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リアクション
その夏、日本のお中元カタログに製菓会社・株式会社P&Tの主力商品・カエルパイが姿を見せ始めた頃、立役者の橘 舞(たちばな・まい)は地球からパラミタのヴァイシャリーに旅立っていた。
今度で何度目だろうか、忘れてしまった。舞は今、パラミタ地球間を忙しくしていた。
P&Tとは、パウエル&タチバナ――つまり橘舞とパートナーブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の苗字から取られており、パウエル家とブリジットの家のあるヴァイシャリーと、舞の実家のある地球を中心に活動しているからである。
舞はヴァイシャリーに到着すると、真っ直ぐにブリジットの新宅に向かった。
……そう、ブリジットは卒業と起業を契機に実家を出て、近くに家を買ったのだった。そして、ここには舞の部屋もある。尤も、年の半分は地球暮らしだったが。
この家は高級住宅街の近くで、治安も良くけれど気取ってない、住みやすい地区にあった。ご近所トラブルもない。
(……というか、ブリジットが起こす方かもしれませんね)
舞はくすりと笑うと、隣の家を見上げた。ヴァイシャリーにエリュシオンの建築様式を取り入れた建物は周囲から若干浮いている。今日も静かで特別トラブルも起こっていないようだ。
「ただいま、ブリジット」
「お帰り、舞」
ブリジットは舞を出迎えると、また近くの椅子に腰を下ろした。いつものことと特別舞に興味を示さなかったが、舞の部屋はいつでも綺麗に掃除されていた。
「お隣さんの訪問に間に合ったようで良かったです」
舞は自室に荷物を置くと、旅装から普段着のドレスに着替えた。それは仕事の時とも違うラインのドレス――そして、かつてよく着ていたドレスによく似たものだった。袖を通すと懐かしい気分になる。大して昔のことではないのに学生時代を思い出す。
準備を整えて応接室に降りていくと、丁度その「お隣さん」が、扉から姿を見せたところだった。
「ごきげんよう、ブリジットさん、舞さん」
にこやかに、相変わらず自信ありげに微笑んで立っていたのは、前白百合会会長アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)だった。
――そう、何の偶然かブリジットのお隣さんはアナスタシアだったのである。
「お茶にお呼ばれ頂いて嬉しいですわ」
「私もです。 気楽にお茶が飲める友達が増えてというか減らなくて嬉しいです。あ、今お茶を淹れますね」
舞は自分の家のように、昔のようにキッチンに引っ込むとトレイにティーポットと三人分のティーカップを乗せて戻ってきた。
「ふふ、ちっとも変わりませんのね、カップを置く姿」
「そうですか? 立場上、使用人の方にさせてしまうこともあって……前より鈍っていないといいんですけどね。最近は仕事がらみの方とのお茶が増えてきて……やっぱり気を遣うというか……」
舞は最後に自分のカップに琥珀色の液体を注いでから、ブリジットの隣に腰を下ろす。その横顔に小さな社会人の苦悩。
「だからアナスタシアさんとお茶を飲んでいると、なんだかほっとしますね」
舞の言葉に嬉しそうに微笑むアナスタシアに、ブリジットがすかさず冷や水を浴びせるようなことを言う。
「アナスタシアったら、卒業しても殆ど変わらないわよね」
「そういうブリジットさんこそ変わりませんわ。……舞さん、聞いてくださらない? 舞さんがいない時も、特に用もないのに私の事務所を訪ねて来ますのよ。
大体、どうして家が隣なんですの?」
「家を買ったらたまたま隣に住んでたってだけじゃない。まぁ、それはいいとして、アナスタシアが小説家? 文才の有無はともかく、道に迷って逆に探されるヘボ探偵ぶりじゃ推理小説とか……」
テーブルを挟んで軽く言葉でつつき合う二人を見て、舞は何となく自分がいない間の出来事を理解した。
「そういえば、ブリジットがアドバイス? してるみたいでしたね」
「『アドバイス?』じゃないわよ、アドバイス」
言い直すブリジットに舞は付け加える。
「……ふふ、学生時代にはブリジットと百合園女学院推理研究会を立ち上げて、結構大きな事件にも何件か関わりましたね。その経験は本物ですから、参考にはなるかもしれません」
ブリジットはふふん、と得意げな顔になると、何とも言えない表情のアナスタシアに、
「ここは、学生時代名探偵と呼ばれたこの私が関わってきた難事件(自慢話:脚色有り)を参考として聞かせてあげるわ。
ああ、心配しないで。別に私を主人公のモデルにしたり私が解決した事件を元ネタ執筆したからと言って、原稿料の何割寄越せとかセコいことは言わないから。むしろ、私がアドバイスしたのに、凡作書くとか許さない」
「……えぇと、ブリジットさん?」
「いや、待って……。監修:私。やだ、完璧じゃない、死角なし。やっぱり、迷探偵には相棒と宿命のライバルは必須よね」
「ブリジットが名探偵だったかは少々疑義のある部分ですけど……推理間違ってても、誤差の範囲よ、で済ませてましたからね」
ブリジットは舞の言葉は聞き流して、腕を組むとどんな話をしてやろうか、と学生時代の事件を思い出す。
その二人の様子はちっとも変ってなくて。
アナスタシアは少し安心しつつ、わざと呆れたように肩をすくめた。
「もう……舞さん、ブリジットさんたら会うたびにこんな調子ですのよ。……それで今日は、舞さんがいらっしゃると伺ったから、これを持ってきましたの」
ドクターズバッグからアナスタシアが取りだしたのは、打ち出された原稿の束だった。
「探偵に向いていない、とブリジットさんに言われてしまって。皆さんとも違う道を進んで……卒業してからも、あれこれ事件に関わりましたわ。本当の謎は人の心ですわね」
実際のところ、どうでもいい事件やどうでもよくない事件を解決したり本物の探偵や警察の捜査を引っ掻き回しつつ、小説を執筆して僅かなお金を貰っているという状況だった。
また、昔サロンを主催していたように、エリュシオン貴族の娘で百合園の元生徒会長という肩書を活用し、エリュシオンの学生を百合園に斡旋したり世話をしたり、その逆にエリュシオンへの留学のアドバイスをするなど、両国の交流を意識的に行っている。
アナスタシアは首を傾げて頬をうっすら赤くしながら、
「先日、初めて出版の打診を頂きましたの。これはその草稿で……読んでくださるかしら?」
舞が手に取るより早く、ブリジットがそれを浚って言って、目を通し始める。舞はその横から原稿を覗きつつ、
「執筆、頑張ってくださいね。完成したらぜひ読ませてください。
あ、でも、根を詰め過ぎると身体に毒ですから、また一緒に淹れたてのハーブティーを頂きましょうね」
「舞さん……ありがとうございますわ!」
不安なアナスタシアにとって、穏やかに微笑む舞は天使のように見えたのだろう。素直に感激するアナスタシア。
そこにブリジットがまたアドバイスを始める。
「ちょっと待って、この設定変よ、アナスタシア。被害者の職業が警官だとここに矛盾があるわ。そうね、私が解決したあの事件の時も――」
――そんな風にして、ブリジットたちの穏やかな夏の日が過ぎていく。