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チェシャネコの葬儀屋 ~大切なものをなくした方へ~

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第三章 抱えるもの 3

「樹様、ワタシ、聞く覚悟はできています。教えてください、昔のお話を」
 食卓を囲むようにしてジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)緒方 章(おがた・あきら)林田 コタロー(はやしだ・こたろう)に見つめられて、林田 樹(はやしだ・いつき)は思わず微笑んだ。右手はジーナがぎゅっと握りしめ、正面ではいつになく真剣な目の章がコタローを抱きかかえて向き合っている。いつから自分はこんなに恵まれているのだろう。樹はこくりとうなずいた。
「ああ、私もみんなに聞いてほしい。私が失ったのは……かつて私に求婚してきた男だ」
「それが、前に会ったあいつなの?」
 章の脳裏を、以前パーティで出会った一人の男がよぎる。ヤツに会ってから、樹の様子は明らかに変だった。
「ああ」
『イツキ、文字が読めるって楽しいだろう?』
 今も記憶に焼き付いている懐かしい声を振り払うように。
 ジーナが握っていてくれる右手をそっと握り返して、樹は静かに語り始めた。
「この手でしっかり殺したと思ったのだがな……」

 旅の一座。学校も行けなかった。彼は文字やそろばんを教えてくれた。
『イツキは覚えがいいな』
 頭をくしゃくしゃと撫でられるのは、何だか不思議な感じがしたけれど嫌ではなかった。
 楽しいことばかりではなかったけれど、優しい人たちに囲まれて、私たちは少しずつ大きくなっていった。
 あれは、一座の稼ぎ頭になったころだったか……彼にプロポーズされた。
『貧乏だから、これぐらいしかあげられないけれど……結婚しよう、イツキ』
 指輪の代わりに赤いリボンを薬指に巻いて、彼の照れた顔を見ると幸せで胸がいっぱいになった。けれど、私は何より一座に恩返しがしたかったから。この申込みを受けるつもりはなかった。
『明日リボンを返して、きちんと断ろう』
 話せばわかってもらえる筈だった。なのに――

「樹ちゃん?」
「ねーたん?」
 口を噤んでしまった樹を心配そうに覗き込む三人。二度と失いたくない、大切な、パートナーたち。が、一瞬真っ赤に染まって見える。あの時みたいに。
『イツキ、君も裏切るの?』
 ゾワッと総毛立った。震える手をジーナがしっかりと両手で包んでくれて、樹はふーっと長く息をついた。
「大丈夫だ。ありがとう……。
 …………その後断ろうと思って会いに行ったら、彼が……一座の皆を殺していた。なにがあったのかはわからない。覚えているのは、彼が、彼自身のくれたリボンで私の首を絞めようとしたこと。そして……私が、彼を撃ち殺したということだ。これが、そのリボンだ」
「そ、そんなことがあったのですね……」
 そこまで話して、樹は表情を引き締めた。
「あの時、死んだとおもっていたんだがな。彼は生きていた。別人となって」
「それがあいつってわけか」
 複雑な表情の章に、コタローは首をかしげた。
「しんじゃった、にーにーがいきてらら、ねーたんはかなしいお?」
「コタくん。大好きだったにーには、ひどいにーにに変わってしまったんだよ。コタくんも、樹ちゃんが急にコタくんをいじめる怒りんぼさんになったら悲しいだろ?」
「極端な例えしやがりますねあんころ餅ぃ……。でも、好きな人が別の人になるのは悲しいです」
「うー!!いやら!こた、いまのねーたんがすきらお!こたも、ずっとこのまんまねーたんといるお!!」
「ええ。いじわるするにーにーにはメッなんですよ。……樹様」
 三人は、まっすぐに樹を見ていた。樹もまっすぐ彼らの視線を受け止めた。それは、まるで誓いのようで、
「ワタシも、ずっと『ジーナ・フロイライン』でいますね」
「もう大丈夫。コタくんもカラクリ娘も……僕もいるから」
「うー!」
 幸せなのかもしれない。いや、きっと幸せなのだろう。
 この幸せは、もう絶対に、誰にも奪わせはしない。
「(たとえ、あなたが相手でも。今度こそ私は間違いなく引き金を引く)」
 樹は、ありがとう、と小さくつぶやくと、不器用に三人を抱きしめた。


「なんで知らない人たちと一緒に供養をしなければならないの」
「もーっ、もうそんなこと言うなって。あたしが緋月と一緒に来たかったんだから、今日は付き合ってよ」
 泉 椿(いずみ・つばき)がそう言って口をとがらせると、緋月・西園(ひづき・にしぞの)は肩をすくめた。わざわざ口には出さないけれど、椿と一緒にいるということは嫌ではなかった。
 椿も緋月も大切な人を失っていた。
「あたしの父ちゃんすごくいい男でさ、怒るとすごく怖くて、……でも優しい人だったんだぜ」
「……そう」
「地球にいたときは墓参り欠かしたことなかったんだけど、こっち来てからなかなか改まる機会ってなくってさ……あ!って言っても忘れてたわけじゃないんだぞ!だからさ……今回は、いい機会だったんだよ」
 椿の言葉は、いつも素直でまっすぐだ。それは、椿のお父さんの影響も大きいのだろう。
「(嘘ばかりの私とは大違い)」
「……緋月は、大事な人失った時とか、見た?……父ちゃんは、いつもと変わらない姿をしていて、でも、……冷たくってさ。すぐそばにいるのに、ずっと遠くに行っちゃったんだ、ってわかってすっげぇ泣いたなー」
「……」
「それで、思った。もう誰も死んでほしくないって。あたしだけじゃ、無理かもしれないけどさ……」
 うつむいて椿が黙り込むと、不意に緋月が重い口を開いた。話してくれるなんて思っていなかったから、椿は驚いた。
「……私も、大切だったわ。たった一人の、とても大切な先生……。もう、生きてく気なんてしなかった。椿、あなたに会うまではね」
「緋月……」
「椿は、あの人と同じくらい優しいわ」
「緋月、一緒に居てくれる?」
「……」
「あたしだけじゃ無理かもしんないけど、緋月が一緒に居てくれたら…………。だから、緋月は無茶したりどこかへ行ったりしないでくれよ」
 真剣な椿の言葉に、緋月は首を縦に振って答えた。表情はどこかむずがゆそうであったけれど、嘘つきの彼女にすれば珍しく素直にうなずいた。
「私たちはいつも一緒……思い出は別々でも」
 椿は目をまんまるに見開いて、すぐに嬉しそうに表情を崩すと照れたように緋月の肩をパシパシと叩いた。そんな反応が嬉しくて、緋月も少し笑った。


 会場の外に用意された精霊船を一足早く眺めながら、真理奈・スターチス(まりな・すたーちす)は真剣に空を仰いでいた。隣では付き添いで来た篠宮 悠(しのみや・ゆう)が飄々とたたずんでいる。
「なー、何みてんの?」
「今日も晴れてよかったです」
「あ?」
「……弔砲が、よく飛ぶでしょうから」
「???……あ、ああ。お前がいつもこの時期になるとやってるあれのことか?」
 普段は無口な真理奈にしては、えらく雄弁だった。腰を折ってしまわないように気を付けながら、悠は続きを促す。
「そう。……もう年月を数えるのも面倒なほど以前に、剣を捧げた相手がいました。高潔で、使命感の強い、けれど非合理な人でした」
「でした……?」
「貧弱な武器でしかなかった私を庇って死んだのです」
「!」
「馬鹿な人……」
 そうつぶやいた真理奈の目は、けれどその相手を蔑むような色は浮かんでいなくて、むしろ大切なパートナーを守れなかった弱い自分を恥じているようであった。
「(だから、こいつは強い武器であることにこだわるんだな)」
「武器は強くなければ。強くなければ何も守ることができない。私は……」
 真理奈は砲を構えると、じっと前を見据えた。迷いのない姿勢は美しくさえあった。
「あの人と自身に強くなることを誓って、あの時から毎年一発ずつ弔砲を撃っているのです。撃ち尽くした時には強くなれていることを願って。……もうすぐ弾切れです。私は……」
 なれたでしょうか?最強の武器に。
「なれるでしょうか……?」
 それはこれまでに見たことのない彼女の誓い。悠は、冷たく見える彼女のうちに秘められていた意志に驚きながら、ポリポリと頭を掻いた。
「……ま、お前が強くなるのは願ってもないし。協力してやんよ」
「! ……。……どうも」
 ほとんど聞こえないほどの感謝は、会場から現れた葬儀屋と一行の登場で悠に届いたか定かではなかったけれど、
「(まぁいいでしょう)」
 肩をすくめて髪をなびかせると、真理奈と悠も一行に加わった。
 チェシャネとコが、歌うように述べた。
「時間だよ」
「大切なものへ乗せよう」
「どうか想いが届きますように」
「どうか祈りが通じますように」
「「精霊流しを始めるよ」」