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リアクション
●灰色の街で
ノックの音を聞き、クランジμ(ミュー)は扉を開けた。
灰色のカーペットを踏んで、灰色の姿が入ってくる。
服も灰色、マフラーも、灰色。
されどそれでも、いや、それゆえにか、澄んだ青い目が印象的だった。
「戻りました」
マフラーを外したのはフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)だ。ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)も同じく、灰色に統一した服装で姿を見せた。二人の服装はミューが用意したものである。
迎えるミューは、やはり白一色の着物だ。はっとなるほど透明度の高い水色の髪をハーフアップにしている。そしてやはり、包帯のような白い目隠しで両目を隠していた。
「ご覧になりまして……? 空京の現状を」
「ええ」
「とりあえずはな」
二人はほぼ同時に答えた。
ここは空京市内の高層マンション、最上階の一室だ。ミューの自宅である。ミューに席を勧められ、フレンディスは両脚を揃えおずおずと、ベルクのほうは大股でどかっと、飾り気のないソファに腰を下ろした。
「たしかに、大変優れた都市だとは思いました。現在、空京以上に文明化された都はこの世界には存在せぬかと」
「だが俺は好きにはなれそうもねぇな。こんな場所だと生きている実感が抱けそうもねぇ」
「この灰色の世界……里で読んだ異国の物語を思い出させます。もっともここは時間を奪われているのではなく、その逆……止まっているように見受けられますが」
これを聞いてミューは、目隠しの下でどのような目を見せただろう。それをうかがい知ることはできない。
「フレンディス様、ベルク様、率直なご意見をありがとうございます。前も申し上げましたかしら? わたくしも空京のことは好きではありませんの。機晶姫と人間が共存することはもはや不可能……この都はその不可能を無理に押し進めた不自然な合金のような場所ですわ。ひどく窮屈で、無味乾燥で」
瞬時、なにか気配を感じたかのようにミューは身をすくめた。振り返って背後の壁に眼を(正しくは、目隠しの下の眼を)向ける。フレンディスとベルクも釣られて同じ方向に目をやったが、そこにはただ灰色の壁があるだけだった。
「……失礼。気のせいでしたわ。それで、わたくしからのお願いについて考えていただけましたか?」
「俺の回答は、フレイに委ねている」
ベルクはそう言って腕組し、フレンディスが口を開いた。
「そうですね……この状況下では拒否権がないように見受けられますが。残念ながら命がけで断る理由も浮かびませぬ。むしろあの場で命を救われたこと、そしてこの地へ招き入れていただけたことに感謝をすべきでしょうか?」
「感謝は必要ありません。当方も、この都市を破壊するという考えがあってのこと……これは取引ですわ。ですから、気が引けるのであれば強いる権利はこちらにはないでしょう」
ミューの口調は、詩を読んでいるようにも聞こえる。
「今からでも考え直していただいて構いませんのよ。力ずくなれば成功はしますまい。お二人が拒否なさるのであれば、せめて空京市外へ落ち延びる手助けをさせていただきます」
「ならばはっきりとお答えいたします。ミューさん、あなたとの取引はお請け致します。あなたの手足……そして目としてご自由に利用・命令して下さい。必要あらばその身を護る盾にもなりましょう」
「ありがとうございます」
ふっとミューの口元が弛むのがわかった。
――読めねぇ。
ベルクは思う。
目が露出していないということが、これほどに真意を測りにくくするものなのか。ミューの言葉は真実のように聞こえるが、それでも、肚になお一物を抱いているようにも見える。
「やれやれ」
ベルクはここで改めて口を開く。
「わかっていたことだが、選択はそうなるよな。ほっとしたような、新しく緊張し直したような、そんな気持ちだ。俺も常にフレイのやりたいようにやれって言ってきたからな、異論を言うつもりはねぇぜ?」
一つ咳払いして彼は続けた。
「だがミュー、訊いておきてぇことはある」
「なんなりと」
「まずお前の意志と目的は理解したが、具体的作戦は考えているのか? まさか空京へ放り込んだから後は勝手に暴れてくれっつーのは勘弁してくれよ」
――あと……これは気ぃ悪くする上、ついでに速攻殺されても文句言えねぇ質問なのは承知の上だが。
ベルクは息を吸い、下唇で上唇を舐めた。
「その目的は最初からミュー自身の考えで判断、動いているという自信があるか?」
普通の相手なら、黙ってまばたきするくらいの時間が流れた。
「……悪ぃとは思う。だがお前は機晶姫、しかも今まで聞いたことのなかった銘のクランジシリーズだ。何者かがお前にそう動くよう記憶調整し稼働させた可能性を考慮しておく必要がある。勝手な憶測に過ぎねぇし杞憂ですめばそれでいい」
「最初の質問、具体的作戦については、あります。これから述べましょう。そして目的……そうですね、これは完全にわたくしの独断です。他のクランジは誰もかかわってはおりません。むしろ他の姉妹(シスター)に知られるわけにはいかない」
ベルク様のご懸念については当然です、とミューは続けた。
「私たちの姉妹には、強力な催眠術の使い手がおりますもの。記憶調整すら可能なほどの……。名はクランジθ(シータ)、わたくしがもっとも好まない姉妹ですわ。たしかに、現在のわたくしがシータに操られていないという保証はありません。ですが、彼女の催眠術もわたくしにだけは通用しないでしょう」
「どうしてそう言い切れる?」
「シータは催眠術を使うとき、相手の目を見ます」
ミューは言葉とともに自身の目隠しを剥ぎ取った。
天に輝く恒星のような赤い目が、ベルクの視線を刺し貫いていた。
「……大丈夫、この能力は自分でも制御できますから。ベルク様、あなたを止めたりはしませんわ。けれどわたくしに危害を加えようという相手には……おわかりですね?」
ミューは言いながら、長い鉢巻のような白布で両目を覆ったのである。
ベルクは深く深く息を吐きだしてソファに背を預けた。
「信じよう。信じざるを得ないから信じているんじゃねぇ。俺は自分で、信じると決めた」
フレンディスが彼に代わって言う。
「ミューさん、私からも、一言、お願いしてよろしいですか?」
「ええ」
「あなたは今まで通り自由にして下さいまし。私たちを裏切ろうとも一向に構いませぬ。私は己の責任であなたを信頼すると決めただけです。それに対し裏切られたことで文句を言うのは筋違いゆえ……よって私たちを罠に陥れようが、不意打ちで殺そうが、あなたを恨むつもりはありませぬのでご安心下さいまし」
フレンディスの視線は真っ直ぐだ。そして鋭い。まるで、刺し違える覚悟で突き出した匕首(あいくち)のように。
「それと私から裏切ることはありませぬ。無論これも信じる信じないはお任せいたします」
「フレイ様、ベルク様、お二人を計画にひきこんだのはわたくしです。ですが、わたくしにとってもこれは賭でした。逆に私が、寝首をかかれるおそれもあるのですから……。お互い、少なくとも空京がこの姿を終えるまでは、信じ合いたいものですわね」
このとき、友情めいたものをフレンディスはミューに感じた……かもしれない。
だがフレンディスは、
「ただしミューさん、明確な殺意をもって敵対宣言されましたら応じさせていただきます。ただそれだけはご記憶ください」
と付け加えるのを忘れなかった。
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