葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

2024春のSSシナリオ

リアクション公開中!

2024春のSSシナリオ

リアクション

 (シナリオから見ると)ちょっとだけ未来の、日常の話――4月某日

「眠ってしまったようですわね」
「この位の時間が昼寝するには一番気持ちがいいのよね。大人もそうだけど、暖かいし」
「ソファの所為という気がしないでもないですけれど。それにしても、可愛らしい寝顔ですわね」
 ファーシー・ラドレクト(ふぁーしー・らどれくと)が空京の別宅を訪れたのは、15時を半分程過ぎた頃、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)御神楽 環菜(みかぐら・かんな)がそんな話をしている時だった。
「こんにちは! あ、陽菜ちゃん寝ちゃったのね。お話したかったけど……仕方ないか」
 迎えに出た御神楽 陽太(みかぐら・ようた)の後ろから入ってきたファーシーは、少し残念そうにしてからシックなデザインの紙袋を掲げた。
「お茶菓子を買ってきたの。一緒に食べない?」

「今日は、1人で来たんですか?」
 それぞれのカップに紅茶を注ぎながら、陽太はソファに落ち着いたファーシーに訊ねた。子連れでないのは、何となく珍しい気がしたのだ。
「うん。お仕事で来たから。イディアはアクアさん達が見てくれてるわ」
 そう答えると、彼女は応接セットのソファとはまた別に置かれた、通称『人を脱力させるソファ』に座った環菜母子に目を向ける。環菜は脱力せずに無事であり、母子共にソファに陥落するのは防げたようだ。
「あ、このぬいぐるみ……」
「エリシアが出産祝いにとくれたのよ」
「気に入ったみたいで、いつも抱っこして寝てるんです」
 環菜達と共に在るぬいぐるみに気付いたファーシーに、夫婦は言う。
「夜泣きが減ってくれて助かったわ。可愛いんだけど、この子が生まれてから生活リズムが滅茶苦茶なのよね」
「皆で夜中に大騒ぎなんですよ。泣き止ませるのって難しいですよね」
「? ……何か陽太さん達、言ってることと表情が合ってないわよ?」
 明らかに嬉しそうな表情の2人にファーシーは軽く首を傾げる。環菜と陽太は、楽しそうに話をした。
「大変なんだけど、まあ悪くはないわよね。育児ノイローゼとかいう言葉もよく聞くけど……皆で協力してるからかしら。今の所は、そういうこともないし」
「ファーシーさんはイディアちゃんが生まれた頃とかってどうでしたか? 先輩として、子育ての話とかも聞きたいですね」
「そうねー、色々あったけど……イディアは機晶姫だし、参考になるかな? 赤ちゃんにしては大人しかったし、言葉を覚えるのも早かった方だと思うのよね。喋れなかったけど……わたしの言っていることは解ってたっぽいし。これも機晶姫だからだと思うんだけど……多分、記録してたのよね、あれは」
 そうして、ファーシーは子供が生まれてから間もなくのことをあれこれと話し始めた。話している内に当時の事を思い出したのか、段々と饒舌になっていく。
「……でも、やっぱり一番嬉しいのは、出来なかったことが出来るようになった時よね。大きくなったっていう気がするから」
「あっ、それは本当にそう思います。2ヶ月の間に、陽菜も色々と成長してるんですよ。手の動きも多彩になってきて……」
 手を開いたり握ったり、ガラガラ等のおもちゃもぎゅっと握れるようになった。すぐに落としはするが、瞬時に握り直したりして、そんなささやかな変化が、陽太には嬉しい。
 娘について話していると、つい、嬉しさで顔が綻んでしまう。
「もう、陽太さんのお母さんとかには見せてるの? お孫さんの顔」
「えっ、母さんですか? それが……メールで写真は送ったんですけど……」
「まだ、直接は会ってないのよ」
「新幹線に乗って地球へ帰って、電車に乗って……というだけでも陽菜にとってはまだ長旅ですから。この時期にストレスをかけるのも良くないかな……と。母さんも、孫は父さんと2人で見に来たいというので、今は父さんの予定と調整しているところなんです」
 ファーシーに夫婦でそう答えると、陽太の話を聞いてエリシアが面白そうにニヤっと笑う。
「陽太は、早く栞に見せたくてたまらないみたいですわよ」
「栞? ……ああ、お母さんね」
「ええ。前に栞がパラミタに来たことがあったんですけど、その時の浮かれ具合がもう、本当に絵に描いたようでした。ファーシーにも見せたかったですわ」
「え、あ、あの、エリシア、いきなり何を……」
 突然暴露話を始めたエリシアに、紅茶を飲んでむせかけた陽太は慌てて彼女を止めようとする。しかし、影野母子の話は更に続く。
「良い意味で、とても仲の良い親子なんですの。栞が帰ってからはとてもしょんぼりしていたそうですわ。あ、これは後から環菜に聞いたので見てはいませんけれど」
「! か、環菜、話したんですか!?」
「まあ良いじゃない。世間話よ」
「せ、世間話……」
 明らかにからかい口調のエリシアに加え、環菜もさらりとそんなことを言い、陽太はちょっとばかり愕然とした。環菜も面白がっているらしい。
「でも、もう2ヶ月経つし、私もそろそろ見てほしいわね。やっぱり、写真だけじゃね……」
 気持ち良さそうな寝息を立てる愛娘を、環菜は笑みを収めて見下ろした。そこで、そうかあ……と、ファーシーがしみじみと言う。
「もう2ヶ月かあ……早いわね」
「もうそろそろ首がすわる頃かしら。何だか、ここまであっという間だった気がするわ。校長をやっていた時より、早いくらい」
 おかしなものね、と環菜は言った。
「あの頃よりも、時間にも心にも余裕がある筈なのにね」
「環菜さん、蒼空学園にいた頃はいつも携帯持ってたわよね。パークスに行った時もそうだったし……忙しそうだったわ。ルミーナがいたから通話に困ることもなかったっていうのもあるんだろうけど」
「2人も陽太もその頃から親しかったのですわよね。ファーシーが銅板に宿っていたというのは、以前に聞きましたけど……」
 環菜と出会った頃の事を思い返すファーシーに、そういえば、とエリシアが言う。銅板に宿って、その状態でしゃべって、それが何故か今のファーシーになったとは知っているが、何がどうなってそうなったのか、は殆ど知らない。というよりも、彼女にはツァンダの病院で、環菜が入院していた時に会ったのだからそれ以前の事は概要でしか知らないのだ。
 所謂、『これまでのお話』というやつである。
 アクア・ベリル(あくあ・べりる)と彼女が再会し、和解するまでの話はあの時に聞いたが、しゃべる銅板が機晶姫にまでなる、という不思議な現象がどんな方法で為されたかはまだ理解していない。
 当時、彼女達が何を感じ、何を思っていたのかも。
「銅板とは、どういったものだったのです? 確か、鍋になりかけたと言っていましたよね」
「あ、見る? わたしの胸の中にあるんだけど……」
 エリシアの問いに、ファーシーは常に持ち歩いているらしいやけに古ぼけた工具を取り出した。そしておもむろにシャツのボタンをぷちぷちと外す。
「いいですいいです!」
 それを見て、陽太が慌ててストップをかけた。どうにも、ファーシーはメンテナンスをする時と同じ感覚でいるらしい。
「こんな所で開いて、元に戻らなくなっても直す人がいませんし……」
「そう? わたしも最近は、ちゃんと上手に分解とか出来るようになったのよ」
 今思うと、結構とんでもないことしてたわよね、とファーシーは笑う。だが、何とか胸部を開くのは思いとどまってくれたようで陽太はほっと息を吐く。
「銅板より更に前は、しゃべる機晶石だったのよ」
 工具を仕舞い、自分の持ってきた焼菓子を食べながら少し自慢気に彼女は言う。
「しゃべる機晶石……ですか? それはまた、珍しい状態だったのですわね……」
「すごいでしょ? すごかったのよ、わたし!」
 これも今思うと、だけど! と、ファーシーは照れも混じらせながら話を始めた。環菜と陽太も、その時々で解説を入れる。当事者達から話を聞くというのは、『これまでのお話』とは趣きが違う。エリシアは、3人の話を興味深く聞き入った。
 故郷にあった建物を魔力で動かして、ツァンダを目指した事、ルミーナを通して助けを求めた事、環菜に初めて会った時の事、また、その直後には消えるつもりだった事――
 鍋になるかもしれなかった時の事から故郷での結婚式の事まで。
 その時の相手であるイディアの父でもある男性の過去についてはあまり語らなかったが、 それはそこそこに長い、話になった。

「じゃあね、ここに来るのはもう最後かな。もう1回くらい来れそうだけど……来月にはツァンダに戻るのよね?」
「はい。工事も終わりますし、陽菜専用の小型結界装置も用意していますから。ツァンダでも安全に暮らせるようになります」
 空が朱く染まり始め、ファーシーは紅茶のお代わりを飲み切って帰り支度を始めた。その彼女に、陽太は娘用に改造を施したアクセサリー型超軽量の結界装置を見せる。
「わ、可愛いわね! そうね、それなら外にも出られるし……」
「将来は蒼空学園にも通えると思います。のびのびと学んで欲しいですね」
 子煩悩ななんとも弛緩した笑みで、陽太は言う。それを聞いて、環菜とエリシアも陽菜の数年後を予想したようだ。
「そのうち、誰かと契約して装置がいらなくなる時が来るかもしれないわね」
「……契約者の道を歩んだ場合、どんなパートナーと契約するのでしょうね。何にせよ、これからが楽しみですわね」
「学校ではイディアちゃんの後輩になるかもしれません。よろしくお願いします」
「……うん! その時はよろしくね!」
 思い切り明るい笑顔を浮かべ、ファーシーはそして帰って行った。
 彼女を見送りながら、陽太は思う。
 愛する妻と2人で愛娘を育てたり、こんな風に友人とも楽しく過ごせる日常が、本当に幸せだと。
 この幸せの中で、予感する。きっと、この先は――もう何かの事件などは起きない、穏やかな毎日が待っているのだろう。
「さ、夕食を作りましょう、陽太」
「そうですね。今日は何にしますか?」
 夫婦はそう話しつつ、テーブルのティーセットを片付ける。その時、目を覚ました陽菜を抱いてテレビをつけたエリシアが「あら?」と言った。何かあったのかと注目したその画面には、海京で交通安全のキャンペーンが始まったというニュースをやっていた。ネコ耳をつけて婦人警官の制服を着た――よく知った2人が笑顔で交通安全をアピールしている。
「平和ですね、今日も」
「ええ、平和ね。……この2人がどうかは分からないけど」
 環菜はそう言って、キッチンへと入っていく。
 陽太もまた、それに続いた。