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リアクション
●塔の裾
空京の道路の一角が火を吹いた。
正確には、弱くなっていた部分がその内側から破裂した。
炎が上がったのは一瞬、火が見えなくなると黒い煙が立ち昇り、これに紛れながら裂け目より、レジスタンスは空京内への侵入を開始したのだった。
これはこの日、何度か見られた光景だ。空京内複数の場所から、こうやってレジスタンスは都市に侵入を果たしている。だがそのほとんどは陽動目的、これがメインの進入路なのである。
「こっちの意図を敵に理解される前に『塔』を落とせればいんんだけど……」
ルカルカが『塔』と呼んだものは、そびえ立つようなテレビ塔だった。
クランジ戦争前は、テレビ放映のための電波塔として使われていたものだ。現在でもその目的用途は同じながら、総督府側の一方的なメッセージを流すだけの建造物と化していた。
「そう簡単にはいかないようだな」
樹月刀真がルカルカの前に立った。すでに銃を抜き、来たるべきものに備えている。
前方から、機械の集団が向かってくる。
量産型クランジではない。体長二メートルはあろうかという蜘蛛型機械である。実際の生物でいえばジョロウグモが一番近いだろうか。鈍く光る丸い目が八つ、長い牙、鋼鉄の長い脚はグラスファイバー製の間接を有し、メトロノームで測っているのではないかというほど正確なリズムを刻んで走る。これが一匹ではなく大量に、道路ばかりではなく建物の壁にもぴたりと吸い付き、集団でガサガサと音を発し迫り来る。ざっと見ても数十、いや百を優に上回る数があった。
「見たことがない形状の敵だ。新型か」
刀真は目を凝らす。うっすらと首筋に汗をかいていた。
「この構え……こちらの意図はある程度読まれていたと考えていいな」
ダリルは言うとゴーグルの目を塔に向けた。
「道は」と飛び出したのは刀真だ。「切り拓くまでだ」
刀真は黒い銃のトリガーを引いた。火炎弾と見紛うほどの力強い弾丸が飛び出し、手近な蜘蛛の頭を撃ち抜く。
「急ぎましょう」
封印の巫女白花が刀真に、寄り添うようにして進み出た。彼女が手にした杖を振り上げるや周辺の空気が急激に温度を下げ、地面から立ち上がるようにして分厚い氷の壁が出現した。
「ここで足を止められるわけにはいかんぞ」
夏侯淵は一礼してルカルカに視線を向けた。そのときにはもう、ルカも心を決めている。
「行こう! 私たちは目的を完遂しなければならない!」
「おうよ!」
カルキノス・シュトロエンデは背中の翼をぐっと拡げ、両腕で蜘蛛のひとつを持ちあげた。蜘蛛は八本の脚をジタバタさせ抵抗するが、構わず彼はそれを放り投げて叩き壊した。
これを合図とするかのように、十数人のレジスタンスは一塊となって塔を目指した。
しかしその途上で蜘蛛にまとわりつかれ、一人、また一人と数を減らしていった。
刀真もその一人だ、ルカルカの背が遠くなっていく。
――もう撃てない。
言うことを聞かなくなった銃を彼は投げ捨てた。まだ十数分しか戦っていないが、たっぷり一日分は撃った気がする。
甲高い音を耳にし彼は振り返る。眼前に、蜘蛛の黒い腹が見えた。飛んできたのだ。機械蜘蛛のなかでも一回り大きい。
だが百戦錬磨の経験は頭で考えるより迅く、刀真の体を動かしている。
回避行動と同時に抜刀し、堕冥の構えより横凪ぐ。
風すら割れる。
剣は正確に、蜘蛛の腹部の弱い場所を走った。
刀真は機械蜘蛛の構造を知らないが、直感的にその弱点を見抜いていた。蜘蛛の体は両断され地面に転がり大きな音を立てる。切断面は鮮やかな直線だ。
――この剣は、クランジρ(ロー)に使うつもりだったが。
だが迷いはない。次の瞬間にはもう、刀真は新たな蜘蛛の頭部に刃を突き立てている。
――今は、自分にできることをするだけだ。
白花が刀真に呼びかけた。
「蜘蛛の動きからして……恐らくは操作している首魁がいるはず。それを探して倒しましょう」
「ああ」
刀真はこのときふと、漆髪月夜の気配を感じた。彼の背中に、白い手が触れたように思ったのだ。
――!
しかしそれは現れたときと同じように、たちまちかき消えてしまったのだった。
「なんつう状況や! 蜘蛛蜘蛛蜘蛛……キモチ悪いわ!」
七枷陣は不吉なものを感じている。蜘蛛型機械という存在に感じる不気味さだけではない。なにか、底知れないものがすぐ近くに潜んでいるような気がした。
それを察知したのは陣ばかりではないようだ。同行のファイス・G・クルーンも、なぜか足を止めている。
「ファイスちゃん、ほら止まらない止まらない!」
リーズ・ディライドは先を走っていたが、ファイスに気がつくと駆け戻って彼女の手を引いた。
「どうしたんですか? なにかあの蜘蛛マシンに思うところでも?」
小尾田真奈が問うと、「いいえ」とファイスは首を振った。
「データ無し。あのタイプのマシンは本機も認識せず。計算によれば、空京の現在の状況なら大量生産は可能との結果に到達。ただ、不整合な点あり……」
「不整合? ようわからんが、なんかヤバイもんがあるってことか?」
陣も自信の違和感を吐き出した。
「オレも、どうも嫌な予感がするんや」
「その認識に一致」
「問答はそこまでにしておけ」
仲瀬磁楠は魔剣を抜き、追いすがってきた蜘蛛機械の前足を切り裂いて遠ざけた。
「今は先を急ぐべきだ」
「ああ……そうやな」
陣は一度だけ振り返ったが、胸のわだかまりを振り切るようにして前を向いて走った。ファイスたちも彼を追った。
ヌーメーニアーもやはり、塔に向かう一群から引き離されていた。
なんとか周囲数メートルの蜘蛛機械は破壊したが、もう本隊は遠い。進もうと留まろうと、また包囲されるのは時間の問題だろう。
「蜘蛛のマシンか……だが奇妙なものだ……クランジの匂いがする」
ヌーメーニアーは豹のように身を屈め鼻を鳴らした。
「どういうことです……?」
満月・オイフェウスが問うと、ヌーメーニアーではなくアテフェフ・アル・カイユームが答えた。
「クランジはクランジの存在を察知できる、っていう話よね。ラムちゃんも何かを感じているみたい」
アテフェフは本当は、ラムダをこの場に連れて来るつもりはなかった。精神的に脆い部分のあるラムダを守って後方に残るつもりだったのだ。しかしラムダは、「ボク、空京に行く」と言ってきかなかった。それゆえ、彼女を守るためにアテフェフも同行したのである。
「……近づいてきてる……ボクにはわかる……」
ラムダは震えていた。顔は青ざめ、目は大きく見開かれている。
アテフェフは膝を曲げラムダと同じ目線になった。
「落ち着いて、ラムちゃん。『あの子』のことじゃなくって?」
「違う……ボク、知ってる……この感覚は……」
「来た!」
ヌーメーニアーが叫ぶのと、彼らの背後にあった建築物の壁が破れるのは同時だった。
建築物は民家だったようだが、これではひとたまりもあるまい。完全に倒壊し、内側から出てきたものに踏み砕かれる。
蜘蛛型機械だった。
しかしそのサイズが圧倒的に異なる。見上げるほどの巨体だ。長い八本の脚の先にはそれぞれ、槍のように鋭く長い爪がついている。基本的な構造こそ、大量に襲ってきた蜘蛛型と同じだったが、はっきりと違う部分が一箇所だけあった。
「いひひひひひひひひひひひーっ!」
小型の猿が吠えるような声で蜘蛛が笑った。
基本、蜘蛛型機械は音声を発しないがこの巨大型は違う。胴中央に人間の顔が埋まっているのだ。その顔は両目をぐるぐると動かし、長い舌をつき出して、痙攣するように笑い転げている。
「ゼータ……」
ラムダの目から溢れる涙は、恐怖か、それとも同情がもたらしたものか。
蜘蛛に埋まった、いや、首から上だけ蜘蛛機械に移植された頭部は、かつてのエデン所長クランジζ(ゼータ)のものだった。
かつてゼータはいつも、どこか余裕のある表情だった。
今のゼータは正反対だ。狂気の針が振り切れたようなような表情をしている。
かつてゼータは芸術科だった。ヴァイオリンの演奏を好み、よく音楽の蘊蓄を語っていたという。
今のゼータにそんなことはできそうもない。ヴァイオリンを奏でようにも、八本の蜘蛛足しかないのだ。
そもそも、今の彼女が自分がおかれている状況をきちんと理解しているかどうかすらわからない。
「あれがクランジζ(ゼータ)だと……!」
ヌーメーニアーは怒りに駆られて顔を上げた。
一瞬にしてヌーメーニアーは理解している。これが総督府と言われるクランジ指導者層のやり方なのだ。
目的の実現のためには手段を選ばない。強者のために、弱者を犠牲にして顧みることはない。
エデンを奪われ『弱者』に転落したゼータを、彼らは簡単に切り捨てたのだ。おそらくは彼女を、蜘蛛型機体を操作するための頭脳にしているのだろう。
ラムダの心を壊し、ゼータを晒し者にし……それでなにを目指すというのか。
「許さない」
ヌーメーニアーはゼータに向かって、いや、その向こうにいるであろうε(イプシロン)やθ(シータ)に向かって宣言した。
「お前たちを許さない。ぶち殺す!」
その言葉に反応したのか。
「殺すッ! 殺す殺すコロスコロス!」
ゼータの首はより一層、おかしげに笑い転げた。
このとき、
「嫌……ッ、いやあ……!」
ラムダが頭を両手で覆い、しゃがみこんで動かなくなった。
「ラムちゃんダメ、このままここにいちゃ……」
アテフェフが手を引こうとするも、ラムダは石になったかのようにその場から動かない。そのラムダの頭部に、蜘蛛の長い脚が向かっていく。
アテフェフは迷わなかった。
ラムダの体に覆い被さり、無防備な背中を蜘蛛に向けた。
――これで死ぬかもな……あたし……。
震えるラムダを抱きしめながら、アテフェフはふっと微笑した。
「ラムちゃん、あたしにできるのはこれくらい。あなたは逃げて……しっかりと立ち直って!」
されど決定的な一撃は訪れなかった。
特急列車でも激突したかのように、巨大蜘蛛機械がぐらりと真横に倒れたのである。
「間に合った」
強烈なベクトルはセレンフィリティ・シャーレットから放たれたものだ。
彼女は片膝を付いた姿勢のまま、肩に担いだロケットランチャーを手早く降ろしてセレアナ・ミアキスから次弾を受け取っている。
「……残った食料を焼くための弾だったけど、私は有益な使い方だと思ってる」
セレアナはそう告げたが、セレンは特に何を言うでもなくスコープをのぞいただけだった。
スコープの向こう、蜘蛛型機械が起き上がろうとしている。
どうやらロケット弾でも、表面を凹ませる程度の被害しか与えられなかったらしい。
――私たちは消耗品じゃない。
セレンはを食いしばった。
――それをこれから、見せてやる。