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【真相に至る深層】――前奏

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【真相に至る深層】――前奏

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1:序――それぞれの場所にて



 ポセイドンと呼ばれたその海中の古代都市が滅んでから、時を隔てること、一万と数百年。

 言葉にすると途方もないその歳月の先の、けれど地続きな時代の片隅で、ドクター・ハデス(どくたー・はです)はがばりと飛び起きると、額に滲んだ汗を拭って周囲を見回し、ふう、と溜息を吐き出した。
「むう、あの海底都市の夢は、一体何だったのだ……」
 海の中に存在する不思議な都市と、そこへ住む女性。そんな奇妙な夢を見るようになってから、数日が経つ。段々その頻度と、鮮やかさを増していくその夢に、ハデスは首を捻った。
 何故そんな夢を見るようになったのか。そしてその夢は何を意味しているのか。夢の最後に訪れるその死は……と、科学者らしい横顔で深く思考を巡らせて暫く。
「ククク、分かったぞ!」
 ハデスは何時もの叫び、何時もの笑みでギラリと眼鏡を光らせた。
「あの夢こそ、我が秘密結社オリュンポスを見守りし偉大なる魂(グレートソウル)がこの俺に見せている過去の出来事! 海底都市ポセイドンにおける、秘密結社オリュンポスの活動記録なのだ!」
 思慮深い横顔はなんだったのか。そんなツッコミを入れる人間は残念ながらその場には居ないようだった。止める者がなければハデスの口上は延々と続き、「よし、というわけで」と本人の中で何かの決着がついたらしく、腕を組むと自らの部下達に向かって振り返り、堂々と宣言した。
「海底都市ポセイドンに向かい、かつての秘密結社オリュンポスの活動記録を調査するぞ!」
 その言葉に天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)は慇懃に頭を下げて見せたが、アルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)が十六凪に向ける目は、強い不安と疑いに満ちている。そんな部下達の微妙な空気に気付いても居ない様子で、ハデスは「世界征服に有用な物があるかもしれん! ククク……」と一人満悦に浸っていたが、ここでひとつ、重要なことに気がついた。
「……ところで、トゥーゲドアとはどこにあるのだ?」




 同じ頃、都市のあった場所からも遠く離れたシャンバラの大地で、積み重なった書類から顔あげた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は、先程まではっきりと映っていた光景と現実の光景とが噛みあわず、思わず目を瞬いた。
「……夢か。いつの間に寝入っちまってたんだ?」
 数度首をふった所で、ようやく現実感が帰ってくる。そのぐらい、妙にリアリティに溢れた夢だった。穏やかな日々、隣にいる誰か、そして最後に飲み込むような恐ろしい感覚――……
 喉元に奇妙な息苦しさを感じて、唯斗は誤魔化すようにぺらりと手元の書類を眺めた。そこに書かれている報告書にあるのは、ここ最近でささやかながら流れている噂だ。奇妙な都市の夢を見る、というその内容はまさに、今自分が見たそれのことで、恐らく間違いないだろう。
「しかも出所はエリュシオンね……エリュシオン……と」
 呟きながら、唯斗は遠い国の相手に向かって、ぽちぽち、とメールを打った。自分の見た夢のこと、そしてその噂の真相について。それにささやかな世間話を交えたそのメールの送信先――キリアナ・マクシモーヴァからは、すぐに『ウチは夢はみてへんけど、噂は聞いとります』と返信があった。
『こちらでは、調査に向かう筈やった方々が、不調を訴えているそうです。なんや、調査に向かう筈やった魔導師さまの中に、不吉な夢や言うて近寄るのを恐れてる方もいはるとかで、調査がシャンバラの方々に委任される形になったみたいですね……アーグラ団長は、そちらの大尉はんに、何かお願いはしてはるみたいでしたけど』
 そんな幾つかのやり取りで、シャンバラの調査団の詳細や連絡先やらを訊ねつつ、軽くお互いの近況などをやり取りした後、さて、と唯斗は先程までほんの少し浮かんでいた笑みを苦笑へ変えると、面倒くさそうな手つきで、端に寄せていた書類をめくった。気になった以上は動くつもりではいるが、それより先に積み重なる書類仕事が、目の前に山積である。

「……しゃーない、合流するために、こいつを片してしまうとしますかね……」




 唯斗がそんな呟きを漏らしていた頃。
「まったく、世話の焼ける」
 差し込む日差しに幾らかの温かみがやって来始めた季節の中、こちらもまたそんな長閑さに似合わない溜息と共にブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は呟いた。
 その手にあるのは膝掛けだ。どうせソファで微睡んでいるだろうパートナーに掛けてやろうと、取りに行った帰りなのである。あんな所で寝ては風邪を引くだろうに、という呆れと共に、この所妙な夢を見続けていると言うから、寝不足になっているのではないか、と言う心配も胸を過ぎる。
 もしかしたら今もその中にいるのかもしれない、とそんなことを考えながら、ブルーズはふと近くの窓を見やった。日差しは暖かくとも、景色の中にはまだ、寒々しさが見える。何故だか妙な寒気が体を這うような感覚に、ブルーズは思わず眉間にしわを寄せた。
「…………夢、か」
 小さな呟きは、風に微かに震える窓の小さな音にかき消されたのだった。