リアクション
■秘めることの解放。 …※…※…※… ひやり、とした感触に、さゆみはハッと目を醒ます。 「う、ん?」 目覚めて、上手く事情が飲み込めず茶色の瞳を瞬かせた。 まずそこは公園ではなかった。 また、空京とも言いづらい。 天井を見上げる。 空とも等しい高さに、硝子張りの天井。天井のみならず、壁もそこかしこと全て硝子張り。随所に硝子を支える骨組みも剥き出すようにあるが、その無骨な印象が硝子の繊細さと相まってどこか儚げだった。 さゆみの足元は硝子越しに陽の光が差し込み、斑の透明な影を落とす。 何かの美術館を彷彿とさせる硝子製の建物は地球にある水晶宮を彷彿とさせるが、それ以上に此処の雰囲気は透明で硬質的でとても幻想的だった。 建物に対し、透明度が高いなどという印象を持つのは不思議な感覚で、この気持を共有したくさゆみは共に居たはずの最愛の人を探すも、隣りに彼女は居なかった。 「アディ?」 試しに名前を呼んでみるが、応(いら)えは返ってこない。 「……アディ」 虚しく硝子に反響し遠くに吸い込まれるように消えていく自分の声にさゆみは自分を抱きしめ一度だけ身震いに震えた。 硝子は綺麗過ぎて人を寄せ付けない厳かさがあった。心の隔たりを感じて心細さにさゆみはアデリーヌの姿を求める。 冷淡な雰囲気もそうだが、さゆみは『絶対的方向音痴』なのだ。こんな訳のわからない建物の中ではきっとすぐに『遭難』してしまうだろう。それだけはどうしても避けたくて、さゆみは動くに動けない状況に陥った。 「誰か、居ないの?」 アデリーヌ以前に、誰も居ないのだ。 さゆみしか在(い)ない。 「どうしよう」 いよいよ心細くその場に膝を抱えうずくまりに小さくなった。 (……泣きたい) 目を閉じて耳も塞ぎたくなった頃、唐突に瞼越しに強い光を感じてさゆみは目を開けた。 足元の光が増えていく。陽の光が強くなったのか、硝子が生み出す特有の透明な影は輝きを増して、また、周囲に反射し、まるで光の雪のようにさゆみを取り巻き、留まった。 顔を上げると、建物全体が輝きに満ちて、さゆみを慰めるように燦々と光を放っている。 膝を伸ばし背を正し、誘われるように両掌を上にして両腕を持ち上げた。 「″きらきらひかる″」 瞳に映る情景をそのまま唇に乗せただけなのだが、歌姫を自負するさゆみが紡ぐと、不思議と軽やかな旋律になった。 光景に幾分慰められ心が落ち着いたさゆみは深く深呼吸をする。肺の底まで息を吸い、長く吐く。 「よし」と顔を上げると、少しでも揺れる自分の心の裡(うち)の不安を誤魔化そうとでも言うのか、その場で誰もいないにもかかわらず、即興で歌を歌い始めた。 聴く者は誰一人としていない、自分だけのコンサート。 即興の詩と、メロディ。そして、ダンス。 光と硝子と不可思議が織り交ざって、きらきらひかる幻想の中、さゆみはただ歌い、ただ踊る。 そうしたいから、そうするのだ。 心のまま、気が済むまで――、 「さゆみ……」 呼ばれて、さゆみは、唇を閉じた。 …※…※…※… ふ、と目を開けたアデリーヌは深い緑色の瞳をゆっくりと大きく瞬いた。 「……ここ、は?」 空京ではない。もしかしたらパラミタではないかもしれない。 それだけ、圧倒的な色味豊かな色彩だったからだ。 どこかの森のようである。しかもかなり大きい森らしい。 陽光さえ茂る葉の多さに届かず、鬱蒼として、昼だというのに尚暗い。 人が入らないのか、獣の楽園なのか、原生林そのものの厳かさがあった。 そこかしこで気配がする。 彼女も、そのひとつである。 そうだ。思い出した。この森は知っている。もう、数百年か、それとも数十年前か、確かに、彼女はその森に身を寄せていた時期が在った。 どれだけの時をその森を彷徨うようにして過ごしてきたのかわからない。 わかっているのは彼女が最愛の人を亡くしてからこの森に足を踏み入れたという理由だけ。 昼も夜もわからず季節の移り変わりも少ない森。その中での世捨て人の様な生活。 彼女は吸血鬼である。 永遠の生命を持つが故に、死にたくても死ねない。 死ぬことも許されない自分の身を呪いながら、絶望の淵を覗き込みながら、飛び込むことも出来ず息をしている。その呼吸すら潜め、虚無を抱き無限に続く哀しみと絶望を遣り過すことに汲々とする日々……。 嗚呼、 此処は、 そう、 わたくし、 ……わたくし、 ――アディ。 聞こえる声に、彼女は森を見上げた。 誰何の声を上げようとして、言葉が喉の奥に張り付いて出てこない。 ――アディ。 森に。 響く、声。 確かに自分を求める声。 希望のような淡い、響き。 ――アディ。 嗚呼、 わたくし。 …※…※…※… 伏せていた瞼を開けると、さゆみが目の前に居た。 隣りに居たはずのさゆみはアデリーヌの前に回り込み、心配そうに彼女の顔を覗きこんでいる。 「名前を……呼びまして?」 「うん。でもその前にアディが私の名前を呼んだわ。ぼーとしてたみたいだけど、大丈夫?」 両の手を同じく両の手で包み込むように握られていてアデリーヌは微笑む。 「心配させてしまいましたわね」 光に解け溶けてしまいそうなまでに儚く嬉しそうに微笑んだ。 そんなアデリーヌに、さゆみは「うん」ともう一度応えて「大丈夫?」と繰り返した。 「大丈夫ですわ。 さぁ、スタジオに戻りましょう」 |
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