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季節外れの学校見学

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【薔薇の学舎・1】


 薔薇の学舎
「ここは見る必要ないなぁ。というのは少し意地悪だよな」
 所属校を前にしてかつみは不安そうな顔をするナオに、そんな意地悪はしないと頷いてみせた。ただ、案内もしない。かつみというフィルターを通すのは避けるべきと思えたのだ。
 学校というのはどういうものなのかを、知る為の見学なのだから。
 では、改めて、と、
 学舎内に一歩足を踏み入れた瞬間、ガラリと変わった空気に、否が応でも呼吸が止まった。
 何がそんなに緊張を促すのか原因を探ろうと視線を彷徨わす前に、何が起因していたのかを知る。
 薔薇だ。
 そこら中に植えられ、育てられた、
 赤々と燃える焔のような、血よりも鮮やかな紅の、薔薇達だ。
 ああ、そうだ。
 噎せ返るほどにも濃い薔薇の香りが、慣れない者の呼吸を阻むのだ。
 決して、甘くない香りで。
 鮮烈に咲き誇る花よりも気高い香りで。
 吸い込んだ瞬間脳髄の奥の奥へと叩きつけるような衝撃を与える、その香りで。
 本日は、学校見学者達を学舎内へと誘っていた。
 いつもは曇りがちのタシガンの空が、今日は、晴れている。
 遮る雲がなく地面へと降り注ぐ陽光は、所狭しと植えられた薔薇の香気と混じり、気怠げな肌触りに変化していた。

 こんな日は、外に出て、日向ぼっこが心地いい。

「って、なんで、僕の膝とか腿とか撫でてるの?」
 東條 梓乃(とうじょう・しの)は震える声で疑問を投げかける。
 白いベンチに座る上品なメイド服姿の梓乃の腿の上に頭を乗せて、少し厚手の白いタイツに包まれながらも少年特有の色香が滲む梓乃の膝頭や、膝下少しくらいの丈のスカートの裾を僅かに捲りうっすらと血管の浮く腿へと手を差し入れて、触るか触らない微妙な間隔の繊細なタッチで指先を踊らせているティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)は、空から降り落ちたような梓乃の問いかけに、物憂げな感情を宿す冷徹な色の赤い瞳を動かす。
 体温の差かひんやりとした気配を滲ませるティモシーの手が腿とは言え膝よりに留まりそれ以上差し入れられないものの、そこに手があり、飽きもせず動いていれば嫌でも意識してしまい、意識すればするほど、そこに手があると脳が混乱を呼び、上擦る思考に、ティモシーが手を動かす度に、くすぐったさが込み上げ、梓乃を落ち着かなくさせる。
 もう、平静に自分を騙すのも我慢の限界と声を震わせて理由を問う梓乃にティモシーは、それでも、動かす手を止めない。
「さっきから、時々シノがもぞもぞするのが楽しいから?」
 答えた瞬間、梓乃の繊手がバシバシとティモシーの頭に降り落ちる。
 吸血鬼特有な他者を誘惑するに十分な嫌味な程整った顔に、にやにやとした笑みを浮かべて、返ってきた答えに梓乃はくすぐったさに翻弄され幽かに赤くした顔で言葉にならない気持ちをティモシーに叩きつけるも、悲しいかな、ティモシーにとっては梓乃の行動は子猫の甘噛に似ていた。
 退屈な日々だけど、可愛いシノを弄るのは悪くないと、消えては現れるチシャ猫達の悪戯っけ含む「シシシ……」という鳴き声をBGMに、ティモシーは物憂げにパートナーの膝を撫で続けていた。
 ただ、今日に限って言えば、
 その光景を見つめる集団があったわけで。
「Oh……」
 つい、漏れた。そんなアレクの声に、梓乃はベンチから飛び上がりそうになって、その動きに戯れを中断されたティモシーが迷惑そうに半身を起こす。
「いや、これは……普段はこんな格好じゃないし……あの……」
 スカートの裾を慌てて直しながら梓乃。
 いつもと違うんだよ。
 その言葉に、説得力はあるのかないのか。見るからに少年な梓乃がメイド姿、つまり女装をしている時点で、公平な判断が成されること自体難しいだろう。
 見慣れない光景に目を瞬かせたシェリーとナオは、梓乃にこくこくと頷きに首を動かすも「びっくり」したままだった。
 一行の中で平然としていられたのはこんな学舎の雰囲気に慣れているかつみと、優艶な笑顔を見せるミリツァだけだ。

「そんなところでぼーっと立ってると警備に声を掛けられるよ」
 スレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)の呼び声に、破名が反応した。
「なんてね。冗談だよ。こんにちは、ようこそ薔薇の学舎へ」
 全員の目が自分に向けられたのを確認して、スレヴィは手振りで、案内役は自分だと示した。
「でも、女性のままというのはやはり頂けないからな」
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)を連れたクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)は、一団を手招きして呼び寄せ、「男子校であることを忘れては困る」と、抱えてきた衣装箱の口を開ける。
「入学体験というなら、制服に着替えてもらわないと。薔薇の学舎は女人禁制だから、建前上、男装してもらわないとまずいんだよ。見学をしているって知らない学生もしるしね。
 いくつか衣装を用意しておいたから、好きなものをどうぞ」
 言いながら取り出し、休憩用にと敷地内に置かれたテーブルの上に広げるのは一通りサイズが取り揃えられた制服や学校内で着ていても不自然じゃない衣装。
 種類は五種。
 ・旧制服
 ・新制服
 ・聖歌隊の衣装
 ・乗馬服
 ・学校公式の水着
 広報担当者に見学について問い合わせた際、制服に着替えなければならないという話は無かった。だがスレヴィやクリスティーの言う事は尤もなので、かつみとアレクは顔を見合わせただけで何か口を挟むような真似はしなかった。
 いやしかし、最後のそれは突っ込んだ方がいいのかもしれなかったが。
 一方パートナーであるクリストファーの悪乗りに気づいたクリスティーは溜め息を吐いている。
「薔薇の学舎の生徒として、節度ある美を魅せないといけないのに、もう」
 見学者たちに配慮を見せて真面目に考え行動しているんだなと感心した矢先に、しれっとした顔で広げられた衣装に、クリスティーは自分が彼の悪乗りを止める役目だったのだと思い知る。
 他校生を含めたこの見学者達の印象が悪くならないうちに、と余計なものは衣装箱に戻した。
 結局見学者の女性二人の手元に残されたのは、旧制服と新制服の二種類になる。
 ミリツァは布の質感を指先で確かめながら口を開いた。
「――此方の旧制服は日本の詰め襟の学生服を模倣しているのかしら。
 薔薇の蔦が表現しているのはそうね――学舎生活における自由からの束縛……!」
「……何言ってんだか訳わかんねぇけどお前すげーな」
 金の瞳を一瞬煌めかせた妹に、アレクが感嘆の声を上げる。彼の今の上下はTシャツとストレートジーンズだ。季節柄を考えた淡い色に柔らかい生地は初対面の人間に威圧感を与えないため、羽織のジャケットは学校見学という事を考えて、更には一緒に出掛ける相手の事まで念頭に置かれた頭のてっぺんからつま先まで隙の無い妹とは対極に、何も考えずにひっかけただけなのが一瞬で分かる。
「新制服は矢張り軍服とテールコートを合わせたようなデザインね。……軍服を制服として着用するのは矢張り日本文化を参考にしたのかしら。
 あら、このタッセルのところで折り返した裏地を見せる様にしてあるのね。個性的だわ。
 色使いは一見派手に見えるけれど、校内の薔薇から人間が浮かない様にデザイナーが配慮したのでしょうね。
 どちらも着る人間を選びそうなものなのに、皆さんこれだけのデザインを完璧に着こなしているわ。とても似合っていてよ」
 服を準備してくれたクリストファーらへ微笑みかけて、ミリツァはくるりと振り返り兄を見上げた。
「ところでアレク、クラヴァットの結び方が分からないわ」
「忘れた」
「嘘よ」
「忘れた」
「嘘よ」
 制服についての感想を述べ兄妹であーだこーだと始めているミリツァと比べ、触ってもいいのかどうかすら躊躇うシェリーに問われて、ナオはかつみを振り仰ぐ。
「綺麗な色ね。ね、ナオ、かつみはこの学校なのよね? 着ている所見たことある?」
 簡易更衣室を設置する為にクリストファーと入れ違うようにスレヴィが握った拳から一本、人差し指を立てる。
「この学校、学力もそれなりに求められるけど、それよりも美しくあることを重視しているよ」
「美しく、あること?」
 あること。そうで、あること。当然と、在り続けること。
「それは……とても難しそうに聞こえるわ」
 シェリーに、そうだね、とスレヴィは頷く。シェリーに、ミリツァに、ナオに、とそれぞれ緑色の視線を流す。
「美と一言で言ってもいろいろあるけど、三人は何に美しさを感じる?
 それをみつけて突き詰めていくのも、美のある学生の姿かもしれないしね。
 ……と、校長なら言うかもな。俺はあんまり真面目に考えたこと無いけど。ま、三人ならやっていけるんじゃないかな」
 形態は様々で、テーマさえ変わらなければ間口は広い。気負うか気軽に行くかは本人次第。
 ああ、そうだ、とスレヴィは、触れる機会が無いだろう晒(さらし)やクリスティーが使用している胸の膨らみを抑える為の男装用コルセット――一部ではナベシャツと呼ばれるものだ――を摘んで広げて不思議そうにしている少女達に声を潜めた。
「これは内緒話なんだけど、万が一男装が疑われても守ってくれる人が必ず出てくるから大丈夫だよ。俺も協力するし」
 その前に『過』の字が頭につくだろう保護者が、入学を許すかにかかっているけどね。
 肩を竦める様に言うスレヴィにシェリーはコルセットを抱きしめた。
「あ、あのね。今日はその、入学というよりどんな学校か知りたくて見せてもらいに来たの。クロフォードも学校はよくわからないから、余計に私知りたくて。
 私の我が儘を許してくれてありがとう。
 あと、もっとお話を聞かせて? 女の人が居ないって聞いたわ。男の人だけで毎日を過ごすのってどんな感じなのかしら? 男装が疑われるって何かスリリングね、しかも助けてくれる人も居るなんて何かの物語を聞いている気分だわ」
 入学前提というより、学校というものがどんなものなのかを知りたくて。
 薔薇の雰囲気に飲まれたのか早口で捲し立てるシェリーから視線を外したタイミングで、破名は、いつの間にか側にきて微笑んでいる黒崎 天音(くろさき・あまね)に気づいた。
 着替えを勧められているミリツァ達にちょっと笑っていた天音は、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)から学校のパンフレットを受け取っている付き添いの男性陣にも、どうだろうか、と誘いの声をかける。
「お連れさん達も着替えてみたら? サイズは豊富だし、学外でもこれを着て肖像画を描いて貰う人が結構いるくらい、人気の制服だよ?」
 当座の学生であるかつみも、アレクと破名を見た。
「着れ、と?」
「まぁ、そうだね」
 破名が聞くと天音は、そんな解釈をするのと笑いながら頷く。
 破名が考える――というよりも口を開く間も与えずに、アレクが先にはっきりと断った。
「No,thank you.」
 と、困ったときの英会話レベルな言葉は、それ以上は何も言わないでくれという気持ちが外に出ているのだろう。何故断ったのかは、アレクの面白みの欠片も無いファッションセンスを見てしまえば、天音にも伝わった。あれは多分――チュニックのボタンを全てとめその上にウェストコートを着てクラヴァットを鏡で見ながら調節しジュストコールに袖を通すような――手間をかけるくらいなら死んでやるぜという人種だろう。
「断ってもいいか?」
 破名も直球で返す。理由はシェリーが教えてくれた。
「駄目よ、天音。クロフォードは私達の前でも着替えないわ。着替えさせるなら殴って気絶させないと」
 とシェリーは、くすくすと笑っている。
「うん。強制はしないよ」
 男性であるのなら、着替えは強制ではない。ただ、本当に君は面倒っぽいね、と天音は思うだけである。
「それは?」
 件のナベシャツを勧められているミリツァに破名は近づく。此れは何をどうするものなのかと簡単な説明を受けて、シャツの下に着用したミリツァが更衣室から戻ってくる。
「――こうかしら」
 と、クリストファーに示しているミリツァの胸元を、不躾にも――そういった感覚が無いのか――凝視して、破名は首を傾げた。
「あまり、変わって――」
 全てを言い終わる前に、クリストファーとクリスティーの視界から消えたミリツァは、スレヴィや天音が何か言うよりも早く破名の前に滑り込み、かつてリカインに教わった急所の一つ肋骨を肘で抉っていた。
 くしゃみをしても痛い場所なら、きっと余計な事を言う口を閉じてくれるだろうと考えたのだ。
 一体破名の何の言葉が暴力によって否定されたのか分からず目を丸くする面々の中で、彼女の兄だけは妹の愛らしい悪戯に微笑んでいた。