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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 郊外に位置する観世院邸はその敷地の広さのわりに、豪勢な印象はなくどこか陰を帯びたたたずまいである。そのほとんどが黒という古びた洋館だ。建設されたのは、明治の昔と言われている。

 観世院公彦は部屋のドアノブを回し、鍵が外されていることに気づいた。
「あら? お帰り?」
 ドアを開けるとそこにいたのは、ピンクの髪、メイド服……その日のうちに雇われ、住み込みで働いてる雷霆リナリエッタだった。
 彼女は、公彦の自室、その机の前にいる。
 机の引き出しはすべて開けられ、書類が机の上に広げられている。
「掃除かい? 机の中まで頼んだおぼえはないけどね」
 違う、と言ってリナリエッタはニヤニヤと笑った。
「私の正体が知りたい? 簡単よ。私は貴方が屍になったその次の日から来た女……」
「ああ、そうだったのかい。普通ではないと、思っていたよ。最初からね」
 杖をつきながら彼は歩いて、椅子がリナリエッタに占拠されていることを思い出したのかベッドに腰を下ろした。
「……驚かないの?」
「いちいち驚いている時間が勿体ないんだ。このところ、驚くことばかりだからね」
 小さく咳き込んで、公彦は彼女を見上げた。
「ごめん。続けて」
 多少調子が狂ったが、気を取り直してリナリエッタは再開した。
「私ね、血の匂いのする男が大好き。次に好きなのは全てを見て楽しませてくれる人……」
 言いながら立ち上がって、机の上の書類を公彦の前にブチ撒けた。彼が、観世院家の資金を流用し、謎の目的に大量に費やしていることを示す証拠だった。
「で、最低なのは、血の匂いのする舞台を汚そうと裏で手を引く人間と、金をもらって裏切る負け犬」
「……そうか」
「あなたが新宿勢力とつながり鷹山に資金を提供して寝返らせ、渋谷を壊滅に追い込むなんて陳腐なシナリオは御免よ」
「僕も御免だ」
「えっ」
 またしばらく咳をして、公彦は苦しそうな息をしながら告げた。
「そんなことをして僕にどんな得があるのかな……新宿の暴力団に渋谷も仕切らせ、上納金をいただくとか? ……お金にはあまり困っていないんだ」
 わかってるよ、というような目をして公彦は続けた。
「それとも権力欲かな。暴力組織の頭脳として彼らを闇で操り、東京に一大勢力を築く……とか?」
 杖が音を立てて床に倒れた。
 公彦は胸を押さえベッドに顔を伏せている。これまでにない勢いで、激しく咳き込み始めたではないか。
「……く」
 咳の合間から彼は、呻くような声を洩らした。
「え?」
「薬……サイドテーブルの上……! 水差しもそこにあるから……」
 リナリエッタから粉末と水を受け取ると、彼はこれを飲み下し、また十秒程度ベッドの上で身悶えした。それは、非常に徹する決意できた彼女ですら、つい「大丈夫……?」と言ってしまうほどの苦しみようだった。
 荒い息をしながら、公彦はゆっくりと身を起こした。
「……見て判らない? こんな体の僕だ。長くは生きられないよ。権力だのなんだのには興味が持てないね……」
「でも、あなた、どうやって新宿勢力の侵攻を知ったわけ?」
「確かに、新宿側に内通者を作っている、それは本当さ。汚いことをしているのは本当、それは弁解しない……それから……」
 と公彦は、足元にあった紙を指した。
「これは、僕の情報網が捉えた事件だ。肥満と懇意にしてた情報屋の死体が、渋谷と新宿の中間地点に捨てられてたって……しかも斬殺された状態で。……これが明るみになる前に、僕が手をまわしてその死体を弔わせた」
「どうしてそんなことを?」
「もちろん時間をおいて知らせるよ。でも今これを知ったら即、肥満は新宿に対し報復行動に出るだろう。けど、今は挑発に乗るべきじゃない。まずは新宿で人質の救出を行い、あとの大軍は渋谷で迎え撃つべきだ。肥満だってそれはわかってるはずなんだ。だけど……仲間を殺されたとあっちゃ、そういう戦略はなくなってしまう。それが怖かったからだ」
 ベッドから公彦が滑り落ちそうになったので、リナリエッタは飛んでいって支えた。
「……こんなことしてきた理由はね、石原肥満の夢を手伝うためさ。彼は、孤児を保護して彼らの未来を築こうとしている。はぐれ者を集めているけど、これだって、彼らの未来を守るためさ。だから彼らに非道は許さない……知ってる? 肥満ってね、弟分たちに『弱い者いじめは絶対にするな』って言いきかせてるんだよ」
 公彦が子どものような笑顔を見せた。
 そこまで考えるのは深読みかもしれないが――リナリエッタは思った――公彦も、経済的にはどうあれ肉体的には『弱い者』として、肥満に信頼を寄せているのかもしれない。
「君の言葉をうのみにするわけじゃない。けれど、仮にもし、君が本当に後の時代から来た人だというのなら、考え方が僕らとは違うかもしれないね。僕らはね、戦争であまりにも沢山の死を見てきたから、死そのものはそれほど怖くない。特に僕なんか、いつ死んでもおかしくないと思ってる……」
 このとき、公彦の背はまっすぐになっていた。顔も、僅かに赤みが戻ったように見えた。
「だからせめて、未来の人に恥じるような死に方はしたくない」
 未来志向ゆえの共闘、というべきなのか。しかしリナリエッタはまた思うところがあって問うた。
「でもあなたと肥満は、仲が悪いと聞いたことがあるけれど……?」
 これはリナリエッタが独自に集めた情報だ。そりゃあそうだろう、と公彦は言った。
「僕と肥満が通じてるなんて知れてみなよ、たちまち彼の愚連隊は、金持ちの走狗だとみなされるよ。そんな愚連隊に『ハク』がつくかい? 肥満は嘘のつけないやつだから、表面上対立しているように見せかけるなんていう腹芸はできない。……だから僕は、肥満にもよくわかる形で協力したことはほとんどないし、彼の前ではできるだけ鼻持ちならないヤツを演じるようにしてる。小馬鹿にしたりしてね。彼にも早く、こういう芸当ができるようになってほしい……」
 疲れたよ、と公彦は言った。ベッドに入ろうとする彼を、リナリエッタは手伝った。
「ああ、それと……石原の周りに彼を裏切る人なんていないわよね?」
「いない、と思う。いたとしたら……彼が許そうとも僕が許さない」
 一瞬彼の視線が、猛禽類のように尖ったかに見えた。
「……邪魔したわね。じゃあ、あたし帰るわ。部屋は片付けておくから」
 観世院公彦は聞いていないようだった。天井を見つめたまま、呟いていた。
「良いと思わないかい? 彼が思い描くような未来があったってさ……」
 リナリエッタは電気を消した。