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リアクション
エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、心の中で涙を流していた。
スキルドラゴンアーツの選択は間違っていなかった。ただし人の食欲に対する認識が、彼の想像をはるかに越えていた。
「すまん、ミュリエル、せっかく楽しみにしていただろうに」
パートナー、ミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)のガッカリした顔を見たくはなかった。
「しかしミュリエルは、どこに行ったんだ?」
周囲を探すエヴァルトに、遠くから「お兄ちゃーん」との声がかけられる。見れば、ミュリエルがこっちに走ってくる。
「お兄ちゃん、お怪我はありませんか?」
とことんまで心配してくれるミュリエルに、エヴァルトの心の涙が滝のようになった。
「これ、どうぞ」
ミュリエルが懐から出したのは、伝説の焼きそばパンだった。
「どうしたんだ、これ」
「よく分からないんですが、ちょっと離れたところにいたら、いきなり飛び込んできたんです」
もちろんそれでもエヴァルトには、サッパリ分からない。
もう少し詳しく説明すれば、最後の1つと獣 ニサト(けもの・にさと)が放り投げ、羽瀬川 まゆり(はせがわ・まゆり)の中継を中断させたものが、何十回の手のひらバウンドを繰り返して、ミュリエルの懐に飛び込んだ。そこまで追っかけてきた焼きそばパン猛者も、涙ぐんで震えるミュリエルに「出せ」とは言えなかった。
「お兄ちゃんからマリエルさんにあげてください。きっと喜ばれますよ」
エヴァルトはミュリエルの頭を優しくなでた。そして離れたところを指差す。
そこでは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とマリエル・デカトリース(まりえる・でかとりーす)が、ベンチに並んで腰掛けていた。美羽が買ったのであろう、伝説の焼きそばパンを食べている。
「美味しいねマリエル! 私、また食べたいな」
2人とも底抜けの笑顔を見せていた。
「だから、おまえ食べろ」
ミュリエルは焼きそばパンを2つに分けると、半分をエヴァルトに渡す。
「良いのか?」
ミュリエルは「1人で食べるより、2人で食べた方がおいしいです」と微笑む。
エヴァルトの心の涙は、もはや留まるところを知らなかった。
魏延 文長(ぎえん・ぶんちょう)とユフィンリー・ディズ・ヴェルデ(ゆふぃんりー・でぃずう゛ぇるで)は、マスターの夜月 鴉(やづき・からす)を見ると「おーい」と手を振った。しかし近づいてきた鴉を見ると、あまりのボロボロな風体に2人は驚いた。
鴉は袋をユフィに渡す。袋を開けるとかぐわしいソースの香りが漂ってくる。袋の中には、焼きそばパンが入っていた。
「わざわざこのために、そんなになりながら……」
ユフィの目には、ボロボロの鴉が、どんな英雄よりも雄雄しく見えた。
「鴉、私の為に……ありがとう。これは感謝の気持ちだ」
ユフィは焼きそばパンを半分にして、鴉に差し出した。
そんな2人を胸を躍らせながら見ていたのが魏延だった。半分になった焼きそばパンを口にする鴉に尋ねる。
「な、な、わての分は?」
鴉は視線を動かすことなく、もうひとつの袋を渡した。
「おおきにー」
魏延が袋を開けると、間違いなくパン1つが入っていた。しかしよくあるようなソースの香りがしない。そっと取り出すと、茶色いだ円のパンが出てくる。
「アレ?」
焼きそばが……ない。紅しょうがも……ない。根本的にパンに切れ目が入ってない。
「分かった! 透明なそばなんやろ。でもって透明なソースに、透明な紅しょうがに……。透明なのに、紅っておかしいんちゃう?」
鴉は黙々と焼きそばパンを食べるままで、何の返事もしない。
「よっしゃ! ほんならこれから焼きそばを挟むやな。そうならそうと言ってくれれば。できたての焼きそばを挟んだら、ほんま美味いんやろなー」
黙々と食べるだけの鴉は、焼きそばパンを食べ終えていた。ユフィは自分のを更に魏延に分けたものかと、鴉と魏延の顔を代わる代わるみている。
「なぁなぁ、鴉、学食はあっちちゃうか。早く行って焼きそば買ってや」
それでも反応のない鴉に、魏延の金色の瞳が、見るまにうるんできた。すぐにポロポロと涙がこぼれ落ちる。それを隠すこともせずコッペパンにかじりつく。
「何でやー」
コッペパンは、ほんのちょっとしょっぱかった。
次の瞬間、スタスタ歩く鴉の股間にずんっと激しいツッコミがあった。
「……!」
言葉にならない悲鳴で転がる鴉を、魏延が踏みつける。
「わぁーん! 鴉のアンポンターン! 方向音痴のいねむり男! お前の母ちゃんデーベーソ!」
言うだけ言って魏延は駆け出して行った。ユフィも「えい!」と軽ーく一発、お尻に蹴りを入れると魏延を追っかけていった。
死して(いや死んじゃいないけど)屍拾うもの無し
鴉に近寄ろうと思う者は誰もいなかった。
「はい、チーズ」
笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)とアインス・シュラーク(あいんす・しゅらーく)は、伝説の焼きそばパンを手に記念写真を撮っていた。
「アインス、どうしてそう口を尖らせるの?」
紅鵡の質問に当然と言わんばかりに、アインスは答える。
「‘チーズ’では、そうなりますが」
アインスの答えに、笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)は噴き出した。
「無理に言わなくても良いんだよ。そうだな……アインスが一番うれしいことや楽しいことを考えてみて」
アインスは少し迷った後、紅鵡がハッとするほどの笑顔を見せた。思わず見とれていたが、あわててシャッターを押した。
その後、伝説の焼きそばパンをひとつずつ食べた。アインスは2とも紅鵡に食べてもらおうとしたが、「一緒に伝説の焼きそばパンを食べようねって言っただろ」と紅鵡に押し切られる。
「ねぇ、さっきさ、何を考えた?」
アインスが紅鵡に耳打ちすると、紅鵡の頬があっと言う間に真っ赤になった。
健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)は 柔らかな枕の感触で目を覚ました。気のせいかかすかに良い香りもする。
「あ、目が覚めたね」
上から覗き込むのは、パートナーの君城 香奈恵(きみしろ・かなえ)だ。
「あれ……、焼きそばパンは?」
「買えたよ。食べる?」
香奈恵が袋を開けると、ソースの香ばしい匂いが漂う。しかしそれまでの良い香りが消えたのは残念に思った。
「あーん」と言う香奈恵に合わせて、勇刃も口を開ける。近づいてくる焼きそばパンにかぶりつく……と思ったら、スッと引かれて空ぶった。
「なんだよー」
「あはは、ごめんごめん」
今度は普通に食べることができた。
「美味い!」
2人の間に濃密な空気が流れる。
「あたしも半分貰うね」
「ああ」と答えて、勇刃は疑問が浮かぶ。
「焼きそばパン、1つしか買わなかったのか?」
「2つ買ったよ」と香奈恵は視線をそらす。
「じゃあ、そっちは?」
香奈恵は視線をそらしたままで「食べちゃった」と答えた。
「タピオカパン……は、買わなかったのか?」の問いにも「2つ買ったけど、食べちゃった」の返答。
「(香奈恵)!」
「(勇刃)!」
いきなり体を起こそうとした勇刃は額を香奈恵のアゴにしたたか打ち付けた。
「じゃあ、なんだってのか! 香奈恵1人で3つと半分食ったのか!」
「いいじゃん! あたしが買ったんだから!」
ふと勇刃は財布を開く。パン代がそこから出されたのは明確だった。
「ここから金出したな」
「膝枕代に比べれば安いものよ」
2人の激しいコミュニケーションは、昼休みいっぱい続いた。
綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)とアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は、伝説の焼きそばパンを挟んで対峙していた。
「さゆみ、わたくしがどれほど心配したことか」
「ごめんなさい」
「こんなもの……と言ってはいけないのでしょうけど」
アデリーヌは焼きそばパンを恨めしそうに見つめる。
「で、でもさ、美味しいと思うよ」
さゆみは焼きそばパンをちぎると、アデリーヌの口に近づける。しかし彼女の口は閉じられたままだった。
「さゆみ……」
アデリーヌはさゆみの手を握ろうとする。
「もう失いたくないの……大切なあなたを……」
アデリーヌの両手は、さゆみの手を越えて彼女の頬に触れる。そのぬくもりが手のひらを通して、アデリーヌの胸の奥を熱くした。
「焼きそばパン、いただきましょうか」
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