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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~

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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~
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第三章  医薬探求

「先生、うちの子の様子はいかかでしょうか……」

 子供を膝に抱いた母親が、心配気に九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)に訊ねた。
 子供はぐったりとしている。

「風邪ですね。食事の偏りのせいで、身体の力が弱っているんです」
「食事の、かたより……?」

 何の事かよくわからない様子で、母親が繰り返す。

「はい。お殿様からいただいたお米以外、食べていないんじゃないですか?」
「は、はい……」
「食べ物は、出来るだけ色々なモノをまんべんなく食べる必要があるんです。でも、洪水のせいで口にできるものが限られていますからね――お薬を、7日分出しておきます」
「く、薬!?いえ、そのようなものを買うお金は――」

 薬と聞いて慌てる母親。

「大丈夫ですよ、お金は頂きませんから」
「え……。いらない……?」

 母親は、狐に摘まれたような顔をしている。

「はい。この薬を一日一回、朝ご飯の後に飲ませて下さい。噛んでも大丈夫ですが、出来るだけ噛まずに水で飲ませて下さい」
「わ、わかりました……」
「ボク、このお薬を飲めばすぐに良くなるからね。ちゃんと飲んでね」

 子供の顔を覗きこんで、笑いかけるローズ。
 その笑顔につられるようにして、子供の顔に笑みが浮かぶ。

「……うん。わかった」
「いい子ね♪」

 ローズに頭を撫でられ、子供は嬉しそうに目を細める。

「こんなに良く診て頂いて、しかもお薬まで……。本当に有難うございました」

 母親は何度も頭を下げながら、帰っていった。


「ごめん、学人。このカルテもお願い」

 子供の診療を終えたローズは、診察室の奥に入ると、カルテの山を事務机の上にどっかと下ろした。

「わかった、そこに置いといて」

 そう返事をしながら、冬月 学人(ふゆつき・がくと)は仕事の手を片時も止めようとしない。

「先生、次の患者さんがお待ちです」

 看護婦が、焦り顔でローズを呼びに来た。

「すぐに戻るわ――午前の診療、あと何人残ってる?」
「10人くらいです」
「うわ……!まだそんなにいるの?お昼食べる時間あるかしら……」
「大丈夫ですよ。受付はもう終わってますから、これ以上は増えません」
「その10人の中に、重病人がいないといいんだけど――」

 ぼやきながら、診察室へと戻っていくローズ。
 

 ローズは今、調査団の医療衛生チームの一員として、東野の人々の健康診断と治療に当たっていた。

「医者として、何か自分に出来ることを」

 その一念で四州まで来たローズは、御上の勧めに従って、この医療チームへの参加を決めた。

 ローズが派遣されたのは、幽霊の現れた中ヶ原だ。
「もし不測の事態が起こっても、契約者のローズであれば対応できるだろう」という判断に基いてのことである。
 それ自体には、ローズも不満はないのだが、とにかく人手が足りないのは辟易した。
 彼女とパートナーの学人以外には、看護婦が一人いるきりなのである。
 一方洪水被害の酷かった中ヶ原は、他と比べても患者が多い。

 治療と言っても、設備も人手も限られている臨時診療所で、出来ることは少ない。
 ここで出来るのは注射や点滴、投薬、それに簡単な外科的処置までである。
 より重症の患者は後方のより大きな診療所へ移送しなければならない。

 このような制約の中でも、ローズはともかくも「自分に出来ること」に全力を尽くしていた。
 
 

「これで、午前の診療は終わりです。お疲れ様でした、先生。」
「みんなも、お疲れ様」
「先生、村の奥さんたちからおにぎりの差し入れがありますから、お昼はそれを頂きましょう。炊きたてですよ」
「ホントに?いつも悪いなぁ。後でお礼言いにいかないと」

 いつの間にか三度三度の食事は、村の主婦連が交代で作ってくれるようになっていた。
 忙しいローズたちを見兼ねてのことだが、こうした心遣いは本当に有難い。

 診察の合間に取る昼食はいつも、学人が書類仕事をしている部屋で取ることになっている。
 食事を摂りながらの雑談、そして食事の後のミーティングも、情報共有促進のために欠かせない仕事の一つだ。
 三人は手早く食事を済ませると、ミーティングを開始した。
 午後の診療まで、あと10分もない。


「昨日までのデータをまとめてみたんだけど――」

 学人が、一枚の書類をテーブルの真ん中に置く。

「やっぱり、子供の患者が圧倒的に多いね」
「ビタミン不足が原因で、感染症にかかってるケースがほとんど。洪水の影響で生鮮食料品が不足してるからだと思う。必要な栄養さえ摂取出来れば、じきに回復するものばかりよ」

 ローズが言う。

「でも、軽症の患者さんが多くて良かったです。良かった――なんて言ったら不謹慎かもしれないですけど、『幽霊に襲われた患者さんなんて、どう手当したらいいんだろう』なんて思ってたから」

 看護婦が、ややためらいがちに口にする。

「実は、私もちょっと心配してたんだけどね……。幽霊による被害はないみたいで、良かったわ」
「古戦場の辺りは昔から禁足地になっていたのが、良かったんだろうね」

 ローズと学人も、この件については内心ホッとしていた。

「学人、後で本部に連絡しておいて。人手が足りないことを除けば、中ヶ原の診療所も他と変わりはないから、もっと人をよこしてって」
「わかった」

 ローズの皮肉に、苦笑する学人。

「さて、後3分で午後の診療ね。みんな、午後も頑張りましょう」
「「ハイ!」」

 既に待合室は、患者で一杯になっているはずだ。
 三人は、一斉に仕事にかかった。



「ほっほう、こりゃまた見晴らしの良い所だな。前の本探しも面白かったが、俺はこういう場所で動き回る方が好きだ」
「そうですねー。今度お時間がある時に、ここでピクニックするのも楽しそうですね!父上や……ううん、他のお友達もみんな誘って!」

 柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)真田 大助(さなだ・たいすけ)は目の前に広がる白薇(ビャクビ)平野が、すっかり気に入ったらしい。
 この見晴らしの良い、どこまでも広がる平野は、とても爽やかだ。
 吹き渡る風は穏やかで、自然と心が洗われるような、不思議な雰囲気を持っている。

 先日、東野藩の誇る書庫知泉書院(ちせんしょいん)で、カガミ・ツヅリ(かがみ・つづり)の不治の病を治す特効薬神気霊応散(じんきれいおうさん)の存在を知った氷藍たちは、その処方に必要な薬草を集めるため、この平野へとやって来ていた。
 神気霊応散の処方に必要な薬草を集めるには、東野のみならず、四州の四藩全部を回らなければならないが、今はこの東野で手に入る薬草を、全て手に入れておきたい。


 各人は、思い思いの方法で、薬草を探し歩いた。

 氷藍は【超感覚】を発動して、視覚と匂いを頼りに探している。
 何か感じるたび、猫耳と尻尾がピコピコと動くのが愛らしい。
 
「それじゃ、みんな頼むよ」
「「「ピヨ!」」」

 真田家の象徴である赤備えになぞらえて、羽毛から持ち物まで全てを赤に統一した《真田軍「槍ピヨ」》が、大助の号令一下、捜索を始める。
 正直、この雛たちに目当ての薬草を探し出す――いやそれ以前に薬草を見分ける――能力があるのかわからないが、ともかく彼等は一生懸命探している。
 もちろん大助自身も、捜索に参加している。
 こちらは【野生の勘】が頼りだ。

 それ以外の三人――カガミ、レイカ・スオウ(れいか・すおう)クリスチャン・ローゼンクロイツ(くりすちゃん・ろーぜんくろいつ)は、クリスの《TC/カスタムN》に記録してある薬草のデータを元に、正攻法で探していた。


「でも『白薇』なんて、なんだか白薔薇みたいで素敵な名前ですよね」

 誰に言うでもなく、レイカが呟く。

「白バラか……。白バラの花言葉は『約束』だな」
「すごい!カガミってば、花に詳しいのね!」
「た、たまたまだ。たまたま」

 レイカに褒められ、照れるカガミ。

「約束……。素敵な花言葉ですね」

 大助はつい最近、『絶対にレイカとカガミを幸せにする』とカガミ約束したばかりだ。

「約束か……。なぁ、大助」
「なんですか、カガミさん」
「お前から約束されてばかりでは不公平だからな。オレも、お前に約束しておこうと思う」

 カガミは、大助の顔を真っ直ぐ見て、言った。

「オレは、何があってもお前を支えていく。お前がどんな葛藤に苛まれたとしても、それを乗り越えられるように」

 大助は、常人にはない辛い定めを、その身体に背負っている。
 カガミの言葉には、そんな大助を思いやる心が、込められていた。

「は……ハイ!約束です、カガミさん!」 

 腕をブンブン振って指切りするカガミと大助。

「いいねぇ、あの二人は。仲睦まじくて何よりだ」

 指切りを横目に見ながら、年寄り臭くウンウンと頷くクリス。

「最近、カガミと大助くんは、実の兄弟みたいに仲が良いですね」
「しょうがないさ。大助にとってカガミは兄代わりであり、友達代わりでもあるんだから――……。レイカ、この間の約束、忘れんなよ」
「約束って?」
「お前とカガミの子供を、大助の友達にするって話だ!大助の情操教育のためにも、友人は一人でも多いほうがいいからな」
「そ、そそそそ!そんな先の話をされても困ります!」

 いきなり子供の話を振られ、真っ赤になるレイカ。

「なんでさ。いいもんだぜ、子供ってのは」
「それはそうでしょうけど……。そんな、カガミとの子供なんて……。でもどうせなら双子が――……あっ!」

 いつの間にやら妄想世界にトリップしてしまい、あらぬことを口走るレイカ。 

「おお、双子か!そりゃいい、お前似の子とカガミ似の子と一人ずつだな!」
「な、なんでもありません!なんでも!!」

 などと今更取り繕ってみても後の祭り。
 
「大助も喜ぶしな!よし!子育ての先輩が色々教えてやるからよ、双子と言わずに三つ子四つ子、どんとこいだ!」
「わぁ、それじゃあ僕には妹と弟が沢山できますね!」
「勘弁してくれよ、レイカ……」

 この話題で弄り倒されるとわかり、天を仰ぐカガミ。

「ち、違うのカガミ!双子はどうでもいいの!いやどうでもよくないけど、そうじゃなくて子供が――」

 すっかりその気になってはしゃぐ大助に、ネタにされて辟易するカガミ。そして、完全にテンパっているレイカ。
 氷藍は、腹を抱えて大笑いしている。

「ひ、ヒー……。は、腹痛ぇ…………」
「わ、笑わしてくれるねぇ……、全く……」

 クリスですら、こみ上げてくる笑いをこらえるのに必死だ。

「いやー、レイカ。お前って本当に弄り易いってかなんて言うか……。でもこれだけは言える、お前は幸せになるべき人間だよ、ホント」
「し、知りませんっ!もうっ!」

 などと言うことがありつつ――。


 皆は無事、必要な薬草を集める事が出来た。
 中でも、この白薇平野にしか生えないという貴重な薬草、霊応仙(れいおうせん)を入手出来たのは大きかった。
 神気霊応散の中に名前が取り入れられていることからも分かる通り、処方の中核をなす非常に重要な薬草なのだ。

「これが、霊応仙か……」

 カガミは、自分の手の中の霊応仙を、宝物でも見るような目で見つめた。
 実際、ほのかに蒼い光を放つそれは、植物の宝石と呼べなくもない。

「お!みんな、こっち来てみろ!白薇平野の名前の元があったぞ!」
「え、どれどれ!」

 クリスが潅木の隣に座り込んで、地面を指差している。

「これが、ビャクビだ」
「え……?これが、白薇……?」

 そこにあったのは、白バラのイメージとは似ても似つかない、ホワイトアスパラのような物体だった。
 毛がびっしりと生えた先っぽが、クルクルと渦を巻いている。

「何だか、ゼンマイみたいですね」
「みたい――もなにも、ゼンマイだよ」
「え?ゼンマイ!?」
「そうさ。『薇』という字は、ゼンマイと読むからな――みんな、知らなかったのか?」
「知ってたら、バラの話しなんかしねえって!」

 氷藍が、盛大にツッコむ。

「昔この平原は小さな森が点在してて、その根元にはこのビャクビが無数に生えてたんだそうだ。それで、白薇平原になった訳さ」
「なんか、幻滅しちゃいましたね……」

 白バラのイメージを裏切られ、ガッカリした様子のレイカ。

「そうですか?これはこれで可愛いじゃないですか」

 レイカとは違い、大助は気に入ったようだ。

「最近は森が少なくなったんで、コレも随分と数を減らしてるらしいが……」

 大助は白薇をそっと手折ると、懐にしまい込む。

「どうするんだ、それ?」
「押し花にするんです。今日の約束の印に」

 大助は、はにかむようにそう言った。



「すみません、お二人共。後片付けまで手伝って頂いて」
「いえ。そのような事はお気になさらず。こうして置いて頂いているのですから、家事を分担するのは当然の事です」
「それに、鈴音さんの手が早く空けば、その分早く俺たちの作業を手伝ってもらえるしね」
「エースさんは、それが本音ですね」
「バレたか」

 鈴音はその名の如く、コロコロと鈴の鳴るような声で笑った。

 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)がこの村に逗留を始めてから、かれこれ一週間近く経つ。
 来た時は、せいぜい一日か二日いるだけのつもりだったのだが、この村の周囲に広がる山と森の植物相の豊かさと、今世話になっている老薬師の知識の深さが、彼等をここに引き止めていた。
 初めの内こそ「ウチの孫を誑かすつもりか!」とエースを目の敵にしていた老人も、エースにその気は全くないのが分かったのか、はたまた彼の植物に対する真摯な姿勢に思う所があったのか、とにかくすっかり打ち解け、今ではほぼ孫弟子扱いであれこれと指南してくれた。
 無論「孫弟子」というのは鈴音の弟子、という意味である。


 テキパキと夕食の後片付けをしてしまうと、エースたちは早速今日一日の「成果」の取りまとめに入った。
 メシエは、今日観察と採取をおこなったアマノミツルギ(天御剣)のデータを、《籠手型HC》に入力していく。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

『アマノミツルギ(天御剣)』

 多年草の球根植物。花期は早春〜初夏。
 冬の間は葉も枯れてしまうため、地表に姿を見せない。
 春になると線形かつ扁平の、60センチ程の大きさの葉が一枚ずつ互生し、高さ1メートル程花茎が伸びる。
 花は花茎の先端に穂状に咲き、直径10センチ程度。
 花色は赤・黄・白を中心に、各色の中間色やそれぞれが混ざり合ったりと、バリエーションに富む。
 地球の植物ではグラジオラスに似るが、アマノミツルギは、その名の元ともなった葉に特徴がある。
 茎から外れた葉は硬質化すると共にその縁が刃物の様に鋭くなり、柔らかい物なら切断することも可能。硬質化は数日間続きその後軟化する。
 なお、アマノミツルギの「アマ」は人里より高い遥かに高い山中に生える植生を指すと言われる。
 球根にはアルカロイド系の毒が複数含まれ、そのまま食べると吐き気・下痢・中枢神経系の麻痺を引き起こし、危険。
 現地では厳密に量を調整して、生薬として用いられている。
 球根には多くのデンプン質を含むため、有毒成分を長時間水に晒して無毒化し、非常食として用いることもある。

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 一方エースは鈴音とその祖父から、彼等が保管している薬草やその用途、薬として使用する際の処方などについて、説明を受けた。
 こうして話を聞きながら、明日の採取行の予定を立てるのである。

「明日は、だいぶ奥まで行かねばならんな――よし、鈴音。ちょっと孫兵衛を呼んでこい」
「孫兵衛って、猟師の孫兵衛さんでしょ?分かったわ、お爺ちゃん」
「あ、そういう事なら、俺も行こう。最近は、方々で幽霊が出てるっていう話もあるし」
「まぁ幽霊!?ホントなんですか、それ?」
「うん。この辺りで出たっていう話は聞かないけど、念のためね」
「それじゃ、よろしくお願いします」

 二人は、連れ立って外に出た。
 春とはいえ、山の夜はまだ肌寒い。

「お爺ちゃんも、すっかりエースさんに慣れましたね。昔だったら、一緒に行くなんて言ったら、きっと怒り出してたわ」
「最近は、薬草の講義の方で厳しいけどね」
「まぁ」

 鈴音は、またコロコロと笑う。
 出会った時から良く笑う娘だと思っていたが、最近は本当に良く笑うようになった。

「お爺ちゃんも、エースさんたちが来て嬉しいんですよ、きっと。今までも何回かお爺ちゃんの弟子になりたいっていう人がいたんですけど、みんなお爺ちゃんの教え方が厳しいのに音を上げて、3日もしない内にやめちゃって。エースさん達は、新記録です」
「なら、もっと頑張って記録を更新しないとね」

 エースと鈴音は、声を合わせて笑った。