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あなたもわたしもスパイごっこ

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第4章 はじめてのみっしょん

 柚木 郁(ゆのき・いく)がテーブルの上に置かれた紙束を見つけたのは、なぜか見つからない兄2人を探している最中だった。
「おにいちゃーん、どこー? ……あれ?」
 無造作、という割には非常に見つけやすいように置かれたその紙を郁は手にとってしげしげと眺める。
 その表面には「ゆのき いくくんへ」、そのすぐ下には「みっしょんです」と書かれていた。
「あっ、これ、おにいちゃんたちがいってた、みっしょんだ!」
 その手紙の意味に気づいた郁は、折りたたまれた紙を広げ、中に書いてある――厳密には雑誌の切り抜きを使った文字の羅列を読み始めた。
『やぁ、ゆのきいくくん。きみは、あまいものはすきかな?』
「あまあまさん、だいすきー」
 平仮名のみが使われた文字だけのそれに対し、郁は子供らしく会話で応える。
 えへへと笑う郁に、次の文字が飛び込んでくる。
『そうだろう。そんなきみにぴったりな「みっしょん」を、よういした。がんばって「みっしょん」をこなしてくれたまえ』
「はーい! いく、がんばってくりあするの!」
 指令内容を確認するべく、郁は次の紙をめくる。
『みっしょん1:いっしょにいれておいたおかねをつかって、「にんきのすいーつのおみせ」のけーきを、かってくること。けーきはどんなものでもかまわない』
「すいーつのおみせって、まえにおにいちゃんたちとなんかいもいった、あそこだね!」
 郁の住んでいるのは、薔薇の学舎が存在する霧深き町タシガンである。そのタシガンに構えられた郁の家の近所には、その指令の示すスイーツ店があるのだ。
『みっしょん2:みっしょん1をくりあしたあと、けーきをもって「ねこのしゅうかいじょ」にくること』
「にゃんこのしゅうかいじょだねー。いくいくー!」
 霧の深い所にも猫というものは存在する。郁たちはその猫が集まる場所で、よく猫と戯れていたりするのだ。
『ちゅうい;ひみつのみっしょんのため、おにいさんたちにはないしょで、ひとりでじっこうすること』
「いくひとりで? わかりましたー!」
 手紙に書かれていたのはそこまでだった。ミッション・ポッシブルゲームには、ほぼ「お約束」として「当局は一切関知しない」という文面が書かれており、最終的には「指令が組み込まれたもの」を処分することとなっている。だがこの指令書にはそのような「お約束」は含まれていなかった。もちろんそれは、郁という遂行者の人格を尊重したもの――要するに子供向けに改良したもののため、文面は書かれず、消去手段も用意できなかったのだ。
「おかねはにゃんこちゃん(猫の顔の形をした小銭入れのこと)にいれました! では、しゅっぱーつ!」
 手紙と共に置かれていたゴルダを持って、今、郁の「みっしょん」が始まった。

 そもそもこの「みっしょん」は誰によって組まれたものなのか。答えは郁のパートナーである柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)によるものだった。
 発端は、ある日、貴瀬のパートナー柚木 瀬伊(ゆのき・せい)から始まったこの会話にあった。
「……大体、貴瀬は郁に甘すぎる」
「はい?」
「はい、ではない。確かに郁は可愛い。それはよくわかる」
「うんうん、郁は本当に可愛いよね」
「可愛いのはいいが、だからといってこのままずっと甘やかし続けるつもりか?」
 貴瀬の郁に対する態度は、まさに「過保護」のそれに近いものである。
 可愛い弟のようなアリスは、元々貴瀬が飼っているゆるスター「綺蓉」が見つけた者で、その外見は貴瀬が10歳頃の姿に似ているのである。常に笑顔で無邪気で甘えん坊の郁は、すぐさま貴瀬と瀬伊を気に入り、兄と慕うようになっていった。
 それが貴瀬に現在のような態度を取らせるのかは定かではないが、郁が暗闇で怖がるようなことがあればすぐに飛んでいってそばについてやったりと、とにかく突き放すようなことをしたがらないのは事実であった。
「正直言って、俺も郁を可愛がっているつもりだ。だがこのままただ可愛がるだけでは、郁は将来何もできなくなってしまう。買い物1つすらできないことになるのだぞ?」
「…………」
 郁自身は「1人になる」ということを怖がらない。暗所でなければ割とどうにでもなる。むしろ地球人の兄の方が離れようとしないのだ。瀬伊はそのことを特に問題視していた。
「買い物1つできないとなると、本当に困るのは一体誰だ。……郁自身だ」
 今でこそ外見10歳の子供である郁。だが、アリスとて年を取る。年を重ね、次第に大人になっていった時、大事にされすぎた少年は、果たしてどのような存在になってしまっているのか、瀬伊の目には火を見るより明らかに結果が映っていた。
「いきなり突き放せとは言わん。だが何かしらの形で、郁自身が、1人でも物事をこなせるように――」
「わかった。わかったからちょっと待って」
 瀬伊からの説教が嫌になったのか、貴瀬はその言葉を途中で遮った。
「瀬伊の言いたいことはわかるよ。つまり、子離れしろってことでしょ? ……俺はどっちかといえば、ちょっと嫌だけど……」
「まあ貴瀬自身の感情はともかくとして、俺の主張が伝わったなら、まずはそれでいい」
「でもさ、いきなり突き放すのが駄目なら、どうすればいいのかな?」
「む?」
「子供を独り立ちさせるのによく、『もう何歳なんだから、1人でできるでしょ!』って無理矢理何かをやらせるのは見るけど、さすがにああいうのは嫌だしさ」
「…………」
「テレビ番組みたいにお使いに出す、っていう手もあるけど、あれって結構難しいんだよね……」
「それなら心配はいらん」
 貴瀬のその悩みを、瀬伊はあっさりと解決してしまった。最初から彼は「郁を独り立ちさせる」計画を練っていた。
 曰く、最近契約者の間で流行している「ミッション・ポッシブルゲーム」「スパイ小作戦ごっこ」の遂行者を郁にさせる、というものである。
 指令書は貴瀬が作成し、指令を出した後は、瀬伊が郁の後ろからこっそりと見守る。もちろん手助けは最後の手段だ。
 このようにして兄たちのスパイ小作戦が考えられたのである。

「とは言ったものの、まさかこんなことをする破目になるとはな……」
 郁が家を出たその後ろから瀬伊がついていく、というのはそのままだった。だが今の瀬伊の手には貴瀬から渡されたデジカメが握られていた。
 要するに、これで撮影し、記録に残せということである。
(しかしどうせ郁を撮影するのなら、ビデオカメラの方が良かったのではないのか……?)
 瀬伊のその疑問はもっともだったが、残念ながらなぜか手持ちのビデオカメラが見つからなかったのだ。そこで代替案としてデジカメの静止画を連続撮影することにしたのである――ちなみに瀬伊は銃型ハンドヘルドコンピュータを持っているため、場合によってはこれで静止画を撮ることも可能であった。
「まあいい。無いものはどうしようもないしな……。しかし俺は郁を見守るので忙しいというのに、全く……」
 見守る作業と平行してカメラマンとして動かなければならなくなった。それは確かに労力の増大ではあったが、自らも可愛がる郁を撮影できると考えれば、この程度の苦労など大したことではなかった。

 さて、その郁だが、どうやらいきなり詰まってしまったらしい。人気スイーツ店の場所がわからなくなってしまったのである。
「あ、あれ……? えっと、こっちにいって、それから……、あれれ?」
 確かに何度も兄たちと一緒に店には行った。だが肝心の「行き方」が途中からわからない。何となく風景は覚えているのだが、ただでさえ霧の濃いタシガンである。覚えている部分が霧で隠されてしまっていては、さすがに郁は迷子にならざるを得ない。
「な、なんかいもいったことあるから、だいじょーぶだとおもってたのに」
「……いかんな、これは」
 明らかに動揺している郁の姿に、瀬伊は手助けを入れることに決めたらしく、肩に乗せていたゆるスターの綺蓉を手のひらに乗せ、頼み込む。
「綺蓉、賢いお前ならきっとこなせる。郁の手伝いを頼んだぞ。いつも行くケーキ屋、そして猫の集会所だ」
 綺蓉は瀬伊の手の上で敬礼すると、その場から降り立ち、一直線に郁の元へと走っていった。
「頼むぞ、綺蓉……」
 心配の色を隠せない瀬伊の期待を受け、綺蓉は見事に郁のところに辿り着いた。
「ん? あ、綺蓉だ」
 自らの恩人(恩ゆるスター?)である綺蓉を見つけた郁は、焦りの表情を一変させ、すぐさま笑顔に戻った。
「綺蓉、こんなとこでどうしたの?」
 郁がそう呼びかけると、綺蓉は先導するかのように郁の前方を歩き、途中で立ち止まった。
「え、もしかして、こっちなの?」
 綺蓉はその小さい体で頷く。
「うん、いく、綺蓉についていくのっ!」
 小さな案内人の先導の下、しばらく歩き続けた郁は、第1の目的地であるスイーツ店に辿り着くことに成功した。
「ついたー! 綺蓉、ありがとね」
 飼い主の感謝の言葉にゆるスターは胸を張って応じた。
「すみませーん。しょーとけーきと、ちーずけーきと、べりーたるとください」
 店に入り店員を呼ぶ。やってきた店員は郁のことをよく知っているのか、手馴れたように注文の品をプレートに乗せていった。
(えへへー、おにいちゃんたちのすきなけーき、ばっちりおぼえてるもん)
 指令書には「ケーキの種類は問わない」とあったのだが、郁はすぐさま兄たちの好みのケーキを選んだ。まさに兄思いの弟とはこのことである。
「ショートケーキと、チーズケーキと、ベリータルトですね。この3つでよろしかったでしょうか?」
 確認のために店員が尋ねてくる。郁は並べられた3種のケーキを見て、それが求めているものと一致しているのを認め、大きく頷いた。
「はい、それでおねがいします」
「かしこまりました。では、箱にお入れしますね」
 そのまま会計を済ませ、ケーキの入った箱を受け取る。これで「みっしょん1」はクリアしたことになる。
「ありがとーございます」
 丁寧に礼を言った郁は、箱を揺らさないように、それでいて元気よく店を出た。
「えっと、それじゃつぎは、にゃんこのしゅうかいじょだね!」
 スイーツ店への行き方は忘れてしまったが、猫が集まる場所に関しては忘れはしないとばかりに、軽快に足を踏み出した。もちろんお供のゆるスターと意外と心配性な兄1人もそれについていった。

 霧の町を鼻歌混じりに歩く。太陽が高く上る時間帯であるため、多少霧が濃くとも迷うことは無い。暗くなければ大丈夫、郁の足取りはそれを証明するかのように軽やかだった。
 そうして10分ほど歩いた頃だろうか。郁の視界に求めるものが映るようになってきた。
「あっ、にゃんこさんだ!」
 大小様々な猫が見え隠れするようになる。それはすなわち、第2の目的地が近いことを意味していた。
 いつも通る道、いつも乗り越える草むら、それらをいつものように踏みしめると、そこには郁の求める人物、なおかつ郁を求める人物が猫と戯れているのが見えた。
「おにいちゃん、はっけん!」
 あらかじめ集会所で待機していた貴瀬は郁の姿を認めると、やってくる弟を迎えた。
「ミッションクリア、おめでとう」
「おにいちゃーん!」
 飛び込んでくる弟を優しく抱きしめ、貴瀬はその頬に軽く口付けを落とす。
「郁ならきっとできるって信じてたよ」
「えへへ、いく、がんばったのー」
「うんうん、よく頑張りました」
 抱きついてくる郁の頭をなで、しばらくしてからゆっくりと体を離した。
「さて、これにてミッションはおしまい。さぁ、それじゃ帰って郁が買ってきてくれたケーキを食べようね」
「うん!」
 そうして2人は連れ立って、その場を後にした。
(やっぱり俺の郁は、一番可愛いよね。瀬伊には悪いけど、こればかりは譲れないよ)
 弟の手を握る兄の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

「やれやれ、まったく……。ひとまず今回はうまくいったが、その代わり、今後が心配だな……」
 手を繋いで歩く2人を後ろから眺めながら、瀬伊はデジカメ片手にため息をついた。