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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

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「蝉の声が五月蠅いくらいだね。これは、寝苦しい夜になるわけだよ」
 その頃、夢に囚われることなく森を歩む一組の人影があった。先を歩む黒崎 天音(くろさき・あまね)は落ち葉を踏み締め、異様なまでの蝉の音の響き渡る森を奥へ奥へと進んでいく。
「……ん。そう、だな」
 眠たげにぼうっと瞳を曇らせていたブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は、天音の言葉にはっと意識を取り戻すと、軽く頷いて同意を示した。眠気を払うように緩く頭を振り、彼の周辺の危険を探るように視線を巡らせる。
 存在を主張するかのような喧しい程の声はすれど、一切の姿が見当たらない蝉。一本の大樹を見上げつつ、天音はおもむろに口を開いた。
「蝉、か。数年を土の中で過ごして、成虫として地上に出たら……僅かな日数で死んでしまう。何となく、ナラカで長い年月をかけて浄化され、パラミタに生まれる地球の命みたいじゃないかな?」
 普段であればすぐに返る筈のブルーズの返答は、しかしなかなか紡がれる事が無かった。怪訝と窺う天音の視線に、ブルーズは考え込むよう伏せていた鼻先を緩やかに持ち上げる。
「……。だが、吸血鬼や……ドラゴンとして生まれれば、それは長い一生になるのではないか?」
「蝉、人間、ドラゴン……同じ命として生まれても、その一生の長さはは驚く程に異なっているね」
 どこか躊躇いがちに告げられるその言葉に、天音は頷き返した。陰りを覗かせる事の無いブルーズの面持ちとは裏腹に、どこかしょげたように垂れた尻尾の存在に気付いているのかいないのか、天音は歩みを再開する。
「もう少し、奥まで行ってみよう。何か面白いものが見つかるかもしれない」
「……そうだな」
 好奇心を滲ませた天音の瞳に首肯を返すと、ブルーズは重さを増したように思える足を、彼に遅れないよう進め始めた。


***


『弥十郎、聞こえるか。どうやら君に攻撃されているようなのだが、倒してしまって問題無いかね』
 唐突なパートナーの言葉に、しかし驚く事も無く、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は了承を返した。それもその筈、弥十郎の視界ではまさしく声の主である熊谷 直実(くまがや・なおざね)の偽物らしき存在が、弥十郎に向けて剣を振るっていたのだった。
「ただ、もし本体と繋がっていたら困るし……むむ」
 落ち着いた思考を巡らせつつ視線を泳がせた弥十郎は、ふと一本の樹に目を留めた。いつからそこにあったのかも判らない樹へ駆け寄ると、幾つか実を拝借する。様々な樹でそれを繰り返すと、弥十郎は直実の攻撃をかわしながら、それらを擦り潰し始めた。
 そうして何故か出来上がった【謎料理】。どのような味がするのか、どのようにして作られたのか本人にすら定かではないそれを、弥十郎はおもむろに軽く掲げて見せる。
「ほら、美味しいよ。食べてごらん」
『……弥十郎、遊んでいるのか?』
 声で動向を図るしかない直実は、突拍子もない弥十郎の呼び掛けに不審げに声を掛けた。「とんでもない」と弥十郎、近寄って来た偽物へ彼が手製の謎料理を振る舞うと、呑み込む動作を見せた幻影は、次の瞬間ぱっとその場から掻き消えた。
「【謎料理】だよ、あとでおっさんにも作ってあげるね」
『……もっとまともな物を作ってくれ』
 呆れた様子を声に滲ませる直実も、既に偽の弥十郎を倒し終えている。残念とばかりに穏やかな笑みを浮かべた弥十郎は、ふと足元に落ちた蝉に気付いた。やはり一瞬にして消えてしまうそれに、きょとんと首を傾げる。
「蝉……?」
 そう言えばこのおかしな状況に陥る前、五月蠅いくらいの蝉の音に包まれていた筈だ。それが今では一声すらも届かない。弥十郎は何とは無しに、この異様な蝉が異常な状況に関わっているのではないかと感じた。
「夏の最後に相手を見つけられなかった蝉が、パートナーを持った人を羨ましがったのかな。そう考えるとなんか寂しいね」
『? 何の事だ?』
「何でもないよ。さ、困っている人を探しに行こう。きっとワタシたち以外にもいるんじゃないかな」
 直実のみに届く呟きを落とすと、弥十郎は緩やかに足を進め始めた。謎の料理を、その手に持ったまま。



「………いったい何なのかな? とりあえず、僕の家族を姿だけとはいえ模倣するなんて不愉快極まりないね」
 サトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)は、繊細な面立ちに明確な苛立ちを滲ませ呟いた。眼前には、彼の妹であるディオニリス・ルーンティア(でぃおにりす・るーんてぃあ)の姿。しかしその反応は、彼の知る妹のものとは異なっていた。
「こういう時、イリスは僕に抱き付いてくるんだよ」
 血を分けた妹の事、その偽物が現れたとあっては、サトゥルヌスが内心で憤るのも当然のことだった。案の定、正面の少女ではなく頭の中から、聞き慣れた妹の声が響く。
『お兄ちゃん? ……あなた、誰?』
「イリス、それは僕じゃないよ。気を付けて、可能なら倒してしまうんだ」
 大切な妹へと案じる言葉を掛けながら、サトゥルヌスは黒薔薇の銃を抜いた。
「偽物だとは分かっているけど、イリスを傷付けるみたいで気分が悪いな……さっさと終わらせるよ」
 彼女へは聞こえない程度の小声で呟き、地を蹴る。案の定偽物の反応は鈍く、【ブラインドナイブス】――急所狙いの一弾が、偽物のこめかみを撃ち抜いた。
『お兄ちゃんに似てるけど、お兄ちゃんじゃない……まがい物なんて要らないのよ?』
 サトゥルヌスの視界の中、偽物のディオニリスが消滅するのと同時に、本物の妹の声が脳内へ届いた。
『お兄ちゃん! お兄ちゃんの偽物、倒したよ! お兄ちゃんはどこにいるの?』
 どこか罪悪感を滲ませながらも、安心したような彼女の宣言が続く。それにほっと安堵の吐息を零して、サトゥルヌスは改めて周囲を見回した。
「ごめんね、イリス。僕にも分からないんだ。……とりあえず、何か手掛かりを探してみよう」
『うん、分かった。……お兄ちゃん、会いたいよ』
 ほんの微かに届けられた妹の弱音に、サトゥルヌスは笑みを浮かべたままに眉を下げた。撫でてやることが出来たなら、と上げた片手は空を切る。代わりに精一杯柔らかな声音で、サトゥルヌスは言葉を掛けた。
「大丈夫、きっとすぐに会えるよ。それまではずっとこうして喋っていよう」
『うん。……頑張るね、お兄ちゃん』
 そうして言葉を交わしながら、二人は同時に、それぞれの世界を歩み始めた。



 天 黒龍(てぃえん・へいろん)は、眼前に広がる有り得ない光景に目を見開いた。
 果ての見えない闇の中、見失った筈のパートナーの姿が突然正面に現れたかと思えば、他ならぬパートナーの手には光条兵器が握られていたのだ。その切っ先は、迷い無く黒龍へと向けられている。
「葛葉! 聞こえているなら返事をしろ、葛葉!!」
 いくら叫んだところで、紫煙 葛葉(しえん・くずは)の返事は無かった。奥歯を強く噛み締めた黒龍は、振り下ろされる切っ先を槍の柄で受け止める。
「何の真似だ、これは……っ、……?」
 葛葉が自分に光条兵器を向けるなどとは思えない。そう確信しながらも斬り返せずにいた黒龍の目に、ふと異様な影が映った。蝉だ。静かに浮遊する蝉の虚ろな目は、真っ直ぐに黒龍を向いているように思えた。
「この蝉、確かここへ来る前にも……さてはお前の仕業か。沈め!」
 一喝と共に繰り出された穂先が、しっかりと蝉の胴を貫く。黒龍の読み通り、蝉と共に消えていく幻影を見つめながらも、黒龍は本物のパートナーを探すべく声を張り上げた。
「葛葉!」
『…………』
 しかし、葛葉がその声に応えることは出来なかった。黒龍よりも一足早くその偽物を片付けていた葛葉は、脳裏に焼き付いたように離れない光景に、声を失っていたのだった。
 己の振り下ろした刃が守るべきパートナーを切り裂く、その感覚。手応えこそなかったものの、消滅していく偽物の黒龍の姿が頭から離れない。
 幾度も脳内に繰り返される黒龍の呼名を聞きながら、葛葉は言葉も無くその場に崩れ落ちた。



「うるせぇ、ナンパは俺の人生だぜ! そう毎回毎回、暴力には屈しねぇからな!?」
 そんな事を叫びながら、鈴木 周(すずき・しゅう)は背後から放たれたファイアストームを飛び退くように回避した。
「へへっ、そんなもの当たらねぇよ!」
 その言葉に違和感を覚えたのは、まさしく周の放つ爆炎波を回避したばかりのレミ・フラットパイン(れみ・ふらっとぱいん)である。抗議の声を上げようと開かれた彼女の口から発されたのは、驚愕を露にした言葉だった。
『え!? 攻撃してきたのは周くんの方でしょ!』
「俺はひたすら逃げてるだけだろ!」
『……えーと。周くん、これ偽物だよ!』
 そこでようやく違和感に気付いたレミがはっと声を上げ、周も納得したように返答した。
「あー、なるほど。偽者なのかー。安心した。どうりでちょっとは大人しそうな顔してるわけだぜ!」
『何それ、周くんこそこっちの方が男前なんじゃないのー!?』
 ぎゃあぎゃあと口喧嘩を続けながらも、二人はほぼ同時に技を繰り出した。奇しくもレミの放ったファイアストームが偽物を呑み込むのと同時に、周の爆炎波が偽物を薙ぎ払う。別の次元にいながら連携しているかのような互いの攻撃を、それぞれが知る事は無かったのだが。
「うるせぇレミ、てめぇどこにいやがる! ツラ見ねぇと調子が出ねぇんだよ、さっさと来い!」
『周くんこそどこにいるのよ、って言うかここどこ?』
「俺が知るか!」
 そして偽物が消えた所で彼らの口喧嘩が止む事も無く、時折当たる事の無い技を放ちながら、二人は騒がしく喚き続けた。