の上から高くも無い低くも無い平坦な声が降ってきた。
「おいお前。一体どういうつもりだ」
 背中の後ろに殺気を感じて、カガチは唇を歪ませた。
 そう、期待していたのは――待っていたのはこいつの方だ。



「どばるだーんぷりーんつあれくさんだる! 首おいてけ!!!」
 腰から抜いた太刀を正眼に構えてカガチは叫ぶ。
「Drago mi je カガチ! (会えて嬉しいよカガチ)
 N ja nisam princ !(それから俺は王子じゃない!)
Ja sam samo vojnik!!(ただの軍人だ!)
 あとRは巻け!!!」
 背中から抜いた大太刀を相手の首を狙うように構えてアレクは言い放つ。
 斯くして、第三回頂上馬鹿決定戦は始まった。
 空いた手と足で殴って蹴って刃はひたすらの首狙い。そして相変わらず決着はつかなかった。実力差云々よりどうもこの二人、思考回路が似通っているらしい。
 鍔競り合いする二人の間合いの向こうから、「おーい馬鹿二人ー。そろそろ良いかー?」と壮太に声を掛けられた。
 外へ出てきた加夜は、傷だらけの姿にため息をついて、手を止めた二人に有無を言わせずに回復を始める。血は念の為持ってきたタオルで拭けばどうにかなるとして、あとの問題は斬れた服だろうか。
「ジゼル、戻って探してるぜ?」
「カガチさんはジャケットを着て下さい。それで誤摩化せると思います。
 アレクさんもそろそろ部屋に戻らないと」
「分かった。今日はこれで終わり」
「応」
 互いに血振りをして指を掛け刀を回し納めると、それ以上は黙って正面扉と裏口扉に向かって行く。
「――俺にも妹はいるから、心配な気持ちはわかる」  
 背中の向こうからこちらを見る事も無くかけてきたカガチの言葉に、アレクは片眉を上げた。
「あいつ素直じゃねぇな」
「アレクおにーちゃんもだろ」
「そうか?」
「そうですよ」

***


「生クリームは優しく低速で。女の子の肌を扱うように大事にしないと!
 イエス・サーじゃない! 料理長と呼びなさい!!」
 客が沢山居れば厨房は戦場。
 これはレストランでは当たり前の事だが、今この厨房を取り仕切り激を飛ばしているのは軍人では無い。
 本物のコック、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)だ。



 今日は兄、佐々木 八雲(ささき・やくも)が合コンに参加するということで、弥十郎は「兄さんから合コンに誘われたから行ってくるね」と妻に連絡した上でしれっと同行した。
 そういう事が言えてしまう、どこかのんびりとしたキャラクターを持っているのだ。
 だが、それは『料理』を除いてである。
 新しい味に出逢えるかと思っていたバイキングのショートケーキを食べた途端、弥十郎の笑顔を称えた穏やかな顔は豹変した。 
「なんだ、このスポンジと立て過ぎた生クリームは」
 弥十郎は慌てて別のケーキを更にのせ、テーブルに並べてその一つ一つにフォークをさしては口に含んで、最後には掌に額を付いてしまった。
 ティラミスも、モンブランも、想像していたものと違っている。
 否、劣っている。
「(これは――、一体どういう事なんだ!?)」
 弥十郎は半分オープンになっている小窓のようなその場所から、キッチンを覗き込んだ。
 手際が良く無い。
 決して動きが悪い訳では無いのに、誰も彼も初めてその場所に連れて来られたかのようだ。
「(駄目だ駄目だあんなんじゃ。
 あんなに強火にしたら香りまで飛んでしまうじゃないか!
 そっちの鍋は煮詰め過ぎ……
 ――あああもう、我慢出来ない!)」



 こうして弥十郎は突然、厨房に現れたのである。
 戸惑う隊士達を無視して、弥十郎はテキパキとコック服を身に付け腕まで殺菌を終え、早速彼らの動きを見て回った。
 真の指示によって動きは何とかなっている。
 料理も決して酷くは無い。
 だが例の手際の悪さの他に、料理人として指示出来る事は幾つもあった。
 まずはモンブランを作っていた隊士のところへ行き、後ろからその作業を覗き込む。
「えっ。何そのモンブラン。明らかに裏ごしが足りない。
 何やってるの」
「裏ごし――ですか?」
 相手が誰だか分からないものの、弥十郎から放たれるプロフェッショナルの空気を感じ取って丁寧な物腰になったモンブラン担当の隊士。これを横に退かして、弥十郎は手本を見せた。
「これが――、本物!!」
 唸ってしまう程、弥十郎の動きは滑らかだった。
「味見してごらん」
 差し出されたスプーンを口に含んで、モンブラン担当の隊士は目を見開いた。
「違う! なんだこれは!
 俺だって一応ケーキ屋でバイトしてたってのにこれは俺が作ったのと全然違うぞ!」
 感動というよりも驚嘆している彼に頷いて、弥十郎は厨房のコック達――だと彼は思っているが実際は軍人達に向かって言うのだ。
「そう、料理は時間との戦い。
 だけど時には丁寧にやる事も大事なんだ。
 ワタシが君たちを見てあげよう。
 君達の手で、この店を『本物』に変えるんだ!」



 こうして、弥十郎の言葉に感動した隊士達が咆哮の声を上げた所為で、店内に居た客達は驚いて動きを止めてしまっていた。
「何なんだいったい?」
 八雲は声のした場所を覗き込む。
 と、その中央で忙しく動き回っていたのは自分の弟だった。
『兄さん、いいところに来たね。その扉を外から邪魔が入らないように封鎖してよ。
 それで中に入ってきて。
 あ、殺菌は必ず。それからエプロンもつけてね』
 頭に声が入ってきたところで、八雲は全てを悟った。
 こうなった弟の言う事を聞かないと、後が怖いのだ。
 矢張り兄は弟妹には頭が上がらないものなのかもしれない。
 八雲は弥十郎に言われた通りに殺菌し、エプロンをつけ、出入り口に椅子を置いて座り、見張り番をする事になってしまった。
 先程の異変の所為で突撃してきた客も何人か居たが、八雲は彼らを丁寧に、威圧的に押し返すのだ。
「おっと、ここは通さねぇぜぇ。何せ厨房は戦場だからな。
 民間人の入る場所じゃねぇんだ。ごめんな」



「今日一日でこいつら全員、一端のパティシエに仕立て上げるから」
 前を通り過ぎる時に拳を握って言っていた言葉通り、弥十郎の熱血指導は続く。
「――あいつ、テンション上がってんねぇ。顔が近い近い。あれは、怖いわ」
 苦笑しながら様子を見ていると、弥十郎は先程のモンブランの隊士のところへ早足で向かって行く。
「うん。だいぶ上手くなってきたねぇ。ほらできるじゃないか」
「(その後に褒めるか、やるねぇ)」
「食べてみてよ」先程自分がしたように、彼の作品にスプーンを入れて、弥十郎はモンブランの隊士に渡した。
 味を見て、目を輝かせている隊士に弥十郎は笑顔で頷く。
「そうこれが今の君の味だ」

『このモンブラン美味しい!』
『ほんとだー! 上のクリームがふわっとしてるー!』

 客席から聞こえてくる声に涙ぐんだモンブラン隊士の肩を叩く弥十郎に、八雲から声が飛んで来た。

「弥十郎、モンブラン。追加オーダーだそうだ!」