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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【想いの黄金は哀しみに輝く】




「聞いての通りだ」

 
 ビディシエの寄越した伝令からの報告にアジエスタが振り返ると、同行していた茜色の騎士達は、言葉無くとも即座に自分の役割を把握して頷いた。流れるように自然に、ノヴィムと、ファルエストが左右を取り、最後に副官のジョルジェが殿についた。瞬間、その位置取りに対してジョルジェが僅かに自嘲する様に眉根を寄せたのに、気付いたのはノヴィムだけだ。
「……迷う暇があるうちに、迷うが良いよ」
 その言葉に、はっと顔色を変えたジョルジェに、ノヴィムは宥めるように、年の功を感じさせる優しい目で頷いた。それだけで悟って、更に眉根を寄せるジョルジェに、ノヴィムは何も尋ねるようなことはせずに、ただ独り言のように続ける。
「心の中の大事なものは、中々変えられようがないのじゃよ」
 そんな2人のやり取りの間、これもやはり当然のようにチャチャががしゃりと鎧を鳴らして片膝をついていた。
「私は、神殿内の様子を探って参ります」
「頼む」
 応じるアジエスタも、常の任務中と同じく簡潔だ。
「蒼族が動いているなら、ビディリードは性格的に自ら赴くはず」
 その目的は大凡の見当がついているとは言え、どんなイレギュラーがあるとも限らない。アジエスタの言外の指示を汲み取って、チャチャは頷くと早足で去って行く。その背を見送るのもそこそこに、ティユトスを中心に陣形を固めた一行は、龍、ポセイダヌスの元へと急ぎ始めた。
「しかし龍の元に行くのは良いけど、そこで何をするつもりなんだろう」
 疑問を口にしたのはメイサーだ。騎士達の邪魔にならないように、アジエスタに頼まれて巫女の手を引いていたのだが、龍の元へ向かったあと何をするのか、具体的には何も聞いていない。今の所、紅族も蒼族も、龍を倒す方向で動いている、というのはアジエスタの言ではあるが、では彼女自身、そして黄族はどうなのか、ははっきりしていないのだ。だが尋ねようにもティユトスは堅い顔でずっと前だけを見ていて、殆ど接点の無いメイサーからかける言葉は見つからないでいた。だが、何故かアジエスタのほうも微妙な顔だ。どうやら、龍の元へ、という言葉以上をまだ何もティユトスは語っていないらしい。
 それもそのはずで、今彼女の隣にいるのは、ティユトスではなく、その影武者であるリーシャなのだった。


 それは、時を遡ること幾らか前。
「ティユトス姉様に……影武者になれと……?」
 神殿の一角で、ネフェリィが疑わしげに言った。
「ええ。アジエスタ様は、本当の意味でティユトス様の死は望まれていないはず」
 アジエスタがいつまでもティユトスを殺せないのは、アジエスタの中に本当の殺意がないからだ、と言うのだ。他の者が殺意を持ってティユトスを殺そうとしてもそれが叶わなかったのは、龍の加護が強かったからだろうが、アジエスタは「絶命」の宿命を持つ存在だ。その殺意こそが、最後の切り札であるはず。であれば、例えば「影武者」が「本物」を殺したように見せかければ、アジエスタはその「影武者」を確実に殺すに違いない――もちろんその根拠は無かったが、リーシャの言葉にティユトスは躊躇いを見せたものの反論は無かった。その様子に、リリアンヌ・コルペルディが「それは良い手だと思いますわ」とにっこりと笑った。
「アジエスタ様はお優しい方ですもの。都市のため、私たちのため、手を汚す覚悟はおありですけれども、大事な方を手にかけることに、躊躇わぬ筈もございませんわ」
 語りながら、ゆっくりと柔らかく、それでいてどこか甘い毒の混ざったような声で、リリアンヌはティユトスの細い手をそっと取った。力を入れれば折れそうな手を、体温を伝えるように包んで、リリアンヌは憐れみをその顔に浮かべる。
「アジエスタ様がその優しさを殺せぬのであれば、貴方様がそれを取り払って差し上げねば……ね?」
「…………」
 優しい声色は、アジエスタの親友らしく彼女の心配をしているかのように聞こえるが、現実にはそうではない。表向きの表情や仕草、声と言葉が繕ってはいるが、リリアンヌの中にあるのは感情的なそれではなく彼女の一族が頑なに貫いてきた紅族の矜持、官吏の誇りだ。
「アジエスタ様を役目から解放して差し上げられるのは貴方だけ……貴方様もあの方が大事ならば、殺されるための努力をして差し上げるべきですわ」
 互いの優しさの間に付け込むような言葉は、棘のようにティユトスの中に刻まれていく。ティユトスは暫く無言だったが、やがては頷いた。
「……わかりました。そろそろ、アジエスタの来る時間です。リーシャ」
「かしこまりました」
 応じるリーシャがその場を後にする背中を見やりながら、表情を暗くするティユトスに、リリアンヌは僅かに口元を歪めるようにして笑う。その横顔を、ネフェリィは僅かな警戒と共に見やっていたが、事件が起きたのは、それから直ぐのことだった。
「ティユトス、どこだ!」
 声を上げて飛び込んできたのは、光輝の騎士にしてティユトスの双子の姉、「天狼」の二つ名を持つテティユスだ。
「お姉さま、どう、なさったのですか?」
 その慌しい様子にティユトスが首を傾げると、天狼もまだ詳しい状況が判っていないのか「わからない」と首を振った。
「見張りが言うには、外周に半魚人の群れが接近しつつあると――……」
「まさか。夜半は半魚人たちはその活動を潜める筈ではございませんの?」
 リリアンヌがいぶかしんだが、戦装束を調えているものの、天狼も半信半疑のようだ。
「ともかく、万が一のこともある。お前は……」
 天狼が何か言いかけたが、その声を更に遮って、慌しく駆け込んで来たのはイグナーツだ。そこにいた一同に向かって、その青ざめた顔で「襲撃だ」と告げるのに、天狼は顔色を変えた。
「半魚人どもか」
「いや、違う。蒼族……ビディリード、様が配下をつれて神殿を占拠しようとしている」
 予想外の自体に、皆が反応できずにいる中でイグナーツが現在の状況を告げると、天狼は「こんな時に」と
吐き捨てるように言った。
「全く、紅族以外の一族は、愚か者ばかりですわね……」
 リリアンヌも溜息をつき、この場に居るのは得策ではないこと、そして同時に自分のやるべきことは塔にあると察して、踵を返すリリアンヌは、すれ違い様にティユトスの耳元に、囁くように声を落とした。
「役目から、逃げないでくださいませね」
 それが最後の楔となって、リリアンヌと、そして事態の確認のために駆け出す天狼の遠ざかる背中を、ティユトスは何かの決意を浮かべながら見送ったのだった。
 そうしている間も、神殿の中が騒然としていくのに、イグナーツはネフェリィの腕を取った。
「今のビディリード様が手段を選ぶとは思えない。そうなると、ティーズ様の口を割らせるための駒として、狙われるのは恐らく君だ」
 その言葉に、苦い顔でネフェリィも頷いた。義理とは言え、黄族の長の娘である。天狼はあの通り戦士として強く、人質としては扱い辛いであろうし、ビディリードは性格上、オーレリアの望みのひとつである「ティユトスの死」は望まないであろうから、今最も危険なのは自分だろう、とネフェリィ自身も承知していた。頷いたネフェリィに、イグナーツはティユトス達にも告げるように続ける。
「ひとまずは、大聖堂に身を隠すべきだ。そこは、一部の黄族しか知らない通路があるからね」
 再び頷いたネフェリィに「頼みます」とティユトスに託されたイグナーツは、そのままネフェリィの腕を引いて大聖堂へと足早に向かって行ったのだった。

 その背中を見送って、ティユトスは振り返り「バルバロッサ」と声をかけた。
「行かなければならない場所ができました。私を……守っていただけますか」
「無論」
 バルバロッサの返答は、迷いも無く速やかだった。その返答に微かに悲しげに浮かべた笑みに、バルバロッサはハッと顔色を変えた。
「ティユトス様……貴女の本当の目的はもしや……」
 呟くように漏らされた言葉に、ティユトスの笑みは悲しく深まる。声なき回答に、バルバロッサはぐっと拳を握り締めた。
「その御覚悟、その意志、その小さなお身体で、強くなられましたな」
 ティユトスは、物心ついたときから、いつも悲しげにしている少女だった。周囲の言葉に大人しくし従うだけの、控えめな子供だった。それがいつの間に、こうして強い決意を抱けるよう成長していたとは、と、感慨と尊敬とを抱きながら、バルバロッサは胸を叩いた。
「このバルバロッサ、必ずやお守りいたしますぞ!」
 そう声を上げた、その時だ。
「行かせないわよ!!」
 飛び込んできたのは、トリアイナ・ポセイドンだ。ずかずかと距離を詰めると、何時もの調子と全く変わらず、びしりとその指をティユトスへと突きつけた。そん場合では無い筈だが、誰も咎めぬのを良いことに、トリアイナは普段より真剣な目できつくティユトスを睨み据えた。
「勝負よ、ティユトス。内容は……ポセイダヌス様マニアッククイズ100問!この私に勝たない限り、ここを通すわけには行かないわ」
「トリアイナ……」
 留まらぬ勢いに、ティユトスが流石に宥めようとしたが、伸ばされた手をぱしん、と弾いて、トリアイナは更に眉を寄せて、ぐっと顔を近づけた。
「あなたのやろうとしてることなんて、わかってるんだから!」
 その憤りと、真剣にティユトスを心配する想いの入り混じった声に、ティユトスは軽く目を開いた。行動こそ常と変わらない突拍子の無いものだが、トリアイナは、正しくティユトスのやろうとしていることを、察しているのだ。その剣幕に、居合わせた一同は咎める言葉を飲み込み、ティユトスは「わかりました」と頷いた。
「受けて……立ちましょう」

 そうして始まったクイズは、中々の難問揃いだった。
 ポセイダヌスの好みの色から、人間形態時の髪の長さ、スリーサイズ(?)や、一番好きな歌の一節などジャンルも幅広かったが、ファンクラb……秘密結社創始者のトリアイナに対し、ティユトスは予想外の知識を示し、最後の一問まで勝利した。何のかんのと、渡された会報誌、ならぬ聖典を隅々まで読破していたらしい。
 得意とするフィールドで敗れたトリアイナは、ぐぐっと詰まりながらちらりとその視線を、状況にツッコミ切れないというべきか、割り込めないでいたアルカンドへと一度向けるとその顔をくしゃりとしてティユトスに向き直った。
「あなたは……違う人を選んだんでしょ……? ポセイダヌス様ではなくて。なのに……」
 何故、と言いかけた言葉を制して、ティユトスは微笑んで頷いた。
「ええ、だから行かなくては」
 そうして彼女が向けた視線の先は、アルカンドが真剣な顔で見つめている。ティユトスはこんな状況の中でもそれを幸せそうな瞳で受け止めると、トリアイナに囁いた。
「私にも、理由が出来たのです」
「そんなの……っ」
 反論しようとするトリアイナに、ティユトスは距離を詰めると、そのままその腕の中にその体を抱きこんだ。元気で、賑やかで、突拍子もないことを口にしてはティユトスに突っかかってきながらも、こうして自分の前に立ち塞がってくれる、ティユトスにとっても「友達」と呼べた数少ない相手だ。愛しげに抱きしめる力を強めると、ティユトスはずっと言わないでいた名前を口にした。
「マリナ……マリナ・エナリオス」
「……っ」
 自らの本名を改めて呼ばれて、トリアイナ、いやマリナはびくりと体を強張らせる。何故今、その名を呼ぶのか。何故こんなに、悲しげで嬉しげな声で囁くのか。それを言葉に出来ないでいる、そんな彼女の額へ、祝福のように唇を落とすと、ティユトスは柔らかな笑みと共に、腕を離した。
「大好きよ。だから…………行かなくては」
 自分がアルカンドを選んだように、ポセイダヌスがトリアイナを想うように、想った相手と、想いあって欲しかった。そんな言葉を最後に残し、バルバロッサとアルカンドに守られながら、恐らくは心殿へだろう、向かうティユトスの背中を見送りながら、包帯から染み出して、頬を伝いながら落ちる自分の涙に、トリアイナはまだ気付いていないのだった。