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リアクション
第三章 『豊饒』の海
「うわー!これ全部、ショッピングセンターなのか!デカいなー」
アラモアナセンターにやってきた長原 淳二(ながはら・じゅんじ)は、そのあまりの大きさに思わず声を上げた。事前に、『世界最大級のショッピングセンター』と聞いてはいたから、なんとなく想像はしていたのだが、実物は淳二の想像を遥かに上回る大きさだった。
「この中に、デパートが四つもあるんですって!大きいはずですよねー」
藤井 つばめ(ふじい・つばめ)は、インフォメーションカウンターでもらってきたパンフレットを開いている。
「店の数は、290以上あるんだね」
太刀川 樹(たちかわ・いつき)が、そのパンフを横から眺めながら、付け加えた。
淳二とつばめ、それに樹の三人は、行きの飛行機の中で意気投合し、一緒にショッピングする事にしていた。元々淳二も目当ての物がある訳ではなかったから、連れが出来るのは正直嬉しかった。
みんなで色んなお店を冷やかしながら歩いていた淳二は、遠くから、ハワイアンが流れてくるに気づいた。スピーカーから流れてくる音ではなくて、生演奏だ。
「どこかで、ステージショーでもやってるのか?」
「えっとですね……。はい!この先で、ちょうど今フラダンスのショーやってますよ」
「お、面白そうじゃん、観に行こうぜ!俺、ちゃんとしたフラダンスってまだ観たことないんだよ」
「あ、僕も観たい!樹君は?」
「いいよ、観に行こう」
「よし、急ごうぜ!」
音の聞こえてくる方へと、駆け出していく三人。その姿は、瞬く間に行き交う人の波に消えて行った。
「お買い物ー♪お買いものー♪」
鼻歌を歌いながらアラモアナセンターを闊歩していた鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は、ふと、足を止めた。目の前の店の軒先に、果物がうず高く積まれている。ざっと見たところ、かなりの種類があるようだ。
「そうだ……。『お土産は、食べ物系が絶対にハズレがない』って、聞いたことある。よし、お土産は、食べ物にしよう!」
先ほどから氷雨は、仲間たちへのお土産を探していた。
構内をプラプラしている時に、今回のハワイ旅行の掲示を見つけた氷雨は、『タダでハワイに行ける!』とばかりに、その場の勢いで参加を決めた。
ただ、本当に後先考えずに申し込んだために、その時隣にいたおまけ小冊子 『デローンの秘密』(おまけしょうさっし・でろーんのひみつ)以外のパートナーの、参加申し込みをするのを忘れてしまった。
しかも、『ど、どうしよう。ボクたちだけでハワイに行ったりしたら、きっとみんな怒るよね。でも今からじゃ申し込み出来ないし……』などと悩んでいるうちに、結局ハワイに行きを告げずに来てしまったのである。そして――。
「え!主様、もしかして皆に言ってないんですか!?私てっきり、主様がみんなに話したなのだとばかり――」
デローンの問いかけに、力なくかぶりを振る氷雨。
「お土産買いましょう、主様!」
「お土産?」
「そうです、主様!大丈夫です!沢山買って帰れば、きっと許してくれます!!」
「そっか……。そうだよね!!」
懐柔作戦に出ることにしたのだった。
「うーん……。果物もいっぱいあるねぇ……どれがいいんだろう?どう思う、デロちゃん……って、デロちゃん?」
「ふぁい?」
どこからそんなにガメてきたのか、両のほっぺをまるで頭のワルいハムスターのようにふくらませて、デローンが必死に何かを咀嚼している。
デローンは、両手にズラリと持った試食品の楊枝の中から、一つだけ食べ物が付いているモノを差し出した。見ると、山吹色の果物が付いている。
「えっと……、コレ、パパイヤ?」
頭をブンブンと振って、肯定するデロ。とてもしゃべれる状況ではないらしい。
「どれ……」
取り敢えず、氷雨はそれを一口食べてみた。口の中に甘さがほわっと広がる。
「うん!おいしいね、コレ。これお土産にしようか!」
「そうしましょう、主様。実は試食食べ過ぎちゃいまして、一個も買わずに帰るの、気がひけてたんですよー」
デローンの視線の先には、腕組みしてこちらを睨んでいる、マッチョな店員の姿があった。
「……イッパイ買おうか」
「お願いしますー♪」
「あれ、美緒さんじゃないですか?美緒さんも、水着探してるんですか?」
名前を呼ばれて美緒が振り返ると、そこに藤井 つばめがいた。腕に、ハンガーをつけたままの水着をかけている。
二人が今いるのは、アラモアナセンター一番の売場面積を誇る、水着専門店である。
「あら、つばめ様。ごきげんよう」
優雅に会釈する美緒。だがその笑顔に、今一つ力がない。
「どうかしたんですか?」
「えぇ……。実は、うっかり水着の替えを忘れてきてしまいまして。それで買い求めようかと思ったのですけれど、中々ピッタリのサイズがなくて……」
顔に手を当てて、『ふぅ~』とため息を吐く美緒。
「そうですかー。それは、困りましたねー」
腕を組んで、『うーん』と首をひねるつばめ。確かに、いくらアメリカとはいえ、美緒サイズの水着は、そうそう見つからないだろう。
「もう、全部見て回ったんですか?」
「いえ。まだなのですけれど、ダイビングまで、あまり時間がなくて……」
「なるほど……。僕でよければ、手伝いましょうか?」
「まぁ、本当ですか?」
「えぇ。僕の方は時間に余裕ありますし」
「すみません、助かります」
嬉しそうに頭を下げる美緒。
「それで、水着のサイズは幾つなんですか?」
「えっと、126センチのQサイズです」
つばめの耳に、ささやくように告げる美緒。
「きゅ、Qサイズ……ですか?」
「ハイ……」
驚くつばめに、美緒は恥ずかしそうに頷く。
「それは……店員さんに相談した方が、早くないですか?」
「やっぱり……、そうですよね」
美緒は、大きくため息を吐いた。
オアフ島の南東、島が大きく海に突き出したその突端に、ハナウマ湾は存在する。島の北側を縦貫するコオラウ山脈の火山活動によって形成されたこの湾は、その自然の美しさからダイビングスポットとして知られていた。
美緒を始めとする10名ほどの生徒たちは、ここハナウマ湾の浜辺に集合していた。これから、体験ダイビングに参加するためである。
始め、美緒はクルーザーを貸し切ってダイビングをするつもりだったが、ハナウマ湾は自然保護区域に指定されていて、船の乗り入れが一切禁止されていた。また、今回の参加者はダイビングの免許を持たない者がほとんどだったが、無免許の者がダイビングをする場合、潜水深度が厳しく制限されている。『それなら、船を借りる必要はないだろう』と言う事になり、ここハナウマのビーチでダイビングをすることになったのである。
「ハロー!皆さん、こんにちは!今日一日、皆さんの体験ダイビングのインストラクターを務めさせて頂く、クリスティ・タカナシです。よろしくね♪」
そう明るく挨拶したクリスティは、おそらく年齢30代前後。名前と、ドコから見ても日本人にしか見えない顔立ちから言って、日系人だろう。クリクリとしたよく表情の変わる目が、人懐っこそうな印象を与えている。
「こちらは、アシスタントのジャネット・パーカーよ」
「ジャネットです。よろしくお願いします」
一方のジャネットは、白人系で、年齢は25歳位だろうか。小柄なクリスティよりも頭一つ分くらい背が高い。
「今日は、皆さんにスクーバダイビングを体験してもらいます。器材の取扱いとか、ちょっとした講習もあるから、しっかり聞いてね。今回は、大半の方が経験者のようですが、忘れてる部分があると危険ですから、一緒に聞いて下さい。それと美緒さんは、Cカード持ってるのよね?」
「はい。ございますわ」
Cカードというのは、ダイビングの技能講習を終了したものに発行されるカードである。
「それじゃ、美緒さんにもアシスタントをやってもらおうかな。お願いできる?」
「ハイ♪私で出来る事なら、なんなりと」
「それじゃ、美緒さんは先にスーツに着替えちゃってね」
「分かりました」
「あ、あのー!」
「はい?どうしたの?」
おずおずと、手を上げた生徒がいる。ジル・ドナヒュー(じる・どなひゅー)だ。顔を真赤にして、モジモジとしている。
「ス、スミマセン!お手洗い借りてもいいですか?」
「いいわよ、我慢しないで、早く行ってきて」
ダイビングの講習を抜けだしたジル・ドナヒュー(じる・どなひゅー)は、周囲の人目を気にしつつ、美緒がいるであろう更衣室へと向かっていた。
彼女の目的はただ一つ、主であるブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)の願いを叶えることである。
ブルタは幾多の冒険の末、肉体を失い魂を魔鎧に封じられた上、ザナドゥの辺境にある監獄に収監されていた。
魔鎧の体を手に入れたブルタは、『何としても、魔鎧として泉美緒と一体化し、あの巨乳を思う存分体感したい!』という暗い野望に燃えていたが、彼自身は監獄から一歩たりとも外に出ることは出来ない。
そこで、計画の第一段階として、パートナーのジルに美緒のバストのサイズ、形、弾力といったデータを収集させる事にしたのである。美緒の体型にぴったりの鎧になるためだ。
とは言え、その道のぷろふぇっしょなるであるブルタとは異なり、ジル自身はストーキングや覗きといった類の行動は専門外である。この為、具体的な行動については、適宜ブルタが《精神感応》で行う事になっていた。
『マスター、泉美緒のいる更衣室まで来ました。指示をお願いします』
ジルは眼を閉じると、そう心に念じた。しかし、ブルタからの応えはない。
『……おかしい。マスターからの返事がない?』
激しい焦りを抑えつつ、ジルはもう一度念を送ってみた。だが、やはり返事はなかった。
『……しまった!!』
ジルは、自分達が非常に重大な事実を忘れていたことに気が付き、愕然となった。
《精神感応》は、能力を使う者同士が、共にパラミタにいるか、あるいは共に地球にいる時にしか効果がない。《精神感応》は、パラミタと地球の間に立ちはだかる『壁』を超える事が出来ないのである。
「そこで、何をしているのですか?」
突然の声にジルが振り返ると、そこには《蒼き水晶の杖》を手にした冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が仁王立ちになっていた。杖は《物質化・非物質化》を使い、忍ばせておいたものだ。
「な、ナニって……、お手洗いを探して……」
不測の事態に周囲への警戒を忘れ、完全に不意を打たれた形のジルは、思わず口籠もる。
「トイレなら、受付のすぐ右側、凄く目立つ位置にあるわよ。こんな所まで捜しに来る必要はありません」
ジルの言い訳を一蹴する小夜子。厳しい目で、ジルを睨んでいる。
「美緒さんが、『誰かに見られている気がする』というので、もしやと思って見張っていたのですが……。ちょっと意外でしたね」
「クッ!」
小夜子のセリフを聞く間もあらばこそ、踵を返して逃げ出そうとするジル。だが、廊下の角から現れた崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が、その行く手を阻んだ。
「そこをどけ!」
《サイコキネシス》を使っている暇はない。何とかして逃げだそうと、牽制の右拳を繰りだすジル。
亜璃珠は、その攻撃を身をひねって避けた。その隙に、ジルは逃走を図る。
だが、それは亜璃珠の計略だった。ジルが、自分に完全に背を向けるのを、狙っていたのである。
「逃がさなくてよ!」
亜璃珠の手から放たれた【ダークネスウィップ】が、ジルの足首を捕らえる。亜璃珠がムチを力いっぱい引っ張ると、ジルはバランスを崩し、床に叩き付けられた。
「く、くそっ……」
痛みに耐えながら身体を起こしたジルを、小夜子が冷たい目で見下ろしていた。その手に握られた杖の水晶が、ゆっくりと輝きを増して行く。
「さぁ、洗いざらい吐いてもらいますよ」
「たっぷり、可愛がってあげるわ」
一方亜璃珠は、嗜虐心に満ち満ちた目で、ジルを見つめている。
ジルは、自分の身の不運を、呪わざるにはいられなかった。
「それでは有栖お嬢様、わたくしが先に潜りますから、後について来て下さい」
水面から顔を出し、ミルフィ・ガレット(みるふぃ・がれっと)は神楽坂 有栖(かぐらざか・ありす)に声をかけた。
有栖は、Cカードこそ持っていないものの、ダイビングは数回経験したことがある。
講習を受け、器材一式を装備した一同は、二人から数人でグループを作り、一緒に行動することになっていた。互いの安全を確認し合うためである。バディシステムという、ダイビングでは一般的な方式である。
「ミルフィ、お願いですから、あまりわたくしから離れないでくださいね」
いよいよ潜るとなって、緊張してきたのか、有栖の顔が軽く強張っている。
「ふふっ。お嬢様、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。水圧に身体も慣れてますし、呼吸の練習もバッチリでしたよ」
有栖の不安を少しでも和らげようと、ミルフィが笑いかける。
「後は、耳抜きだけですから。もし上手く出来なかったら、わたしくに言って下さいね」
それだけいうと、ミルフィは水の中に潜って行った。
「ま、待って下さい、ミルフィ!」
有栖も、ミルフィの後に追って水の中に潜る。
水面へと上って行く泡のカーテンが収まると、そこには、有栖の見たことのない光景が広がっていた。
彼女の右手数メートルほどの所にある岸壁には、小さなサンゴがいくつも生えている。一口にサンゴとはいっても、色も形も様々で、まるで花畑のようだ。
サンゴが花なら、サンゴの間を自由に行き来する魚たちは、さしづめ蝶といった所だろうか。南国特有の鮮やかな色彩の小魚達が、無数に群れている。
浜辺から大して離れていない、水深わずか5メートル位の所でこれだけ生物相が豊かなのだ。ハナウマ湾がダイビングスポットとして人気があるのも頷ける。
『スゴーい!!上から見ると潜ってみるのとでは、本当に大違いです!』
有栖が、初めて見る水中の光景にすっかり心を奪われていると、美緒が近寄ってきた。
頻りに、湾の奥の方を指差している。もっと向こうに行ってみようというのだ。傍らのミルフィを見ると、彼女も首を縦に振っている。
有栖は、さっきまで感じていた不安もどこへやら、満面に笑みを浮かべると、ミルフィの後に続いた。
少し前を泳ぐ美緒の後ろ姿に見とれながら、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は、自分の幸運を神に感謝していた。
自分のバディを、美緒が引き受けてくれたのだ。そればかりか、初心者である自分の面倒を、あれくれと見てくれるのである。『ダイビングの経験がなくて本当によかった』と、心の底からそう思う。
突然、正悟は右の耳に痛みを感じ、立ち止まった。
『しまった!耳抜きをするのを忘れた!』
浮かれていた正悟は、『1メートルに1回は耳抜きをするように』という指示を忘れてしまったのだ。
急いで耳抜きをしようとするものの、上手く行かない。口を閉じて、鼻から息を出すようにしたり、顎を動かしたりつばを飲み込んだりと色々してみるが、一向に効果がない。その内に、だんだんと耳の痛みが耐えがたくなってきた。
正悟が来ないのに気づいた美緒が、近づいてきた。正悟はジェスチャーで、耳が痛いことを伝える。
それを見た美緒は、正悟の頭を両手を掴むと、ぐるぐると回し始める。その途端、耳の痛みが抜けた。美緒が、耳抜きを手伝ってくれたらしい。
痛みから解放されてホッとした正悟は、自分のすぐ目と鼻の先に、美緒の巨乳があるのに気づいた。美緒はウェットスーツを身につけているから、それほど刺激的な光景ではないはずなのだが、それでもこの大きさはやはり破壊力がある。
正悟の脳裏を、
「Qカップ用のウェットスーツなんて、そりゃ特注しないとムリねー」
という、クリスティと美緒の会話がよぎる。
『きゅ、Qカップ……』
思わず抱きつきたくなる衝動を無理やり抑え込み、顔を上げる正悟。すると今度はそこに、美緒の顔があった。正悟を見て、にっこりと微笑んでいる。マスク越しとはいえ、あまりに魅力的な笑顔に、正悟は、物凄い勢いで赤面して行くのがわかった。頭がぼぉっとして、何も考えられなくなっていく。
そのまま、どの位見つめ合っていただろうか。
突然、美緒の表情が気遣わしげな物に変わった。正悟が顔を真っ赤にしたまま動かないので、どこか調子が悪いのかと思ったらしい。
『あわわわ!す、スイマセン、スイマセン!!』
慌てて美緒から身体を放し、正悟はブンブンと両手を振る。
その様子にホッとした顔をする美緒。
『こ、コレはコレで、ある意味大変かも……』
などと思いつつも、正悟は、中々胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。
メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)とシャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)、それにフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)とセシリア・ライト(せしりあ・らいと)の四人は、クリスティの案内で、ハナウマ湾を奥へ奥へと進んでいた。
四人のうち、唯一の初心者だったシャーロットの上達が早かったので、思い切って遠くまで行ってみることにしたのである。
道中、ハワイの固有種だという真っ青なサンゴや、様々な縞を刻んだチョウチョウウオの群などを通り過ぎ、目指すポイントへと進む。
彼らが向かっているのは、ハナウマ湾の入り口に突き出したパイオロオル岬の側にある、『ウィッチーズブルー』と呼ばれるポイントである。ここには海流の関係で、流木やブイ、ポリタンクにペットボトルといった様々なゴミが集まる。
その様が、怪しげな品々を煮て秘薬を作る『魔女の大釜』に見えることからこの名がついたのだが、このゴミが身を隠すのに都合がいいらしく、大型の魚が好んでこの下を泳ぐのだ。
だんだんと大型の魚が多くなってきた。見ると、クリスティがオーケーのサインを送っている。どうやら、ウィッチーズブルーに着いたようだ。
『『うわー!!』』
メイベル・ポーターとシャーロットは、魚の中に意外なモノを見つけ、同時に声を上げた。といっても水中なので、実際に上がるのは気泡なのだが。
そこには、大きなアオウミガメがニ匹、寄り添うように泳いでいたのである。
少し遅れてやって来たフィリッパとセシリアも、驚きを隠せない、といった表情で、ウミガメを見つめる。
確かにハナウマ湾は、ウミガメの生息する地域ではあるが、それでも必ず見られる訳ではなく、むしろラッキーな部類に入る。ましてや、ニ匹同時だ。
クリスティなどは、『やった!』と言わんばかりに、親指をビッと立てて喜んでいる。インストラクターをやっている彼女でも、ニ匹同時にウミガメを見たのは、これが初めてなのだ。
もっと近くで見ようと、ウミガメに近づこうとするシャーロット。その手を、クリスティが掴んだ。振り返ると、メイベルもかぶりを振っている。
講習で聞いた、『ハナウマ湾では、ウミガメに近づいたり追いかけたりすることは禁止されている』という注意を思い出し、シャーロットは、ハッとした。
幸いウミガメ達は、シャーロットの動きに警戒した様子もなく、相変わらず仲睦まじそうにと泳ぎ続けている。まるで、ダンスを踊っているかのようだ。
やがてニ匹のウミガメは、魅入られたように見つめ続ける五人の前をゆうゆうと横切り、ゆっくりと泳ぎ去っていった。
「お疲れ様、美緒。スゴくキレイな海だったわね」
一人である美緒を見つけ、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は声をかけた。
既にダイビングを終え、ウエットスーツを脱いだ祥子は、白のビキニ姿だ。
「あら、祥子様。ハイ、本当に」
祥子に向かって、優雅な仕草でにっこりとほほえみを返す。
ダイビングの間、祥子は美緒に万が一の事がない様にと、少し離れた所から周囲を監視していた。本来ならば冬山 小夜子と崩城 亜璃珠も美緒を護衛する筈だったが、二人はジルの尋問に専念するため、ダイビングを断念したのである。
「ちょっと亜璃珠の様子を見て来たけど、すっかり元気になったみたいね」
亜璃珠と小夜子については、『亜璃珠が急に腹痛を起こし、小夜子がその付添いで残った』という設定にしてある。美緒に言われる前にこちらから話をして、ボロを出さない内に切り上げようという、祥子のテクニックである。
「ハイ。わたくしもお会いしてきましたけれど、お元気そうでホッとしました」
いかにも嬉しそうな顔をする美緒の身体に、祥子はさりげなく目をやった。
美緒も、祥子と同じように白の水着を着ている。もっともこちらはビキニだが。
まぁ、美緒のバストサイズを考えれば、ワンピースを着るのはそもそもムリだろう。
聞けば、美緒のバストはQカップあるという。サイズももちろんだが、むしろそのサイズでこの曲線を保っていられる事の方が驚異的だと、祥子は思う。思わず、触ってみたくなる。
「ね、ねぇ、美緒?ちょっと、変なお願いしていいかしら?」
気づいた時には、祥子は口を開いていた。
「お願い……ですか?」
美緒はキョトン、とした顔で首を傾げる。
「あ、あのね、もし良かったら、その……。美緒さんの胸、少し触れせてもらいたいな~、なんて」
「え!?む、胸、ですか……?」
途端に顔を真赤にしてオロオロする美緒。
「ご、誤解しないでね!別に変な意味じゃなくて!その、同じ女性として、そんなに大きいのに、こんなに形のキレイな胸って、どんな風になってるのかな~、なんて……」
祥子の話を、美緒は、俯いたまま聞いている。恥ずかしくて、顔が上げられないようだ。
話をしている内に、祥子もどんどんと顔が紅潮してきた。まるで、彼女の恥ずかしさが、伝染しているようだ。
「や、やっぱり、今のはナシ!ご、ゴメンね!変なお願いして!」
一通り言い終えると、今度は祥子の胸の中に、急速に後悔の念が沸き上がってきた。『いくら勢いとはいえ、なんてお願いをしてしまったの!こんな純粋なコを、困らせるなんて!』と心の声が叫ぶ。
「す、少しだけなら……」
「え?」
「少し……触るだけなら、いいですよ」
俯いたまま、搾り出すように言う美緒。
「ほ、ホントに……?」
という祥子の問いにも、俯いたまま頷く。
「じゃ、じゃあ、手のひらに、乗っけてみてもいい?」
また、コクンと頷く美緒。
「ま、周りに誰も、いないですよね?」
美緒は恥ずかしさのあまり、目をギュッとつむっている。
祥子はキョロキョロと周囲を確認する。辺りに人のいる気配はない。
「だ、大丈夫……。それじゃ、行くわよ。美緒?」
言われて、美緒はビクッと身体を固くする。その胸に手を伸ばしながら、祥子は、何か言いようのない背徳感に包まれていくのを感じていた。
祥子の手が、美緒の胸に触れようとする、まさにその時――。
左右から迫る強烈な殺気に、祥子は思わずその手を止めた。身体を動かすこと無く、目だけで素早く左右を確認する。
そこに殺気の『主』を確認すると、祥子はゆっくりと手を戻した。そして美緒から一歩離れると――。
「じょ、冗談よ、美緒!ほら、目を開けて!」
と、努めて明るい声を出した。
「え、冗談……?」
ポカン、とした顔で祥子を見る美緒。
「や、やーねぇ。いくら美緒の胸がキレイだからって、女同士で触ろうなんて思わないわよ!あんまり美緒が可愛いから、ちょっとからかってみたくなっただけなの!ゴメンね、美緒!」
わざとオーバーに、『パンッ』と手を合わせて、頭を下げる。
「ひ、ヒドイです!祥子様ったら……!」
目に涙を浮かべながら、祥子をぽかぽかと叩く美緒。
「ご、ゴメンね、みお~!お願い、許して~」
これまたわざとらしく逃げ回りながら、祥子は周囲を確認した。既に殺気の主はいなくなっている。どうやら命拾いしたようだ。
『これからは、迂闊なマネだけは絶対に止めよう』
そう、固く心に誓う祥子だった。
「いやー、大漁大漁♪」
ボートの船べりに手をかけ、海から上がってきたブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は、霧島 春美(きりしま・はるみ)から網を受け取ると、ドサッという音と共にボートに下ろした。中には、二人が銛で突いた魚がたっぷりと詰まっている。
「うわー!いっぱい獲れたねー♪」
橘 舞(たちばな・まい)が、歓声を上げた。彼女は可愛らしい、フリルのついた白いワンピースを着ている。
ブリジット、春美、舞の三人にディオネア・マスキプラ(でぃおねあ・ますきぷら)を加えた四人は、ハナウマ湾からそう遠くない海で、素潜り漁に励んでいた。元々はハナウマ湾で漁をするつもりだったのだが、ハナウマ湾が自然保護区域に指定されていて、漁が禁止されていたために、こちらに流れてきたのである。
「まーいー、ちょっとこれ、受け取ってー」
「ハイ!お、重い……。うん……しょっと」
掛け声と共に船上に上げた網には、今度は貝やウニ、それにエビなどが、これまた幾つも入っていた。
「キャー、ウニがこんなにー!これ、イセエビじゃなーい!二人とも、素潜り上手だねー!」
「ううん、こんなに獲れたの、生まれて初めてですよ。今日は、運がいいです♪」
ちょっと大胆なカットの、ハイビスカス柄のビキニを着た春美も、やや興奮したように言った。
「ちょっとのつもりだったけど、いっぱいいるから、面白くって取り過ぎちゃったわね。まあでも、水着新調してまで来た甲斐があったわ」
そう言って胸を張るブリジットの水着は、ハワイの海のようなマリンブルーのビキニである。
「これだれあれば、人数分の魚懐石に、舟盛りだって出来ちゃうね!」
「そうね。折角だから、料理人を呼びましょうか」
「ステキ!」
ブリジットの提案に、手を叩いて喜ぶ春美。
「あれ、そう言えば、ディオは?」
「あぁ、ディオなら、さっきまで一緒にシュノーケリングしてたんだけど、コレが『怖い!』って言って、逃げ出しちゃって」
「コレ?」
「これです、コレ」
舞は、30センチはありそうなナマコをぶら下げている。
「な、ナマコ……?」
「食べるの、それ?」
「日本では食べるよ。見た目はアレだけど、結構オイシイんだよ、コリコリして」
「……私は遠慮しておくわ」
「おーい!みんなただいまー!引き上げてー」
いつの間に帰ってきたのか、ディオネアが水の中から顔を出している。常時ウサギ形態を取っているため、ボートの縁に手が届かないのだ。
「ディオ!今まで何してたの?」
「え?何って……魚獲ったんだよ?」
「魚取るなら取るって言って行かないと、心配するでしょ」
「ごめーん」
ブリジットに『ひょい』と抱き抱えられ、ボートに上がるディオ。ネコのように身体をブルブル震わせて、毛についた水を飛ばす。
「で、何を取ってきたの?」
「あ、そうそう、見て見てこれー!じゃーん!」
首から下げたビクをごそごそとすると、中からにゅるりとしたヘビのようなモノを取り出す。縦に扁平な顔。細くとがった大きな口。そして鋭い牙。
「ヘビー!」
「ウツボよ!」
「何それ?」
「いいから捨てて下さい!噛まれたら大変ですよ!」
大声で叫ぶ春美。
「日本では、ウツボは食べないの?」
「うーん、オイシイらしいけど、結構料理が大変みたいよ?」
「やっぱり、今日はシェフじゃなくて板前を呼ぶべきかしらね」
一方ブリジットと舞は、淡々と食べる相談をしている。
「え!これ食べられるんだ!やったー!」
「食べるつもりじゃなかったら、一体何のために捕まえてきたんですか?」
「え?面白いから?」
キョトンとした顔をして答えるディオ。思わず春美の口からため息が漏れる。
「ねーねー!早くゴハンにしようよー!ボクお腹すいちゃったー」
「そうだね、そろそろ帰ろうか?」
「じゃ、早速板前の手配をするわ」
携帯を取り出していずこかに電話をするブリジット。シャンバラ出身にもかかわらず、ハワイに顔馴染みの板前がいるらしい。
「それじゃ、食事の準備ができるまで、みんなで貝殻拾いをしませんか?春美、みんなとお揃いのペンダントが作りたいんです♪」
「さんせーい!」
久し振りに四人一緒に過ごすハワイの時間は、あっと言う間に過ぎて行くのだった。
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