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リアクション
chapter.3 cnps-town(1)・煙
涼司や同行する生徒たちが蒼空学園を経った日の夕方頃だった。
ネット上の仮想現実空間、「cnps-town」ではすっかりひとつの噂が広まっていた。それは、涼司と空京大学学長、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の抗争を示唆する内容のものだ。
いつ、誰が何を思って流したかも分からないこの出所不明の書き込みについて調べるため、数名の生徒がタウン内で調査をしていた。
エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)も、その中のひとりであった。彼はパートナーのメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)、イアラ・ファルズフ(いあら・ふぁるずふ)らと共にタウン内にある掲示板近辺で様子を探っている。
「あの噂、どうも気になるんだよな」
「やっぱ気になるのは、出所だよなあ、エース」
エースの呟きに、イアラが反応する。
「出所もそうだけど、いつからそれが流れ始めたのか、周囲の反応がどうなのか、ってとこも調べてみたいかな」
エースとイアラが抗争の噂について話をしている傍らで、メシエはひとり眉をひそめている。
「……どうした? イアラ」
その様子を不思議に思ったエースが尋ねると、メシエは長い時を生きてきた吸血鬼ならではの風格を匂わせつつ答えた。
「どうも、理解に苦しむね」
「うん? 噂についてか?」
「いや、このコミュニティサイトとやらでの調査に、私を引き込んだことに対して理解に苦しんでいるところだよ」
どうやらメシエは、半ば強引な形でエースとイアラに連れてこられたらしい。
「私の人生の中で、パソコンやらネットやらが登場したのはここ最近……そう、0.1パーセントにも満たないのだがね」
やれやれ、といった表情のメシエ。そんな彼をからかうように、イアラが口を挟む。
「オレだってもう何千年か生きてるけど、自宅で待機してる時とかによく遊んでるからむしろエースより詳しかったりするぜ? メシエもこういうのに慣れといた方がいいと思うけどな。いつまでも5千年前と同じ意識じゃ、枯れちまうぜ?」
「イアラの言うことも確かにある。だから、手伝ってくれないか」
エースも言葉を添えると、メシエはひとつ息を吐いてから呟いた。
「仕方ない。私もこのセンピースタウンとやらで動いてみるとしよう」
そしてそのままエースたちは、タウン内の掲示板で噂に関係ありそうなものを片っ端からチェックしていった。
「それにしても、気まぐれなイアラが、こんなに積極的に手伝ってくれるなんて珍しいね」
現実の空間の方、パソコンを前にしてエースが隣でキーを打つイアラに話しかける。イアラは顔だけエースの方を向くと、にやっと笑ってこう答えた。
「もちろん、ただ働きはやだぞ。何か分かったらちゃんとご・ほ・う・びくれよ?」
「ご褒美って……イアラのことだからへんなことなんじゃないの?」
「大丈夫、今夜寝室の鍵を開けといてくれたらそれで良い」
「全然大丈夫じゃないよ! やっぱりへんなことじゃないか」
まったく……とぼやきながらエースが調べものを続けようとした時だった。彼の視界に、ふとメシエが映る。メシエは乗り気でなかった割には、食い入るように画面を見つめている。
「へえ、メシエもネットの世界でちゃんと情報を……」
言いかけて、エースの動きが止まる。メシエは、タウン内にある街の掲示板ではなく、動画などの投稿・鑑賞に使われるシアターという施設をのぞいていた。
「メシエ、手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「私はある程度情報が集まったら、得意分野の政治や歴史の知識を用いて抗争の噂がどう影響を及ぼすかを考えてあげよう。それまでは、エースやイアラに頑張ってほしいところだね」
「メ、メシエも頑張ってほしいんだけど……」
「あいにくだが、今私はセンピースタウンとやらの見学に忙しい」
「忙しいって、動画見てるだけ……」
そこまで言って、エースは大人しくパソコンに向き直った。なんだかんだで、自分が頑張らなくてはならないと判断したのだろうか。
「それにしても、『山葉とアクリトの抗争がもうすぐ始まる』なんて噂、デマだって一蹴されると思っていたけど案外盛り上がってるのかな」
掲示板を見ながら、エースが呟く。その言葉の通り、ちらほらと噂に関するスレッドが立てられていた。
「こういうのって当人同士の思惑そっちのけで、野次馬が期待するような展開に泥沼化することもあるからなあ……。アクリト学長と山葉校長の関係もギクシャクしなければいいけど」
はたして流れた噂が悪意を持ったものか否か。エースはそれを調べるため、アバターを用いタウン内でのやりとりをチェックしていく。
「まずは噂が一体どこから出たのかな……っと」
掲示板や交流広場に積極的に顔を出し、聞き回るエース。するとすぐに、反応はあった。が、それは情報提供者の接触ではなく、むしろエースと同じ考えを持った者からのものだった。
「奇遇だね。俺もあの噂について、もう少し詳しく調べていたんだ」
そう会話ウインドウを広げ、エースに話しかけてきたのは黒猫のアバターを持つセルマ・アリス(せるま・ありす)だった。数日前にアクリトが蒼空学園への対応を少し変えたが、涼司が意思の強さ故姿勢を崩さず、結果再び衝突する可能性を危惧した彼はふたりを説得するため、噂を巧みに使おうとしていた。
が、それも確証がなければ使いどころすら見つけられない。そこでセルマは、自らタウン内に行き噂についてもっと詳しく知ろうとしていたのだった。そしてそこで、たまたま同じ行動を取っていたエースと出くわした。
エースは微かな警戒を一瞬漂わせたものの、会話を続けるうちに得たいものが同じである生徒なのだとはっきり分かると協力の姿勢を示した。
「人数は多い方が情報も集まりやすいからね。俺が今までで分かったことと言ったら、噂話に乗っかっている人の規模が想像以上に大きかったってことくらいかな。抗争を歓迎しているわけでもないけど、そこまで否定的でもない……反応も大体そんなとこだった」
「ある種の野次馬心理みたいなものなのかも」
エースがもたらした情報に、セルマが相づちを打つ。続いては、セルマがエースに知り得た知識を与える番だった。
「あの書き込みが出た正確な時間までは分からなかったけど、少なくとも何週間も前からあったものじゃなかったらしい。噂の広がり具合から見て、ここ数日ってとこだと思う」
「ここ数日……ってことは、ちょうど論文を募集してたりしてた頃だ」
「そして、蒼空学園で何人もの生徒が山葉校長にアドバイスをしてた頃でもある」
「書き込んだ張本人を見つけて会えれば一番早いんだけど、さすがにそこまでの特定は難しいし……」
エースとセルマが互いに与えた情報について考察していると、そこにメシエとイアラもやってきた。
「シアターとやらを見てきたが、どうもタガザ・ネヴェスタというモデルが大人気のようだね。映像を見た後周りが口々に褒めたたえていたよ。それを見ていて思ったのは、こういう世界の方がリアルよりも考えや感情を出しやすい部分があるのかもしれない、ということだね。自己の欲望が出やすい、とでもいうのかな。こんな場所なら無責任な噂話が一人歩きしてもおかしくはないだろうね」
「そのネヴェスタが実は一枚噛んでた、とかいう可能性はないかなあ、なんてな」
メシエとイアラが各々の感想や推理を口にする中、セルマはアバターの動きを止めていた。現実世界、パソコンの前にいるセルマの携帯に着信があったからだ。
「もしもし?」
通話ボタンを押すセルマ。声の主は、パートナーのミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)であった。
「ルーマ? ルーマに言われた通り、掲示板の投稿者について頑張って調べてみたよ!」
声高に、ミリィが言う。ミリィはどうやらセルマに頼まれ、例の書き込みをした者について調べていたらしい。
「ほんとか!? で、誰が一体!?」
「えっとね、ごめん、さすがに得意の情報通信を駆使しても、完全な特定までは出来なかったの。でもね、IPから書き込みした場所は分かったよ!」
「よくやったな、ミリィ。ありがとう」
「ふふ、蒼空学園を守らないと、ルーマも落ち着いて生活できないもんね。そうそう、それで、その場所だけど……」
「……分かった、これからタウン内のその場所へ行ってみる」
ミリィから話を聞き、セルマは急いでタウンへと戻った。そして待っていたエースたちに、手に入れたばかりの情報を告げる。
「あの書き込みをした人物が誰なのかは分からないけど、どこからアクセスして書き込んだのかは分かった」
「それはなかなかの手がかりになりそうだね……一体どこから?」
興味津々で聞いてきたエースに、セルマはミリィから聞いた言葉を伝えた。
「アクセスポイントは、空京大学だったみたいだ」
◇
その頃、ある場所では裏椿 理王(うらつばき・りおう)と桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)が隣合った席に座っていた。そのある場所とは、ネットカフェである。ネット上の空間であるcnps-townのさらにネットカフェという場所は一見奇怪にも思えるが、仮想現実空間である以上はこういった場所があってもおかしくはない。
ともかく、理王と屍鬼乃はそのネットカフェのブースをふたつ借り、互いの部屋でパソコンと向かい合っていた。と言っても、あくまでパソコンの前に彼らのアバターがあるというだけで、実際にネットを徘徊しているのは紛れもなく理王ら自身である。なお理王のアバターは、前回ログインした時からがらっと外見が変わっていた。以前はロングヘアーの女性姿だったが、今回はツインテールをした幼い少女の姿となっている。胸が大きいのが若干気になるところではあるが、あえてそのあたりには触れないでおこう。
「こういうネット上での情報っていうのは、つくりだすこともできちゃうものだからね。まずはそれが真実かどうかを見極めないと」
理王もまた、抗争の噂が気になっている中のひとりであった。理王は独り言を呟きながら、カタカタをキーを走らせている。
「人は、人と関わりたがっている。自分が持っている情報を与えたいという発信欲が動機だってこともある。そしてここには、そういうものが集まってる……噂に自然発生なんてものはないからね」
もちろん、得られる情報の大半が証拠も何もない世間話レベルやデマであろうことは彼も充分承知していた。しかしそれでも、その中で定期的に発信されているものがないか、見極めんとしていたのだ。
「山葉とアクリトの抗争、という発信が出るということは、そのふたりを争わせたいという意図を感じるね。一体誰がそう仕向けようとしているんだろうね?」
理王のその言葉に反応したのは、屍鬼乃だった。
「発信者を探って、どうしたいの?」
「ん? 別にどうこうしようってことじゃないよ。ただ情報を得たいだけ。このパラミタでネットを使って何か意図を発信してるヤツって、珍しいからさ」
「そんなことだと思った」
「ネット通信が発達してる地域って限られてると思うんだよね。それにしても、オレたち契約者を情報だけで動かそうって、そりゃないよねえ」
「ま、要はオレたちがその発信者の思う通りに動かなければいいだけの話なんじゃない?」
「そうだね。で、屍鬼乃は何してるの?」
「こないだみたいに、ちょっと調べもの。いろんなところから話を聞いているうちに、また面白いことが分かったよ」
「へえ。どんなこと?」
「パラミタでのスマートフォンの普及率。ここ最近で、かなり普及率は高まってきてるみたいだよ」
「ふうん……」
それを聞くと、理王は少し思慮を巡らせ、なんとはなしにこう漏らした。
「あれだけの情報を日常的に、いや、それ以上に……そう、呼吸をするように発信できるって、相当な伝達方法を持っている人だと思うんだよね。たとえば高性能の携帯機の持ち主だとか、あるいはそのものとか……ね」
理王の推理に耳を傾けていた屍鬼乃だったが、そのこと自体に興味はあまりないのか、次の話題へと移った。
「まあ、これだけスマートフォンが普及していたら高性能の携帯を持っている人なんてたくさんいるしね。そうそう、それと、このタウン自体のことも少し情報を仕入れたよ」
「こないだの、センピースの由来ってのとは別のヤツ?」
「そう、それ。こないだ調べた時は千ピースっていう俗語から来てるって話だったよね。たくさんの欠片が集まってひとつの世界が出来上がるっていう意味合いの」
「そうだね」
「実はこのセンピースタウンには、他説があるらしいんだ」
ややもったいつけるような話し方で、屍鬼乃は続けた。
「あの英文字は、『シナプスタウン』の綴りを抜き出したものから来てるって話」
「シナプス……神経の間の接合部分だっけ?」
「おそらくそういうところからネーミングされたんだろうね。興奮を伝える役割を果たす部位だから、それも含んでいるのかも」
「千ピースにシナプス、ねぇ……一体、どっちが本当の由来なんだろうねえ」
運営に関する話を、熱心に考えだす理王。屍鬼乃はそんな彼を見て思う。
その答えがもし出たとして、他者に興味を持たない理王は答えをどこかに活かすつもりはあるのだろうか、と。
もっとも、部屋にこもりパソコンの前に居座り続け、一連の事件と関係あるのかないのか分からないことを調べているだけの自分も同じ穴のむじなかもしれないと屍鬼乃は心の中で自嘲気味に微笑んだ。
「オレたち、人として何か欠けてるよね」
吐き出したその言葉は、そんな胸中からこぼれたものだろう。
エースや理王らがタウン内であれこれと動いている中、そのタウン内の様子を、パソコンの前で眺めているひとりの男がいた。その男――閃崎 静麻(せんざき・しずま)は、真剣な表情でため息をひとつ吐いた。
「はあ……やっぱり、思いつく方法って言ったらこれくらいしかないよなあ」
静麻の目には、あちこちで抗争の噂について話しているアバターたちが映っている。
「厄介な噂だよな。このまま火消しに入っても逆に利用されかねないし。それで噂の信憑性が高まろうものなら、それこそ厄介なことになってしまう」
彼は、噂が流れ出した時からずっと考えていた。
仮にこれで涼司とアクリトが険悪な雰囲気になっても、仲立ちする生徒はたくさんいるだろう。それよりも、噂を真に受けて暴走する者が出ることの方が危険だ、と。
さらに静麻はそこから考えを巡らせる。
噂をこれ以上広げないようにしても、逆効果かもしれない。かといって何もしないままでは最悪の事態になりかねない。どうにかしなければならない、と。
「どれ……全く持って馬鹿げた手だが、やらないよりはいいか」
何かを決心し、静麻はその手をキーボードへと伸ばした。そして、彼がタウン内の掲示板へと書き込んだ文字がディスプレイに映る。
「山葉とアクリトの恋愛がもうすぐ始まる」
するとその書き込みは瞬く間に拡散していった。悪戯や悪ふざけだろうと大抵の者は気づいていたが、面白半分で話題になったのだろう。静麻はある程度掲示板に噂が流れたのを見届けると、そのまま交流広場へと行き適当な通行人に話しかける。
「いやあ、あの噂はびっくりしたよな」
「あの噂って?」
「まだ知らないのか、アレだよ、山葉とアクリトのラブラブ話」
「ああ、あれ冗談だろ?」
「いやそれが、あながち冗談でもないらしいんだよ。なんでも山葉が最近半裸になってるのも、アクリトを誘うためらしい」
「マ、マジかよ!!」
最初は小さな波紋でも、それが目立ったものであればあるほど広がりは早い。静麻が流したそのデマは、本人が思う以上の広まりを見せていた。
「山葉とアクリトの仲良し説は、結構リアルみたいだ!」
「アクリトが何度も山葉に突っかかってるのも、会う口実をつくるためらしいぜ!」
「蒼学の運営方法なんて実はもうとっくに合意の上決まってて、あの喧嘩じみたやりとりはふたりの時間をつくるための対外パフォーマンスらしい……」
「ふたりとも攻めも受けもイケるってよ!」
「俺次のイベントで、山葉×アクリト本出すわ! タイトルは『あくりと!』で」
「私の友達が、草加のラブホから朝方ふたりで出てきたの見たって!」
どんどんエスカレートしていくデマを見て、静麻は微かに口の端を緩ませた。
「まさか、ここまで想像を超えて明後日の方に飛んでくとはな……」
もちろんそれは、静麻が狙っていたことでもあった。彼は抗争の噂の否定が難しいと判断するや否や、噂を否定するのではなく歪ませる方向へとシフトしたのだ。その方法として選んだのが山葉とアクリトのラブラブ話である点については何とも言えないところではあるが。
とはいえ、結果として多少タウン内の住人の興味がそちらに傾いたことも、また事実であった。静麻は満足そうにパソコンを閉じる。
なおその後もタウン内では妖しい噂が加熱し続けたが、あまりに熱を帯びすぎてちょっとした流行ネタとなってしまい、じきに廃れてしまったという。
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