葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

魔道書はアレクサンドリアの夢を見るか

リアクション公開中!

魔道書はアレクサンドリアの夢を見るか

リアクション

第9章 再会



 契約者と多数の『虚無の手』との、全面激突が開始された。
 ……ただし、攻勢をかけると見せかけて、虚無の手を巧みに誘導し、手同士をぶつけ合わせるという狙いがその裏にあった。


 弥十郎は、巧みに闇黒四球を使って、虚無の手の狙いを同種の方へ向けさせていった。
「どれが、違う種類の手か分かるか?」
 八雲が訊くと、
「うーん、はっきりとは分からないけど、動くタイミングが他のより遅い手に狙いをつけているよ。
 もしかしたら、一瞬、どれに狙いを定めるのか迷ってるんじゃないかなって、思うんだよね」
 と答えた。
「なるほど……」



 ネーブルは禁杖を振るい、【アルティマ・トゥーレ】を放つ。
 禁杖に強化された氷冷の気が黒い靄を襲い、触手の形は砕け散る。
(力が飛び散ると……平行世界が増える、もとになるって……
 凍らせたら、少しはマシ…なのかな……?
 でも、実体はないから……本当に凍るもの…なのか、分からない……けど)
 霧散した靄は、再び集まって形を作る。
 その隙に、ネーブルはじりじりと動いて、狙いの角度を変えさせる。少しずつ、思いの方向におびき寄せ、別の手と鉢合わせさせるために。
 周囲を見回し、他の手の位置を確認しようとしたネーブルの視界に、荒涼とした地平を行く幻影の人影がぽつんと、映った。
 その小さく見えた後姿が、一瞬、ネーブルの遠い記憶を呼び起こす。まさか、と思い、目を凝らした時、視界に黒い巨大なものが落ちてきた。
「…!!」
 間一髪で地面に身を投げ出して躱す。起き上がった時、幻影はもうなかった。
 あたかも過去への追憶を嘲笑うように、地を打って攻撃を仕掛けてきた虚無の手を、ネーブルは凛然として睨め据えた。

「歴史は――この世界が矛盾っていうけれど、なら私はどう…かなぁ?
 私は、実在してるはずの人間だよ……?
 そして現状、ここに存在してる……
 なら、この世界は『新しく生まれた世界』と認識するのが正しい…んじゃないかなぁって……思うよ…?」

 背後に、別の手が迫ってきているのを、ネーブルは感じ取っていた。

 一瞬を見切り、ネーブルは再び地を転がるようにして、2つの手の間を素早く抜け出す。

 彼女の背後で、2つの黒い手同士が激しくぶつかった。



 虚無の手に対して、図書館を是正する強固な意志があることを示すことにより、「【非実存の境】にあるこの図書館が在る事もまた歴史の必然である」という認識にすり替える。
 それが最初、アルツールが狙っていたことだった。相手がやすやすとそれを受け入れるかどうかは分からなかったが……
 だが今は、「自分たちの奉じる歴史こそ絶対」とする理論に根拠を置いて行われた『虚無の手』の攻撃が「修正された歴史と元の歴史との対立」という自己矛盾を来して内部崩壊するのを味あわせることで、この襲撃が無為なものであると認識させようとしている。
(その理論崩壊の結果として、この世界の図書館が存在することが事実、歴史の必然だと受け入れてくれることを祈ろう)
 再びバハムートらを操って、虚無の手を挑発し、近くの別の手に注意を向かわせる。狙い通りに動かない時は『レメゲトン』の【ファイアストーム】、アスタロトのサンダーブラストで手の動きを阻害し、時間を稼ぐ。
「無茶をしないで!」
 それでも調整できずに、万が一間合いを詰められて身動きが取れなくなった時には、エヴァのいかづちをぶつけて一度散らす。どうせ靄が集まって再び形を取ることは分かっている。いわば仕切り直しだ。
 だが、背後から別の手が現れて、『レメゲトン』とアスタロトが挟まれる格好になった。
「!」
 同士討ちに持ち込むのが早いか、2人が危険なら散らすか……だがエヴァが構えるより早く、アスタロトが電撃を撒き散らした。辺りがフラッシュに浮かんで沈み、その瞬間2つの手の動きが止まった。
 一気に電撃を周囲に放った反動で、衰えた体に瞬間的な負荷がかかったアスタロトは、素早く2つの手の間から抜け出して身の安全を守らなくてはならないとは分かっていたが、すぐには体が動かなかった。地に膝をついて、周りにぼんやりと目をやった時。

――……!!

「!?」
 幻聴か――懐かしい名で呼ぶ声を聞いたように思い、ハッと振り返った。
 陽炎のような淡い人影が、こちらを向いて立っていた。
 それをもっとよく見ようと目を凝らした時、陽炎はゆらりと薄れ、アスタロトは『レメゲトン』に手を引かれて地を転がるように移動した。世界が一回転し、気が付くと2つの手の間から這い出していた。
(あれは……幻……?)
 『レメゲトン』の【ヒール】を受けながらぼんやりと見ているアスタロトの目の前で、互いを認識した2つの黒い触手はゆらりと頭をもたげ、何やら不穏な空気を醸し出していた。





 白毛を一瞬輝かせて、山犬が跳ぶ。

「白颯!」
「頑張ってー!!」
「飛んでーーーー!!」
 精一杯の大声に託した声援が、その後ろから飛んでいって追い越して行き、時空の亀裂に吸い込まれて消える。
「白颯ー! パレットーーー!!」
 背後から飛んできた、ひときわ高い声は、彼が知る最も心を寄せる人の声。
 自分を追い越して行ったその声を追って、その最後の残響の一片を追いかけて、白颯は宙を駆けた。
 そして、突入した。




――始まった……
 書龍の呟きに、傍に立っていた泰輔とフランツが目を地平に目をやると、今までとは違った光景が目に入ってきた。
 何か、黒い液状の生き物が暴れ悶えているかのように、黒い触手同士がぶつかり合い、潰し合っていた。
 あとは、これが短期で決着するのを祈るばかりだ……
――ぬ……?
 書龍が何かに気付いたかのように、わずかに頭をもたげた。
「何?」
――何か……近付いている……?




 わずかに、風が吹いていた。
 黒いフードをかぶった人影は、地平を見ていた。
 突然、自分の立つ塔の上の屋根が微かに震動したのに気付きハッと振り返る。
 そこにいたのは、白毛を輝かせる一頭の山犬。
 そして、その口に咥えられた1冊の、表紙のない本……

『俺だ、忘れたか、「万象の諱」』
 本から聞こえた声に、フードの人物……見た目は若い青年のようだが……瞠目した。
「何故、俺の名を……!?」
『本当に忘れたのか……?』
 白颯は、本を離して足元に置いた。
『俺がいる限り、お前の力は無効化されることも?』
 表紙のない本は、ひとりでにぱらぱらとめくれる。中のページを青年に見せるように。

 青年はそれをじっと見ていた。
『……俺は忘れたことなかったよ……俺の「半身」』

 青年はハッとした表情で、片手でこめかみを押さえた。

「――秘文『還無の扉』」



「……あぁよかった。全く忘れ去られてたわけじゃなかった」
 パレットは人型に変わった。狭い塔の上は、2人と、パレットの足元で出来るだけ体を小さくしてうずくまる白颯とでキャパは一杯だ。
「何て言ったらいいか……久しぶりっていうのも、久しぶりすぎるし」
 パレットは少し苦笑した。
 青年の姿に代わってはいたが、目の前の人物が『万象の諱』であることは、パレットには間違えようのないことだった。
「俺は……」
 青年――『万象の諱』は、言葉に詰まったようにそこで声を止めてしまった。
「もしかして、俺に会いたくなかった?」
「『還無』……」
「俺は君の力を制限するための存在だからね」
「違う。俺は……」
 『万象の諱』は、真っ直ぐにパレットを見た。
「俺は……一度燃やされて、この世から消えて……」

「この【非現実の境】で甦った時、君の存在が記憶から抜け落ちていた」

「でも、ずっと何か引っかかっていた。何かを忘れているような……気になって、頭の中に靄がかかったようになっていた」

「俺はずっと、自分が世界を破壊する力のためだけに生まれた凶書なのだと思っていた」


「でも、そうだった……君がいたんだ。『万物の安全弁』としての、君が」



「……『万象』。俺と一緒に行こう」
 パレットは手を差し伸べた。
「この図書館のために、自分を投げ出そうとしているのかもしれないけど、そんな必要はないし、君がその力を使えば俺が打ち消さざるを得ない。
 俺はもうここにいるんだから。
 でも、俺が来た所には信頼できる人がいる。その人たちがここに来て、この図書館のために力を尽くしてくれている。
 君がこの図書館に負い目を感じることはもうないんだ。だから」

「――いや」
 突然、『万象の諱』は、強い声を発して遮った。パレットはハッと彼を見た。
「君を思い出し、俺がもう自分を囮にする意味はないことは理解した。けど……

 聞いてもらわなきゃならない。『還無』、今の俺について――」



 突然、火が付いたように白颯が吠えだして、2人の会話は中断された。
「!」
 2人の頭上に、黒い影が――『虚無の手』が迫っていた。
 ハッとして、息を飲んだ瞬間……しかし、それは、弾けるように空に掻き消えたのだった。