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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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第4章 閉館後のお仕事
 
 
 そして今日も無事に閉館時間を迎え、絵本図書館はしばしの休息に入る……かと思いきや、まだまだミルムの時間は終わらない。
「これで業務は終わり、っと〜。次は写本の続きだねぇ」
「縁さん、今日も頑張りましょうね」
 佐々良 縁(ささら・よすが)が今まで手伝っていたカウンターを離れ、写本に使っている部屋へと移動するのを、パステルグリーンのエプロンドレスを着たクエスティーナ・アリア(くえすてぃーな・ありあ)が追いかけてゆく。
 相変わらずミルムに来ている時は、昼間は業務、夜は写本の生活だ。
 縁とクエスティーナは、デジタルカメラで撮影した希少本のページをプリントアウトし、そこに薄い紙を載せておおまかな輪郭を写し取る。後は自分の目と手を頼りに絵の具で絵を描き写してゆく……という、前回と同じ方法をとっていた。
 冊数は嵩まないけれど、せっかくほめてもらったからやり方は変えずにがんばっていきたい、という縁の意向に添ってのものだ。
「喜んでもらえるなら、がんばらないわにはいかないよねぇ?」
 部屋の扉を開けながら縁が言えば、クエスティーナもにっこりと同意する。
「冊数が増えたら出来ることも増えますし、ね」
 部屋にはすでにランプが灯され、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)たちが写本作業を行っていた。
 エースたちが写しているのは、希少本ではなく地球産の絵本だ。エースが読み上げる文章を、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)がシャンバラ語に直して翻訳する。……のだけれど。
「そこはやはり『其の子らは歓喜に打ち震えるのであった』という処だろうね」
「そんな超堅苦しい文章、絵本には似合わないって」
 絵の部分を書き写していたクマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)が、メシエの訳文に異を唱える。
「『みんなでわーい』でいいじゃん」
「なんだその残念な訳は。シャンバラ文学のレベルが疑われるような文章はやめてもらいたいものだね」
「そりゃあ絵本は文学だけど、小難しくしたら楽しく無いじゃん。普通に聞いたり喋ったりする言葉だから身近に感じられるし、そこにいつもと違うワクワクの世界があるっていうのが楽しいんだヨ」
「だが、絵本は子供が文学に触れる入り口ともなる場所でもある。きちんとした文章を示すのが翻訳者としての役割ではないかな」
「ったくもー、メシエは中身が年寄りだからナー」
 くすくす笑い出すカールッティケーヤに、メシエもむっとして言い返そうと口を開く。そこへ、
「メシエさんの訳、難しすぎ……」
 絵本の主人公の顔を丁寧に塗っていたエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が、一区切りつけて口を挟んだ。
「ほら、エオリアだってこう言ってるじゃんー」
 得意げに胸をそびやかすカールッティケーヤに、エオリアは堅苦しいのも良くありませんが、と続ける。
「クマラの訳は砕けすぎ。絵本は語学学習のテキストにもなれるんですから、言葉はその辺りも意識して選ばないといけません」
「うむ……では、文学的価値は下がるが、子供たちは喜んだ、ぐらいにしておくことにしようか。いや、子供たちは喜びに湧いた、の方が相応しいだろうか……」
 訳文を書いては悩み、書いては消し。メシエは皆の意見も聞きながら地球産の絵本のシャンバラ訳を、ノートに記していった。
「そちらはシャンバラの絵本をそのまま写本してるんだよな? そのまま写本するのも大事だけど、翻訳もどうかな?」
 エースは希少本の写本をしている縁とクエスティーナにそう提案してみた。
「翻訳かぁ。でもそうしたら何語に翻訳すればいいんだろ。日本語? 英語? 地球の言語はたくさんあるからなぁ」
「翻訳してもラテルの方は読めないですしねぇ」
 この街を訪れる可能性のある地球人は契約者だけ。ならばシャンバラ語で書いてあっても大抵の者は読めるはずだ。
「だったら、シャンバラの昔からの絵本を元に、話の筋はそのままに絵や文章をリニューアルってのも楽しそうだねぇ。地球の童話や神話伝承とかをアレンジするとかさ。地球にも色々と冒険譚があるじゃん? エースの家の書庫で読んだら、面白かったゼ」
 カールッティケーヤの提案に縁はそれも面白そうだけど、目を擦る。
「今は希少本の写本をするのが先かなぁ。前よか慣れたけどまだまだ大変だぁ、この作業」
「……よすがー? だいじょうぶ? ずいぶん疲れてるみたいだけど」
 かすむ目をしきりに擦る縁を佐々良 皐月(ささら・さつき)が心配そうに見た。
「だろ? 俺もそう思うんだけど、ねーちゃん聞きやしないんだもんなー」
 佐々良 睦月(ささら・むつき)は困り顔で言う。妙に張り切っている縁を自分1人では見守りきれないからと、今回は皐月に頼んでいっしょにきてもらった。そうでないと、おちおち目も離せない。
「平気平気。なんだか寺子屋っぽいことも始まるみたいだし、原本よりおっきめに作るか、綴じる前の写本を作っておいて、そっちでも使ってもらえたらって思うし。それに……」
「目の下にくままで作って何が平気なの? せめて少しは休んで。ポットにお茶もってきたんだよ。これでも飲んで休憩を取るの!」
 皐月にきつく言われ、縁はやっと肯く。
「うん……じゃあ少しだけ」
「では休憩と致しましょうか」
 クエスティーナは隣で作業をしていたサイアス・アマルナート(さいあす・あまるなーと)に合図をした。サイアスは一度部屋を出て行った後、夜食を載せたワゴンを引いてきた。
 ワゴンの上にはオードブルやケーキが豪華に載せられている。作業の邪魔にならぬよう、空いているテーブルにそれらを並べた後、
「本日の休憩のメニューです。皆様もどうぞ」
 コーヒーポットを手に、皆を誘った。
「ありがと……」
 縁も席を移動しようとしたが……その途中でふらりとバランスを崩す。
「よすがっ!」
「ねーちゃん!」
 皐月と睦月が慌てて駆け寄って縁を支えた。
「あれ……?」
 縁は自分に何が起きたのかも分からないように、ぼんやりと目を開いた。
「もう、だから休んでって言ったのに!」
 さすがに怒る皐月の姿に、睦月はあーあと宙を仰ぐ。
「やっぱこうなっちまうか」
「縁、さん……」
 心配そうに縁を覗き込むクエスティーナの方も、もう目が閉じてしまいそうだ。
「隣の部屋のソファーに寝床をあつらえてあります。2人をそちらに運ぶ手伝いをお願いしたいのですが」
 サイアスは半ば眠りかかっているクエスティーナを抱えながらそう頼み、皐月と睦月は2人がかりで縁を支え。もはや限界の縁とクエスティーナを隣の部屋へと運んでいったのだった。
 
 
 カウンターの奥の事務室にもランプが灯され、開館時間中に終わらなかった作業が続けられていた。
「ねぇ壮太、布はこれくらいで足りるかな?」
 ミミが裁ちばさみで切ったワッペンの台布を示すのに目をやり、壮太は答える。
「もう少し切っといてくれるか。予備もあった方がいいだろ」
「うん、分かった」
 ミミはチョキチョキとハサミを動かして、また型紙を置いた布を切り出す。
「それにしても、壮太って意外と凝り性だったんだね」
「うるせーな、やりっぱなしが気にいらねえだけだ」
 縫うごとに壮太の刺繍の縫い目は揃い、手早くなってきている。夜遅くの針仕事も、バイトに比べれば楽なものだ。
「刺繍糸のお店の隣、おいしそうなケーキがたくさんショーケースに並んでたねぇ……いつかあのケーキ、食べてみたいな」
 黙々と作業するのもつまらなくて、ミミはあれこれと話しかけるけれど、壮太は生返事。ぐるぐると肩を回し、
「あー肩凝ってきた。おいミミ、ちょっと肩揉んでくれ」
 なんて言っている。素直にその肩を揉みながら、ミミは出来上がったワッペンに目をやった。
「いいな、壮太お手製のワッペン……」
「なんだよお前もワッペン欲しいのか? 後で作ってやるから待ってろ」
「うん!」
「痛てえな、ミミお前力入れすぎだって」
 ぎゅっと肩を揉む手に力がこもって壮太が顔をしかめる。ミミはごめんと慌てて手の力を緩めた。
 
 
「っと、これで合ってるかしら」
 寄贈リストと絵本を両手の指で順に照らし合わせ、サリチェはほっと息を吐いた。
 忙しくなればサリチェの仕事も増える。単調だけれど事務作業は大事な仕事だ。
 寄贈本の記録とチェックを終えたサリチェは、自分の机の引き出しを少し空けて中から折りたたんだ紙を取りだした。考える様子でそれを開こうとした処に、思い詰めた顔をした尋人が入ってくる。
「聞いて欲しい話があるんだが……」
 時間が空いたときにでも、と様子を見ていたのだが待っていてはいつになるやら分からない。思い切って声をかけると、サリチェはどうぞと尋人を招き入れた。
「適当な処に座ってちょうだいね。お茶でも淹れる? 差し入れのお菓子もあるのよ。焼きドーナツとチョコレートクッキー。美味しそうでしょう?」
 聞きながら、サリチェの手はもう茶を淹れている。温かい茶と昼間差し入れでもらった菓子を出しながら、さらりと言う。
「昼間も図書館にいたわよね? 警備の人から聞いて私もちょっと見てたの」
 尋人は覚悟を決めて話し出した。
「見ていたのなら状況は分かっているかも知れないが……オレは図書館や本屋に入ると、何故か腹を下してしまうんだ」
 買う本、読みたい本がはっきりしていてそれだけを手に入れる程度ならいいのだが、何か調べたいとか、他の本をゆっくり見て回ろうとすると、腹の調子が悪くなる。それで慌ててその場を離れてトイレに駆け込まなければならなくなってしまう。一度行けば大丈夫、というのではなく、それは何度も何度も……図書館にいる間中続くのだ。
「どこの図書館でもそうなるの? この部屋も館内だけど大丈夫?」
「ああ。今は何ともない」
「それなら、この場所や本自体に原因があって、というのとは違うみたいね。空気も匂いも、ここは書架のある場所とあまり変わらないはずだもの」
 積んである絵本を指してサリチェは首を傾げた。
「何か思い当たる原因はあるのかしら?」
「もしかしたら、と思うことはある。うちの自宅には書庫があったんだが……」
 興味を持って本に触ろうとしたら酷く叱られて、その書庫に一晩閉じこめられたことがあった、と尋人は話した。
「その時のストレスか緊張感かが原因なのかも知れないとは思う……。サリチェさんなら、同じような悩みを抱えている子供の話を聞いたことがあるかと相談してみたんだ」
 本当は図書館でゆっくり動物関係の本を選んで読んでみたい。だからこの悩みを解決したいのだという尋人に、サリチェは答えた。
「残念だけど、そういう話を聞いたことはないわ。ごめんなさい。でも、あなたのその悩み……私は嬉しく思うわ」
「え?」
「そういうことがあっても本を嫌いにならず『読みたい』、って思ってくれてるからこその悩みなんだもの」
 ね、とサリチェは尋人に微笑んだ。
「私にはその辛さは分からない。けれど、良かったらまたミルムに来てちょうだい。トイレなんて何度行っても構わないし、何度も行くのが辛いんだったら絵本を持って庭に出て、そこでゆっくり選んでもいいのよ。空の下だったら、閉じこめられる感覚がないから少しは平気かも知れないでしょう? そうやって、少しでも楽に本が選べるような方法を試していったら、いつか悩みが解決できる日が来るわ、きっと」
 
 
 尋人が帰っていった後、サリチェはまた引き出しから紙を取り出した。
 広げれば、そこに書かれているのは一行。
 
 『閉館後すこしお時間ください     ――椿――』
 
 サリチェは何度かその短い文章を読み返したが、思い当たる用件は無い。相談事でもあるのだろうかと首を傾げた時、扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼するでござる」
 入ってきたのはまさしくその差出人、椿 薫(つばき・かおる)だった。昨日薫が何をするということもなく、開館から閉館までの1日を絵本図書館で過ごし、そこで動いている皆の動きをのぞき見ていたのは、サリチェも知っている。そして今日の朝、サリチェの仕事机の引き出しに、薫からの手紙が入っていた。
 何があったのだろう、とサリチェは茶と菓子を勧めながら薫の様子を観察した。
 思い詰めたような薫の顔……息を詰めている所為か頬がわずかに赤らんでいる。
 何があったのだろう、と心配しながら口を開こうとしたサリチェだったが、薫の言葉の方が早かった。
「サリチェ殿好きでござる」
 ガチャン、とサリチェが持ち上げ損ねたカップがソーサーに当たって派手な音を立てた。
「えっ、と……あの……ど、どうしてそういう話に」
 不意をつかれすぎて、サリチェの頭は大混乱。今度はカップを置き損ね、ソーサーのスプーンが跳ね上がる。
「ちょちょちょっと、落ち着いてね」
「落ち着いていないのはサリチェ殿の方でござる」
「そそそそ、そうかしら。じゃあ私が落ち着かないと……」
 カップを落とさないように両手で持って、サリチェは中の茶を飲み下した。
「落ち着いた?」
「まだのようでござるな」
 人にそんなの尋ねているくらいだから、落ち着いているはずはない。サリチェはもう少し茶を飲み、深呼吸した。
「じゃあ、どうしてそういう話になったのか聞かせてもらえるかしら」
 思いっきり動揺された上に改めて問われると言い辛いこと限りないが、薫は絵本図書館に、サリチェに関わってからの想いを話した。
「絵本図書館でともに活動を重ねるごとに、想いはつのるでござる。もう1度言うでござる、サリチェ殿好きでござる。今よりもう少し近くにいたいでござる」
 最初は目を白黒していたサリチェだが、途中からは静かに薫の話を聞いていた。そして今度は穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。好きだと言ってもらえるのは嬉しいわ。でもごめんなさい。私にはもう……そういう事柄はとても遠くにあるものに感じられるの」