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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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リアクション


●闘争

 刀真は自分にのしかかっている怪物を見た。
 いや実際は怪物ではない。大柄だが、それは少女だった。真っ黒な髪を伸ばし放題にし、らんらんと輝く二つの目を持っている。チョコレート色のつややかな肌をしていた。素直に髪をとかし、笑っていたら美人と言えたかもしれない。
 だが今は、怪物だ。そう呼ぶほかない。クランジρ(ロー)……。
 彼女は信じられないほどの怪力で、両手を使って刀真の首を締め上げている。
 ――体が動かない。
 これまでの疲労、手傷が思い返された。
 ――終わったな。
 不思議と、安らぐような気持ちがあった。これで楽になれるかもしれない。
 されど刀真の『終わり』は訪れなかった。そればかりか息苦しさが消えている。
「なんだこれは!」
 身を起こした刀真は信じがたいものを目にした。
 月夜が立っている。彼から数メートルの距離で。一人きりで。
 ローはどこへ行ったのか、それにクランジπ(パイ)もいたはずだ。
 しかしその月夜は刀真の姿を認めると、糸の切れた操り人形のように前のめりに倒れた。

 わずかに時間をさかのぼる。
 放り投げられ背中から窓を突き破った刀真は、硝子片を浴びながら通路に叩きつけられた。
 すぐにローがこれを追い、彼に飛びかかって首を絞めはじめた。
「刀真!」
 月夜もパイによって部屋の隅まで飛ばされたがすぐに窓枠を乗り越え、刀真の元に参じた。
 ――このままじゃ刀真は死ぬ。それも、すぐに。
 すでに月夜の頭にパイの存在はなかった。刀真を自力で助け出せるという自信もなかった。
 だから彼女は、『献身』のスキルを発動した。ローと刀真を淡い光で包む。包まれている間、刀真が受ける肉体的ダメージはすべて、月夜の身に降りかかることになる。
「もう一人のクランジをお願い! 救援も呼んで!」
 月夜は『献身』に集中しているため白花の位置が判らない。大声でそれだけ告げて全力をスキルに投じた。
「いけません月夜さん! それではあなたの命が……」
 ああっ、と叫んで白花は反射的に耳を覆った。ソニックスクリームだ。彼女は、パイが口から発する超音波を浴びて吹き飛ばされた。
 頭が引き裂かれそうな高音だった。その破壊力は、音がなしえるものとしては最強の部類だろう。パイの超音波は広範囲に向かって放たれていた。その対象は白花のみになく、月夜も含まれている。
「人間なんて虫けら……虫けらと同じように潰す!」
 パイもまた、割れた窓枠を乗り越えて着地していた。
「月夜さん……」
 両腕で必死で上半身を起こし、白花は立ち上がった。月夜を止めなければ……。
 ローの攻撃を肩代わりし、ソニックスクリームを浴びせられてなお、月夜は立っていた。すでに月夜は紙よりも白い顔色となり、震える両足でよろめく体を必死に支えている。この距離からでも十分わかる。もう彼女の生命の灯は消えようとしている。
 このとき起こった事実は、白花すら己の目を疑うほどのものがあった。
 ぎゃあっ、とローが悲鳴をあげた。
 ローの体は元いた場所から、わずか一秒で廊下の反対側まで飛ばされていた。
 パイも、突如出現したものを見上げ呆然としている。
「そんな……こんな……もの……」
 パイの目は、驚愕で大きく見開かれていた。
「まだ…………あった、なんて」
 信じられないものを見た。
 信じられないものは、まだ彼女の目の前にある。
 巨大な鋼鉄の顔。巨大な腕。人を模して作られた鋼鉄の戦士……サロゲート・エイコーン。またの名をイコン。
 クェイルと呼ばれる機体だ。通常機ではなくかなりのカスタマイズがされているが、それは強化のためというよりは、足りない部品を他のもので代用したためと思われた。
 かつて、イコンは戦争で使われた兵器であった。しかしクランジ戦争の結果、そのすべてが解体され、技術は封印され、この世から消え失せたはずのものだった。
「こんなもの隠して保管してたのはあんたらのほうだろう?」
 拡声マイクから柚木桂輔の声がする。彼は今、クェイルのコクピットにいた。
「浄水場の地下さ。いやぁ、これ、中途半端な保存状態だったんで使えるようになるまでずいぶん頑張ったよ。ま、そこが俺の腕の見せ所だったんだけどねぇ。……たとえば腕のサスペンション、あれデリケートな部分なのにメンテもせず放っておいたせいで錆びてて……」
「マスター。つまらないウンチクは結構です」
 副座からアルマ・ライラックが、有無を言わせぬ口調で告げた。
「つまらないってのはないだろ。そもそも、こいつが間に合ったおかげでカルテットのメンバーは全員エデンまで来れたんだし」
「いいですか? 今は、そんなことにこだわっている場合じゃないんです。ほら! あのクランジ、起き上がりましたよ」
「うひゃ!」
 ローが起き上がるのを見て、桂輔は目を輝かせていた。
「そうだそうだそうだった! あの子はロー、それでもってあっちはパイ! やった、銘入りクランジが二人も!」
「なにを盛り上がってるんですか……それはそうとこのイコン、ここまで飛ばすのがせいぜいでしたよね」
「そういうこと! 下りてじかにクランジを楽しもう! 生で見るクランジ! 略して生クラ!」
「意味が分かりません!」
 イコンのハッチを開けて桂輔とアルマは着地した。
 同様にイコンに運ばれてきた他のメンバーも、次々とエデンの敷地を踏む。
「情報では『パイ』『ロー』の危険度は同程度だ。この人数でも強敵と言わざるを得ない」
 イコンの手から真っ先に滑り下りたのは柊真司、
「ええ、ですがそれはパイとロー、二人が一緒のときに限られる……!」
 つづいて、ヴェルリア・アルカトルだ。
「任せたぞ!」
 言い残すと真司は黒い刃を引っさげ、ローに向かって疾走した。
「承知!」
 ヴェルリア・アルカトルはイコンのすぐ下に立ち、片腕を上げた。
 ヴェルリアの手に握られているのは機晶石、その青い輝きは彼女の魔力を高め奇跡を起こす。
 忽然とこの場所に凍てつく吹雪が訪れた。しかも雪は物理法則を無視して見る間に固まり、透明な厚い氷壁を作り上げたのだ。天井に到達するほどの高さがある。
 しかも氷壁はひとつではなかった。続々と誕生しては鋼鉄の壁のように戦場を区切った。これらはいずれも、パイとローの両者を別つためのものだ。
「お、やるじゃん柊真司って人! 僕は援護させてもらうよ」
 と言う桂輔、それにアルマも、ローを標的として行動を開始した。
「ロー! ……ロー!」
 パイは嘘のつけない体質らしい。焦燥を顔に表して、狂ったように長大なる超音波を放った。
「おっと! ご挨拶だな!」
 大太刀の腹を盾とし、その攻撃をしのいだのは『七番』と名乗る青年だ。
 空気を歪めるほどの巨大な音の波が、剣の腹に真正面から激突した。
 七番は空気の震えを感じた。びりびりと痺れる。剣を持つ腕だけではなく全身が。
 この剣の質量をもってしても、音波の強さに弾き飛ばされそうになる。
 それでも彼は懸命にこらえ、音波の余韻が消えるより早く反撃に移った。標的はパイだ。
「クランジ! 世の中から笑顔を消す連中は……」
 七番は息を呑んだ。
 彼の目の前、迷子の妹を探す姉のような表情をしたパイの顔が視界に飛び込んできたのだ。
 ――やっべぇ……この子かわいい……ちっこくてかわいくて金髪碧眼とか……。
 戦い続けて暗黒の世界を生き抜き、色恋になど興味もない……それが七番という男だ。そのはずだ。しかし彼の心はこのとき、たちまち鞠のようにやわらかくなってしまった。
 うろたえているその姿すらこれほど胸を打つのである。あの娘が笑ったら、それはどれほど素敵なことになるだろう。
 されど彼の迷いは刹那、運命の神ですら見落とすほどの時間に過ぎない。
 もし状況が違えば、こんな時代、こんな場所、こんな形の出会いでなければ、七番は彼女に恋したかもしれなかった。そればかりか全力で彼女の心を射止めるべく、奔走したかもしれなかった。彼女の心をつかみ、悪い仲間から連れ出すことができた……かもしれなかった。
 だがそれはあくまで仮定の話だ。
 そしてこれが現実だ。
 宿敵同士として、パイと殺し合うというのが現実だ!
 鞠は鉄に回帰した。心がどうあれ彼の鍛えた肉体は、すでに剣を薙いでパイの頭部を斬り落としにかかっていた。
 しかし、パイは軽くかがむと、攻撃を数センチ間隔で回避していた。
 最高のタイミングの一撃だったはずだ。七番は、勢い余ってさらに半回転した。
 彼の胴に、つまり魔鎧の音穏に、パイの蹴りが飛んだ。正確に打ち込まれた。
 ――あれほど小さな体から、どうしてこれだけ重い蹴りが繰り出せる……!?
 大型バイクでも激突したような衝撃、七番は予期せぬ方向へ吹き飛び、壁に背中を打ち付ける。
 しかし彼の負った被害は最低限だろう。すべて音穏が吸収した。
「忘れるな。我がある」
「助かる」
 ぐいと口元を拭って七番は立ち上がった。
 ――我を使ってくれ、切。友のようにとは言わない、仲間のようにとも言わない。
 音穏の想いだ。
 ――ただ道具としてでいい。私はともにいられればそれでいいから。だからずっと使い続けてくれ。
 音穏が今、人間の姿をとっていたとしたら、彼女は涙を流していたかもしれない。
 それは悲壮なまでの祈りだった。彼女の唯一の願いだった。
 ――使い続けてくれ。そして狂い続けてくれ……これ以上その心が傷つかないように! 決して正気に戻って自分の起こした惨劇を振り返らぬように!