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黒薔薇の森の奥で

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黒薔薇の森の奥で
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(なんだ、吸血鬼なんていないじゃないか、ただの噂なんだ)
 危険な森だなんて言ったところで、ただちょっと、視界が悪いだけのことだ。恐れるほどじゃない。――天津 のどか(あまつ・のどか)は、そう思いながら、森を奥を目指していた。
 所属は天御柱学院だが、情報を聞きつけ、のどかは単身で乗り込んできていた。同じ学校の人間も、どうやらこの森を目指したようだが、協力するつもりはない。
 ただ……先ほどから、ざわざわと人の声がする気はしている。勿論、ただの気のせいだろう。あるいは、薔薇学の生徒かもしれない。出し抜かれてはならないと、自然とのどかの足は速まった。そのせいか、不意に木の根に足を取られ、のどかは思い切り転んでしまった。
「い、った……」
「大丈夫かな、お嬢さん」
 のどかの手を、不意にとった者がいた。白く、冷たい、冷たい、手。
「誰、ですか?」
 いつの間にのどかの前に現れたのか。驚きながらのどかは顔をあげ、彼を見つめた。どこかの生徒だろうか? ……そう、思った瞬間だった。
「あ……」
 くらり、と視界がまわる。それが吸血鬼の力だと、のどかは気づいたが時すでに遅い。
「さぁ、どうする? 可愛らしいお嬢さん」
 問いかけに、のどかは目を潤ませ、甘い声で答えた。
「私を……好きにしても、良いんですよ?」
「なるほど、では、そのようにさせていただこう」
 微かに鋭い歯をのぞかせ、吸血鬼は微笑んだ。そのまま、のどかの身につけた制服を一気に引き破る。
「あ……」
 被虐の喜びに、バラ色の唇をわななかせ、のどかが微かに身をよじった。しかし、豊かな胸が揺れる様は、より相手を誘っているようにしか見えない。
 制服のリボンで、両手首が戒められる。冷たい指先と唇とが、火照ったのどかの肌を這い回った。どくどくと、鼓動が高鳴る。……それは、「もっと、もっと」と訴えていた。
「見かけによらず、淫乱なお嬢さんだ」
「ち、が……ぁ、あ……っ」
(でも……そうなのかも、しれない……)
 身も心も溶かされ、吸血鬼に貪られながら、遠くなる意識のなかでのどかは暗い悦びをどこかに感じていた。

 黒薔薇の刺が、少年の白く美しい肌に細い傷をつける。
 最初は、ほんの小さなスキだった。ウゲンを探し、聖地を目指していた城 紅月(じょう・こうげつ)は、吸血鬼たちに襲われ、いつの間にか契約者のレオン・ラーセレナ(れおん・らーせれな)と距離を離されてしまった。レオンのパワーブレスの効果と、持ち前の能力で二人までは倒したが、最後の一人に捕らわれ、こうして薔薇の茂みへと倒されてしまっていた。
 吸血鬼の白く冷たい手が、紅月の喉元にかかる。獲物を弄び、焦らすように、はだけた素肌の上をやわやわと吸血鬼の手のひらが這い回った。……それだけだというのに、ぞくぞくと背筋が震え、身体の奥に埋み火のような熱さがこもりだす。
(冗談じゃ、ない……!)
 持ち前の負けず嫌いさも顔をだし、紅月は悔しさに歯がみするが、かけられた術のせいか身動きはとれない。
 それにしても。吸血鬼はこちらに良い感情を抱いてはいないだろうと想定していたし、用心はしていた。だが、このような展開になったときの心構えまでは、さすがにしてはいない。紅月は、男から求愛さられたことならばあるが、それに応じたことは一度もたりともなかった。
 この森に行くことを、盛んに止めたレオンの顔が、ふと脳裏をよぎる。
『あの森には吸血鬼が…行くんですか? しかたない、可愛い紅月を一人で行かせたら危険ですからね。私も行きますよ』
 そんなことを、言っていたくせに。そう、紅月は半ば八つ当たり気味に思った。
「美しい指だ」
 吸血鬼がうっとりとそう呟き、紅月の細い指を手にとると、飴のように嘗めしゃぶる。長い舌が絡みつく感触に、紅月は肩を震わせ、堪らずに小さく声をあげた。
「紅月! ……そこのお前、紅月から離れなさい!!」
「レオ、ン……」
 紅月が力を振り絞るようにして手の伸ばす。その意図をくみ取り、一瞬後にはその美しい指に一振りの日本刀が握られていた。
 長時間使い続けることはこの森では出来ないが、一太刀浴びせることならば十分に可能だ。しかも、この距離で。紅月がし損じることはあり得なかった。
 鋭い一太刀は、三日月のような曲線を描き、過たず吸血鬼の首をひと思いに斬り落とした。
 生ぬるい血が噴き出し、どさりと吸血鬼が茨へと崩れる。その返り血を浴びつつ、ふぅ、と紅月はようやく一息をついた。
「紅月!!」
 真っ青な顔でかけよったレオンが、吸血鬼の身体を脇へとどかし、紅月を抱き起こす。
「大丈夫ですか? ああ、こんなところに血が……!」
「ほとんどあいつの血だよ。あとは、棘がひっかかっただけ」
 紅月の身体のわずかな傷も見逃すまいとするように、レオンは純白の衣装が汚れるのもかまわず、紅月の返り血を拭う。
「しかし、思ったより体力を奪われた、かな……」
 まだ頭の芯がくらくらする。これ以上の探索は、不本意ながらあきらめねばならなそうだ。仕方ない、そう思ったとき、紅月は自分を見つめ続けるレオンの表情に気づいた。
「……なんでそんな泣きそうになってるんだよ」
「可愛い紅月があんな目にあって、平気でいられるわけがないでしょう!」
 強い口調で言い切り、レオンは自らを責めるように唇を噛む。守りきれなかった己を恥じ、同時に愛しい人の傷が耐えられないのだ。
「まぁ、ぎりぎり助かったんだから。気にするなよ」
 紅月はそう言うと、レオンの背中を軽く叩く。しかしそれだけでは、落ち込んだレオンは、しばらくは立ち直れないようでもあった。それから、やおら紅月の右手を両手で包むと、強く言い切る。
「紅月……私が責任をとって、君を一生……痛!」
 愛する、の言葉の前に、紅月の左手が閃き、結局いつものようにレオンは殴られた。