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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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第1章 森の奥で


 高空の孤島、パクセルム島。
 激しい剣戟の音、ぶつかり合う魔法の力が空気を切り裂く轟音すら、島の上を走ってもその森閑とした空気の果てにいつしか消えていく。
 凛とした木立の並びの中に静けさが漂う、森林の中にも――


「……今、何か落ちる音が聞こえた?」
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)が、目の前に展開する戦闘から視線を逸らし、背後のこんもりと高い山肌を覆う森を振り返った。
(あの森の方から、何か衝突したみたいな音)
 目くばせの合図で呼び出され、一緒に戦場を離れたアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は、内心ちょっと首を傾げざるをえなかった。さゆみが音を聞いた時、2人はコクビャクと守護天使・空京警察連合軍が衝突する戦線にいる。怒号や、武器と武器がぶつかり合う音などが響き渡る中で、森の方からそのような衝撃音が聞こえてくるものだろうか。聞けるものだろうか。
 彼女たちの周囲にいた戦士たちは、敵も味方も誰も皆、繰り広げられる戦いや、いつどこから現れるやもしれぬ伏兵の警戒に没頭し、森に注意を払っている者などいなかった。また、その時も今も、見たところ森に何か異変を示す兆候は見えない。
 しかし、さゆみは森の様子を怪訝がりながらも、音がしたということ自体は疑っていない様子だった。確かに戦場には殺伐とした音が溢れている。だが、明らかにそれらとは違う音――いわば「不協和音」が耳に届いたのだとさゆみは言う。彼女には音楽活動を支える強力な絶対音感が備わっている。――ただ、こういう風に使うものなのかどうかは知らないが。
「戦線が展開する島だもの、見えない場所で何があるか分からないわ」
 一度音がしただけで後は静まり返っている森。
 変にこだわり過ぎるのはおかしいかもしれないと自分でも思う。けれどもし、その「墜落した何か」が敵の増援であったりした場合は厄介なことになるのではないか。戦いが展開されるこの地では考えられなくはない話だ。少なくともそれをどうにかしなければならない、そう判断したのだった。
「だから、それを確認しに行こうと思うの」
 さゆみはアデリーヌに話した。
「……森のどこから聞こえたのかしら?」
 アデリーヌが尋ねると、さゆみは一瞬考えるように口ごもり「……あの辺り?」と疑問形で曖昧な方向を指差した。
「……。じゃあ、一緒に行きましょう」
 曖昧なのが気になったが、アデリーヌは取り敢えず頷いてさゆみに手を差し伸べた。
 ……この深そうな森の中を、一度だけ聞こえた音を頼りに、何者かもよく分からないものを捜すというのはかなりの無茶ブリという気もしなくもないが、さゆみの懸念したようなことも確かに、この状況では起こらないとは言いきれない。
 では森を行くのに何が心配かといえば、その音の正体の得体の知れなさもあるが、何よりさゆみの『絶望的な方向音痴』がある。森の中など、一人で好き勝手に歩かせようものなら、いつになったら森の外へ戻ってこられるか分からない。永久に彷徨い歩くことになりかねないだろうとすら、アデリーヌは本気で案じている。
「手を放さないでね」
 そんな風に言われるとまるで母親に注意される子供のようで、一瞬複雑なものを覚えぬでもないが、彼女の心配は当然のものでもあるし、さゆみは素直にその手を取る。
 アデリーヌは頷いて、先に立って森の中へと進んでいく。

 少女2人、緑の森へ――その文字だけなら、何かのどかで微笑ましい風景を連想させるものかもしれない。
 しかし、出発する2人の背後に広がるのは、紛れもなく戦場なのである。



 戦場の怒号と剣戟と衝撃音、それらが響き渡る戦線の大地に向かう途中で、森へと進路を変えた物は他にもいた。

(『黒白の灰』……)
 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、連合軍の陣営を出て戦場へと向かう間、つらつらと考えていた。
 それは、コクビャク最大の武器である『黒白の灰』……非魔族に魔族の原本能を植え付けるという謎の粉。
 コクビャクと戦い続けてきたこの島の守護天使の戦士たちの中には、この粉を浴びたことで体質変化を起こしてコクビャクに下り、結果操られて敵として故郷のこの島に刃を向けている者がいる。それが、コクビャクと戦う守護天使たちの心を痛めさせている。
 灰の効用に対抗する策を考えることは、無意味ではないと思われた。
(魔族の原本能というものが本当にあるのなら……)
(……改良前の、オリジナルの……)
(…………残るものが……)
 ――そしてそれらの思考のあれこれは、佐々木 八雲(ささき・やくも)に【精神感応】で漏れ聞こえているのだった。
(何というか……相変わらず恐ろしいことを考える……)

 その時、2人の視界を掠めて何かが飛んできて、戦場から離れた山近くの森へと落ちたのだった。

「あれは……?」
 遠くだったので、それが何か分からなかった。
 何か起こるのではないかと、気を引き締めながらそちらに意識を凝らしてしばらく待ってもみたが、森からも山からも、何かが異変が出てくる様子はなかった。
「兄さん、何なんだろうね」
「分からんな……警察も自警団も気付いていないのかな」
 森から何も出てこないが、誰かが森に向かう様子もない。行ってみよう、何か戦局に関わるものだといけないから、と、2人はそっちに足を向けた。

 そして、森にかなり近づいたところで2人は、何かが森から飛び出していくのを見た。

 その人影は、少し離れていたからだろうか、2人には気付かず、真っ直ぐに戦場へ向かって駆けていった。
「……あれ、何だろう……まさか、コクビャク……?」
「どうだろうな。しかし、例え敵の援軍だとして、たった一人でどうするんだ……?」
「それにしてもすごい勢いだったねぇ。ほとんど殺気立ってたよ」
「工作員的な立場の奴かもしれないな。念のため、戻ってくるかどうかしばらく待とう」
 2人は身を潜めてしばらくじっと、その人物が疾風のように駆け去った跡に目を凝らしていたが、戻ってくる様子はなかった。
「来ないようだな。じゃあ、行くか」
「あの人が出て来た場所から、跡を辿ってみようか」
「そうだな。さすがにもうさっきのは戻ってこないと思うが、充分に気を付けて行こう」
 2人は森に入っていった。



 森に落ちた何かに気付いた者は他にもいた。
「何があったんだろうな……」
 どう見ても何かが墜落したのに、続くアクションがどこからも起こらないのはやはり、誰が見てもおかしかった。千返 かつみ(ちがえ・かつみ)も、静まり返る森を前に首を捻っていた。
「落ちた何かにもし誰かがいたら、怪我人が出ている可能性もあるな」
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)も、かつみに倣うように、視線を森へと向けて懸念げな表情を浮かべる。
「いるとしたら森の中で動けなくなって、助けも呼べない状態なのかな……」
「だとしたら、早く助けてあげないといけないですね」
 千返 ナオ(ちがえ・なお)も心配そうに呟いた。

 3人もまた、森に落ちた何かを捜して、森閑とした木々の連なりの奥へと姿を消した。