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人魚姫と魔女の短刀

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人魚姫と魔女の短刀

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【選択】


「人魚姫の結末が、幸せに終わっていいのかしら?
 ――違う違ぁう! 人魚姫は泡に成って消えなくちゃぁ、美しく無いんだよおッ!!」
 不敵に笑い指をスイッチに掛けていた指を押し込もうとしたゲーリングは、ふと背中に気配を感じた。
「そうかな? 俺はそうは思わない」
 きっぱりと声はそう言い切った。
「ゲーリング、アニメーションの人魚姫は観た事あるか?
 俺、あれの方が好きだよ。ホラ、あの赤毛が可愛いだろ」
 高くも無く、低くも無く、ある種特徴的ですらある平坦な声は振り向かずとも誰のものか分かってしまったが、ゲーリングは操縦桿を握る手をどうする事も出来ない。
 横目で窓の外、地上を見れば軍隊と契約者達がこちらを見上げているのが見える。地上に戻っても矢張り彼は『終わり』なのだ。
 しかし幾らゲーリングが動揺した空気を出そうと、後部座席のアレクは気にも止めない風に喋り続けている。
「でも現実はああは上手くいかない。『人魚姫は王子様と結ばれて幸せに暮らしました』。そういう結末は何処にも無いんだ。
 事実、今の状況だ。童話より様々な困難が可哀想な彼女の前に立ち塞がる。物語の作者は――、神は彼女をどうしても『大空の精』にしたいんだ。美しい人は神に愛されるからね、仕方ないのかな。
 でも……じゃあどうやって彼女はどうやって生きたまま『happily ever after(ずっと幸せに暮らしました)』を手に入れたらいいと思う?」
 アレクの質問の直後、身体の中心に熱いものを感じて、ゲーリングは視線を落とす。身体から生えている刃を目視した瞬間、全身の血の気が引いたにも関わらずどっと汗が噴き出した。
 背中からシートごと身体を貫かれている。
 前にも一度こんな手を喰らった事があった。ゲーリングを襲っている刃は、迷彩塗装したシーサイドムーンだ。
 シーサイドムーンは限界を突破する勢いで怒り、あれだけの深手を負わせたのに生きているのなら今度こそとすら思っている為、ブレードはどんどん深くなっていくだけで微動だにしなかった。
 自分が今手を緩めれば、大量破壊兵器を滅ぼす事を目的にしているアレクが無用な殺人を犯す事になりかねない。今更かもしれないし、間接的には同じ事かもしれないが、それでもアレクに代わって手を下す事がシーサイドムーンの矜恃だったのだ。
 動けば傷が広がり、しかし動かなければじわりじわりと命を蝕んでいくそれに、ゲーリングは焦りや不安や恐怖を綯い交ぜにした荒い息を上げている。
 そんな音を聞いても、アレクの一本調子の平坦な声は相変わらずだった。ジゼルによる不殺の意志が介在していなければ、彼にとってゲーリングの存在は、命はその程度のものなのだろう。
「ゲーリング、答えろ。俺の質問に。人魚姫が幸せな結末を迎える為に、どうしたらいいか。簡単だろ? あんた俺より頭のいい科学者なんだ、こんな子供でも答えられる質問少し考えれば分かるよな」
 捻り上げる様に刃が動いて、ゲーリングは悲鳴を上げた。
「答えろ」と最後の脅しの声がシートを蹴る衝撃と共に伝わって、ゲーリングは声を振り絞った。
「…………分、からない」
「はは、もう少し頭使えよ。でもまあいいや、これ以上俺待てないし……否、あんたの方が『待てない』かな?」
 頭に響くような鼓動の音と同機して傷口から溢れてくる血に頭が朦朧とする中、後ろの出題者は漸く『正解』を明かしてくれた。
「あんた俺に言ったよな、俺が偽物の王子様だって。
 だったらその偽物の王子の俺は、人魚姫の為に邪魔な王子を殺してやる。
 人魚姫を不幸にするのは王子の存在だ。俺はなゲーリング、本物の王子様を知ってる。あいつはあんたそっくりだ。見た目ばかり綺麗で、中身は狭量で軽卒で守るべき民の事を何一つ考えなかったバカな王子。あんなもんと同じ血が流れてるかと思うと反吐が出るな。ああいうのが居るから、皆不幸になる――。
 だから彼女は、本物の王子なんて知らなくていい。
 人魚姫は偽物の王子と暮らすんだ。
 青い瞳を塞がれて、本物の王子様たちが殺されていく本当の理由を――何も知らずに」
 やっとのことで振り向いたゲーリングの瞳がアレクの姿を捉える。それと同時に耳元に掠れた声が響いた。
「……and we lived happily ever after.」
 これは勝利宣言だと、平坦な声の中に初めて聞き取った扇情的な音にゲーリングは痛みにも構わず張りつけの侭上半身で振り向くが、その時にはアレクの姿は腹部に刺さったシーサイドムーンのブレードごと後部座席から消えていた。
 一瞬の安堵感が咽迄迫り上るが、次に襲ってくるのは巨大な敗北感だ。
「くそ! くそおッ!!」
 スイッチを何度も押し込むが、反応が返って来ない。
「どう言う事だ……」
 呟いて、はたと気がつく。
 何故怪我をしたゲーリングが兵士達から逃げられたのか。
 破壊された車両の中で、このヘリだけが無事だったのか。
 そんな都合のよい神の思し召しが有る訳は無い。
 むしろこれは人によって与えられた最後の選択だったのだ。
 あのまま大人しく連行されていれば、罪を償おうと正しい道を選べば良かったものを、結局ゲーリングが選んだのはこちらの道だ。
 天達 優雨(あまたつ・ゆう)のサイコメトリによりゲーリングのものだと特定され、縁によって爆薬が取り除かれた地獄往きのヘリコプターに乗ったのは、ゲーリング自身だったのだ。
「騙しやがったな!!」
 叩き付けた声に、無線から「黙れ糞野郎♪」と姫星の声が聞こえてくる。こんな状況ですら『騙された』と、一切反省をしない彼に、堪忍袋の尾が切れたのだろう。
 ふと窓の外を見れば何か近付いてくる影がある。朝焼けの中に構造色の翼を広げて、陶器のような手をこちらへ伸ばす彼女の姿が、ゲーリングの目にスローモーションのように見えていた。
「セイレーン――!」
 窓に張り付いた手は彼女の手を取ろうと思っていた。
 しかしセイレーンが空へ舞い上がったのは、ゲーリングの手を取る為ではない。
 落ちてきた身体を華奢な腕で離すまいと固く抱きしめて、この上無く幸せそうにうっとりとセイレーン――ジゼル・パルテノペーは偽物の王子様へ微笑んだ。
 ゲーリングの耳に、アレクの最後の声が何度も何度もリフレインする。
「お姫様は……偽物の王子様と、幸せに暮らしました……」
 認めざるを得ない事実を突きつけられて瞳の裏が黎明の中ですら真っ暗な闇に染まった。
 今迄してきたことが、そのまま自分に返ってくる。
「これが……絶望…………」
 自分でも気づかぬうちに、ゲーリングはそう噛み締める様に言っていた。全ては託の言った通りになったのだ。

 大切な人を無事抱きとめた事に安心して、胸に頬を寄せ瞼を落としたジゼルに僅かに微笑んで、アレクは地上に向かって命令を叫ぶ。
「Rock’n’Roll!!(*撃て!!)」
「合点だよあれきゅん!」
 初めに放たれたのは箒に立ち乗りした縁のミニエー弾だった。
 愛銃の最大射程ギリギリの距離からヘリコプターのメインローターを支えるローターヘッドを銃弾が撃抜くと、それに次いで舞が、更に地上からありとあらゆる銃火機、魔法、スキルによる一斉射撃が逆さに降る雨の様にゲーリングの乗車していたヘリコプターを目掛け飛んでいく。

 ハリウッド映画的な大爆発をもって全てが終わるのを目撃しながら、アレクは此処へくる前の出来事を思い出して口を開いた。
「舞香に言われたんだ」
「聞こえないわ!」
 風の音と爆発音で何も聞こえないジゼルが眉を顰めるのを無視してアレクは続けた。
「『男なら刺されるの覚悟で、本命の子にキスしてあげなさい』って」
「え?」
 戸惑ったままのジゼルの頬を取ってもう少しだけ距離を近づける。
 これが本当にハリウッド映画のエンディングなら、このくらいは許されるだろうと思いながら人魚姫に口付ける偽物の王子様の肩で、シーサイドムーンがビクッと動いて、右往左往した後に早く地上に辿り着いて欲しいと願いながら小さく丸まっていた。