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海の都で逢いましょう

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●ロシアンカフェの誘惑!

 コスプレ可能ゾーンの一角に、それは素敵なロシアンカフェが出店している。
 店名を問われれば、
そのスタッフルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)は答えるだろう。
 ――『ネコ耳メイドさんのいるロシアンカフェ』と。
 割とそのままなのである。
 もうこれで想像できた人、ご名答。そう、その店では榊 朝斗(さかき・あさと)が、彼にとっては定番(!?)になりつつある猫耳メイドに変身して給仕を担当しているのだ。
 こうなった事情は、ほんの数分前にさかのぼる。
「え? ロシアンカフェを手伝ってほしい? 風紀委員として職務を果たしたいんだけどなあ」
 ルシェンに言葉巧みに誘われ、仕方なく屋外にカフェ設営のため訪れた朝斗だが、そもそもこの『ロシアンカフェ』という業種にもう少し警戒心を持ってもよかった。
 なんのかの言っても人の好い朝斗はプレハブ的に建てられた店の装飾を手伝っていたのだが……そのとき彼の背後から、
「Попался!」
 忍び寄った黒い影、否、ブルーな影に捕らわれ、暗黒のブラックホールが突如口開いたとでもいうかのように、店の奥まった一角に引きずり込まれたのである。
「えっ! 何!? 何事!?」
「何事、って? ただ事じゃないのは確かですよっ☆ 観念しなさい朝斗君!」
「その声は佐那さ……あーうー!」
 実はここ、事前に朝斗の姉的存在富永 佐那(とみなが・さな)が、密かに設置していた簡易更衣室に連結していたのだった。といっても、最近では滅多に見かけることもない電話ボックス程度の広さしかないので、二人入るとかなりの圧迫感だ。
 朝斗のシャツに佐那の指がかかった。彼女の反対側の手は、彼のズボンを引き下げようとしている!
「ま、待って待って待って! それはなし! なしだよ!」
 電光のように閃く。
 どうやらここで着替えさせられそうだ、と。
「なし、という言葉こそなーしっ☆」
 佐那は無視して湯でエビでも剥くようにどんどん朝斗の服を剥いていくのだ。しかも、
「ふふふ……こういうのは速さが決め手です!」
 なる発言とともにルシェンが参入、えいやと更衣室に飛び込んだ。繰り返すがここは狭い。なんと三人で電話ボックス程度の空間を埋めるという厳しい密着度での騒動を演じる。
「く、苦しいって……やめてー」
 朝斗は少女の胸を押しつけられたり(それが佐那かルシェンかは判らなかった)、それで窒息させられそうになったりと大いにパニックに陥るわけだが、手慣れているのかたちまち少女二人は、そんな彼の変身に成功していた。
「できあがり!」
 ルシェンが手を引き、朝斗……いや、ネコ耳メイドあさにゃんを陽の光の下に連れ出した。
「どう、もう癖になってきたんじゃない?」
 朝斗改めあさにゃんは弱々しく抗議したのである。
「なってない……つもり」
 もう通算23回も変身させられてきた――あ、これで24回目か?――なので、ちょっと説得力のない台詞であることは自覚しているようだ。
 桃色のエプロン、同じ色の猫耳&猫しっぽ、清潔そうなメイド服にブルーのリボン、衣装のほうぼうはレースで飾り立てられ、頭のカチューシャもふわふわなのだ。華奢な体躯に大きな目、あまり高くない身長と小ぶりな手もあって、どこへ出しても恥ずかしくないような猫耳メイド男の娘のできあがりである。おまけに今日は海仕様ということで、スカートの丈はずいぶん短くされており、女性と見紛う……いや、並の女性以上にすべすべな生脚をさらすはめになっている。
「このオチ、妙に既視感があるよ……」
 朝斗は呟いた。潮風のせいもあり、普段よりいちだんと足元がスースーするので大変に落ち着かない。
「いいじゃいないですかいいじゃないですか」
 満面の笑みをたたえ、母猫が仔猫にするように彼の耳に唇を寄せて佐那は囁いた。
「その格好、本当よくお似合いですよっ☆」
 だから私も思わずお揃いにしちゃいました、と佐那は胸を張る。
 その通り、佐那も瞬く間に着替えてきたのだ。
 ブルーのウィッグとグリーンのカラーコンタクトを着用し、ときどき変身してきたコスプレネットアイドル『海音シャナ』にチェンジしているが、それにとどまらず今回は、ブルーの猫耳&猫尻尾を付け本日だけの限定版として『海音シャにゃん』あるいは『海音シャナver.あさにゃん』の出で立ちへと変貌していた。もちろん衣装も、ブルーを基調としたメイド服である。必死で水着を拒否した朝斗と違い、彼女の衣装の下はドレスコードの水着なので、チラリもアリという胸ときめくお姿だ。もうこれは、男女問わずモエるか惚れるかという力強い二者択一を迫っているスタイルと言えよう。
「今日はこの格好であさにゃんを手伝っちゃいますっ☆」
 これを聞いて、やったー、というようにあさにゃんは両手上げてバンザイした。
 といってもバンザイしたほうのあさにゃんはあさにゃんであってあさにゃんにあらず、でもあさにゃんなのだ……て、わけがわからなくなってきた。要するに、現在、ぴょんと跳んで朝斗(あさにゃん)の肩に乗ったちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が諸手を挙げたということである。
「ほら、ちびにゃんも歓迎だって」
 佐那は小さいほうのあさにゃんを示して言った。以後は本リアクションも佐那に倣って小さいほうを『ちびにゃん』と称することにする。
 ちびにゃんは忍者よろしく音も立てずテーブルクロスに移った。これぞ空飛ぶテーブルクロス、要するに魔法の絨毯的な便利アイテムである。こうやって給仕を手伝うというのだ。
「朝斗いえ、あさにゃん……可愛い! 佐那さんこと海音シャにゃんも素敵すぎますっ☆」
 思わず佐那風に星の輝く口調になり、ルシェンは恍惚の表情となった。
「ほら、アイビスも感想を言ってみて」
 ルシェンにつっつかれ、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)もポツリと言った。
「……似合っていますね」
 喜怒哀楽の差が乏しいアイビスだが、年始頃から徐々に人間性が表に出るようになってきている。この口調も、これまでのアイビスと比べるとずっと柔らかく、そこに嘘がないことがわかった。
「ありがとうございまーすっ☆」
 佐那はアイビスに抱きつかんばかりにして喜び、あさにゃんも、
「複雑な心境だけど……」
 嬉しいよ、と言ったのだった。あさにゃん(朝斗)が喜んでいるのは、褒め言葉そのものだろうか、それとも、アイビスが好意を示してくれたことだろうか。
「おっと、お客さんが待ってるよ。お仕事お仕事」
 くるっと優雅にターンして佐那は、
「Здравствуй☆Добро пожаловать☆」 
 その出自に由来する完璧なロシア語で来客を迎えた。
 真夏のような好天だ。外は暑い。それだけに、屋根があり冷たい飲み物も用意されたカフェはいきなり好調の様相であった。
 ここで影のように、足利 義輝(あしかが・よしてる)ならびに立花 宗茂(たちばな・むねしげ)が出てくる。
「では我々は、裏方仕事をするとしよう」
「看板娘のお二人には大いに活躍を期待したいところです。調理やゴミ出し、食材追加は私どもにお任せあれ」
 かくてこの万全たる体勢で、砂浜に出現したオアシス、『ネコ耳メイドさんのいるロシアンカフェ』はスタートしたのだ。
 なお、あさにゃんの正体が朝斗という真相は世間一般には知られていないということはここに付記しておきたい。