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リアクション
オーケストラ音楽が止まった。
人々の耳目を集めるなか、朱里がエンヘドゥとともに歌を披露する。歌っているのは東カナンに伝わる伝統的な曲で、こういった席でよく歌われる言祝ぎの歌である。
厳密に言うと、東カナンに「歌」は存在しない。近年シャンバラとの交流で流入してきてはいるが、伝統的なものは母音を連ねる音程で、手や足といった体を打ち鳴らして出す音でリズムを生み出す。素朴で、それだけに人の心に響く音だ。
それは一朝一夕で身につくものではなかったが、朱里はこちらへ到着してからのエンヘドゥとの数時間のレッスンで、それをかたちにしていた。さすが歌姫である。
朱里とエンヘドゥの二重唱に聞き惚れる人で埋まったフロアをぐるっと見渡し
「いねぇなぁ」
ぽつっとフェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)はつぶやいた。
本当はここに到着してすぐに会いたいと思って、昼間も捜したのだが、見つからなかったのだ。
表宮は夕方からの婚約パーティーの準備のほか、遠距離からくる来客の部屋の準備などもあり、急きょ奥宮からも人手が借り出されていて、召使いの姿ばかり目についた。対比するように騎士の姿が少ない。訊くと、城内の騎士のうち、親衛隊はバァルについて謁見の間にいた。そのほかの者は城の警備に回されている。今日はタイフォン家一族もさることながら、国内の主たる貴族が招かれていることから、警備は通常の倍に増員されているということだった。だからきっと、準騎士であるハワリージュ・リヒトもそのうちのどこかに配備されていると予想して城内を見回っていたのだが、城は思っていた以上に広く、どこにもハワリージュの姿を見つけることができなかった。
これだけ捜しても姿が見えないとなると、やっぱり自分の懸念していることがますます当たっている気がしてきて、焦燥感がつのる。
そんなフェイミィの心中を見抜いてか、一緒に捜してくれていたリネン・エルフト(りねん・えるふと)がぽんと肩をたたいた。
「大丈夫よ。城内にいるのはたしかなんだから、きっと会えるわ」
「そうだな」
「案外、館へ戻って着替えているのかもしれないわ。彼女、12騎士のリヒト卿の娘でもあるんだから。パーティーには出席するはずよ。会場では絶対に会えるわ。だから、私たちも部屋へ戻りましょ。そろそろパーティーへ出る準備をしないと」
「あ、ああ……」
リネンの言葉にうなずいて、部屋へ戻って礼装に着替えた。
フェイミィは出自が西カナンの諸侯オルトリンデ家ということもあり、どちらかといえば西カナン風の衣装で、そのデザインは歴史、伝統を感じさせる保守的なものだが、対するリネンは風をモチーフとして、上布を使ったなめらかな肌触りの良いミニドレスに、別名天女の羽衣とも呼ばれる最薄の布地を用いてつくられたロング丈のドレスを重ねたものである。東カナンの社交界においては大胆、奇抜ながらも品のある現代風ドレスで、シャンバラからきた新しい風として、パーティーに参加した女性たちの目を集めていた。きっと、次のパーティーではリネンのドレスをアレンジしたドレスを着た令嬢の姿が多く見られることになるだろう。
セテカとシャムスにお祝いのあいさつを終えたあと、フェイミィは思い切ってセテカに訊いてみた。
「なあ。リージュはどこにいるんだ?」
「ああ、彼女なら――」セテカはぐるっとフロアを見渡して、吹き抜けの2階へ続く階段の踊り場で目を止めた。「ほら、あそこにいる」
踊り場には何人もいて、言われても、フェイミィにはどれが彼女かピンとこなかった。
まあ、近づけば分かるだろう。「ありがとう」と礼を言って、そちらへ向かう。そして階段を上り――ハワリージュに気づいた瞬間、フェイミィはあっけにとられた。
「……リージュ!?」
「あら、フェイミィ。いらっしゃい」
残り数段というところで立ち止まっているフェイミィの元にハワリージュが軽やかな足取りで下りてくる。
フェイミィが驚くのも無理はなかった。ドレスを着ていたのは当然としても、髪が長かったからだ。
「あ、これ?」フェイミィの視線が髪に集中していることに気づいて、さらりとひと筋引っ張る。「ウィッグよ。いつもの短髪じゃあ格好がつかないってお父さまがうるさいから、ドレスのときはウィッグをつけることになってるの」
なんだかわたしとしては昔を思い出して複雑なんだけど、と笑うハワリージュに、こほ、と空咳をして、フェイミィは
「似合うよ」
と、意識しながら返した。
2人は話しながら2階フロアの空いている席へと向かう。
「本当? ありがとう」
「あ、でもそれで昼間気づけなかったのかな。てっきりおまえは騎士の格好してるとばかり思ってたから」
「? 昼間はいつもの格好だったわよ? あ、でも、お父さまに言われてセテカのふりして部屋にこもってるエシムのとこへ食事運んだり、着替え持って行ったりしてたから、そこですれ違っちゃってたのかも」
「ああ、なるほど」
「捜してくれてたのね。ごめんなさい。
で、何?」
「え?」
またしても見惚れていたフェイミィは、一瞬頭のなかが真っ白になって、何を言えばいいのか分からなくなってしまう。ハワリージュは通りかかった召使いのトレイから飲み物を2つ取ると、片方をフェイミィの前に置いた。
「捜してくれてたのは、何か用があったからなんでしょ?」
「あ、あー……。
いや、ほら、セテカはおまえの婚約者だったんだろ? おまえとしちゃ、いいのかな? って、さ」
どんな反応が返ってくるか分からない。言葉を選びつつ、ためらいがちにした問いに、ハワリージュはストローで氷をからんと鳴らして、ふふっと笑った。
「婚約者といっても、父とネイトおじさまが勝手に決めたことだもの。
ただ……そうね」
長い髪をつまんで、遠い目をして見つめながら言う。
「あのころ、わたしの世界にはお父さまとセテカしかいなくて、わたし、ひどい子どもだったから。セテカのこと、さんざんな目に合わせちゃった。正直、セテカにとって婚約って、いい思い出ないんじゃないかな。
だから今度の婚約がそれを十分埋め合わせて、彼を幸せにしてくれるといいな、って思うわ」
「そっ、か。なら、よかった」
ハワリージュから向けられた笑顔に、彼女が本当にそう思っているのだと信じられて、フェイミィはほっと息をつく。そうして、いつの間にか息を止めていたことに気付いた。
ハワリージュが落ち込んでいるようなら慰めてやりたいし、八つ当たりの相手くらいならなってやれると思っていた。しかし彼女がそういった行動に出るということは、すなわち今もセテカを愛しているという証でもある。それをぶつけられ、受け止めることに、少し身構えていたようだ。
そういったことをそれとなく話すと、ハワリージュはカラカラ笑った。
「ないない。わたし、セテカのことそんな目で見たこと一度もないもの。彼は趣味が一緒の遊び仲間で、幼なじみってとこね。
でも、どうして?」
「……オレも最近、ちょっとしんどいことがあってさ。いや、もう大分前からそれは分かっていたし、心の整理はほとんどついてたんだけど、それがついに決定的になって……。おまえもそうなのかな、って。おまえのこと考えたら、いてもたってもいらなくなって、さ。
オレの勘違いなら、それでいいんだ。うん」
照れながらのフェイミィの言葉に、彼女を見るハワリージュの目の光がやわらいだ。そっとテーブルの上のフェイミィの手に自分の手をかぶせる。
「ありがとう、わたしのことを心配してくれて。今ここには何十人もいて、その全員がわたしとセテカの昔の関係を知ってる人たちだけど、そんなふうに気にしてくれた人って、あなただけだと思うわ」
「リージュ」
「こんなに優しいあなたがつらいめにあったなんて、ほんと、世のなかって理不尽なことでいっぱいね。わたしがシャンバラの神さまだったら、絶対そんなことさせないのに」
ぽんぽん、といたわるように手をたたいて、離れる。
「つらいことを考えるのは、もうおしまい。
ねっ? シャンバラのこと教えてくれない? わたしね、今度の春から交換留学生の1人として空京大学っていう所に通うことになったの。もう今からワクワクしっぱなし。どんな場所か知りたいわ」
目をキラキラさせて身を乗り出してくるハワリージュの純真なかわいらしさに、自然とフェイミィの口元に笑みが浮かぶ。
「よーし。空京大学っていうのはシャンバラ王国の首都にあって、シャンバラ人だけじゃなくそれこそパラミタじゅうのやつらが集まってきているんだ――」
それからずっと、ハワリージュに望まれるまま、フェイミィはシャンバラのことを話して聞かせたのだった。
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