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リアクション
22
話は、一週間前に遡る――。
「6月になって、日が沈むの遅くなったよねー。
……ふふ、その分博季くんと一緒に居られる時間が長くなって、私、嬉しいなっ」
地平線に沈むのを堪えていたかのような日もついに沈み、辺りが夜の闇に包まれようとしている頃、人気のなくなった公園には音井 博季(おとい・ひろき)とリンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)の姿があった。二人がこうしてザンスカール東の一都市、精霊指定都市イナテミスを訪れ、二人だけの時間を過ごすのも珍しくなくなった今日、博季は一つの決意を胸に抱いていた。
「僕も、リンネさんと少しでも長く一緒に居られて、嬉しいです」
「ほ、ホントに? そ、そっか……えへへ、なんだか恥ずかしいけど、うん、嬉しいよっ」
博季に言われて、リンネが頬を赤くする。それを見た博季が、一転して表情を引き締め、少し沈黙して、そして口にする。
「……ね、リンネさん。僕ね、恋人として一つだけ心残りがあるんですよ」
「えっ、な、何かな? ……えっとそれってまさか……」
時間は夜。人気のない公園。恋人同士の二人。それらからリンネが、ちょっとピンクな光景を想像してしまう一方で、博季は真面目な表情を崩さないまま言葉を続ける。
「思えば僕は、『お付き合いしてください』って言ってなかったな、って。
結局、『好きです』って言っただけで……さ」
「あっ……そ、そうだね。そういえばそうだった、うんうんっ」
博季の言葉に、自分の想像が見当違いだったことに気付いて、それを隠すようにリンネが何度も首を縦に振る。
「……だから。これだけはきちんと僕の想いとして伝えたいんだ。
これはあくまで、僕の我侭。だけど、僕の偽りの無い気持ち……です。
リンネさんが頷いてくれたら……」
言いかけて、博季が首を横に振って、気を入れ直して、真っ直ぐにリンネを見て、告げる。
「リンネさん……僕と、結婚してください」
「……え、えっと……」
博季の言葉を耳にしたリンネが、言葉は分かるんだけど意味が分からない、そんな戸惑いの表情を見せる。
「あの時言った言葉、今でも変わりません。
『この先何があっても、僕は貴女の傍で貴女を支えたい』。
……僕は、音井博季は……」
息を吸って、そして吐き出す言葉に、ありったけの想いを込めて。
「心の底から、全身全霊で、貴女を愛してます」
「……博季くん……」
博季の言葉を受け止めたリンネが、『本当に? いいの?』と問いかけるような視線を向けてくる。
「……リンネさんはまだ学生です。ご両親やご家族の方にも許可を頂かないといけないでしょう。
大変な事もたくさんあります。難しいことはわかってます。でも……」
言葉を一旦切って、自分を奮い立たせて、博季が再び言葉を続ける。
「貴女に頷いて頂けたら、それだけで僕は何でも出来ます。どんな事だってやり遂げて見せます。
生活の事も家事とかも気にしなくていい。学生生活、大切にして頂きたいから。
それでも手伝ってくれるなら、新しい生活に慣れてから少しずつで大丈夫です。勿論、全部任せて頂いても構いません。
後悔も、苦労もさせないつもりです。世界で一番、幸せにしてみせます」
「……うん。ありがとう、博季くん。
私、そこまで博季くんに言ってもらえて、好きって思ってもらえて……その、嬉しいよ。
……あぁもう、さっきから嬉しいしか言ってないよね私? なんて言えばいいんだろう、もうっ」
自分の語彙力のなさを嘆くように、コンコン、とリンネが自分の頭を小突く。それを見て博季がフッ、と笑みを浮かべる。
「返事は、今でなくても構いません。でも、よかったら、貴女自身の声を聴かせてください。
……さっきは大きい事言ったけど、結婚生活って二人で頑張らないといけない事も多いと思うから。
リンネさんにもよく考えて、納得して頂いた上で結婚したいな……って」
言って博季が、一週間後に『ジューンブライド』企画の一環として、模擬結婚式を予定していることをリンネに伝える。結婚を真剣に考えている人同士で、普段仲良しの友達同士で、祝福する者たちも含めて、催しを開くとのことであった。
「リンネさん、僕と一緒に出ませんか? ……そして、お返事はその時に下さい。
ほ、ほら、急遽正式な結婚式にしちゃっても面白いじゃありませんか」
照れ隠しのように言った博季の言葉に、リンネはそこでようやく、長らく見せていなかった笑みを浮かべた――。
(……ど、どうしよう。リンネちゃん、なんて答えればいいんだろう……)
博季と別れ、家路を急ぐリンネの脳裏に、別れ間際に交わした博季の言葉が蘇る。
「……もし頷いてくれなくても、僕はこれまで以上に貴女の事、一生懸命愛します。次は絶対に頷いて貰いたいから。
待ってと言うなら、待ちます。いつまでも。……だから、安心して素直な気持ちを聞かせてください。
愛してます。大好きです。リンネさん」
(……うん。私も、博季くんのことが大好き……だよ。
結婚する……一緒に暮らす……博季くんとなら……うん、いい……よ)
心の中ではもう、博季の言葉に対する回答が出ていた。
……けれども実際、何て口にすればいいのかと考えると、迷う。
はい、と一言言えばそれでいいのだろうか。それだけだと、博季くんは不安に思わないだろうか。
もっとちゃんとした言葉を口にすればいいのだろうか。でも私にそんなことが言えるのだろうか。
(あぁあもう、詠唱の言葉はすらすら出てくるのに、どうしてこんな時だけなんにも思いつかないかなぁ!)
ポカポカ、とひとしきり頭を叩いて、ちょっとだけクラっとして、何やってるのかなあ、なんて思って。
(……うん。ちゃんと考えよう。考えなかったら、なんにも思い浮かばないよね)
もちろん、考えたところで結局何も浮かばないかもしれない。それでも、考えなければ何も浮かばない。
決意を胸に抱いて、リンネが帰り道を急ぐ――。
●イルミンスール:『宿り樹に果実』
「すみません、遅くなりました」
生徒たちの憩いの場、カフェテリア『宿り樹に果実』のテラスになっている部分に一人座っていた本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)の元に、勤めを終えたミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)が駆け寄る。
「いえ、元はといえば私のワガママなんですから、気にしないでください」
涼介が言い、ミリアがテーブルに二人分の飲み物を置いて、涼介の向かい側に腰を下ろす。営業時間の終わり間際、カフェテリアにやって来た涼介はミリアに、『この後、時間を取ってほしい』とお願いをしたのであった。
「今日は、久し振りの星空ですわ。この時期は曇や雨が多いですけど、その分、たまに見せる青空や星空がとても輝かしく、そしていとおしく感じられます」
星空を見上げながら呟くミリアは、月と星の光に照らされて、カフェテリアで見せる時とはまた違った表情を見せていた。
「……? 涼介さん、私の顔に何か付いてますか?」
「あ、いや、何でも」
思わず見惚れてしまっていた涼介は、ミリアに言葉をかけられて慌ててはぐらかす。
そのまま、沈黙が流れて。だけどそれは、決して嫌な雰囲気ではなくて。
何というのだろう、気持ちに整理をつけようとしている人がいて、もう一人は急かすでも無視するでもなく、準備が整うのを見守っている感じで。
「……ミリアさん」
「……はい」
先に口を開いたのは、涼介。
ミリアが、それに応えて頷く。
「半年前、私はあなたにこれからを共に歩んで行きたいと言いました。
そして、今もその気持ちに変わりはありません。
これから先も、一緒に同じ時計を持って、二人同じペースで歩いていきませんか」
涼介の言葉、ミリアへのプロポーズの言葉を、ミリアが一字一句漏らさず受け止める。
「半年前、私は涼介さんに一緒に隣を歩きたい、歩みはとてもゆっくりになってしまうかもしれないけれど、それでも隣を歩きたい、と言いました。
そして今日まで……涼介さんは私の多分、ゆっくりとした歩みに付いて来てくれました。そのことには本当に感謝しています、ありがとうございます」
静かに頭を下げるミリアに応えながら、涼介は時期尚早だったか、と後悔の念を浮かべる。
下がる視線、けれど覚悟を決めて見上げた視線の先には、ミリアのまるで女神のような笑顔があった。
「私にぜひ、あなたと一緒の時計を持たせて下さい。
あなたと一緒の時間を刻む、世界でたった二つだけの時計を」
返答を受け止めた涼介が、深々と一礼して、一週間後に開かれる予定の企画についてを告げる――。