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リアクション
第三章 誤解の糸のほどきかた
「ありがとう……それと、ごめんなさい」
イルミンスールの学生寮。
ベッドの上に腰掛けたカンバス・ウォーカーが発した言葉に、この部屋の主ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)はきょとんとした顔を向けた。
「何がですか?」
「だってキミは、さっきも校舎から連れてきてくれて、今もこうやって匿ってくれてる。たとえ前に会ったことがあっても、ぼくはキミのことを、もう知らないのに」
そう言うと、カンバス・ウォーカーはギュッと拳を握った。
つられて、揺れた銀製のアクセサリーが小さな音をたてる。
「さっきは、他の人も助けてくれたみたいですけど……大丈夫、気にしないで下さいそんなこと」
ソアは、そっとその手をカンバス・ウォーカーの拳に重ね、
「私は人の想いを大切にする魔法使いです。カンバス・ウォーカーさんは、誰かの想いの結晶。カンバス・ウォーカーさんがその想いを大切にしてること、私にはよくわかりますし、そうである以上、私は味方。他に理由は、いりません。それに、『もう』じゃありません。私は今のカンバス・ウォーカーさんのことを『まだ』知らないだけです」
それからにっこり笑った。
「そ、そうだぜっ! あ、安心してご主人に任せとけよっ……グスっ!」
部屋の入り口で周囲を警戒していた雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)が振り返った。
「ど、どうしてベアが泣いているんですか?」
「べ、別に泣いてなんかないぜっ! なんか話聞いてたら胸うたれたなんてこと絶対にないんだからなっ!」
ベアは派手に目元をぬぐった。
「でも……グス。ご主人。ずっとここにいるわけにもいかないよな」
「それはそうですけど。学生寮なら他校生が勝手に入ってくるわけにもいかないでしょうし、イルミンスールは迷宮です。隠れ場所にはまだ困らないと思いますよ」
「例えばだぜ」
ベアはフワフワした手であごをさすってカンバス・ウォーカーに目をやった。
「おまえがだれかの『想い』に反応したってんなら、その像のために、やり遂げるべき目的みたいなものは無いのか? そしたら、逃げ続けなくてもいいんじゃないかって思うんだけどな」
カンバス・ウォーカーは手にした像に目を落とし、ベアの言葉をゆっくりとかみ砕くように考え込んだ。
「そうだよっ!」
「そうだよっ!」
「そうなんですか……ね?」
ヒョコっ、ヒョコっと、最後におずおずと。
ベアの脇から三つの頭が顔を出した。
「あんたは逃げることなんかないっ……かもしれないよ?」
部屋に入ってきてグッと腕を組み胸を反らせたのはクラーク 波音(くらーく・はのん)。
「しれないよっ!」
「波音ちゃん、ダメ! ちょっと偉そうに見えちゃいますよっ」
続いてララ・シュピリ(らら・しゅぴり)とアンナ・アシュボード(あんな・あしゅぼーど)も波音の横に並んだ。
「な、なんだおまえらっ」
急な闖入者に、ベアが慌てた声をあげた。
「慌てないで、クマさん」
「クマさ〜ん!」
「ごめんなさい、ちょっとお邪魔します、クマさん」
「ただのクマ呼ばわりすんな! 俺様にはちゃんとベアって名前が――」
ベアの声は、波音が手で遮った。
「じゃあベア……おっきいからお兄ちゃん? 大丈夫、カンバスちゃん捕まえたりしないよ」
言って、くるりとカンバス・ウォーカーに向き直る。
「それが、像?」
波音の質問に、カンバス・ウォーカーはためらいながらも頷いた。
波音は顔を近づけてしげしげと観察する。
それは確かにシャンバラ女王の像のようであったが、顔の作りは一般にあるレプリカと少し異なっている気がした。
「ねえ……これ、振っていい? あ、違う違う」
伸ばした手に、カンバス・ウォーカーが身を固くするのを見て、波音はパタパタと手を振った。
「振ってみてもらっていいかな? 何か、音とかしない?」
カンバス・ウォーカーは言われたとおりに耳元で像を上下させてから、「特に何も……」と首を傾げた。
「じゃあ〜次っ! 二番、アンナ」
トンと波音に背中を押されて、アンナが前に出る。
「私ですか? えーと、では……さっきベアちゃんも言っていたのですけど。何か目的はないのですか? 例えば、像を誰かに届ける、とか。何を想って像が作られたか、とかでも」
しばらく考えて、カンバス・ウォーカーは小さく首を振った。
「……わかんないや。『壊されちゃいけない』って強くは思ったんだけど……でももしかしたら、『壊れたくないっ』だったかもしれない」
「ねぇねぇ、じゃあさ、じゃあさ!」
ぴょこんと、ララがカンバス・ウォーカーの膝の上に飛びついた。
「カンバスおねえちゃんが像をいっぱいこわしちゃったってほんとぉ? 違うよねぇ?」
この質問にはカンバス・ウォーカーが飛び上がった、おもわずララがはね飛ばされそうになる。
「し、知らないよっ! なにそれ?」
「さっきイルミンスールに来た『くいーん・う゛ぁんがーど』? の人たちが言ってたよ〜?」
「そ、そんな話になってるの!?」
どうやら知らなかったらしい。
カンバス・ウォーカーの慌てふためきように、むしろ部屋にいた五人が呆気にとられ、おずおずと頷いた。
「ぼくを追っている人たちが、ぼくの持ってる像を狙ってるんじゃないの? 剣の花嫁の仲間じゃないの!?」
カンバス・ウォーカーはそこで、哀しそうに目を伏せた。
「ぼくはカンバス・ウォーカー。誰かの想いの結晶。誰かの想いがこもった美術品を壊して回ってるなんて……そんなふうに思われるのは嫌だよっ!」
そんなカンバス・ウォーカーの手を、少しためらってから、ギュッとララが握った。
「んっふっふ〜」
少し沈んだ空気の中、遠慮がちに、でも確かに波音が笑った。
「でもこれでハッキリしたね。やっぱりカンバスちゃんは犯人なんかじゃない。後は、証明するだけだよ」
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「捕まえたっ! カンバス・ウォーカー、捕まえたよっ!」
空京の街に栂羽 りを(つがはね・りお)の声が響き渡った。
「ひ、人違いじゃっ! こら、出すのじゃ!」
りをがかぶせた大きな網の中で、ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)はじたばたと手足を振り回した。
「む。暴れる気だね? リリ姉ぇ、もう一枚っ!」
「ううう……承知どす。あ、暴れとって、カンバス・ウォーカーいうのは、なんや凶暴どすなぁ。しかしよろしいんどすか? 人違い言うとりますけど」
リリーシャ・メソッド(りりーしゃ・めそっど)は怖々とファタをのぞき込んでから、不安そうな顔でりをに尋ねた。
「犯人はみんな、そう言うんだよ」
りをは神妙そうな顔付きで答えた。
「ははあ。さすがりをはん。さっきからそれで十三人ほどから怒られた気もしはりますが……ほな」
リリーシャが腕を振るう。
ぶわさ。
と、網が宙を舞って、ファタを覆った。
「ア、アホかっ! 礼儀を知らずの小僧が嫌でイルミンスールから出てきたというのに、なんじゃ、世界中礼儀知らずだらけかっ! ジェーン! さっさと助けるのじゃ!」
ジェーン・ドゥ(じぇーん・どぅ)はしかし、腕を組んでしげしげと、網の中のファタを眺めている。
「なるほど。マスターは、カンバス・ウォーカーだったのでありますかっ!」
「パートナーが一番のアホときたのじゃ!」
ファタは、超感覚の副産物であるネコミミと尻尾を逆立てて叫んだ。
「……うわぁ! 何それっ! 面白いっ! すごいすごいっ!」
面白そうな光景だと直感したのか。
通りを越えて駈けてきた霧雨 透乃(きりさめ・とうの)はパチパチと手を叩いて目を輝かせた。それから網越しに、むんずとファタを捕まえる。
小柄なファタはあっさりと抱きすくめられた。
「ねぇ、もうこれ、耳でないの? みーみ?」
「おわあ、なんじゃ!? なんかまた厄介そうなのが来たのじゃ!? 厄日じゃ」
パタパタパタとファタはさっきよりも強く手足を振り回す。
「あー、透乃ちゃん? 面白そうってだけで他人様に抱きつかない。な?」
その横から、霧雨 泰宏(きりさめ・やすひろ)が遠慮がちに手を伸ばした。
「む、おぬしこやつの飼い主じゃな? 離すように言うのじゃ、抱きつくのは大歓迎じゃが抱きすくめられるなどわしの好むところではないのじゃ!」
泰宏はぺこりと頭を下げた。
「悪いね。どうも面白いと周りが見えなくなるみたいでさ。ほら、透乃ちゃん、もうはなせって」
泰宏が透乃の腕に手をかけたが、透乃はふるふると首を振った。
「でも、だってさっきのネコちゃん耳、色んな気配がわかるんでしょ?」
「む? まあわしは優秀じゃからな」
「物識りそうだし」
「自慢になるが物識りじゃ」
「鼻も効きそう」
「おぬし、わしをなんじゃと思ってる?」
透乃は泰宏に「ね、ほら」と勝ち誇ったように言った。
泰宏は少し困ったように眉根を寄せた。
「お願いすればきっと情報収集も、剣の花嫁さがしもうまくいくよっ!」
「迷惑になるだろ」
「ひょっとしておぬしたち、カンバス・ウォーカーの件を調べておるのか?」
『剣の花嫁』という単語を聞きとがめて、ファタが聞き返した。
その言葉で、透乃は顔を輝かせた。
「ほら! ほらほら! よ〜し、いっしょに行こっ! 決定っ! ね!」
そう言うと、透乃はそそくさとファタに被さっていた網を取り除けた。
それから浮き浮きと先に立って歩き出す。
「……良かったのでありますか、マスター?」
すすすっと、ジェーンが寄ってきてファタに声をかけた。
「おぬし、助けようとせんかったじゃろ」
「……良かったのでありますか、マスター?」
「ふん。まあいいわ。上等じゃ。どうせ何かするなら、少女の側がいいからの」
「マスター。どうもお忘れでありますか、ジェーンさん、女性であります。しかも、いつも側にいるでありますが?」
「……む、そうじゃったかの」
ファタはぷいと顔を背けた。
「……ところで、おぬしらはなんじゃ?」
「ついてくっ!」
「ついでくどす」
りをとリリーシャの手には、またしてもしっかりと網が握られていた。
「気がついたら、倒れてて……お店が壊れてて……なんかの像がバラバラ。店主さんが『何してくれてんだっ!』って。私、何をしたんですか?」
疲れたように言って、その剣の花嫁は顔を伏せた。
「……痛かったり、怪我してたりとかは?」
剣の花嫁は、無言で首を振った。
「……あの……」
愛沢 ミサ(あいざわ・みさ)はのどにひっかかっては飲み込みそうになったセリフを、何度か言い淀んでから絞り出した。
「やっぱり、何も、覚えてない?」
「……そうですね、お店のショーケースや、棚を壊したときの感覚なら、あるいは……」
自分の手の平をながめ、剣の花嫁は自嘲的に笑った。
像破壊事件。
被害にあった店から教えられたのは、現場付近で倒れていたという剣の花嫁の家だった。
「お疲れさまですミサ様。いかがでした……あまり芳しくはなさそうですな」
家の側で出迎えた斉藤 八織(さいとう・やおり)に、ミサが上げた顔は暗い。
「見てらんないよぉ」
剣の花嫁気を失って、しばらく記憶がないこと――
気がついたら確かに、被害のあった店の中、どうやら少なくとも彼女自身が像の破壊事件に関わっていたのは間違いないらしいこと――
「ふうむ」
ミサの話を聞き、八織は腕を組んで考え込んだ。
「洗脳、か?」
「美術品の破壊だけじゃなく、そんな話なら酷すぎます。こうなってくると、重要なのは、誰が何の為に――ですか? 『模造品にしても粗悪な出来だから』とかですか?」
八織のパートナーカース・レインディア(かーす・れいんでぃあ)がそう言って、八織とミサの顔を見比べた。
「……冗談です。あるいは……破壊された像の場所に法則性とか……や、スミマセン」
「笑えない冗談は、感心しませんな。それより、WEBの現況はどうです? 第三者による工作の痕跡など、ありますか?」
カースは、表情をキッと引き締め、八織を見返した。
「今のところ効果的に機能してると判断できます。リネン殿が情報にガイドラインを設けたのが、功を奏しているようですね」
「それは僥倖ですな。さて、ミサ様」
「え?」
「どうします?」
「え? え?」
「今の情報です。ミサ様が得てきた情報ですからな。剣の花嫁の方を慮るなら、伏せておくのも、ひとつ――ですな」
八織の言葉に、ミサが一瞬の逡巡をみせる。
しかし、次の瞬間には強く首を振った。
「ううん。みんなに伝えて。真相がわからなくちゃ、きっとみんなが辛いと思う」
八織は頷いて、携帯電話を取り出した。
「しかし、記憶が無い……八織殿が言ったように、洗脳でしょうか。そうなるとカンバス・ウォーカー殿の役回りは……洗脳した張本人? いえ、これも冗談。失礼、また笑えませんね。あくまで、可能性ということです」
カースはパタパタと手を振った。
ミサは再び深く考え込む。
「カンバスが想いを踏みにじるようなこと、しないと思う。でも、これはただの直感と経験則。どうしよう、俺、もう誰が犯人だかわかんなくなっちゃった」
ミサはまるで体が震えて入るかのように自分の両肩を抱いた。
信じるところが、もろく崩れ去りそうになるのは、辛い。
そんなミサを、八織は強く見返した。
「そうですな、まだ、情報が入ります」
「そう高いもんじゃないんですよ」
像が破壊されそうになり、カンバス・ウォーカーが逃げ出し、今回の騒動の発端となった美術商。
今井 卓也(いまい・たくや)の質問に、店主はファイルをめくりながら答えた。
「数が多いですからねぇ。ほら、今あちこちで事件が起こってるでしょう? そのくらいにはありふれている。うちは幸い壊されませんでしたが……まあ結局無くなってしまったんで、一緒ですがね」
「それで、その無くなってしまった像の詳細なデータを知りたいんです。『作品名』『作者名』『作成年月日』『形状』……」
「うーん」
店主は困った顔をした。
「作品名は……『シャンバラ女王像』ですかねぇ? 年月日……少なくとも、何百年、何千年と古いもので無いのは分かっているのですけどねぇ……作った人は……たぶん辿れると思いますが、すぐというわけにはいきませんねぇ」
「そうですか」
かくり。
卓也の肩が自然に落ちた。
「まぁ、カンバス・ウォーカーが護ろうとするくらいだから、そう出来の悪いものでもないのではないですか?」
「そのカンバス・ウォーカーの、真贋が知りたかったんですけどね」
「ほう?」
「カンバス・ウォーカーは、像から現れてることもあるのですか? 絵画渡りである以上、絵だけということはないのでしょうか」
「ははあ、それで真贋?」
「そうです」
「なるほど。言われてみれば、面白い話ですねぇ」
「どうなんですか?」
「いやあ、モノを作るというのは、なんであれ『想い』を込めますからねぇ。そこに込められた『想い』さえあれば、現れる――少なくともこの辺の芸術家連中はそう思ってるでしょうねぇ」
「……ずいぶんいい加減な、話なんですね」
卓也の言葉に、店主は「ほんとに」と苦笑した。
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