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【ザナドゥ魔戦記】ロンウェルの嵐

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【ザナドゥ魔戦記】ロンウェルの嵐

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第5章 早朝〜東カナン軍

 太陽の昇らない世界で夜明けというのも妙な話ではあるが。
 まだひと気もまばらな朝早く、エレオノール・ベルドロップ(えれおのーる・べるどろっぷ)は天幕を抜け出した。
 東カナン軍兵による炊き出しの湯気が上がる中、タオルを手に洗面場へ向かう。その途中で、馬を入れたサークルにここにいるはずのない人を見た気がして足を止めた。
 通りすぎていた足を、1歩2歩と戻してじーっと後ろ姿を見る。
「バァルさん? まさか」
 奪還部隊は数時間前に出発したはず。
 たしかめようと近づいて、それが髪を黒く染めたセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)だと気づいた。
「セテカさん」
「やあ、おはよう」
 近づく気配に振り返ったセテカが彼女を見止めてにっこり笑う。
「おはようございます。
 髪、染められたんですね。最初分かりませんでした。それに、鎧も。それ、バァルさんの鎧……ですよね?」
 横についてまじまじと見る。
 軍帥を示す腕章は付けていなかったが、紫紺の甲冑は間違いなくバァル・ハダド(ばぁる・はだど)の物だった。
「少しでもバァル不在を悟られないようにしないとね。ロノウェはバァルを知っているから、どこまでごまかせるか疑問だが……まぁ、遠距離からならこれでも十分ごまかせるだろう」
「ええ。私も最初、バァルさんかと思いました」
 もっとも、ほんの数秒たらずのことだったけど。
 でもそれは……セテカを知っているからかもしれない。ロノウェとセテカは面識がないし、遠目だったら、多分彼の言うように誤認識させられるだろう。東カナン軍の総指揮を執っているのはバァルと相手が思い込んでいれば、なおさら。
「鎧はなぁ……こういうゴテゴテしたのは、あんまり好きじゃないんだ。肩こるし、動きづらいし」
 腰に手をやり、ぶちぶち不満を漏らすセテカの姿はどこかかわいく見えて、くすりと笑いが口をつく。
「あ、でも、それがバァルさんの物だったら、今バァルさんは何を?」
「ん? ああ。以前、きみたちコントラクターから贈られたアジ・ダハーカの鎧を着て行ったよ」
「そうですか」
 会話はいったんそこで途切れた。
 グラニにブラシをかけ、とりとめなく話しかけてコミュニケーションを図っているセテカの横顔をじっと見つめる。
 端正な男性だった。静かな横顔は、どこか女性的なやわらかさがある。そして知性の光にあふれた強い青灰色の瞳。
 初めて彼と会ったとき。彼を守ったのは、彼は東カナンに大切な人、なくてはならない人だから助けなくてはという使命感だった。
 でも今は、それだけじゃない。彼という人を知って、彼のかたわらで、彼を守りたいと思う。
 この想いが何かは知らない。単なる保護欲なのか、崇敬の念か、憧憬か。そのどれとも全く違う、別の何かなのか……エレオノールには、あえてつきつめようという考えはなかった。性急にこれと決めつけなくても、いつか自然と分かる。そんな気がする。
 今はただ、ほかのみんなのように彼を守り、彼の力となって支えたいと動くだけ。
「さて。俺はこれから将軍たちと軍議があるからこれで失礼するが、きみたちに参加義務はないからもう少し休んでいるといい」
「あのっ、私も参加させてもらっていいですか?」
 セテカは小首をかしげる。
「わたし、今日はセテカさんのそばにつく配置ですし、それに、すっかり目が覚めてしまって、特にすることもないですし……っ」
 ちょっぴりほおを赤くして、あわて気味に説明をするエレオノールを見ていたセテカは、やがて、ふっと笑みを浮かべた。
「昨夜たてた作戦の最終確認をするだけだが、まぁ、暇つぶしくらいにはなるか。
 一緒に行こう」
「はいっ」
 エレオノールは元気よく応え、セテカと連れ立って歩き出した。




 配給された朝食を手に、赤い髪の少女が歩いていた。
 雑然と人であふれた中、きょろきょろと辺りを見渡して誰を捜している風情だったその顔が、ぱっと輝く。
「宵一、見つけた!」
 十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)は自分を呼ぶその声に、少し丸まっていた背中をしゃきっと伸ばして振り向いた。
「ここにいたんですね」
「なんだ、ヨルディアか」
 少し緊張している様子だった肩が、相手がパートナーのヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)だったと知った途端、緊張を解く。
 ヨルディアは宵一がイスがわりにしていた、丸めた天幕の空いた場所――宵一の隣にさっと腰かけた。
「てっきり皆さんと一緒に食事されているかと思っていました」
「ああ……うん。ちょっと、考えたいことがあって」
 それが何かは彼の足元の地面を見れば分かった。昨夜軍議で話し合った合戦プランが三角や四角、矢印を用いて描かれている。
「すっかりやる気になられているのですね。ザナドゥに降りるときは、あんなにしぶっていましたのに」
「ま、乗りかかった舟だからな。やる以上はきっちり己の役目は果たさないと」
 そう答える間も、足元の図を木の枝でつんつん突ついている。声もなんだかほとんどそちらに気がいっているふうで……。
 その様子を、ヨルディアとしては歓迎して、喜ばなくてはいけないはずだった。
 アガデが魔族の襲撃を受けた夜、乞われて駆けつけた縁から東カナン軍と同行するコントラクターの1人としてこの侵攻に加わることになってしまったことを、はじめのうち宵一はしぶっていた。
 正直、貧乏クジを引いたと思っていた。
 だがそんな彼を、ヨルディアが説得したのだ。
『一流のバウンティハンターになるには、戦で名をあげるべきではありませんか? それに、向こうにはこちらを裏切ったコントラクターが大勢います。同じコントラクターとして、彼らを放置しておくわけにはまいりませんでしょう?』
 バウンティハンターに戦の勇名が必要かどうかは分からなかったが、たしかに裏切り者コントラクターたちの存在は看過できない、と宵一は考えたようだった。
 彼らは犯罪者として手配されたわけではない。が、していることは同等のことのように思える。無力な一般人を大量虐殺した彼らをこれ以上やりたい放題させていいものか――宵一の考えが、ヨルディアには手に取るように分かった。
 またたく間に宵一に決意が満ちるのを、頼もしい気持ちで見ていたのに。
(わがままですね、わたくし……)
 今、こうしてもうじき始まる戦いに集中している彼の姿を見て「ここから離れましょう」と言いたいなんて。
 戦とは、命の奪い合いなのだ。
 一心不乱に武具を磨く者たちをこうして間近で見て、ヨルディアは今さらながらそのことに気づいた。
 今、ここには大勢の人々がいる。けれど確実に、あと数時間で、このうちの何十人、何百人(あるいは何千人?)の者がもの言わぬ死体となる。食事だって、これが最後になる人々が大勢いるのだ。
 ほこほこと湯気をたてる椀を膝に抱えて、ヨルディアはそのことに愕然となる。
 そのうちの1人に宵一がなるかもしれないと、なぜ考えなかったのか?
 彼に夢をかなえてもらいたい一心でしたことだったのに……。
「ヨルディア」
「は、はい」
 突然名を呼ばれ、あわてて目をこすって顔をあげた。
「いつまでも見てないで、食べたらどうだ――って、どうした?」
 目じりに浮かんだ涙にするどく気づいてあわてる宵一に、ヨルディアは首を振る。心配ないと、懸命に笑顔も見せた。
「なんでもありません。ほこりが飛び込んできて……。
 今、食べます。ちょっと熱くて、冷ましていたんです。宵一は?」
「俺は先にすませたよ。いいから冷めすぎないうちに食べてしまえ」
「はい。……いただきます」
 両手を合わせてから、スプーンを持つ。
 ヨルディアの頭に、ぽん、と宵一の手が乗った。
「俺は大丈夫だよ。おまえもいるし。それに、後世だれかが書くザナドゥ魔戦記の1ページに俺たちの名が載るのも一興だ」
 その言葉に、抑えていた涙がまたにじんだ。
「がんばり、ます……」
「うん。がんばろう」
 宵一は必ず助ける。たとえ、この命にかえても――ヨルディアは何度も何度も心に誓い、その言葉を噛み締めていた。




「えーと。まず、ここまで運んできてくださって、ありがとうございました」
 サークルに入れられた、とある葦毛の馬を前に、イータ・エヴィ(いーた・えびぃ)はぺこっと頭を下げた。
「今日はいよいよ敵の軍と戦うことになります。今まで以上にお世話になるかと思います。今日は、よろしくお願いします」
 もう一度、ぺこっ。
「…………」
 お礼というにはかなり長い分数下げっぱなしにして、考えていたイータは、ごそごそカバンの中を掻き回して、進軍中のおやつにしようと思っていたリンゴを取り出した。
「あ、ちょっと待ってね」
 リンゴを見た途端興奮しだした馬の鼻に触れ「待った」をかけて、急いでもう一度カバンを探る。小さな折りたたみナイフで手早くリンゴを8等分にしてから、馬の口に運んであげた。
「ふふっ。おいしい?」
 一心不乱に食べる馬の鼻筋を、いいこいいことなでるイータ。
 なでているうちに、だんだんとイータの表情が曇っていった。
「馬さん、ワタシね、ワタシ……」
 口に出していいものか。きょろきょろと周囲を探って、だれもいないと確信してからイータはつぶやく。
「ワタシ、ほんとは、戦いたくないんだ……。だって、この戦いってほんとに必要なの? そりゃ、東カナンの人はアガデがあんなふうにされたから、その報復だっていう気持ちは理解できるんだけど……」
 ううん、ほんとは、そう考える理屈は分かるってだけだ。理解はしてない。故郷を焼かれたり、友達や家族や親戚を惨殺された人の気持ちは、逆さにして振られたって理解できるはずがない。理解できるなんて思ったりしたら、傲慢だと思う。
 だけど、これは東カナンの人には必要な戦いなんだって分かるから…………今まで口に出せなかったのだ。
「ワタシ、思うんだ。ほんとは、もっとほかにしなけりゃいけないことがあるんじゃないの? って……」
 それきり、黙り込んでしまったイータの気持ちを感じ取ってか、馬が鼻先で肩を押してきた。
「なぐさめてくれるの? ありがと。でも、落ち込んでないから。ちょっと考えてただけ。
 これから戦いだっていうのに、泣き言言ってられないね。ごめんね、心配させちゃって」
 精一杯つま先立ちして、馬が下げてくれた頭をいいこ、いいことなでる。
 それから、イータは「ばいばい。またあとでね」と手を振って離れていった。
 馬の餌箱の影で座っていたラック・カーディアル(らっく・かーでぃある)の存在には気づかないまま……。




 戦闘準備に余念のない人々で騒然となっている天幕の間をてくてく歩き、月詠 司(つくよみ・つかさ)は自分とパートナーの天幕まで戻ってきた。
「ただいま」
 入口の垂れ幕を持ち上げ、中に入る。彼を見て、シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)アゾート・ボムバストゥス(あぞーと・ぼむばすとぅす)の表情がぱっと期待に輝く。
「お帰りツカサ。それでどうだった?」
「許可とれた? ねっ? ねっ??」
「とれましたよ。ギリギリでしたけどね。
 こういうのがほしいなら、昨日の夜のうちに言ってほしかったですね」
 許可書を司の手からパッと奪い取ったアゾートに、その言葉を聞いているフシはない。
「あ、ちゃんと速騎馬兵だ。ツカサのことだからほかのと間違えるかもしれないねって言ってたんだけど」
「間違えませんよ、そんなことぐらい」
 これも耳に入れている様子はなし。
 ふう、と息を吐く司の目に、きちんと正座しているアイリス・ラピス・フィロシアン(あいりす・らぴすふぃろしあん)の姿が入った。
「おはようございます、アイくん」
「……おはよう、ツカサ……」
 耳をすましてようやくかすかに聞こえる声量で、ぽそぽそつぶやく。その声を聞きとろうとするように、無意識的に司は彼女の隣に腰を下ろした。
「やれやれ。いきなり速騎馬兵を指揮したいなんて言いだして、シオンくんたちは今度は何を思いついたんでしょうね?」
「……分からない……」
(多分……今は大丈夫。それにおかあさん達の不穏な話は、いつもの事……気にしたら負け)
「んねっ、ツカサ!」
 アイリスの返答は、シオンの元気いっぱいの声でかき消されてしまう。
「何ですか?」
「今ね、アゾートとどっちがいいかって話してたんだけど、どっちも甲乙つかなくて。ツカサはどっちがいいと思う?」
「A『ふらわし』、B『アニメイテッドツカサ』」
 ナンデスカ? ソレハ。
「Aは完全意味不明ですが、Bはそれ、死体じゃないですかっ!?」
 まさか私を殺して何かしようと!?
 通常なら「冗談冗談」ですむ話も、この2人にかかっては9割強冗談にならないからおそろしい。
 警戒の目で見る司に、シオンが笑って手を振って見せた。
「ああ、やだ。違うわよ。さすがにワタシたち、死体を操る技術も生き返らせる技術もないから……まだ」
 「まだ」って……それは喜ぶところなのか、不安に感じるところなのか……。
「じゃあ何です?」
「もちろん、ツカサが死体のフリして魔族兵に驚いてもらうのよ! ホラ、死んでる人が動いたらホラーでしょ? まぁ、アンデッドに比べたら迫力はちょっぴり落ちるかもしれないけど、そこはツカサの演技力に期待ということで」
「まぁアゾート、ツカサに期待するなんて危険だわ。もしもっていうこともあるし、ワタシたちが手を貸してあげないと」
「んー? それもそうね。じゃあスキル封じて、手足ブラブラしてるのをシオンのフラワシで引きずり回して……あ、もちろん反撃されても痛がったりしちゃダメよ?」
「……なんか、2人の会話が小芝居がかって見えるのは、気のせいなんでしょうか……。もしかして私がいないうちに練習とかしました?」
「ん? 何か言った?」
「い、いえ。何でもありませんっ」
 プルプルッと首を振って、ツカサは無難に「A」を選択した。それが何かは分からないが、「B」の、死体のフリして引きずり回されたあげく(ってこれ、戦場でみんなの注目浴びたらすごく恥ずかしくない!?)、敵にグサグサ刺されるかもしれない作戦より、きっと、多分、数倍マシだと言いきかせて。
「Aねぇ……分かったわ。ちょっとBも惜しい気がするけど」
「べつにあきらめなくても。SP尽きたらBに変更っていうのもいいんじゃない?」
 いえ、そこはスッパリあきらめてください。
「まぁいいわ。じゃあアゾート、ワタシたちはどういうふうに動きましょうか?」
 2人が相談を始める。
「はは……アイくん、念のため、魔鎧形態での防御をお願いできますか?」
「……任せて……」
 もうあきらめの境地で、聞くともなしに2人のたてる『ふらわし』作戦を聞いていた司は、ふとあることに気づいた。
「その作戦、速騎馬兵借りる意味あるんでしょうか?」
 司からの質問に、シオンとアゾートが互いを見て、んー? と考えこむ。
「あら。ないわね」
「計画立ててるうちにどっかいっちゃった」

 えええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?