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リアクション
第7章 愛しき故郷2
【マホロバ暦1192年(西暦523年)3月】
マホロバ城(建設中)――
マホロバの新将軍となった鬼城 貞康(きじょう・さだやす)は、新たに幕府を開いた。
マホロバ各地では長い戦乱で荒廃した上に、扶桑の噴花で人口激減、作物への被害が深刻な問題となっていた。
復興については日輪 秀古(ひのわ・ひでこ)の遺した莫大な黄金が使われた。
秀古は死してもなお、マホロバ庶民の困窮を救ったのである。
しかし、平和な世を目指すうえでは課題も多かった。
他の大名についてはどうするか。
浪人たちをいかに扱っていくか。
幕府一番の頭の悩ませどころであった。
「新しき時代には、新しき体制と秩序が必要よ」
瀬名 千鶴(せな・ちづる)は貞康にそう進言していた。
「幕府の体制をどうしていくか、決めないと。諸大名の中には……あの伊建 正宗(だて・まさむね)の様な危険な人物があらわれるやもしれません」
「鶴殿、そのことじゃが……」
貞康は帳面に何やら書き込んでいたが、顔を上げた。
どうやら貞康は、諸大名に命令し、幕府の中心としてマホロバ城と城下町を築き、譜代の大名や旗本の屋敷を作るつもりらしい。
貞泰はそれを新幕府の号令、『天下普請(てんかぶしん)』と呼んでいた。
また、城郭だけなく、土木工事を行わせる。
道路や河川、水道などインフラ整備する国家事業である。
その割り当てを考えていたのだ。
「伊建殿にはこの……雲海の浅瀬を埋め立てて土地、屋敷を与えようと思う。立派なものだ」
「よろしいのですか、そんな城郭の内側に。正宗様は今にまた攻めてくるのではないか、謀反心を持っているという噂がありますよ」
「だからじゃ。それでわしはこの間、伊建殿に会うてきた。伊建殿が天下への野心を持っているからこそ、将軍家を見守ってほしいと頼んだのじゃ」
これには千鶴も驚いた。
テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)に憑いている奈落人マーツェカ・ヴェーツ(まーつぇか・う゛ぇーつ)がけたけたと笑った。
「そりゃ、おもしれえ。あんなのにマホロバ城をうろうろさせたら、そのうち喉元にかみつかれるぞ」
「そのときは、そのとき」
貞康は図面に再度、書き込んでゆく。
「その程度で倒れる幕府、将軍家なら滅んだほうがよい。わしはそんなやわなものは作る気はない。それに、伊建殿はまだ若いが、武人としても一流であるばかりか、他人にはない先見の明がある。何より、勝てぬ戦にわざわざ挑むような愚かさがない。洞察力を持っている。泰平の世が決まったとなれば腹をくくり、家臣や領民のため、よき君主となるであろう」
「……呆れました。それをわざわざご本人の前で言ったのでしょう。貞康様にそのように言われたら、正宗様も尽力するよりほかないじゃないですか」
貞康はにんまり笑っている。
「しかし、異教は別じゃ」
貞康は傷ついた扶桑とマホロバを守るため、海外からの渡航を制限すると言った。
「マホロバは天子様の桜の樹がある。ユグドラシルという木の根が張り出すとあらば桜の樹扶桑、天子様が危険にさらされる。有無を言わさず断ち切るしかない。伊建殿にはよく申し伝えておいた」
「それがよいでしょうね」
千鶴は地図を覗き込み、高台の一等地に次々とまるをつけていった。
「おい……勝手なことを……」
「勝手ではございません。地理学の観点から、特に重要な国……於張(おわり)、鬼州(きしゅう)、水登(みと)の何れかに、貞康様の縁者を配していかがですか。これは、そのための長屋敷を立てる場所です」
「おお……それは名案じゃな。将軍家を支える三家をつくろう。あとは……この土地はどうしたもんかな。湿地だし……どれが普請が落ち着いたら遊郭(ゆうかく)をつくるかな」
「俺は、鬼と人が暮らしていけるマホロバにしてほしい」
ずっと脇に控えていた酒杜 陽一(さかもり・よういち)だったが、新しい国づくりの一歩として、人と鬼が共存できるようにしてほしいと言った。
「そのためには、貞康公がまず人を信じてほしいんだ」
「わしがか?」
「そうだ。俺が以前に会った貞康公は、『自分は人を信じていなかった。愛しはしたが、どこかで疑っていた。だから、彼らの力を過信せず、自身でなにもかも作ったのだと』といっていた。『人間を束ねるものが鬼では、皆安心して幕府に身を預けてくれない』とも……」
「そうか、わしは先の世で、そのようなことを申したか」
貞康はまじまじと陽一の顔を見て、問うた。
「わしは【人】になれただろうか?」
貞康は脈打つ己の手のひらを眺めた。
「呪われたままの血を受け継がせなくても、鬼城も、鬼も、人も生きていく。そう思わせてくれたのは、未来人のこなたたちだ」
「貴方は……俺の知っている貞康公とは、ちょっと違うかもな」
陽一は率直な感想を述べた。
「そうか? だとしたら、それはたぶん……こなたらに出会ったからであろう」
それより、と貞康は言った。
「葦原 祈姫(あしはらの・おりひめ)のいない今、どうやって元の時代に戻る気だ?」
「あーん。それよ、それ。どうしましょう?」
酒杜 美由子(さかもり・みゆこ)は、紙束を抱えてばたばたとやってきた。
「私は別にこのままここにいてもいいんだけど、現代のことも気になるし。せっかく、鬼鎧がエリュシオンの軍艦を打ち負かしたんだから、宣伝だってしまくっているのに、本当に私たちの時まで残って伝わってるか、確認もできないなんて!」
「鬼鎧がエリュシオンの軍艦を打ち負かしたって本当なのか?」と、陽一。
「本当よ、たぶん。だって、マホロバまで来なかったでしょ?」
「美由子、お前なー」
「マホロバの人達もきっと鬼達を見直してくれるわ。幕府への畏敬も高まるし、侵略的な外国勢力も『マホロバやべえ!』ってなって良い事づくめよ! どんどん宣伝しまくるわよ!」
木版印刷された鬼鎧辞典なるものをばらまく美由子。
そこには、目撃者の証言による鬼鎧の絵が描かれていた。
エリュシオン軍艦を撃退したという麻篭 由紀也(あさかご・ゆきや)の鬼鎧流星である。
他にも、テレジアたちの乗ってきたイルマタルの絵もあったが、面倒くさいので陽一たちは黙っていた。
美由子の独り言は続く。
「はあ……それにしても、心残りはゲンヂーこと日数谷 現示(ひかずや・げんじ)。一度で良いから、彼の愛らしい眼帯をペロペロしてあげたかったわ……」
美由子は現示は釈放されたと聞いていた。
「自由になったと思ったら、ほいほい瑞穂のお殿様の元へ行っちゃうし。恋よりも仕事を選ぶ男なのね……ま、そこがいいんだけど!」
【マホロバ暦1192年(西暦523年)3月】
瑞穂藩(道中)――
瑞穂国が瑞穂藩となり、さらに西に移封されると決まったとき、西に下る道中では敗将を一目見ようと野次馬が大勢集まっていた。
好奇心や恨みめいた視線ぶつけられる中で、往来からとある一声が魁正の耳に飛び込んできた。
「瑞穂の殿様、がんばるんやで!」
馬上の君に向かって、庶民が直接声をかけるのはありえないことである。
男はたちまちその場から立ち退かされた。
後できくとこの男は戦で家を失い、噴花で家族も失ったらしい。
村人に助けられどうにか食いつないでるとのことだった。
魁正はそれ以上はきかず、男の刑罰は不問とされた。
これから彼らの生活はより苦難が待っていることだろう。
そうさせたのは、自身の力が及ばなかったともいう。
しかし、魁正にはひとつの信念があった。
「本当の価値ある泰平とは――人間がもっとも純粋に、真剣に努力をしなければ、泰平は守られないものだということを知らしめる。それを身を持って示す。そのために俺は泥をすすってでも生き続けよう」
「俺もお供いたします」
恩情により釈放された日数谷 現示(ひかずや・げんじ)は、馬の手綱を引き前を歩いていた。
「お前は故郷(未来)に帰らないのか」
「もちろん、気にならないと言えばうそになります。ですが、俺が今できることは、この生まれたばかりの瑞穂を確実に残すことだと思いました。俺の知っている美しい瑞穂藩に……将軍家に誤りがあれば、いつでも俺たちが、俺たちの子孫が正します」
魁正は真っ直ぐ前を見つめ力強く頷いた。
「魁正殿、これを持っていってくれ」
紫煙 葛葉(しえん・くずは)が一枚の紙を差し出した。
そこには【藩主たる者、いつの世もマホロバ人として、マホロバの民の為に在れ】と書かれていた。
「これは?」
「必ず、先の瑞穂に必要となるものだ」
「わかった。藩訓としよう」
魁正は胸元のロザリオを引き出し、裏蓋を開けた。
小さな隙間に紙切れを忍ばせる。
「もうこれは、大ぴらには出せないかもしれない。しかし、瑞穂藩主は……代々、これを受け継ぐようにと、よくよく言って聞かせよう」
【マホロバ暦1192年(西暦523年)3月】
マホロバ城(建設中)――
「私はマホロバへは帰れない」
遠くエリュシオンの地で、馳倉 常永(はせくら・つねなが)は、扶桑の噴花が起こったことと、鬼城 貞康(きじょう・さだやす)の勝利、将軍宣下。
そして、海外への対外政策を知った。
きけば、外国との貿易や交通をやめ、国を閉ざすという。
「西方が滅び鬼の天下となった今、私が今更のこのこ戻っては、正宗様の目論見が鬼城に見破られてしまう。そんな窮地に、我が君を立たせることはできない」
正宗をはじめとした異教大名や信者が国内で暴動を起こすとなれば、新幕府にとって新たな脅威となるであろう。
「いつか数年か数十年か、数百年、数千年かわからないが、我が故郷マホロバから助けを求めるものあらば、いつでも力を貸せるよう、このユグドラシルのこの地に根を張り、生きていこう。それが……我が忠誠の証」
常永はこの後、一度も故郷の土を踏むことなく一生を送る。
いつかマホロバに帰ることを夢見ながら、ユグドラシルを見上げて望郷する。
彼が残した根が張り出し、やがてマホロバへ向かうこととなるのは、それから数千年後のことである。
【マホロバ暦1192年(西暦523年)3月27日】
マホロバ城(建築中)――
外はまだ桜の花びらが舞っていたため、幕府からも度々が既出禁止令が出されていた。
しかし、マホロバ城の上空にぽっかりと月が二つ浮かんでいた。
ひとつはいつもの月だが、もう一人は明らかに違ったものだった。
「あれは……まさか時空の月では?」
ルディ・バークレオ(るでぃ・ばーくれお)が見上げている。
「葦原 祈姫(あしはらの・おりひめ)様の月ではないのでしょうか」
「さあ、わしにはわからぬが……あの月は、そなた達を迎えに来たように見えるな」
「貞康様?」
ルディもそのような気はしていたが、それを口に出してしまうと、別れの時を数えているようで嫌だった。
「ありがとうございました」
「なぜ礼を言う。言わなければならぬのは、こちらのほうだ」
「いいえ、言いたいのです。言わせてください」
ルディは唇をかみしめ、決して涙は見せまいと誓っていた。
「お会いして、お傍にお仕えできただけでも幸せでした」
「おい、今生の別れのようなことを申すな。そなたがいなくなったら、また護衛をつけなくてはならなくなるではないか。まだまだ物騒だからの。お、そう言えば、今度、『鯛の尾頭付き天ぷら』を馳走しようか。世話になりっぱなしじゃったから、褒美じゃ。どうじゃ、わしにしてはめずらしいじゃろ?」
「い、いいえ。お気持ちだけで結構です。その……天ぷらはよしたほうが」
「そうか? 慣れないとこはせぬほうがいいかの。まあ、よい」
貞康はルディを固く抱きしめ、「さらばだ」といった。
ルディは心の中で、何度もつぶやいた。
(未来で、遠い時の向こうで出会う私を、忘れないでくださいね。私は、貞康様が生きる明日を、そして昨日を生き続けます。例え、他の男を愛せと仰せらもこればかりは聞けません。それほど、愛しております)
「ああ……わかっておる」
ルディは驚いて貞康を見上げた。
自分の声は口には出していないはずだ。
そこにはいつもの穏やかな貞康の顔があった。
ルディのオレステスがゆっくりと上昇する。
ほかのイコンや鬼鎧、未来からの訪問者が月の中へと消えていった。
それは、まるで月に還る姫が主人公のおとぎ話を連想させた。
貞康はいつまでもそれを見送っていた。
「わしは最後じゃ。こうやって、多くのものを見送っていく。わしがあの世に……扶桑の花弁に迎え入れられるまで、しばしの別れじゃな。また……いつか会おうぞ」
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