葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

年の初めの『……』(カギカッコ)

リアクション公開中!

年の初めの『……』(カギカッコ)
年の初めの『……』(カギカッコ) 年の初めの『……』(カギカッコ)

リアクション


●ツンデレーションを今年もよろしく!

「初詣といえば振袖です!」
 ぐっ、と茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は拳を握り力説した。
「それはもう、海と言えば水着というほどに!」
 これを目にして、若松 未散(わかまつ・みちる)は衿栖よりは抑えめだが良く通る声で返答した。
「まあ日本人として初詣に行くのは当たり前だからな。それはもう、インド人と言えばカレーというほどに」
「しっかりと返してくれてありがとう」
「どういたしまして」
 さてこの場所はどこかというと、大型トレーラーを改造した楽屋なのである。
 新作用のジャケット撮影の一環として、二人は野外撮影をしていたのだが、終えてここに戻ってきたのだ。
 野外撮影という耳慣れない言葉が飛び出したが、これは二人にとって日常であった。何を隠そう衿栖と未散は、芸能事務所846プロダクション所属のアイドルユニット『ツンデレーション』なのである!
 ……重要事項なので力説してしまった。まあ、ともかくだ。
 撮影時間はおしてしまったが、ようやく仕事が終わりこれから二人はオフなのだ。振り袖は未散が選んで用意している。さっそく着付け、と行きたいが、
「ただここで問題が!」
 またもや拳を握り衿栖が言った。
「その問題とは?」
 お約束のよう未散が合いの手を入れた。すると、
「実は私、着付けができないんです!」
 どや、とでも言いたげな顔で衿栖は声を上げた。「できないんです!」「できないんです!」「できないんです!」「できないんです!」……トレーラー内に衿栖の宣言が、エコーとなって繰り返された。
「なんだそんなことか何かと思えば……。ほら、手伝ってやるよ」
 本当は家に来てもらったほうが広くてやりやすんだけどな、と言いつつ、未散は衿栖を立たせ、衣装棚を空ける。
「あーそうそう、こっちの着物は衿栖用に私が適当に選んどいたやつがだから……」
 このときトントンと、トレーラーのドアを叩いてドアが数センチだけ開いた。
「お二人とも着替え、終わりましたかー? 入りますよー?」
 ドア陰から聞こえるのは伊藤 若冲(いとう・じゃくちゅう)の声だった。
「入るんじゃないよ伊藤! 今から着替えだよ!」
 未散は少々乱暴に返答する。
「ああそうですか。失礼しました。ところでさっき、『適当に選んだ』とかおっしゃってましたが、未散さんが衿栖さんに選んだ振袖って、適当どころか何十回も呉服屋通って選んだやつなんですよ実はー」
「っておい! 伊藤! 余計なこと言うな!」
 未散は真っ赤になり、牙を剥くような顔でドアに蹴りを入れた。「ひゃー」なんて声を上げて若冲が吹っ飛ぶ手応えがあった。
 というわけで着付けに入る。未散は衿栖の服を脱がせ、むぅんと呟いた。
「衿栖って意外と胸大きいよな……サラシでつぶすか」
 普段一緒にいるが気づかなかった。着痩せするタイプらしい。
「え、サラシ巻くの? 振袖ってそういうもの?」
「わ、私だって鬼神力使えば胸だって……いや、コホン」
 空咳して未散はいくらか小声で、昔の日本人の体型に合わせたものだから、とかなんとか合理的な(?)説明をした。
「そっかぁ未散さんが言うなら本当だよね」
 普段から着ているだけあって未散の手際はいい。自分の分の着付けもすぐに済ませ、あっというまに着物美人が二人誕生である。
「着付け終わり! 衿栖もいつもの人形みたいな服と違ってこっちも似合うじゃん」
 髪もアップして束ね、綺麗な襟足がよく見えるようにしておいた。一方で衿栖も未散を上から下までたっぷりと鑑賞すると、抱きつかんばかりにして声を上げた。
「うわぁ〜、未散さん似合ってるー! 可愛い! ハルさんの感想が楽しみだね〜」
 いきなり飛び出した気になる名前に、不意を突かれたか未散は思わず『やめなさい』の手をして衿栖にポンとツッコみをいれるのだ。
「ってなんで一々ハルの話題をふるんだよ!」
 くるりとかんざしを直すフリして照れ隠しに背を向けて、
「別に私の和服なんて見慣れてるだろ……まあ髪をアップにしてみたのは初めてだけどさ……」
 などと気恥ずかしげにいう。そのあたり、やっぱり乙女の未散なのだった。

 がちゃりとドアが開き、トレーラーから衿栖、未散は同時に姿を見せた。
「お待たせー」
 振り袖を見てもらいたくて仕方がないのか、衿栖はくるり回って得意げな表情だ。
「流石はアイドルですね、お二人とも似合っていますよ」
 蘭堂 希鈴(らんどう・きりん)は手を叩いて両人を称えた。
「新春にふさわしい晴れ姿だな」
 南大路 カイ(みなみおおじ・かい)の言葉は短いが、感じ入っている様子である。
「二人ともかわいいですねー! さすが未散さんが苦労して衿栖さんの着物を……」
 またも口を滑らせかけた若冲だったが、また未散に吹き飛ばされてはかなわないので言葉を濁し、「未散さんも素直じゃないですね〜」
 と言い括ってはっはと笑った。
 未散は称賛をうけてはにかんだ笑みを浮かべていたが、実は彼女の目は、トレーラーの袖待っていたあと一人の男性、ハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)の反応をちらちらとうかがっていた。
 なのにそのハルは、なにやら惚けたように立ち尽くしているばかりで気の効いたことを言うでもない。すぐにこれを察し、希鈴がそっと肘でハルをつついた。
「ハル様? ぼーっとしてますが頭のネジでも緩みましたか?」
「あ、いや、失礼。……あー、わたくしはネジではなく電池式でございます」
 などと空回り気味の冗談で返しつつハルは一礼した。淑女二人に捧げるべく深く頭を下げて、
「お二人とも素敵ですよ。
 未散くんも……その髪型も似合いますな」
 しかし、そうは言いながらハルは目を逸らし気味だ。未散の姿がまばゆくて、正面から見ることができないのだ。
「あ……うん。ども」
 だけど未散も同じようなものだ。頬が熱くなっているのを悟られたくないので横を見ながら答えている。
「いやあ、まったくもって……」
 若冲は苦笑いしてカイに身を寄せ、彼の犬耳にだけ聞こえるような小声で耳打ちした。
「まったくもって素直じゃない。未散さんはもちろんですが、素直じゃないのはハルさんのほうも相当なものですねー」
「そうだな」
 カイは一言で答えて、特に感慨もない様子で言った。
「そろそろ行った方がいいだろう。すっかり外も暗くなってしまった」
 冬の日没は早い。時間としてはまだ夕方だが、空は星がまたたくほどである。
 カイは一行の最後尾を行きながら、腕組みしてなにやら思案げな表情を浮かべていた。
 
 アイドルたるものプライベート確保も命懸け、ということで、なるべく混乱を避けるように、一行はお忍びで神社の敷地内に入った。
 希鈴と若冲が先頭、間を未散と衿栖が横並びし、後方はハルとカイで囲むようにした。
 ユニットを組んで最初のお正月……急速に売り上げ上昇中の二人である。下手を打てばファンに気づかれ、取り囲まれて身動きもできない状況に陥る可能性があったため、こうした措置をとったものだった。日が暮れてからということもあって、人目を惹かずに本殿まで到着する。
 しかしそこからが大変そうだ。なにせ、賽銭箱の前にはずらーっと行列ができているのである。
「ったく人多いな!」
 敷地に入ってからここまでだけでも結構歩いたので、未散は唸ってしまう。
「まあ、おかげで注目を浴びないまま参拝できるというものです」
 並びますか、とハルが列の最後尾を示すと、
「あ、それなら心配ご無用」
 と言い衿栖はなにやら取り出した。
「ジャーン! 500円玉〜。これで遠くからでもお賽銭が届きます! 額が額なので、これ一枚で全員分のお賽銭ってことで!」
「アイドルになろうとも、衿栖お嬢様の金銭感覚はしっかりしていますね。ええ、褒め言葉ですよ」
 ハルが恭しく言った。
「えっ、じゃあもうすぐ手をあわせていいのか!?」
 未散はぎょっとした。賽銭箱に着くまでに考えればいいや、と思っていたらしい。
(「どうしよう私まだ何お願いするか決めてない! えーっと……」)
 しかし未散があれこれ考えている間に、ぽーんと衿栖の手から賽銭が飛んだ。
 ぴかぴかと流星のように輝く硬貨は、人混みの頭上を飛び去り、吸い込まれるようにして消えていく。
 衿栖たちは一斉に手を合わせた。
 ……そして硬貨は、かれこれ一時間は祈祷していた七刀切の頭に命中したのである――が、衿栖の位置からはそれは見えない。

「ん? なんだ?」
 命中したものが襟首に入ったので、これを抜き取って切はしげしげと見た。
「神様がお釣りをくれたのか……?」
 どうせなら領収書もくれればいいのに。
 ともかく、そろそろ帰るとしよう。
 なお、待ちくたびれてイトリティは本殿の陰で熟睡していたとか。

 衿栖は一心に祈った。
(「今年がツンデレーション飛躍の年になりますように! 未散さんともっともっと仲良くなりたい!」)
 こちらが第一希望だ。そして……こちらもついでに祈っておく。
(「あと……り、リア充になりたい」)
 りあじゅう きがん したって いいじゃないか おんなのこだもの。
 未散も祈った。
(「衿栖ともっと仲良くなれますように。ハルがこれからもずっとそばにいてくれますように」)
 ……って! 未散はあることに気づいた。
 これって、七夕で願ったこととまるで同じだ。とっさに思いついたのがこれなのだ。まあいいか、と考え直して未散は微笑した。
 若冲は祈るより先に、ハルに声をかけていた。
「ハルさん,
なんか悩んでます?」
「悩み……? いや、別に……」
 嘘ついてます、と顔に書いているような表情でハルは横を向く。
 図星だ。
 ハルの心中は穏やかではなかった。
「自分も仮面に負け、再び彼女を仮面の虜にさせておいてよく言うな」
 先日、ある事件でダリル・ガイザックに言われた言葉が、彼の胸の内でまだくすぶっていた。事件は無事終わったものの、鋭い棘が、まだ心臓に突き刺さっているように感じている。
(「わたくしは未散くんのことが大切だと言いながら何度も危険に晒してしまいました……未散くんを守れるほどの力がほしい、とは思うのですが、神頼みというのもおかしな話ですね」)
 もどかしい、己の不甲斐なさが。
 このときハルの肩に、大きな手が置かれた。ふさふさした白い毛に包まれた手、カイの手だった。
「ハルよ、私に生き別れの家族がいるのはお前も知っているだろう」
 カイは大きな声を出さなかった。注意していないと聞き逃しそうな声だ。しかし、ずん、と重みのある発言だった。彼の経てきた人生が、言葉に重量を付与しているのだろうか。
「私にとっての家族は、お前にとっての未散のようなものだ。隣にいるのが当たり前と思っていると唐突に失うこともある。お前は私のようにはなるな」
 すかさず若冲も言い足す。
「別に神頼みだっていいじゃないですか。一番揺らぎ易い自分の心を神様に約束することで縛るんですよ。物は考えようです」
「お二人とも、ありがとうございました。忠告通りにさせていただきます」
 ハルは手をあわせた。
(「未散くんを守れるくらい強くなります」)
 それは願いというより、誓いだった。
 神と約束したのだ。決して逃げてはいけない。逃げない。

「え? なにをお願いしたのか、って? ふふふ、秘密ですよ〜」
 衿栖がくすくすと笑っている。彼女の手にはおみくじがあった。『大吉』と大書きしてあるので、嬉しくて木にくくらず持ってきたのだ。
 一行は神社を離れ、近くの居酒屋に向かっていた。
 事前に聞いている話では、全国の銘酒に焼酎、加えてなぜかブランデーの旨い店だという。海鮮料理中心だが、ピザやグラタンにもさりげなく定評があるらしい。オールラウンドの居酒屋ということだ。
 店内、ほの明るい一番奥の個室では、先に来ておいたレオン・カシミール(れおん・かしみーる)神楽 統(かぐら・おさむ)が、席を温めると称してもう酒を始めていた。
「今日は新年会兼打ち上げということだが?」
 統はなかなかいける口だ。辛口をグラス二杯ほど干している。
「あぁ、これから公開される映画に『ツンデレーション』の二人が主演していてな。先日クランクアップしたわけだ」
「そういう話もあったな。忘れていた訳じゃないが、ツンデレーションの活動は集中的に入っているから……」
「なに、まだ公開は先だが、新年会も兼ねてフライング気味の打ち上げだ。失念していてもおかしくはない」
「ならいいのだが。……ところで、主役が来てないというのにどんどん呑んでしまって良いものだろうか?」
 空になったグラスを升に戻し、統は熱い息を吐いた。
「そもそもは、ゆっくりと酒を楽しもうと思って先に来たのだ。準備は……名目だな」
 レオンはさらりと告げて障子を開けた。店員に声をかけている。
「追加、焼酎でいいか? 珍しいのが入っている」
「同じものを頼もう」
「そう言うと思って瓶で注文してある」
 焼酎が運ばれてくると、無造作にレオンは二つのグラスに均等に注いだ。ヨーロッパ生まれのレオンに、酒を水で薄めるという習慣はない。氷も運ばれてきたが手をつけなかった。
「米焼酎その名も『見すてないで』、だ。この店にはないのが残念だが、スッポンと一緒に呑(や)ると最高だ」
「なんとも通好みの組み合わせだな。それにしても変わった名前だ。はは、見捨てないで……か」
 ぐっと口に含むとなるほど旨い、しかし丸みのある味わいとは裏腹に、強烈なアルコール度数のようだ。統も呑めるほうだが、これを数杯も空ければたちまち眠ってしまうだろう。
「俺は未散を見捨てたりしない……絶対に」
 グラスを見つめたまま統は言った。
 レオンは何も言わない。統に語りたいことがあるのだと、判っているから。
「そういえば俺とお前は二人の師匠って立場だったな。お前は衿栖の、俺は未散の」
「ああ」
「未散はさ俺の大切な人……妹に似てるんだ」
 酒のせいだろうか、統はこれまで、一度も明かしたことのない過去の話を口にしていた。
「生まれつき盲目で病弱で、十四歳で死んじまったけど……。
 目が見えない代わりに面白い噺いっぱいしてやろうと思った。けど気付いちゃったんだ」
 促すようにしてレオンは杯を自身の口に運んだ。
「生まれた時から盲目の人に空の青さを伝えるとき、何て言えばいい?」
 ぐいと乱暴に、統は残った焼酎を胃に流し込む。口元を拭って、
「こんな簡単なことさえ言葉にできない俺は落語家失格だ。
 だからやめちまった」
 高座に上がるのはもうやめたということだ。彼が裏方として生きる道を選んだのはそのためだった。
「未散にはさ、落語家として成功してほしいし女の子としても幸せになってほしい。俺が成しえなかったこと、妹ができなかったことをしてもらいたい……それができる才能があいつにはある。まだ荒削りなところはあるが、本当はアイドルなんかほどほどにして、落語一本で身を立ててほしいくらいなんだ」
「アイドル稼業も芸の肥やしさ」
「違いない。だから、今のままでいいと思う。あとは精進して……」
 ここで統は思わず、からからと笑い出したのである。
「おいおい、なんで俺、お前にこんな話してるんだろうな? はは、酔っ払ったかな」
 重くなりかけた空気を吹き飛ばすように、統は剽げた口調で言うと、
「さっきの話は忘れてくれ」
 背もたれに頭を預けて、自分の額に右手をやった。
「染みるなあ、この米焼酎……『見すてないで』か? そう願いたいな。今夜の俺の肝臓に」
 うっすらと笑みを唇に浮かべると、レオンは何も言わず彼のグラスに酒を足した。
 自分の分も均等に注いで、
「乾杯しないか? お互いの弟子の、近い将来での成功を祈って」
「ああ」
 チン、と二つのグラスが軽い音を立てた。
 それから間もなくして、ガラガラと戸が開いた。
「うわっ、酒くさっ! まさかもう酔っぱらってないだろうな」
 目の覚めるような振り袖で、未散が姿を見せた。もちろん衿栖たち全員が一緒である。
 がばと身を起こした統は目が座っていた。
「こら不肖の弟子! 酔っぱらったら負け、ってのは噺界の常識なんだよ。おまえようやく二十歳になったんだろ。師匠の杯を受けろ」
 未使用のグラスを取って『見すてないで』をどくどく注ぐと、ほれ、と未散に差し出した。
「なにこれ焼酎? まあ成人したことだしちょっと飲んでみようかな……」
 これをジュースのように一気して、未散は「ふわぁ」と惚けたような声を上げた。
「なんか暑いよ……でも人恋しいよ……衿栖〜」
 と、座ったばかりの衿栖に抱きつく。
「え、えと、未散さん、大丈夫ですか〜!」
「噺界じゃ酔っぱらったら負けが常識だ、大丈夫に決まってるじゃない!」
 そして未散はぴしりと、目の前に座ったハルを指さして、
「お前はあれから色々気にしてるみたいだけど、私はお前に守られなきゃいけないほど弱くない! だからあんま気にするな」
 あれ、というのは仮面の事件のことなのだが、もう未散は舌がまともに動かず、ろれつが回っていないのでハルにはよく事態が飲み込めなかった。
「えーと……それってつまりどういうことなのでしょうか!?」
 しかし未散の返事はなかった。
 衿栖に抱きついたまま眠ってしまったからだ。
 無防備すぎる未散のうなじ、それに鎖骨が見えてしまい、またまたハルは彼女をまともに見ることができなくなってしまった。

 この夜の大騒ぎはこれが発端で、まだまだ色々あるのだが、残念ながらここで紙幅が尽きたことを申し伝えておきたい。
 以来、一行の間では、2022年元旦のこの夜は「米焼酎『見すてないで』騒動」と呼ばれ語り継がれることになる。