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リアクション
図書室。というにはやや広過ぎる、図書館と言うべきこの場所で遠野 歌菜(とおの・かな)は『おいしくてかわいい☆スイーツレシピ』という直球タイトルの本をめくり、目に留まったレシピを忠実忠実(まめまめ)しくメモを取っていた。
これも偏(ひとえ)に愛する夫の為。
隣に座る彼にちらりと視線を送れば、月崎 羽純(つきざき・はすみ)は美術書の名画から目を離して彼女に小さく微笑む。
「次は何を作ってくれるか楽しみだな」微笑みはそう話しかけていた。
互いに再び本に視線を戻して、数分くらい経っただろうか。
ふいに肩に掛かった柔らかな茶色の毛に、羽純はこの静かな空間で憚られる笑い声を喉の奥で鳴らした。
歌菜が羽純のめくる美術書を、大きな目を一際大きくして覗き込んでいたのだ。
気になっているのなら、何を読んでいるかと聞けばいいのに、子供のように覗き込んでしまうのが彼女で、そこが愛らしいところでもあるのだ。
羽純に笑われて落ち込んだのか怒ったのか分からないが、唇を突き出した彼女に遂に、羽純は口元を手で覆って笑いを堪える。
「うぅ、笑う事ないじゃない。
気になるんだもん!」
素直に白状されて、羽純は密かに彼女の腰を掴んで自分の近くまで引き寄せた。
「何か良いレシピはあったか?」
「この『ブルードネージュ』と『あじさい色のフルーツゼリー』を作ってみたいな♪」
歌菜はパラパラとページをめくって写真を見せて来る。
そこには確かに本のタイトルが示す通りの『おいしそう』で『かわいい』デザートの写真が載せられていた。
「『ブルードネージュ』をかたつむりの形に作るんだって、可愛い♪」
彼女の言葉の後ろには何時も弾む音符が浮かんでいるようだ。
目に入れても痛く無いような可愛い妻を今この場で抱きしめてしまいたい。
溢れる愛しさに羽純の頭がペールピンクに染まっていた時だった。
見上げて来た顔が気恥ずかしさに――それこそペールピンクに頬を染めながらおずおずと口を開いた。
「美味しそうなレシピ見たら、お腹が……」
「――確かにちょっと腹が減った」
「羽純くん、食堂行かない? 何か食べようよ」
小声の提案に頷いて、二人は指を絡めながら図書室を後にした。
* * *
『――壊れた硝子、電線など危険物には触れず、生徒会本部までご連絡下さい』
放送室で、定期的な注意喚起の放送を繰り返しながら、ディミーア・ネフィリム(でぃみーあ・ねふぃりむ)は突然机の上に出されたメモを読み上げる。
『また、生徒では現在……え? ピロシキ? 何よそれ』
困惑するディミーアに、後ろに立っていた凶司は放送に入らない様な声で「いいから!」と乱暴に答えた。
『ピロシキを、無料で振る舞っています。興味のある方は食堂まで直接お越し下さい――』
マイクの下のボタンを切って、ディミーアは回転椅子で回り、後ろのエクス・ネフィリム(えくす・ねふぃりむ)を振り返った。
「何よこれ」
「会長からお知らせだよ」
「突然『会長が食堂で無料ピロシキ配ってます』とかメモを寄越されても訳わかんないわよ」
ばっさりと切り捨てるような口調に凶司は少々むっとしているようだ。
「その通りだからその通りに読み上げればいいんだ」
冷たく言い放ちながら、凶司は端末の情報をメモに取っている。
「――雷雲が居なくなるのは予定では」
「一時間半後だ」
「結構長いね」
「けどあと一踏ん張りだ。
そっちは放送を続けて」
「ん、まぁ私の担当は放送よね。
うん、当然だし仕方ないわよね!」
小言のような口調で言いながらもディミーアはどこか嬉しそうだ。
アイドル路線でやっていたことも一時期あった彼女には、合っている仕事なのだろう。
「それからそっちはビラ配り」
「OK。回って来るね!!」
凶司に紙束を渡されて、エクスは元気よく飛び出して行った。
余り仲の良いとは言えない彼らではあるが、凶司の采配は完璧だった。
凶司は情報を纏め、早急に修繕や強化が必要な場所に赴いては、『強化装甲』や『対電フィールド』など己の使えるスキルを駆使して学園を護っている。
『こちらは、蒼空学園生徒会です。球技大会にお越しの他校生の皆様にお知らせ致します――』
暗い学内でディミーアの放送は明るく響き、皆の沈んでいた心を弾ませる。
「はいはーい、生徒会から広報だよ!」
エクスは元気いっぱいの声で凶司に渡された注意喚起の紙を配り、掲示板に情報をのせた。
「交通機関の案内は西掲示板と電子掲示板に載ってるよ!
動ける様になっても、慌てず落ち着いて行動してね!」
二人を纏める凶司の能力もあって、蒼空学園はこんな状況だろうと穏やかに日常を過ごす事が出来ていた。ある一部の人間を除いては……。
* * *
「外に出る」
凶司からそう言われた時、エクスは彼がどうかしたのかと思った。
今の今まで注意喚起を繰り返し繰り返ししてきたのは自分達なのに。
「今出たら吹っ飛んじゃうよ!」
抗議する彼女に凶司は言うのだ。エクスが、「くっついていれば大丈夫」だと。
「そうだねー、ボクがくっついてれば大丈夫……って、それ盾ってことじゃない!?」
「そうだ。
この時分に外に出ている輩がいるとの連絡を受けた。生徒会として見過ごす訳にはいかない。
さあ行くぞ」
「やだやだやだやだ危ないよ飛んじゃうよ」
「うるさい黙って僕の先を進め!」
「死んじゃうやーだーやーだー!」
エクスはまるで引き摺られるような雰囲気で前にグイグイ押され進んで行く。
すると屋上の入り口に、眼鏡をかけた少女が丸まっているのが見えた。
他校生だろうか。
「……何してるのかな?」
凶司に振り向くと、彼はエクスの後ろから少女に近付いて行く。
「――失礼。僕は蒼空学園生徒会広報の者です。何してるんですか?」
「ひゃ!!」
声を駆けられた途端飛び上がったのは、やましい事があるからだろうか。
凶司が眼鏡の下からつい鋭い目つきを送ってしまうと、彼女はすっかり縮み上がってしまったようだ。
「あ、あの……私は……」
言い淀んでいる彼女の後ろへ視線を移すと、屋上の扉が開いたままの状態で氷術で固められている。
これでは雨風が校舎に入ってしまう。
「これはあなたが?」
慇懃に質問すると、眼鏡の少女は素直に頷いた。
一体どういう事だろう。
凶司は相変わらずエクスを前に、扉の近くへと進んで行った。
そこで彼の耳に明るい声が飛び込んで来たのだ。
「いーーーやっほおおお☆」
信じ難い事に、風の翼を纏ったマーガレット・アップルリング(まーがれっと・あっぷるりんぐ)が、この暴雷風雨の中スノーボードに乗って『風乗り』をしていた。
雷雲がきているから外に出てはいけないと、あれ程連絡がいっているのにわざわざ遊びにいってしまうのは、偏に彼女がバ……純粋だからだろう。
「これは……」
凶司がどうしたものかと悩んでいる間にも、彼が壁として犠牲にしているエクスに木の葉がベチャ! ベチャ! っと飛んで来ている。
風と葉が口に入ってきてしまうので、エクスは喋って抗議することすら出来ないらしい。
「ご、ごめんなさい……」
羞恥に顔を赤くしながら、眼鏡の彼女も凶司の方へ近付いて来た。
飛ばされない様にグリモアチェーンを手すりに括り付けているが、もう少し外側に出たら危険だろう。
その位の暴風だというのに、あの空を飛んでいる彼女ときたら、未だにこちらにも気づかずに
「いえーい!」
と大はしゃぎだ。
「わ、私はイルミンスールのリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)です。
ほ、放送が……雷雲の校内放送が流れて少ししたら、その、パートナーのマーガレットがいなくなってて……
校舎の中でマーガレットを探し回っていたら、
お、屋上に出て行くマーガレットを見かけたんです……」
状況を理解して、凶司は空を舞うマーガレットを見た。
「きゃー! たんのしぃいぃい!!」
飛んで来る葉をスイスイ避け、上へ下へと器用に飛び回る彼女は確かに楽しそうだ。
――楽しそうだが。
「あのスノーボード、ボード部から借りたのか。
他校生にこんな怪しい目的で使わせて……後で確認を取らなくちゃな。
兎に角彼女を連れ戻さないと――。
リースさん、パートナーの方に呼びかけてくれますか?」
「は、はい……マ、マーガレット!」
元々声の大きく無い方のリースの声は、風に掻き消されてしまう。
「その声じゃ聞こえませんよ」とか「す、すみません」とかやり取りしている間にも、エクスはベチャ! ベチャ! の葉っぱ攻撃を受けており、「何でも良いから早くしてー!!!」と心の中で叫んでいた。
そんな時だった。
光りが瞬いたかと思うと、マーガレットにむかって雷が落ちて来たのだ。
「マーガレット!!」
リースの雷鳴に負けない程の声が、マーガレットの耳に飛び込んで来る。
マーガレットは風を操る魔法で雷を避けると、三人の目の前に降り立った。
「びっくりしたー。危ないとこだったよ」
「マーガレット……探したんですよ」
「そっか、ごめんね。
でも超楽しかったよ! 今度は皆もやろうよ!」
「はぁ……。もし雷に打たれていたら大変な事になってましたよ。
さあ、いいですからもう中に戻って下さい」
凶司に即されて、マーガレットは「ごめんなさーい」と謝罪しながらリースと校舎へ帰って行く。
マーガレットが解いた氷術から解放された扉を、凶司は静かに閉めた。
トラブルは解決された。
「おおーい! 前が葉っぱだらけで何も見えないんだけどー!
誰かいるー!?
というかもう動けないよー!?
だれかー! あのー!! 誰かたすけてー!!!」
葉っぱダルマとしたエクスを屋上に残して。
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