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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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第三章 切り札は君だ


 展示フロアに下りた怜史は、その絵の前に立っていた。
 手の込んだ額の中で、見開かれた眼がこちらを凝視している。先刻に誰かが言った通り、瞳の中には何人もの人の顔が浮かび上がっており、それが眼の中の斑点みたいで見ていると体がムズ痒くなって来る。
 こんな絵にもファンはいたらしく、三人並んで模写していたのがやっぱり様子がおかしくなっていた。フリードリッヒ・常磐(ふりーどりっひ・ときわ)伊藤 若冲(いとう・じゃくちゅう)エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)だった。
「気持ち悪い絵だねー」
 怜史の感想を、ラヴィン・エイジスが代弁してくれた。
「こんな絵の、どこがそんなに有り難いんだろうね? ゲージュツってのはシモジモのものにはよく分からないよ」
 ミユ・シュネルフォイヤーが肩を竦めた。
 美術館の中で口にするには相当に空気の読めていない台詞ではあるが、現在周囲はそれどころではない。
(こんな騒ぎはさっさと終わらせちまおう)
 怜史は右の拳を腰の横に引き、密かに構えを取った。生きているんだか呪ってるんだか知らないが、所詮は絵、「ランスバレスト」のパンチ一発で砕いて散らす。賠償? 知った事か。
 わずかに膝を屈め、左足を少し前に摺り出して全身の「溜め」を作ろうとした時、
「お兄ちゃん、やめようよ」
 そんな台詞とともに、横から手が伸びて怜史の右手首をつかまえた。
 いつの間にかすぐ傍らに幼い男の子がひとり立っていた。さっき、会議室で見た顔だ。背丈と腕をいっぱいに伸ばし、怜史の利き腕を封じている。
「離せよ、ガキ」
「ガキじゃないよ、神城イオタって名前がちゃんとあるんだ」
「何だっていいからとにかく離せ。被害者のツラがあるってんなら、そいつらの心なり魂なりはこの絵にある、って事だろうが。それならコイツぶっ壊せば話は終わりだ」
「ぶっ壊したら、つかまっている人たちも一緒にぶっ壊れるかも知れないよ? さ、拳を下ろしてよ」
 その台詞とともに、怜史の右拳は下ろされた。
「ありがとう、お兄ちゃん。話せば分かるって信じてたよ」
 その時、すぐ近くで「きゃあああっ!」と悲鳴が上がった。
 驚愕と恐怖で顔を歪めた女の子――多分、一般被害者の関係者――が、「死にゆくものの眼差し」を指差してガタガタと震えていた。
「お姉ちゃん……お姉ちゃんが、絵の中にいる!」
 その声を聞いて、野次馬らが次々に詰めかけ、絵を見て口々に騒ぎ始めた。
「何だこりゃ?」「おい、おれの妹がいるぞ!」「僕の先輩の顔もある!」
 絵の前にさらに押し寄せようとする人々の前に、ちょうど近くにいた朱宮 満夜(あけみや・まよ)ミハエル・ローゼンブルグ(みはえる・ろーぜんぶるぐ)が立ちふさがった。
「落ち着いて! みなさん、どうか落ち着いてください!」
「詳細は現在調査中だ! 何か分かったら周知がある! だから今は冷静になるのだ!」
「――怜史、こっち!」
 ラヴィンが腕を引っ張り、器用に隙間を見つけて怜史を人ごみの中から連れ出した。
 一息つくと、ミユがニヤニヤと怜史を見た。
「怜史ったら、ガキに説き伏せられちゃって。ちょっとダサくない?」
 言われた怜史は右手を上げ、袖をまくって見せた。イオタという子供につかまえられた箇所に、くっきりと手や指の形のアザが残ってた。拳は下ろしたのではなく、下ろされたのだった。
「悪かったな、超ダサくて」
「あ、その、ごめん」
「ねー怜史ー。素直にみんな助けるの、手伝ってあげようよー」
「上から仕切られんのは性にあわねぇ。大体、調査だったら他のヤツらが画家とか絵を……」
 不意に口を閉ざした。
(調査ってそれだけでいいのかね?)
(人捕まえてるあの絵の中に飛び込むとして……そういう時って何かNGな動きとか踏んじゃいけない地雷とかって、ないもんかね?)

 ディック・エイジス(でぃっく・えいじす)が美術館の周りで愛車「サクラ」を乗り回していると、派手なエンジン音を鳴らして駐輪場からスパイクバイクが3台出てくる所に出くわした。
 乗っているのは怜史、ラヴィン、ミユ。ディックの仲間だった。
「何だよお前ら。帰るんならワタシにも声かけてくれ」
「帰るんじゃない、ちょっとお出かけだ」
「どこに?」
「図書館。すぐ戻る」
 ――およそ一時間後、彼らは美術館に戻ってきた。
 本日図書館は休みで、「夢の中での戦い方」について調べることが出来なかったのだ。
 仕方がないので近所の大きな本屋に行き、その辺りの説話やら昔話やらを集めたり研究したそれっぽい本を適当に買いあさった。落ち着いて読むとしたら、喫茶店やらファミレスやらではお金がかかるので結局戻るしかなかったのだ。
 対策本部の一画に陣取り、黙々と本を読み始める怜史達に、周りの人間は怪訝な眼差しを向けた。が、向けられた方は一向に意に介すつもりはなかった。

 机の携帯電話が鳴った時、影野陽太は理不尽に落胆した。
 その着信音は、御神楽環菜専用に設定したものではなかったからだ。もっとも、設定以来その専用着メロが鳴った事は――それについては心が考える事を拒否している。
 手に取ると、電話帳未登録のナンバーだ。
「……はい、影野です」
〈突然の電話失礼します。初めまして。こちら、蒼学生の閃崎という者です〉
「はぁ、どうも」
〈どうしても影野さんに力をお借りしたくて、不躾ながらお電話しました。実は、御神楽環菜校長の事なんですが……〉
 その名が出た瞬間、陽太の中で何かのスイッチが入った。
「! 校長に何か!?」
〈えーと……今、ウェブ開けますか? 空京大学のサイトに行って、掲示板サービスで「美術館」ってキーワードでスレ検索して欲しいんですが〉
 陽太は銃型HCを立ち上げると、ウェブに繋いだ。言われた通りの操作をして、出てきたのは「ビュルーレ絵画事件@空京美術館」というスレッドだった。
 スレッドの中を見て、陽太は「ぐ……」と小さく声を上げた。
「……これは、緊急事態ですね」
〈ええ。早急な解明と解決が求められます。で、その中の「女王器」が出てくるレスを見てください〉
「これですか?
『絵画作品の残留思念が原因と思われる。その残留思念に飛び込むための女王器『夢門の鍵杖』と『遊夢酔鏡盤』について現在調整中。進展次第報告、続報待て』」
〈そうです。その調整、というのが……〉
「環菜校長かミルザム・ツァンダの説得、ですね」
〈話が早い。所有権は蒼学ですが、モノは現在は空京大学預かりです。早急な持ち出しができるよう現在人員を手配中ですが、有力者の認可が欲しい〉
「『夢門の鍵杖』と『遊夢酔鏡盤』ですか。これがあれば、事態は解決できるんですか?」
〈未知数です。が、事態解決に使えそうなものを出し渋って、万が一死人が出たりしたら……〉
「……取り返しがつきませんね。環菜校長の立場も悪くなる」
〈そんな結果は絶対に避けたい。で、環菜校長もあなたからの話は聞いてくれると思うんです。私の知る限り、パートナーのルミーナ・レバレッジ を別とすれば、校長の一番傍にいるのは影野陽太さんだと思いますので〉
 校長の一番傍にいるのは影野陽太さん。
 校長の一番傍にいるのは影野陽太さん。
 校長の一番傍にいるのは影野陽太さん。
「――分かりました、閃崎さん」
 影野陽太の中で、何かが燃え上がった。
「僕も男です、事態解決のため、全力をつくしましょう」
 目つきが変わり、声調に力がこもる。その姿を見て、この人間が臆病気質であると思う者はこの世に誰もいないだろう。
「ですが、両女王器持ち出しと使用の許可だけあればいい、というものでもないでしょう。現場へのできる限りの協力や支援を頂けるよう、僕から環菜に頼んでみます」
〈ありがとうございます、影野さん。あなたを信じて良かった〉
「資料や稟議書を大至急まとめます。確認したいことがあるんですが、まず最初にですね……」

 陽太との通話を切ると、静麻は溜息をついた。
(……これで環菜は何とかなるだろう)
 環菜の名前が、あそこまで効果的とは思わなかったが。
 美術館内でのある程度の行動の自由や、調査への協力なら現場でもう取り付けてあるとは思うが、それらの補強がされても全く困る事はない。活動費用を経費としてもらえるのは有り難かった。
 携帯電話のバッテリー表示を見ると、電源ダウン寸前になっていた。
「すまみせん、そこでちょっと止まって下さい」
 静麻の乗っていたタクシーは減速し、道路脇の小さなコンビニの前で停車した。
 店の中に飛び込み、充電器と乾電池を十数本買って自分のバッグに放り込むと、再びタクシーの後部座席に座った。支払い時、領収書をもらう事も忘れない。
「ありがとうございます。出して下さい」
 次はミルザムだ。スケジュールだと、今日は彼女は自宅に一日詰めているはず。急用とかで突然出かけられたりしたら、ちょっと面倒かも知れない。