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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
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□■数日前――フィールドワーク


 アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)のフィールドワークに同行した宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、鴉の濡れ羽にも闇夜にも似ていて、けれど絹のように優しい光沢のある長い髪を揺らした。
 蜩や蟋蟀の聲が、ススキの花穂のさざめきの合間に、響いては風に熔けていく。
 残り香を感じさせる残暑が、アクリトの横を歩く祥子、そして彼女の契約者である同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)那須 朱美(なす・あけみ)の体躯を苛んだ。
「暑……」
 朱美のその声に同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)は、セミロングの黒髪を揺らす。それから、周囲に静香と呼ばれている彼女は微笑した。
「秩父の気温は特殊だとも言いますしね」
 彼女達のそうしたやりとりを耳にしながら、黒崎 天音(くろさき・あまね)がアクリトの隣へと追いついた。
「どうしてこの土地へ、フィールドワークへ?」
 何か特殊な事――、そう、気にかかる事でもあるのかと言いたそうな彼の瞳に、アクリトが視線を向ける。フィールドワークに関しては衆知すべく策を練ったわけではなかったが、無論空京大学の幾人かの生徒を始め、何人かはアクリトの動向について関知していたようだった。
「真偽を確かめる為、と、そう言えば正しいのかも知れないな」
 眼鏡の華奢なフレームを押し上げながらアクリトが告げる。
 するとブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が、赤い瞳を瞬かせた。
「何の真偽を確かめるのだ?」
「……単なるアミニズムとして大別できるとは限らない、重要な秘祭があると聴いて、ここへ来た。それは事実だ。だが必ずしも、私が想定している事象が全てだと結論づける事は出来ないが――そういった類の、比較人類学への個人的な好奇心と、後は滑稽かも知れないが、個人的な感情に理由を置いたフィールドワークの中で、真偽を確かめたい事柄があるのだ。ともすれば、つまらないことなのかも知れない」
 アクリトが半信半疑と言った面持ちで自嘲するように唇の端を持ち上げる。

 この時点では未だ、誰もが『死人』についての詳細を知り得なかった。

 彼らは村に一つしかない民宿・ハナイカダへと訪れた。
 出迎えたのは、山場仁である。丁度学校帰りだったらしい中学生は、慣れた調子で一行を部屋へと促した。
 ロビーでフィールドワークについて話し合っているアクリトと祥子達を残して、天音とブルーズが一足先に客室へと訪れる。
 アクリトは一人部屋、祥子と静香と朱美が同室で、天音はブルーズと同じ部屋に滞在する事になっている。
 この村では珍しい洋風の作りで、フローリングの床の上には、洒落た幾何学模様の絨毯が敷いてあった。窓の正面には、二人掛けの椅子と丸テーブル、他にはベッドが二つ。それだけで部屋の大半が埋まっている。人目を惹くのは、鹿の剥製で、首から先が、壁からつきだしているように見えた。そのすぐ左下には鏡が備え付けられており、下にはチェストが並んでいた。鹿のオブジェの隣の壁には、観賞用なのか……斧が設置されている。壁は全体的に、木そのままの姿を色濃く残す、丸太状のものだった。
 入り口から続いているとはいえ、客室の位置は隣接するログハウスといっても差し支えない箇所、ある種別の建造物にあるようだ。奧には、大浴場があるらしい。
「フィールドワークも良いけれど、たまにはこうしてブルーズとゆっくり旅先を楽しむのも良いね」
 いつもの通りの洋装の首元を緩めながら、天音が笑った。
「それもそうだが――なんとも気になるな」
 一方のブルーズはといえば、持参した荷物をほどき、各所に収納しながら、あれやこれやと考え事をしていた。
「そう難しく考える事はないよ。今夜の夕食は何だろう」
「……それも、そうだな」
 天音に対して微笑を返し、ブルーズは立ち上がると、壁へと歩み寄った。手を伸ばし木の温もりに触れながら、斧へと視線を向ける。
「本物のようだな」
「そうなのかい? 客室に斧だなんて、物騒だな」
 天音が顎に手を添え目を細めると、ブルーズが腕を組む。
「ここに来る途中の廊下にも、鉈や鎌といった民具が陳列されていたな。流石に弾は込められていないだろうが、猟銃もあった」
「成る程、狩猟や農耕用の機具を陳列しているんだね」
「これらが歴史的に用いられてきたのだとすれば、この村には熊が出てもおかしくはないだろうな。注意するにこした事はない」
「確かにそうだね――明日、アクリトがこの村の伝承に詳しい山場家の人に話を聴くみたいだし、ついでに聴いてみようか。その前に、まずはゆっくり休んで、楽しもう」
 彼らはそんなやりとりをすると、つかの間の休息を楽しむ事にした。
 光のない鹿の目が、静かに部屋を見つめている。