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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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 第37章 信頼と友に

 うさぎとももいろわたげうさぎとの1日は、その後、大きなトラブルも無く過ぎていった。ごはんを与えた後は皆でうさぎの生活スペースの掃除をしたり、一息ついてうさぎ達とのんびりしたり、うさぎの健康チェックをしたりして充実した時間だったと思う。途中からはもう、これが試験だということも忘れていた。
 過去に何があっても、何を覚えていても。ただ、目の前に在る事を楽しんでいこう。楽しんで、いける。
 そう思えた1日だった。
 そして、夜が明け、また次の日。
「今日も、ちーちゃんはドルイドの先輩としてピノちゃんのお手伝いをしようと思いますっ!」
 千尋はピノの前でえっへん! と胸を張っていた。そんな彼女の掌の上には、ちょこんとサラマンダーが乗っている。その小さなとかげは全身から炎を発していたが、千尋の手は火傷せずに綺麗なままだ。ピノは炎に当たるか当たらないかというところまで顔を近付け、目を丸くしていた。サラマンダーを見るのは、これが初めてだ。
「ちーちゃん、熱くないの?」
「うん。だけど、サラマンダーちゃんの火は仲良くならないと熱いから、気をつけないといけないんだー」
「そうなんだ。仲良くならないと……」
 大人しく掌に乗っているサラマンダーをまじまじと見る。魔法の炎があまり熱くないのと同じ感じなのかな、と思うけれど万が一を考えると触るのはちょっと怖かった。顔をこれ以上接近させるのも、ふと炎が伸びてきそうでやっぱり怖い。そう思っていると、火とかげはぎゃう、と小さく鳴いた。あまり迫力はなかったけれど(むしろかわいかったけれど)威嚇したのかもしれない。
「ピノちゃん、怖がっちゃダメだよー」
 千尋が、屈託のない笑顔でピノに言った。彼女が指で軽く頭を撫でると、サラマンダーは気持ち良さそうに目を細める。
「誰かと友達になるのってドキドキしちゃうよね? 仲良くしてくれるかなー? って。でも、自分から歩み寄っていかないと動物さんの方が怖がっちゃうと思うんだー」
「…………。うん、そうだよね」
 勇気を出して手を伸ばしてみる。炎に触れるかどうかの時点で既に熱が伝わってきて、ぴた、と防衛本能が働いた。
「ピノちゃんならきっと仲良くなれるよ! 合格したら、おんなじドルイドさんだねー。おそろいだね!」
 エールを送りつつそう言った千尋は、そこで「あれ?」という表情になった。傍らの日下部 社(くさかべ・やしろ)を見上げ、訊ねる。
「……やー兄? そういえば、ちーちゃんはどうやってドルイドになったんだっけ?」
「お? ちーもちゃんと試験やってたんやで!」
 一度瞬きをしてから、社はニッと笑みを浮かべた。
「そういえば、自覚はあんまないようやったなあー。まぁ、変に意識するより普段のままでおった方が良かったっちゅうことなんやろな。さすが、俺の妹やで♪」
 うんうんと、陽気で嬉しそうな調子のままに彼は続けてピノにも言う。
「ピノちゃんもドルイドとしての素質も実力も充分やと思うで? あ、これ俺の『社長アイ』での見立てやで♪」
 なんつって、と、最後に冗談めかして軽く笑う。その中で、ピノは素質も実力も充分という言葉が適当なものではないと分かったのだろう。「やった!」と彼女の目が輝いたところで、社はスタッフの持つカメラをちらりと見た。
「でも、この試験はそれだけやないモンを見られとるんちゃうかな?」
「……? それだけじゃない……?」
 きょとんとしたピノは、サラマンダーと社、スタッフを順に見て少し眉間に皺を寄せた。言葉にするのが難しい類のものだということはぼんやりと分かり、彼女なりにそれが何なのかと考えてみる。
「ピノちゃんは考えすぎんで、自然でいれば大丈夫だと思うで! ちーがそうやったみたいにな!」
「え、そ、それでいいのかな……」
「そうやな、ピノちゃんはサラマンダーとどんな1日を過ごしたいんや?」
「この子と? それは……」
 改めて、サラマンダーと目を合わせる。ちろちろとした炎の中で、丸い瞳が半月形になってピノを見返す。何となくファイティングポーズな感じで、何となく「燃やすぜおら」と言われているような気がした。喧嘩を売られている、というより、挑戦されている、という印象だ。むっとするより、かわいく思える。
「一緒に遊んで、仲良くなって、ちゃんと触れるようになりたいな」
「じゃあ、それを目標にしようよピノちゃん!」
 千尋が元気に言って、ピノもよし、と気合を入れた。
「うん、今日はこの子が熱くならなくなるのを目標にするよ!」
 思いきり笑って、思いきってサラマンダーに手を伸ばす。その躊躇の無さにとかげはびっくりしたらしく、半月形の瞳がまた丸くなった。そこで、「ま、待てピノ」とラスが慌てて制止した。
「触ろうとか掴もうとかしないで、そいつに手に乗るように言えばいいんじゃないか? 乗るようになる頃には、警戒も解けてるだろ?」
「え? この子に?」
 ラスを見上げてから、ピノは小さなとかげに目を戻した。丸い瞳はそのままに、驚いてなんていませんよ、というように千尋の指を甘噛みして遊んでいる。確かに、手に乗ってくれるということは心を許してくれたというのと同じかもしれない。
「……それもそうだね」
 納得して、ピノは手を引っ込めた。そして、「ちーちゃん、あっちに行こっ!」と離れた場所にあるベンチに千尋を誘う。何だか長丁場になりそうだったし、落ち着ける場所でサラマンダーに話しかけた方がいいだろうと思ったのだ。
 一昨日、ワイルドペガサスと交流した時のことを思い出しながら、ピノは千尋とベンチに座る。
「珍しく素直だな……」
 それを見ながら、ラスはピノに火傷させたら上から水を掛けてやる、とサラマンダーに念を送った。直後、なだらかなとかげの背がぴん、と伸びたようにも見えたがまあ気のせいだろう。
「……で、ピノちゃんはドルイドになろうと頑張っとるわけやが、ラッスンはどうなん?」
 何だかんだで楽しそうな彼女達を眼福そうに見ていた社は、そこでラスに声を掛ける。
「どうって……何が」
「んー、そうやな。目標とか、やりたい仕事とかないんか?」
「別に……仕事なら一応してるしな」
「え? 就職しとったん?」
 予想外の答えに、社は「い、いつの間に……」と結構本気で驚いた。まったくもって、イメージが無かったためだろう。
「まぁ俺より年上なんよね……別におかしい話やないよな……ちょいとビックリしてもうたけど……。んで、何の仕事しとるん? 蜂の巣退治とかの便利屋みたいな事やってそうなオーラは出とるけど?」
「そんなオーラ出すか! お前は俺をどういう目で見てんだよ」
 何となく渋い顔をしていたラスは、社の偏見発言を即座に否定した。断固認められない、というように憮然としてから、いや待てと表情を改める。
「……便利屋ってのは悪くないかもな。自由だし。蜂の巣撤去が来たら断るとして……」
「断るんかい」
「蜂に刺されたらどうするんだ」
「その時は病院や!」
 蜂に刺されたら病院である。それ以外の選択肢は無い。社の明るい即答を聞いているのかどうか、ラスは「いやでも営業が……」とか「安定性が……」とかぶつぶつ言っている。思ったより真面目に便利屋稼業を検討し始めたらしい。それから、はた、と気付いたように社を見た。
「人に聞いといて、お前はどうなんだよ。仕事」
「俺は、しばらくは今やっとる846プロダクションで芸能関係の仕事を続けるかなぁ〜。社長やし、勝手に店仕舞いするわけにもいかんしな」
「ああ……」
 何かを思い出したらしいラスの隣で、社はベンチに座る千尋達を見つつ言葉を続ける。
「いつかは、実家の神社の仕事も継がなアカンとは思っとるけどな〜」
「神社? お前が?」
 今度はラスが驚く番だった。神社の息子だったということもそうだが、そういう格式ばった、真顔を貫く必要がありそうな仕事が出来るのかと思ってしまう。偏見である。
「何や、さては神主の服とか似合わなそう、とか意外だ、とか思ってるんやな?」
「そこまで言ってねーけど……」
「和服も結構似合うんやで? 日本人やしな! ……ま、それは置いておいてや。こうやってラッスンと話すのも久しぶりやな」
 後半の声に雑談とは違う響きを感じ取って、「……?」とラスは社を見た。世間話を装ってはいるが、どこか真面目な空気が漂ってくる。
「前にここに来た時や、デパートに行った時もやが、ラッスンとはあんま話す事が出来ん買ったからなあ。まぁ、デパートでは変な事件に関わってもうてたようで仕方ないとは思うけど……」
 そこで、社はずいっと顔を近付けてきた。先程までとは違い、真に迫る何かがある。
「それとは別に、何か大変な事に関わろうとしとるやろ!? 何かそういうオーラも出とるわ!」
「……!? いや、それは……」
 言葉に窮し、ラスは目の端に捉え続けていたピノを見遣った。
『ピノさんは今年の試験でドルイドとなり、その後、セイントとなりました。そして、リュー・リュウ・ラウンでのドラゴン達の死に直面してショックを受けたピノさんは……国に対して、新法の要請を出しました』
 あの日――イディアの子守に行った日にフィアレフトから聞いた話を思い出す。2048年に起きたという、人々から子孫を残す能力が消えるという異常事態。それは、ピノがドルイドとなり、動植物と関わる道に進んだからこそ起きたことだった。彼女の『2048年』では――の、話ではあるが。
 フィアレフトは『ピノがドルイドにならなかった未来でも、結果、国への要請は出されて法が制定された』と言っていた。だからこそ、××はピノの進路を変えるだけではなく、殺害する必要があるのだと判断して過去に来る決意をしたのだと。だが、どれだけの時間軸を回っても――
“自身の生きてきた世界”で多くの死の――加えて自分の母と“子供達”が破壊される要因を作ったのが“ドルイドになったピノ”なのなら、××はこの試験中を狙ってくるのではないか。
 ラスはそんな予感を抱いていた。自分と覚の死亡フラグが回避された今、注意するのはそのひとつのみで、いつもより神経を尖らせていたのに気付かれていたらしい。こちらのオーラは、否定するべくもなかった。
「それに、一昨日もなんや緊急事態だったんやないんか? いきなりいなくなったのにも、何か訳があるんやろ?」
「…………あー、それはだな……」
 どう説明しようかと逡巡して答えを濁すと、社はそこで息を吐いた。
「ったく、無理には聞かんけど悩む位なら一言相談でもせぇよな……ダチやろ俺達……」
「…………」
 社の顔を見て、いつぞやのホテルでの会話が脳裏に浮かんだ。何かあったら声を掛けろという言葉も、今まで忘れていた気がする。否、覚えていても話してはいなかっただろう。ラスは、彼を始めとした誰にも、家族の事もピノの事も自分からは話していない。事情を教えた数人にも、問われたり何らかの偶然で事情を知ったという経緯が無ければ黙っていたと思う。元々、そういう性格なのだ。いざとなればそう抵抗も無いのだが――
「……人を頼るのが苦手なんだよ。変に体裁を守りたいっつーか……いつも通りを演じる癖がついちまって。余計な心配を掛けたくないっていうのもあるんだろうけど……」
 それだけでもないのだろう。むしろ、それは多分、後付けの言い訳だ。
「ある意味、自分に自信が無いんだろうな。色々と欠けてる自覚があるだけに」
 ピノは笑いながら、千尋とサラマンダーと一緒に遊んでいる。ラスはピノやファーシーのように、誰かが協力してくれる、集まってくれると当たり前に信じて相談することが出来ない。しようとも思ってこなかった。それは、友人がどうこうではなく、自分に価値を見出していないからだ。
「……話すと長くなるけど、聞いてくれるか? これから起こるかもしれない事と、一昨日の事、それと……」
 ピノ達を見守るようにして、ファーシーが友人達やフィアレフト、アクアと話している。ピノはフィアレフトが見てくれるだろう。以前よりも幾分険の取れたゴスロリ服の機晶姫の存在を意識しながら、ラスは社を連れて歩き出した。

「あのね、ピノちゃん? この前デパート行った後、何かあった?」
 ピノが千尋にそう聞かれたのは、それから暫くしてのことだった。「え?」と驚いたピノは、やはり「え?」という顔をしているようなサラマンダーと一緒に彼女を見つめる。
「ピノちゃんが、何か焦ってる感じがするんだ……」
「…………」
 心配そうな千尋の目は真剣で、ピノは俯かずにいられなかった。彼女の言っていることは、当たっている。あの日から、ピノは試験の日を待ち構えるようにして過ごしていた。笑っていても、怒っていても、日常の中に居ても、なんだか自分が止まってしまっているような気がして。
 何もしないで、休んでいるような気がして。
 その時々が楽しくても、ふと我に返った時に思い出す。早く、力が欲しいと思ってしまう。
 それが、千尋にも分かったのだろう。昨日、うさぎを前にした時のピノを見て、ますます心配になったのかもしれない。でも――
 何かあったのかと聞かれて、ピノはすぐに答えられなかった。話したい。本当はすごく話したいけど、自分と同じように動物が好きな、千尋を悲しませたくはない。
「……えとね。ちーちゃんは一緒にいるから」
 聞こえる声から、精一杯の彼女の気持ちが伝わってくる。
「ずっと友達だよ?」
「……ちーちゃん……」
 嬉しくて、ピノは顔を上げる。にっこりと笑った千尋は、そこで「あっ!」と声を上げた。彼女の掌の上で、サラマンダーがんーーーーっと全身に力を込めている。ぶるぶるっ、と体を震わせたとかげは、次の瞬間にぴょんっと飛び上がってピノの手に移動した。もうがまんできない! という風に見えないこともなかったサラマンダーの炎は、ほんのりとした温かさを持っているだけだ。
「あ……! 熱くないよ!」
「やった、やったよー、ピノちゃん!」
「お、とうとう乗ったんやな! よくやったでピノちゃん!」
 その時、社とラスが近くまで戻ってきた。千尋の手からピノの手に移った火とかげを見て、社は2人が喜ぶ中に加わった。ラスも立ち止まって、ピノに言う。
「良かったな、ピノ」
「うん! この子、すっごくかわいいよ!」
 手の上で、サラマンダーは何だかスッキリしたような顔をしていた。本当は、ずっと彼女に懐きたかったのかもしれない。