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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第1章 切り開く翼 4

「砲撃くるぞ! 離れておけ!」
 アンリの鬼気迫った叫びが聞こえてきた。
 彼の指示に従ってその場から離れたルカたちの目の前に、砂上帆船の砲台から巨大な弾がぶち込まれた。ゆうに数十人を押しつぶすような弾は何発も敵軍に叩き込まれ、相手を一掃する勢いであった。
 幸いにも、と言うべきなのかは分からぬが、もはや敵味方問わず暴走し始めた司の狂乱が敵軍に放り込まれ、かく乱には成功しているようである。それでも態勢を立て直した神官戦士たちを相手にすることは厳しいものがあり、奇襲の効果は完全に薄れてしまったが、今度は砂上帆船を中心とした戦いへの移行である。戦況的に逼迫してきたこの状況をいかに覆すかが問われるところだった。
 だが――その前に現れた影の気配に、ルカたちの行動は完全にストップされた。
「あれは……」
 そこに現れたのは、言うまでもない標的に他ならなかった。鼠のように小汚いローブを纏った赤い瞳の魔女――モートは、自分の箱庭を見学でもするかのように戦場へと降り立っていた。その横には、常に彼の傍にいる坂上 来栖(さかがみ・くるす)の姿も見える。
「見つけた……!」
 突然の来訪は予期したものではなかったが、目の前に現れたのは好都合以外の何者でもない。ルカは淵たちに目配せした。
「ちょっくらやるぜ……」
「淵……そいつは……!」
「みんなどいてろよっ!」
 淵の手にした魔弾を見て、カルキノスが驚愕、そして恐れを抱いた声を発した。淵の注意に反応して、味方の契約者と兵士たちが何事かと思いながらも慌てて飛びのく。それを好機とした敵兵たちは集団となって飛び掛ってくるが――
「獅子の魔弾に、道を開けるがよい!」
 集団ごと吹き飛ばすほどの強烈な衝撃が、銃口から撃ち出された。
 兵士たちがまるで台風の後のように一掃され、一本の道ができる。それは、モートへと至る道だった。そして、その道を飛んだのはルカだ。兵士たちは吹き飛ばされた衝撃で彼女を止めることができない。
(逃しはしない!)
 苛烈な勢いをそのままに全速接近してくるルカを見て、なぜかモートは笑みを崩さなかった。

 戦場に降り立ったモートは、愉しげに見つめていたが、やがて衝撃とともに一発の魔弾が自分のもとに飛来してきた。魔弾をかろうじて避けたモートの背後で、自分の軍旗が吹き飛ばされる。さほど軍旗に感慨を抱くモートではなかったが、気分が良いものではなかった。
 そんなモートのもとに飛び込んできたのは、一人の契約者だった。箒に乗ったそいつは眼前に迫り、光の刀を抜刀した。いわゆる、光条兵器という奴だということをモートは理解していた。
 さすがにその一撃の下に断ち切られては、モートもただでは済むまい。彼は咄嗟に腕を振り上げた。が、しかし。
「はああああぁぁ!」
 ルカの気合の声とともに振りおろされた光条兵器の刀は、鮮烈な光を放ってモートの腕とぶつかった。そしてそのまま、竜の力を込めたそれは――モートの腕を断ち切る。
「…………」
 わずかに苦鳴にも似た声が漏れたのを聞いた。
 一矢報いる。まさしくそれに相応しき功労だった。ルカはそのままモートのもとから離脱して、彼に戦線離脱を促す……つもりだった。
「ッ!?」
 しかし次の瞬間――断ち切られたはずのモートの腕から伸びてきた漆黒の闇が、ルカの首根っこを掴んだ。
「ルカっ……!?」
 それを見ていたダリルが驚きの声をあげた。何事かと誰もが見やる。そして、その正体に気づくのは容易なことだった。
「シャ、シャドゥ……?」
「ひゃは……すみませんでしたねぇ……私、身体の中にシャドゥを何匹か飼っているのですよ。ほら……このようなことが起きても、こうして目の前のムカつくお人に復讐することができるでしょう……?」
 陰険な彼の考えそうなことだ。
 実質的に人質のような状態にされたルカを見て、契約者たちは思わず攻撃の手を止めていた。それを見下ろしたモートは、ニタニタと笑いかける。神官戦士たちも、形勢逆転とばかりにじり……と彼らに迫っていた。
 だが次の瞬間。モートが行った戦術は、彼らも予想できぬことであったろう。
 気づいたのは傍にいたルカだけか。彼女の目の前で、モートはすっともう片方の腕を持ち上げると、その手のひらにぼんやりとした闇を生み出した。闇の玉は太陽が真っ黒に染まったような禍々しいもので、一体何なのかと、ふとルカが兵士たちを見やったとき、彼らの体内からもまたぼんやりとした黒いものが透き通って見えた気がした。
(まさか……!?)
 嫌な予感がした。
 モートが薄い唇を割って怖気の誘う笑みを浮かべるのはほぼ同時だった。
「みんな、逃げ――」
 ルカはなんとか苦しい喉から息を絞り出そうとしたが――モートの味方であるはずの兵士たちの体内から黒い光が漏れ出し、それがまるで糸を紡ぐように全て繋がり……それを疑問に思うよりも早く、次の瞬間には……巨大な漆黒と閃光が混じりあった爆発が起きていた。

 爆発は、砂上帆船さえも巻き込んだ強大なものだった。
 砂漠に空いたクレーターのような穴に、かろうじて契約者たちは命だけを残して倒れこんでいた。
「ぐ……」
 激痛の走る身体に鞭を打って、ダリルはなんとか身体を持ち上げる。視界に広がったのはまず、兵士たちの無残な死体の山だった。先ほどまでの戦いがまるで嘘かのように、そこら中に物言わぬ兵士たちがいた。
 なんとか自分たちが生きているのは契約者としての生命力と、咄嗟に生み出したイナンナの加護やオートガードのおかげであろうか。それでもこれだけ傷ついてしまっては、爆発の威力が相当なものだと言うことが知れる。
 吹き上がっていた砂埃が薄れてきたとき、ようやく契約者たちの視界にモートの姿が確認できた。心の奥底から愉しかったのであろう。漏らした声を隠さずに笑い続ける彼は、契約者たちを見下していた。
「いや……これほど上手くいくとは思っていなかったです……やってみるものですねぇ」
 そんな彼に向かって、エオリアに守られて一命を取り留めていたアムドが声を張り上げた。無論――その声色は怒りに満ちている。
「貴様……一体なにをしたっ……!?」
「……魔術」
 アムドの横でモートを見上げていたエースが、唇をかみ締めるように言った。まるで優秀な生徒を前にした教師がごとく、モートは笑う。
「ご名答……ですね」
「人の生命力をそのまま媒体にして爆発を起こすなんて……それが……それが……人のやることかっ!」
「あいにくと……人ではないので……ああ、それはいいのですが……」
 ぽつりと漏れた言葉をごまかして、モートは話を続けた。
「戦いの役に立てて、兵士の皆さんも本望でしょう? ……私……軍師の才能……あるでしょうかね?」
 その、命を命とも思わない言葉に、もはや我慢は限界だった。激情したエースが激痛で震える足を引っ張って飛び出そうとする。だが、それを制したのはダリルだった。
「ダリル……!?」
「それで……俺たちをどうするつもりだ? これ以上、もはや抵抗の術は残されていない」
「何を言って……!?」
 ダリルの言葉は無情とものとれるものだったが、事実、ルカはいまだモートの片腕に捕らえられており、かろうじて命を取り留めただけの力しか残されていないダリルたちに、モートへと歯向かうような方法は残されていなかった。
 まして――
「見ろ……」
 遠くを見つめたヒロユキがみんなに呆然と言った。
 砂漠の向こうから徐々に近づいてくるのは、先ほどの爆発で犠牲になった兵士たちの数とは比べ物にならない大軍だった。ワイバーンやハルピュイアであろう上空の影も、鈴が言っていたものを優に越える数がある。
 つまり、ダリルたちが先行部隊として奇襲を仕掛けたこの部隊もまた、モートたちのとっての先入り兵たちに他なからなかったのである。
「さて、どうしましょうかねぇ……」
 ダリルたち、そして苦しんだ喉を鳴らすルカを見やってモートは呟いた。
「殺してしまうか……」
 冷たい声色でそれは囁かれた。ルカを掴んでいたシャドゥの手に力が込められる。喉を絞られる強烈な痛みにあえぎ苦しみだしたルカ。ダリルの指先が銃へと動き出そうとしたそのとき――モートに、来栖が進言した。
「待ってください」
「……何ですか、来栖さん」
 多少気分を害されて、不機嫌そうにモートが振り返った。そんな彼には臆せず、来栖は続ける。
「殺してしまうよりも、人質として扱ったほうがいいでしょう」
「人質……?」
「それに、死を前にしたらあの方たちもどんな無茶をしでかすか分かりませんよ……頭の良い方たちです。命を助けるということであれば、大人しくしたほうが身のためであるということぐらいは分かるでしょう」
「だ、誰が……そんな情け……ッ!」
 来栖に激情したのは、他ならないルカであった。
 自らの命ほしさにプライドさえも捨てるなど、そんなことがあってたまるものか。ルカの怒りは、己を侮辱したことに対するものでもあり、そんな情けをかけようとする来栖たちに対するものであった。
「……そうでしょう?」
 来栖がダリルたちへと視線を向けて聞く。もちろん、ルカはそんなこと受け入れるはずはないと思っていた。しかし、予想だにしていなかった言葉が返される。
「ああ……命だけでも助けてもらえるのであれば、これ以上、俺たちは何も抵抗しない」
「ダリル……!?」
 ルカの驚愕があったものの、モートはなにやら考え込むようにしてしばらく唸っていた。やがて、彼は薄笑みを浮かべる。
「いいでしょう。人質……それも悪くなさそうです。せいぜい、有効的に利用させてもらいましょうか」
 彼女を掴んでいた片手が緩み、雑にルカが地へと落とされる。荒く咳き込んだ彼女はなんとか呼吸を落ち着けて、モートを憤怒の目で睨みつけた。
 モートはルカを見下ろしたが、彼女に何か言うでもなくその場を後にした。話の間に到達していたのであろう、上空からワイバーンとヒポグリフの部隊が降り立ち、兵士がルカたちを拘束する。
 ルカは、どこか腑に落ちない気分でもあった。ダリルだけでなく、あの時、アムドも菜織もまた、素直に人質になることを受け入れていたからだ。……勝ち目のない戦いだと、諦めたのだろうか。だとすればそれは――
 ルカがすがるようにダリルに目をやると、彼は黙ったままであった。
(……信じよう)
 彼の真意は分からないが、きっと諦めてはいない。そう、ルカは信じたかった。それはきっと、ダリルも望んでいることのような、そんな気がした。
 まだ戦いは終わっていないはずだと心に刻み込んで――ルカはそれでも子供のように納得いかない態度で兵士の縄に捕まった。