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【十二の星の華】空賊よ、星と踊れ−フリューネサイド−1/3

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【十二の星の華】空賊よ、星と踊れ−フリューネサイド−1/3
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第3章 剣と夜



 3日目。
 風森 巽(かぜもり・たつみ)と相棒のティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)が、手土産に『ショコラティエのチョコ』を持って訪ねると、美しい庭園に隣接された芝生の広がる訓練場に案内された。ベンチにはユーフォリアが座っており、フリューネは生徒たちと一緒に準備運動をしているところだった。
「お師匠、お久しぶりです!」
「会いたかったよー、おししょー!」
「巽とティアじゃない、久しぶりね。ちゃんと修行に励んでいる?」
 フリューネはひと月ぶりの再会となる弟子達に微笑んだ。二人はユーフォリアとも礼儀正しく挨拶を交わした。何せ、これから一緒に暮らすつもりなのだから、その辺の挨拶回りはきちんとしておかねばらなるまい。
「実は折り入ってお願いがあってここに来たのです」巽は少し緊張しながら言った「しばらくお屋敷に置いてもらえないでしょうか。お師匠の元で稽古をつけて欲しいのです。お願いします! メイド服で雑用でも何でもやりま……」
「いや、メイド服は着なくていい」
 さすがはフリューネ師匠、かぶせ気味にツッコミを入れた。
「ボクもね、お屋敷のお手伝いするよっ! お婆ちゃんの話し相手とかねー、ペガサスの世話とかねー、掃除洗濯もするしー。あと、病気のユーフォリアおねーさんのお便所の世話も……って、ひゃん!」
「ユーフォリア様はそんなものしないわよ!」
 フリューネは恐い顔で、ティアの頬を引っ張った。
「ど……、どんだけユーフォリア様に幻想を抱いてるんですか、お師匠……」
「ま、まあ、ともかく」とフリューネは咳払いをして「別に構わないわ。うるさい連中が屋敷の前にたむろってるみたいだし、人が多いほうがユーフォリア様も安心だからね」と二人の希望を受け入れた。
「ありがとうございます。ここで学ばせて頂きます」
「あ、それとね。稽古だけど、ちょうどこれから手合わせがあるから、それに混ざるといいわ」


「今時、日本じゃそう塩は撒かんが……パラミタでも塩をまく文化はあるんだな。やはり殺菌面の問題が神秘化したか」
 白砂 司(しらすな・つかさ)は身体を解しながら、先日のソルティミルザム事件の事を考えていた。まあ、フリューネらしいと言えば彼女らしいと、顔には出さないが楽しく思っている。
 フリューネをちらりと見つめ、彼は今回の目的をはっきりさせた。
「約束は覚えているな……」
「ええ、決闘の約束……でしょ? 今日はそのために来たんじゃないの?」
「勘違いするな、今回はその約束とは無関係だ。面倒な問題を抱え込んだ女のところに押し掛け、勝負を挑むなど外道のする事、俺の流儀に反する。それに、どうやら約束の『ユーフォリアの取り合いの一件』は終わっていないらしいからな」
 この馬鹿正直さが、彼らしいと言えば彼らしい。そっけない言い方だったが、彼なりにフリューネを気にかけている。手合わせを申し込んだのも、ずっと屋敷にこもってクサクサしてるだろうと、心配しての事だった。
「今日はお世話になりますね。皆さん、司君をよろしくお願いします」
 司の相棒であるサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)は、保護者的笑顔でフリューネや生徒たちに挨拶した。
 だが、ふとフリューネの胸を凝視し始めた。正直、魅力的なパーツだとしてもそこをガン見されるのは気持ちのよいものではない。何事かとフリューネが尋ねると、彼女は平静を装って余計な事まで弁解し始めた。
「巨乳に劣等感なんて抱いてませんよ。乳に貴賎なしですから。猫耳貧乳はステータスですから」
「はあ……?」フリューネは首を傾げる「私は別に大きくないわよ。ユーフォリア様に比べたら」
 サクラコはちらりとユーフォリアを見た。ユーフォリアもこちらを見ていたが視線は交わらなかった。何故なら、サクラコはユーフォリアの胸を見ていたからだ。砂漠で遭難しても三日間ぐらい飢えをしのげそうな、たわわなミルクタンクを目の当たりにして、サクラコは崩れ落ちるように膝をついた。
「は……ははは……」乾いた笑いを浮かべ、彼女は泣きながら大地を殴った。
「……よくわかんないけど、まあ、いいか」
 サクラコの独り相撲は放っときつつ、フリューネはアリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)に声をかける。
「約束してた剣の稽古だけど、合同になっちゃって大丈夫?」
「気にしないで下さい。でも、フリューネさん、本当に剣の稽古なんて受けたいんですか?」
「え? なんで、約束したじゃない?」
「私知ってるんですよ。私より剣レベル高いってこと」
 そう言うと、フリューネは口元に人差し指を当て、しーっと言った。
「ダメよ、そういう次元を超越するような突っ込みは」
「よくわからないですけど……、と言うか、よくわかってしまうと世界が歪んでしまいそうなので、よくわからない事にしますけど。ともかく、いいんです、その辺の事は。今日はそんな気分じゃありませんから……」
 そうして、フリューネVS巽VS司VSアリアの模擬戦闘が始まった。審判を務めるのは、サクラコ。ティアは巽のセコンドに付いて、パワーブレスをかけたりしている。
 まず、フリューネの稲妻のような突きの矢面に立たされたのは司だった。
「くっ……、知ってはいたが、予想以上の馬鹿力だな……っ!」
「失礼ね。乙女に向かって、馬鹿力はないでしょ、馬鹿力は」
 唇を尖らせながら、彼女は馬鹿力で司の防御をこじ開けようとする。司はその攻撃を冷静に判別し、的確に対処していった。防御型の槍術を操る司は、ディフェンスに定評がある。真っ向勝負なら、大概の攻撃を受けきる自信があった。
 だが、フリューネは正面から攻めるだけのお人好しではない。
「……上かっ!」飛翔する彼女を、司は目で追う。
 有翼種ならではの、空中殺法は彼の苦手とする所だった。防戦一方になったところへ、アリアが飛び込んできた。高周波ブレードを嵐の如く斬り回し、司に息を吐かせぬほどの攻撃を浴びせる。だが、司は妙な違和感に気が付いた。がむしゃらに攻める彼女だったが、その剣は迷いに満ちていた。目の前の人間を相手にしていると言うより、見えない虚像を振り払うかのように剣を振るっている、そんな印象を受けた。
「(セイニィが動いてるって噂を聞いたけど、弱点を突かなきゃ、味方の盾にもなれずに、また犬死なのよね……)」
 彼女は前回の敗北を引きずっているのだった。
「(力の為に魔剣に手を伸ばすことなんてできない。でも、得意な雷電属性は水と相性悪いし……)」
 反撃に転じる司の槍とアリアは斬り結ぶ。
「(でもでも『貴方なら光と闇を同等に扱える』って言ってくれた人も……)」
 アリアは頭を振って雑念を払った。
「あぁ、もうっ! 他の事件でも考えなきゃいけないことはいっぱいあるし! 何なのよぉっ! クイーン・ヴァンガードはグダグダだしっ! もう、しっかりしてよぉ!」
 二人の戦いを横目に、巽とフリューネは対峙する。
 彼はゆっくりと拳を構え、超感覚と軽身功を使用する。今回はスピード重視の格闘戦を挑む所存。やがてくるフリューネとセイニィの決戦のため、その模擬戦闘を行うつもりなのだ。だから、彼は仮想セイニィとして動く。
「スピードもキレもセイニィ程じゃありませんし、役者不足ではありますがね」
 役者不足とさりげなく正しい日本語を使いつつ、彼は『先の先』と『後の先』を巧みに使い分けて、フリューネの懐に飛び込んだ。ひと呼吸の間に左右から掌底を二度三度と叩き込む。フリューネはスウェーを使いつつそれを捌いた。
「……なんだ。随分、腕を上げてるんじゃない」
「腕が落ちていたら、お師匠に会わせる顔がありませんからね……っ!」
 楽しそうに息を切らせる巽だったが、同時に自分とセイニィの圧倒的な差に気付かされた。
「(……おそらく彼女なら、最初の一撃でお師匠を仕留めていたでしょうね。あの俊敏性を再現する事も難しいですが、なによりあの反応速度は真似できません。彼女は相手の動きを見てからでも、攻撃を変更する事も出来るのでしょうし)」


「なんかスッキリした顔してるわね」
 模擬戦が終わって、フリューネはアリアに話しかけた。
「そ、そうですか。やだなぁ、顔に出るタイプなのかなぁ」指摘されて彼女は頬を赤らめた「最近色々思う事があったんですけど……、思い切り戦ってみたら、スッキリしました。思いだしたんです、私の剣は弱きを護る為のものだってこと。最初から何も迷う事なんてなかったんですよね……、馬鹿みたい……」
「誰だって迷ってるものよ。でも、いつだって答えは原点にある……ってね」
 微笑む彼女に、司が声をかける。
「後で、その……、空戦について指南してもらえないか……?」
 彼から頼み事をするなど珍しい。フリューネが不思議そうに見つめると、彼は驚いた様子で視線をそらした。
「て……、敵を知るために、手段を選ばないだけだ。勘違いするな。そんなに……理由が必要か?」
「お師匠!」スポーツドリンクを二人に手渡しながら、巽が言った「今、すごいセイニィ対策思いつきました。光条兵器を自分の体で隠し、自分の体ごとセイニィを貫くってどうでしょう。これなら相手の不意を突く事が出来ると思うんです。これってトリビアになりませんか……じゃなかった、実戦で使えませんか?」
 と言うが、そんな距離まで彼女を近づけた時点で、詰んでるような気もしないでもない。
 その時、ピンポーンとインターフォンが鳴った。伝統的シャンバラ邸宅だが、地味に近代化が進んでいるのだ。
「宅配便かしら? ちょっと待ってて、見てくる」


 ◇◇◇


 佐野 亮司(さの・りょうじ)は流れ流れてカシウナまで行商にやってきた。
 空賊被害の減少と共に、この沿岸の街にも随分来やすくなった。たくさんの商人達で賑わっており、フリューネ関連グッズが露天で販売されている。世に言う『フリューネ景気』である。
 トナカイの手綱を引き、亮司は通りを進んでいく。荷台には、先日、ジプシーから仕入れた良い品が揃ってる。どうせならいい取引先が見つかるといいんだが……と彼は思っていた。遠くを眺めると、丘の上に大きな屋敷が見えた。
「あんな場所に屋敷を持ってるってことは金持ちなんだろうな……。よし、行ってみるか」
 そして……、こうなった。
「……って、何でフリューネがこんなところに!」
「それはこっちの台詞よ。なに、またケンカを売りにきたの?」
 警戒する彼女だったが、亮司は頬をポリポリと掻きながら首を振る。
「……いや、この街には商売に来たんだ、ここで騒動は起こす気はねぇよ。面倒な連中もいるようだしな」
 ちらりと周囲に立つヴァンガード隊に目をやった。
「……で、どうだ。この辺りじゃ珍しい物を持ってきたつもりだ、買って損はさせないぞ」
「商売ねぇ……?」フリューネは荷台に積まれた品々を手に取った。珍しい服や装飾品、食材や香料が並んでいる「へえ、本当に珍しい物が揃ってるのね。どこで仕入れてきたの?」
「タルヴァって砂漠の街なんだが……、おっ、それなんてどうだ?」
 奇麗な細工の施された首飾りを取ると、フリューネの首にかけて上げた。
「……ったく、美人は何でも似合いやがるな。今なら、どんと特別価格でご提供だ、どうする?」
「ちょっと欲しいけど……、やっぱり返す」と言って壁を指した「おばあさまがうるさいのよ」
 そこには『セールスお断り』と達筆で書かれた張り紙があった。
「そう言うわけだから、じゃあね」
「あ、おい。なんなら値引きするって……」
 亮司が呼び止めるのもむなしく、ペコリと謝って、彼女はまた門の中に戻った。やれやれと肩をすくめていると、視線を感じた。見れば、門の脇にある小窓から、ティアが半分だけ顔を出してこちらを見ているではないか。
「この際、おまえでもいいや。なんか買っていかな……」
 ピシャリと勢い良く窓が閉まった。口をパクパクさせて、彼は閉じた窓を見つめた。
「……なんて腹の立つ屋敷なんだろう」


 ◇◇◇


 その夜の事である。
 弥涼 総司(いすず・そうじ)は相棒の季刊 エヌ(きかん・えぬ)と、フリューネの部屋のベランダに潜んでいた。カーテンの隙間から、中の様子をじっと窺っている。トレジャーセンスがお宝の予感を告げていた。何か素敵なサムシングがこの部屋で見つかるハズだと。部屋には誰もいなかったが、しばらくすると朝野未沙が入ってきた。
「うふふっ、フリューネ狙いだったけど、思わぬ収穫があったねっ!」
 魔道書のエヌは、覗き行為の全てを自らに記憶しようと意気込む。
「美少女の一人や二人でそう興奮すんな、素人だと思われるぞ」
 どうやら彼女は洗濯物をしまいに来たようだ。タンスを空けて、衣服を並べていくのだが、白いパンティーを手に取った瞬間、動きが止まった。その様子を総司はいぶかしむ。彼女はそれをぎゅっと抱きしめて頬を赤らめた。
「……チッ、同業者か」
 同業者ではないがこのシーンだけ切り取るとそう見えなくもない。
 フリューネが部屋に戻ってくると、未沙は慌てて下着をタンスに押し込んだ。それから、風呂の準備が出来たと伝え、一緒に部屋から出て行った。総司の仕事はここからが本番だ。ピッキングスキルで窓の鍵を外すと中へ忍び込んだ。
「ねえねえ」とエヌは彼の服を引っ張った。「前々から思ってたんだけど、これ覗きじゃなくない?」
 確かにこれではのぞき部と言うより、ただの不法侵入者である。3年以下の懲役または10万円以下の罰金である。
「……俺はのぞき部の部長だし、のぞきって行為には敬意を払ってる」
 どこか遠い目をして、明日を夢見るような目をして、総司は語り始めた。
「けどな、男ってのは限界を決めちまったらお仕舞いなんだ。出来るところまでやる、いけるとこまでいく……、それが俺の生き方だ。のぞき部の代表として、常に道を示さなきゃならない。明日を担うのぞき部員のためにも……!」
 彼はまだ知らない。完全に道を踏み外してる事を。


 その頃、浴室ではフリューネと未沙がバスタイムを満喫していた。
 大理石で仕立てたられた広い浴室には、マーライオン的なものがあり口からお湯をドボドボ吐き出している。湯船も銭湯のように広大で、如何にも富豪の浴室と言った風情がある。フリューネは浴槽のヘリにうつ伏せになって気持ち良さそうに目を閉じていた。日頃の疲れを解してあげようと、未沙がマッサージを施しているところなのだ。
「……はあ、極楽極楽」フリューネは呟いた。「なんだかごめんね。こんな事までしてもらって……」
「何言ってるんですか、主人が快適に過ごせるようにするのは、大切なメイドのお仕事ですよ」
 そう言いつつ、未沙は生唾をゴックンする。雪のように白いフリューネの身体は芸術的だった。うっとりする未沙だったが、彼女のほうも透明感のある奇麗な身体をしている。惜しげもなく裸体を晒す二人なのだが、ああ、なんと言う事か。湯気が邪魔で描写出来ない。くそう、湯気め。許すまじ、湯気め。
 それにしても、と未沙は思った。
「(フリューネさんの身体、想像してた通りだぁ〜……ハァハァ)」
 緩んだ未沙の口元にヨダレが溢れてくる。
「(や、やだ……、あたしったら。もうこんなにびしょびしょになってる)」
 いやらしく濡れる唇を拭おうとするも、その前にヨダレはフリューネの頭にドボドボと落ちた。
「(ど、どうしよう……、あたしの恥ずかしい体液がフリューネさんの奇麗な髪に……!)」
 未沙のどろどろしたヨダレを浴びて、フリューネの髪はわかめのようにでろーんと垂れ下がった。
「……なにこれ、シャンプー? なんだろう、この匂い? どこかで嗅いだ事がある……?」
 おそらく今晩の夕食の匂いである。細かい事は気にせず、フリューネは寝そべりながら頭を洗い始めた。
「あ、あの……、お背中流しますね」
 未沙は恥ずかしそうに頬を赤らめ、シャンプーの正体をフリューネに伝える事はなかった。


 再びフリューネの部屋に視点を戻す。
 総司は生まれたままの姿になり、全身全霊を持ってフリューネのベッドを堪能していた。漂うシーツに染みた彼女の香りを我が身に宿そうとその身をこすりつける。その奔放な姿は『何故、人は服なんて着るんだろう?』と現代社会に一石を投じる哲学者のようにも見えた。いや、見えないか。違うか。
「ああ、本当に女ってなんでこんな良い匂いがするんだろうな。まるで媚薬だな、こいつは……」
 仰向けになると、ふかふかの枕を顔の上に乗せた。
「ははっ、柔らか仕上げだ」
 息を吸い込むと甘露のごとき芳香が胸一杯に広がった。驚異的なリラクゼーション効果に、向こう側に持っていかれそうになるが現世に押し留まる。枕を食した後は、タオルケットでその身をミノムシのように包んだ。窓の外ではエヌがじっとその行動を見ていた。そうして『季刊N』に新しい1ページが加わったわけである。
 とその瞬間、パッと部屋に明かりが灯り、彼の奇行は白日の下にさらけ出された。
 むくりと起き上がるとそこに鬼がいた。鬼は内線でどこかに連絡している。
「ああ、スケルツァーノ? 悪いけど死体安置所に連絡してくれない? ええ、出来立てのを送るからって」
 鬼かと思ったらフリューネだった。総司の頭を粉砕しようと、上段に振りかぶったハルバードを振り下ろす。
「ご……、誤解だ!」
「どこに誤解があんのよ、ここには真実しかないわよ!」
 それは総司にとっては不都合な真実だった。ゴロゴロと転がって、フリューネの攻撃を避ける彼だったが、いよいよ覚悟を決めて窓から身を投げた。今回の戦利品であるタオルケットは決して放さなかった。
 フリューネが総司の行方を暗闇の中に求めると、眼下から悲鳴が上がるのが聞こえた。夜警に当たっているもう一人の親類が棒のようなもので、ミノムシ状の何かをぶっ叩いているのが見えた。
「うわあっ! フリューネにやられるならともかく、男にやられるのは嫌だっ!」
 悲痛な叫びに満足しフリューネは部屋に戻った。エヌはフリューネが部屋に戻った辺りですでに消えていた。


 騒動も鎮圧され、床につこうと灯りを消す。
 すると、窓ガラスにコンコンと当たる物があった。不思議に思って窓辺に行くと、それは角砂糖のようだった。ベランダの手すりに腰を下ろしたカルナス・レインフォード(かるなす・れいんふぉーど)は、魔法瓶を見せて笑いかけた。
「いい夜だよ、フリューネ。ちょっと外に出ないか?」
 静かな夜だった。二人は屋根に上がり、カシウナの街の夜景を楽しんだ。丘の上から見える景色は、宝石店のショーケースのようでとても奇麗だった。カルナスはコーヒーを淹れると、クッキーを添えて手渡した。
「街の向こうにあるのが、雲海か……、月に照らされるとこんなにも青く光るんだな……」
「雲隠れの谷でも夜の雲海は見てたでしょ?」
「あの時とは状況が違うからな。戦闘中じゃあ、風情も何もあったものじゃないだろう?」
「それもそっか……」とフリューネはコーヒーを飲んだ。
「雲隠れの谷と言えば……」イタズラっぽい笑みを浮かべると、彼がフリューネをお姫様抱っこした事を話題にした。あの時は、満身創痍だったので気にしなかったが、今思いだしてみると相当に恥ずかしい事をしている。
「だ、だって……、しょうがないでしょ。ふかこーりょくよ、ふかこーりょく」
 そう言って、そっぽを向く彼女の姿を、カルナスは愛おしそうに見つめる。
 夜風になびく長い髪、桃色に染まる頬、風呂上がりの彼女の匂いは食欲を刺激した。
「(……食欲? おかしいな、フリューネから食べ物の匂いがするぞ)」
 きっとこの胸の高鳴りが、嗅覚を狂わせているのだろうと、彼は頭を振った。恋とはそう言うもの、誰もがその前ではまともじゃいられなくなるのだ。気が付けば良い雰囲気だ。なんだかいけそうな気がする、そう確信した彼はそっとおやすみのキスを試みる。だが、不意にフリューネはカルナスの胸ぐらを掴んだ。
「か……、顔は殴らないでくれ」
「じゃなくて」と彼の所持するヴァンガードエンブレムを睨んだ「キミ、関係者だったの?」
「前回も付けてたと思うんだが気付かなかったか?」
 残念ながら、あの時の彼女にそんな余裕はなかった。あの時、気付いていれば対応も変わったと思うが、それは後の祭りと言うものだ。よく知った彼を今更敵視しようとはしなかったが、良い雰囲気はどこかに吹き飛んでしまった。
「関係者なら、早く屋敷の周りから立ち退くように言っておいて」
 フリューネはそそくさと部屋に戻ってしまった。
「……男として不覚」
 浮気の証拠を彼女に発見されてしまったような気分で、カルナスは冷めたコーヒーをあおった。