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リアクション
chapter.7 眩む愛
Can閣寺大部屋。
会談の場では、歩やコアが語りかけた愛への疑問が、間座安の感情を大きく動かしていた。さらにそこへ、これまで末席で話し合いを聞いていた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が一石を投じた。
「すみません、どうも私は、あなたの言葉に引っかかりを感じずにはいられません」
凛とした声でそう言い放つゆかり。
そもそも、彼女がこの寺と関わったのは随分と前のことであった。
彼女の記憶にあったのは、体験学習の時のCan閣寺である。
しかし、いざ久しぶりに訪れてみれば、男子禁制のはずがちらほらと男の姿があり、さらに知らない仲ではないラルクまで捕らえられているという。
さらには目の前にいる謙二と間座安が兄弟だったという事実も聞かされ、ゆかりの記憶にあるものとはだいぶ離れてしまっていたようだった。
そんな彼女でも、この間座安という人物が危険だということは充分に理解できる。それほど、彼女が間座安から感じ取った歪みは強大なものだったのだ。
ちなみにゆかりが間座安と視線を交わしている間、パートナーであるマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)はじいっと謙二の方を見つめていた。
「……なんだ、お主は」
「いや、特に」
「ならばこっちをじろじろ見るでない」
謙二にたしなめられるマリエッタ。一体彼女は何をしたかったのだろうか。ひょっとして、ただ興味本位で謙二を見ていただけなのだろうか。
それは彼女にしか分からないが、ともあれゆかりの放った言葉は、そんな些細なやり取りをシャットアウトさせてしまうほど、場に緊張感を与えていた。
「私の言葉に、ですか」
少し落ち着きを取り戻した声で間座安が言うと、ゆかりはすぐさま言葉を返した。
「はい。住職さん、あなたが説く『愛』はどこか歪んでいるように思えます。私はそういうことに疎いから、言葉ではうまく言えませんが……」
「ならば、言わなくて良いですよ。愛に疎い者が愛を語るなど、できないのですから」
ゆかりの言葉を遮断し、間座安が言う。やはりこの人物は、愛に関わることになると過敏になるようだ。
今度はそこに、歩が再度声をかけた。
「歪んでいるのかどうか……はあたしには分からないですけど、あたし、思ったんです。住職さんの愛はもしかしたら、親の愛に近い感じで、しっかりした愛なのかもって」
歩の言葉を黙って聞き入れる間座安。しかし、そこで彼女の話は終わらなかった。
「でも、親の愛って、自分の子供が他の誰よりも大切だって思ってるから許されるものだと思うんです。住職さんは、みんなを愛してるって聞きました」
「ええ、その通りですよ?」
「それって、すごく素敵だし、尊敬できるんですけど……」
少し間を置いて、やや言いにくそうに、それでも歩はその言葉を告げた。
「ひとりひとりへの関心は、薄くなっちゃうんじゃないでしょうか。目線を合わせないと、アイがきっとわかってもらえないですよ……なんちゃって」
厳しいことを言ってしまったのをぼかすためだろうか、歩は最後に少しだけおどけてそう言ってみせた。
「……」
間座安が、歩の言葉にどう返そうか小考する。
その時だった。
ガラッと、部屋のふすまが勢い良く開いた。部屋にいた全員がその方向を見る。そこに立っていたのは、先ほど救出されたラルクであった。
「途中からだがよ、話は聞かせてもらったぜ」
ラルクはその巨体を部屋の中に入れると、謙二のそばへと歩み寄り、向かいにいる間座安を睨みつけた。
「愛だの何だの言ってるけどよ……テメェがこの寺を作ったのは、その愛を教えるためだってのか? 一体、何の目的でCan閣寺をつくった!」
鼓膜を震わせる声が、部屋に響く。
この時、正直に言って間座安には余裕があった。
愛の本質を、目の前にいるこの者たちは知らない。話し振りからして、おそらく謙二も教えてはいないのだろう。
相手の本質を知り得ない者に対して、人はどうしても先手を打ちにくいものなのだ。
さらに、目の前には屈強そうな男もいるものの、見渡せば式部を筆頭に、こちらの駒として使えそうなものがそこそこある。
もしもの事態になっても、切り抜けられる算段は立っていた。
しかし、間座安の思惑通りには進まないのであった。
「……!!」
マイから話を聞いたコハクが、テレパシーで送ったメッセージが、この時、何人かの契約者に届いたのだ。彼が送ったメッセージは、言うまでもなく住職が語る愛について。
その恐ろしい内容を、彼らは間座安の知らないところで知ることとなった。
そしてそのメッセージは、謙二のところへも届いたようだった。
「これは……」
謙二は、このテレパシーが絶好のきっかけだと判断した。おそらく自分以外にもこの面妖な術は使われたのだろう。そう思い、目の前の間座安の言う愛によって植え付けられた、過去のトラウマを口にした。
「……兄者よ、もう、すべてを語るべきではないのか」
「いいのですか? あなたは侍なのでしょう。恐怖に逃げた過去を、その口で語りますか」
間座安が揺さぶろうとするが、もう謙二の心は揺れない。謙二は、ぽつぽつと語り始めた。
「今拙者も、何処からかの伝言を受け取った。そしてここにいる者たちに言おう。今聞こえた言葉は、誤りではないと」
その言葉に、瞬間、部屋がざわついた。
――住職の愛は、男と女の垣根を取っ払う。
それが事実だと謙二は言う。
「拙者がここに来ることも、兄者と関わりを避けていたのも、それが原因よ」
度々その問いをしてきた修也の方を向き、謙二が話し始めた。
「この住職――いや、兄者は、幼い頃より理解し難い思想を持っていた。世の中が、男と女に分かれていることがおかしいと、ずっと思っていたのだ。先日『兄だった』と言ったのは、今はもう兄ではない存在だからだ」
謙二が間座安を見て言う。それはつまり、間座安の思想からすると、その意味はひとつだ。
「まだ五つ、六つの頃であったか。兄者は、拙者の目の前で自分の肉体の一部を切り取ってみせた。『これは不要だ』とな。その光景が、未だに拙者の頭から離れぬ」
さらに、と謙二は続けた。
「兄者は、拙者も同じような体にしようとしてきた。そう、今のように『愛を教える』などと言ってな」
謙二が抱えていたトラウマの正体は、これであった。
男とは、女とはと彼がこれまで幾度も頑に主張していたのは、このトラウマが原因であろう。
男性としての危機を迎えたことで、「自分は男だ」という性への意識を過剰なまでに強めてしまった彼は、結果凝り固まった価値観を持つ人間に育ってしまった。
「あれから長い年月、何を思ってあのようなことをしたのかを聞くこともなく今まで生きてきた。だがもういいだろう兄者よ」
謙二が、間座安を見据えて言った。間座安は自分の優位が僅かに揺らいだことに内心腹を立てたが、それでも平静を装った。
「……何やら、外部から余計な情報が入ったようですね。謙二、あなた以外で愛を他言するような人はいないはずなんですけどね」
その謙二ですら、武士の恥という感情から口には出さないだろうと踏んでいた間座安だ。この状況は、想定外のものである。
「そうですね……私の思想を知れば、また考えも変わるかもしれません。そうか、愛とは素晴らしいものなんだと、分かってくれることを期待しますよ」
自分が正当であると疑わない様子で、間座安はゆっくりと愛の真相を話し始めた。
「私はね、いたるところが愛で満ちれば良いと思っているのです」
それは、一見聞こえの良い言葉。だがもちろん間座安の言うそれは、ゆかりの言う通り歪んでいた。
「そのためには、すべての人は男でも女でもあってはなりません」
「それがわかんねぇって言ってんだよ!」
ラルクが、口を挟んだ。それを横目で見て、間座安が言う。
「そうですね、話す順番を少し間違えていたようです。ちょうどあなたがさっき尋ねましたね。何のためにCan閣寺を作ったのか、と」
ラルクが頷いてみせると、間座安はその答えを告げた。
「元々ここはCan閣寺ではなく、an閣寺というお寺だったんですよ。そこで、恋ではなくもっと大きな愛や性を扱っていたのです。ですから、当時は男子禁制などという仕組みもありませんでした」
どうやら、今間座安が管理しているこの寺が突然男子禁制でなくなったのも、このあたりに理由がありそうだ。もしかしたら、間座安は以前の寺の姿を取り戻そうとしたのだろうか?
ただ、わからないことがある。
なぜ、an閣寺ではなくなり、今の寺の姿となったのかだ。
謙二もそれは知らない内容であったらしく、同席していた契約者たち同様、話に聞き入った。
「しかし、ひとつ屋根の下で男と女が集えばそこでは色事も当然起こりました。前々から男女に性が分けられていることを不思議に思っていた私は、その時確信したのです……愛は、一方通行ではいけないと」
ここで間座安が言う「一方通行」とは、片思いのことではなかった。
男から女、女から男への愛情だけでは駄目だということである。
つまり、男から男、女から女もあってしかるべきであり、そこに性差は不要という思想だった。
「男が女に恋をし、女が男に恋をするだけでは愛とは言えません。そのどちらにも愛情を持ってこそ、百パーセントの愛と言えるのではありませんか?」
手を広げ、語りかける間座安。だがそれを肉体の切断という形で押し付けられそうになった謙二からすれば、間違っても首を縦には振れない問いかけだった。
声はどこからも返っては来なかったが、間座安は気にした様子もなく続きを話す。
「当時、an閣寺はそんな一方通行の愛情がばっこしていました。このままでは、このお寺が男女の色恋に使われるだけのものになる……私はそう悟り、片方を規制することにしました」
そうして出来たのが、Can閣寺だという。つまり男性が規制され、今の状態になったということだ。
男子禁制ではなかったものの、当初から割合としては女性の方が高かった。男性を最初に規制したのは、そのためだと言う。
「人は、男と女に分かれるとそこに必ず色恋が起こります。私はan閣寺時代にそれを度々見てきました。ですから、最初に多かった女性だけを集め、その女性たちの肉体の一部を切断しようと思い立ったのです」
「な……それって……」
式部が思わず声を上げた。自分にとって縁があると思っていた場所が、まさか女としての命を失いかねない場所だったなんて。
「既に、ここにいる尼僧の何人かは、私の思想を受け入れ、愛を知りました。そうして集まった女性すべてを『女ではないもの』にした後は、また寺の名を変え、今度は男を集め、『男ではないもの』になっていただくのです」
初めて明かされた、間座安の目的。
つまり、そうやって男でも女でもないものが増えれば増えるほど、間座安の目指した「愛に満ちた場所」が完成していくのだろう。
「……あなたの愛は、狂っています」
我慢できず、ゆかりが声を震わせて言う。そこに含ませた感情は、怒りだろう。そしてゆかりだけでなく、ラルクの目にもまた怒気が燃えていた。
「わかんねぇ。テメェのやってることがさっぱりわかんねぇぜ。ただ、テメェがここの元凶だってのはわかった」
言うとラルクは、すっと一歩前に踏み出した。
「この前は油断しちまったが、今度はそうはいかねぇぜ!」
言うと同時、ラルクが鋭い突きを放つ。が、間座安はそれを避けるでもなく受け止めるでもなく、ノーガードで肩に受けた。
「先に暴力をふるったのは、そちらですからね。私は、身の安全を守るため最善の方法を取らせていただきますよ」
なぜノーガードなのにダメージを受けた様子がないのか。ラルクが一瞬そこに思考を奪われた隙に、間座安は素早く立ち上がり、自分の優位を確立させようとした。
そう、この場を切り抜けるための、駒の確保だ。
間座安が目をつけたのは、戦闘能力が大きく欠けているとすぐ判断がつく者。間座安の範囲内においてもっともその条件に合う人物は――式部だった。
畳を勢いよく蹴り、間座安が式部に手を伸ばす。
近くにいた望が咄嗟に前に出て式部を守ろうとしたが、それより先に彼女の前に姿を現したのは、屋根裏に潜んでいた天音だった。
天音は、間座安が繰り出した右腕を脇から左手を入れることで軌道をずらし、攻撃を受け流していた。
「えっ……えっ!?」
目の前の状況に頭がついていかず、困惑する式部の方を向いて天音が言う。
「久しぶりだね。大学でも見かけなくなったと聞いて、少し心配してた。アドバイスしてくれた人もたくさんいると思うけど、考えはまとまったのかな?」
「……随分と余裕があるのですね」
目の前で会話を始めた天音に、再度腕を伸ばす間座安。しかし彼は上半身をひねってそれをひらりとかわすと、式部の腕を引き、間座安から少し距離を置いた。
「それと」
天音が、きょとんとしている式部に言った。
「今日も素敵だね」
こんな時に言う言葉ではないかもしれない。ただ、久しぶりに間近で見た彼女に、思わず口から出てきてしまったのだ。
当然、目の前でそれを見せられた間座安は、馬鹿にされたと感じてもおかしくないだろう。
「……あなたは、災厄ですね。その女の相は、周りに保護欲を抱かせます」
間座安が、式部を睨みつけた。
恋を求め、恋を探し恋に憧れる式部の存在は、間座安にとって許し難いものとなった。もはや、ただの手駒では済まされない。
その身に、愛を教えなければ。ただちに。
間座安が、すうと息を吸い込んだ。次の瞬間、天音がいなしきれないほどの強大で鋭い突きが、式部へと襲いかかる。
「っ……!」
天音がどうにかベクトルを逸らそうとするが、すぐ背後に式部がいるこの状況で、彼女に被害が及ばないようにするのはとても困難であった。
指先が、式部に届こうとしていた。が、しかし。
「む……?」
間座安は、自分の手にどろりとしたものが付着している感覚を覚えた。それはつまり、攻撃が命中したということである。だが、目の前の式部には外傷がない。
なぜなら、咄嗟に飛び出した道真が、式部の代わりに攻撃を受けたからだった。
「え……な、何が……!?」
式部が泣きそうな声をあげると同時、道真が倒れた。その体からは血が流れ、畳を染めていった。
「きゃああああっ!!」
式部が思わず悲鳴を上げる。それが、戦いの狼煙となった。
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